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創作メモ

1管理人:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。

40管理人:2012/03/17(土) 15:03:10
<2C末〜3C前半>
【1】崇神(10)の立国。纏向建設開始。北九州ではこの頃に卑弥呼共立。
【2】垂仁(11)の治世。王家への権力集中が進む。
【3】景行(12)の治世。濃尾系と手を結び、瀬戸内から東海までを勢力下に。
<3C半ば>
古墳時代の権力体制に繋がる最も重要な時期。
【3】景行(12)の九州遠征。数年後に九州を平定する。その間、卑弥呼死亡。
【?】仲哀(14)の暗殺。北九州における畿内勢力と九州勢力の結託。【4】神功擁立。
この時期、北九州新勢力へと対抗するため、景行・仲哀の遺子を担いだ留守番勢力が挙兵。
【4】神功、東征へ。激戦の末、留守番勢力を平定し、畿内入り。神功政権誕生。
このことが「卑弥呼の死後、国が乱れたが、台与を女王になって国内が治まった」ことであるとする。
旧勢力の中でも勝ち組である大伴・物部の他、新勢力の勝ち組である武内系・タケフルクマ系の台頭。

41管理人:2012/03/17(土) 15:26:41
<3C後半>
【5】応神(15)の政権が神功崩御後に誕生。
新政権トップは武内系。婚姻政策によって旧勢力への懐柔も図る。
しかし結果的にタケフルクマ系へ肩入れすることとなり、禍根を残す。
【6】宇治が応神崩御後に山城で即位。政権トップはタケフルクマ系。
【7】仁徳(16)は既に難波入りしていたと考えられ、武内系と共に収拾へと動いていたか?
不遇の旧勢力が大山守を担いで反乱を企てるも失敗。
<4C前半〜中頃>
【7】仁徳(16)即位。宇治の自殺は考えられず、パワーバランスを考慮して暗殺されたか?
仁徳・武内ライン主導で婚姻政策による内部抗争の収拾達成。しかし武内系の地位も相対的に低下?
この頃、仁徳政権は富国強兵に努める。(造船・大規模公共事業・何らかの民心懐柔策など)
<4C中頃〜4C末>
【8〜】仁徳の遺志を継いだ王が数代に渡って前政権の政策を継承。半島南部制圧。
<5C初頭>
【不明】履中(17)即位。対外政策に伴う新着渡来の流入により、文字記録の開始。大陸への遣使開始。


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