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創作メモ

74管理人:2012/03/24(土) 15:53:52
>>73の1の話は、孤児院のようなものの由来について記載しているのだろうか?
2も不思議な話である。霊異記にこれを元ネタとした説話があり、スガルを「雷神を捕まえた男」として紹介されている。
それにしてもこの話は>>8を思い出す。幼少の管理人が巻向のみかん園で見たのはオオモノヌシだったのかもしれない。

三輪山について。
大神神社は日本最古の神社とされており、三輪山そのものがご神体である。三輪山は古代における最高神だったと思われる。
その由来は3C前半の纏向時代に遡るだろう。垂仁・景行は三輪山をバックに宮を立てている。
当時の王権と三輪山の神が結びついたのは容易に想像できる。また、記紀ではオオモノヌシ≒オオクニヌシとする記載もある(詳細は省略)。
崇神代の記事には三輪山に関する極めて重要な記述もある。疫病や民の流出が続く理由を
アマテラスとオオモノヌシを一緒に祀っているからだとしており、国の神であるオオモノヌシの祟りが猛威を振るうのである。
結局アマテラスを笠縫へ移すのだが、それでも治まらず、最終的には引越を繰り返した上、伊勢まで飛ばされるのである。
荒ぶるオオモノヌシは三輪の祖であるオオタタネコに祀らせることによって、ようやく休まるのである。

つまり、アマテラスは元来余所者なのである。じゃあいつやって来たのか、って話になるのだが、おそらく神功が畿内へ持ってきたのだと思う。
なぜなら神功は日の巫女のゆかりの者だからだ。ところが反発が大きく、引越させたというわけだ。
管理人はこの反発(崇神代記事の疫病や民の流出)を、応神代のゴタゴタだと考えている。
アマテラス分祀は>>67で書いた「旧勢力の懐柔」策の一つだろう。じゃあ、いつアマテラスは皇祖神になったのか? ってことになるが、
正式には天武代であろう。『火の鳥』にそう描いてあった。(急に参考文献がおかしくなったが。)日の本という国号がまさにそれだ。
よく言われることだが、天孫降臨神話が形になったのは持統代とされ、それについては管理人も同意である。
持統にとって都合のいい神話をより確固たるものにするため、この時にアマテラス≒持統が皇祖神となったはずである。


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