[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創作メモ
30
:
管理人
:2012/03/15(木) 23:17:07
〜前回までのあらすじ〜
>>29
さて、
>>3
の時点では応神・仁徳が4-5Cは間違い! 3-4C! と言っていたわけであるが、
>>29
のとおり、間違いっちゃあ間違いなのかもしれないが、別に間違いでもないのである。
ただ、いわゆるホムダワケは3C後半であり、いわゆるオホササギは4C前半、というのが結論である。
いよいよ当初の目的である応神・仁徳(いわゆるホムダワケ・いわゆるオホササギ)の話を進めていくのであるが、
神功代までは「記紀」に対して「考古学」と「海外記事」が両翼を担い、それっぽい仮説を立てることができたのだが、
応神代以降は「海外記事」が欠落するので、今後は妄想成分が多くなりそうである。
それに、一翼の「考古学」も4Cは何だかいまひとつである。これは王都が難波へ遷ったからであろう。
当時は湿地が多く、尚且つ現在は市街地に埋め尽くされているので、でかい古墳が沢山ある、
というくらいの成果しか上がっていない。もっとも、管理人が考古学について知らないだけだというのが実情だろうけど。
まあいいや。
通常、乗っ取り政権は短命に終わるものである。6C初頭の継体もそうだろうし、奈良時代なんてその最たるものだ。
平氏もすぐやられ、源氏もすぐ北条に乗っ取られ、戦国期には三日天下なんて言葉もある。
だとすると応神政権も相当なもんだったとは思うのだが、そのへんについて
>>26-27
をもとに妄想していきたい。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板