したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

創作メモ

36管理人:2012/03/17(土) 12:59:09
さて、>>34で宇治政権は旧九州陣営で固めたものかも、と書いたが、違うような気がしてきた。
なぜなら、旧九州陣営のボスである武内宿禰は、ややこしい経緯の末、仁徳を担いだ可能性が高そうだからである。
そもそもタケフルクマの出自がよく分からない。景行遠征に付いて行った畿内陣営かもしれないし、
景行に接収された九州陣営かもしれないし、神功東征の過程で降った出雲や吉備かもしれないし、全くの別物かもしれない。
とにもかくにもウジノワケの王位自体が記紀から消されているのを見ると、タケフルクマの余所者度は高かったと思われる。
それが神功東征戦の大功から急速に力をつけ、最終的にいろんな旧勢力を敵に回す形になったんだろうと妄想。

>>34にもう一つ間違いが。磐余で執政したのは神功であった。応神は明宮というところで、橿原市内らしい。
応神は明宮で崩御したらしいが、一説には難波でもあるらしい。後者は管理人の言う応神仁徳2〜4かもしれない。

③ヤマモリについて。父は応神、母や景行+尾張系の女性である。それ以上の情報がないのが辛い。
応神の死後に反乱を起こすので、旧留守番陣営に唆されたと妄想する。
以後、ヤマモリ挙兵→ササギがウジノワキに密告→ヤマモリが宇治川を渡河する際、ウジノワキが舟の漕ぎ手に化ける
→舟の底に汁を塗り、ツルツルにする→ウジノワキが舟を傾け、ヤマモリが落ちる→流されるヤマモリに一斉に矢が放たれる
→ヤマモリ死亡。となるのである。この時既にササギは難波に住んでいたとの記述が見える。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板