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創作メモ

65管理人:2012/03/22(木) 21:00:34
いわゆる天孫は北方系だと考えられるが、当然列島は地理的にどん詰まりなので、先住民はあまり逃げ場がない。
となると、一部は東国や南洋に逃げたにしても、戦闘だの和睦だのを経て、多くは取り込まれていったのではなかろうか。
もちろん天孫も一度にひとところへ結集したわけでは決してなく、断続的に、北九州やら、山陰やら、北近畿やらに、
ちょいちょいお出まししたものと思われる。天孫同士のいがみ合いも当然あるわけで(そもそも便利だから天孫という語を用いているが、
別にセクトが違えば同士ではない)、大乱にもなっただろう。>>23に書いたイワレビコとニギハヤヒにしたところで、天孫同士の抗争→結託である。

1Cに北九州へ来た連中はナ国の王となり、他勢力へ対抗するため皇帝の権威を借りようとしたわけだ。
さらに天孫は続々とやって来るわけだが、ナ国がやばそうだから日本海や瀬戸内つたいに出雲や吉備へ行った連中もいるだろうし、
無理やり九州に割り込んでイト国やらフミ国やらを作った連中もいただろう。出雲や吉備の動きに呼応して畿内へ進出した連中もいただろう。
ニギハヤヒなんてまさにそれだ。やがて国がまとまっていくと、大乱の時代は終わる。
その契機となったのは、卑弥呼共立や崇神立国であったわけだ。高地性集落も消え、新たな展開を迎えるわけだ。

なぜ脱線して2C以前をやろうとしだしたかというと、>>40の出だしが唐突なので、もう少し流れを分かりやすくしたかったわけです。
歴史の勉強とは流れを掴むことだよ、なんて風によく言われなかったかい?


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