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創作メモ

39管理人:2012/03/17(土) 14:44:12
以上の流れにより、いわゆるホムダワケ・いわゆるオホササギの時代について、
その由来や背景がある程度解明できたと考えているのであるが、どうだろうか?

その後(4C半ば以降)は、仁徳の方針を引き継いだ「応神仁徳的な王」が数代続き、
半島南部の制圧、それに伴う知識人の渡来を経て、5C初頭の履中代に繋がると思われる。
しかし5C末、雄略の武断専制が始まると葛城氏や平群氏が失脚し、王権内部のパワーバランスが崩壊、
雄略の死後に滅茶苦茶になり、継体を担ぐも磐井の乱等で滅茶苦茶が加速し、
欽明代あたりからようやく取り繕いが始まったと予想する。その間にも6C半ばに半島の拠点を失い、大伴がいったん失脚。
さらにそれに伴う亡命渡来系が良くも悪くも争いの火種を持ち込み、次いで物部が失脚。
推古期には厩戸・馬子ラインで取り繕い再開。これはある程度成功し、煬帝の足元を見て国際的地位もジャンプアップする。
ってな具合に続いていくわけか。またしても適当なことを書いたかもしれんが、とりあえず>>40-41で2C末〜5C初頭をまとめます。


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