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創作メモ

141管理人:2016/06/19(日) 21:37:03
ただ、>>140のバランス感覚は葛城vs和邇の火種を撒いただけであり、
それが応神の死後に噴出することになるわけだ。
大山守と宇治はその犠牲者だろう。磐之媛もそうかもしれない。
仁徳の好色には争いの芽を摘もうとする苦心が垣間見えるではないか。本当か?

3世紀後半から4世紀後半までは、やはり葛城一強だったのだろうか?
ホムダ王朝の祖ともいえる神功は、武内の助力あってこその躍進だったわけだから、
やっぱり一強と考えるのが自然な気がする。ただ、それは和邇の祖である
タケフルクマにも同様のことが言える訳だが、さすがに貢献度に差があったか。

宇治の親和邇・反葛城が強すぎたから、仁徳が再度バランスを取り直したのかもしれない。
仁徳死後の履中・反正・允恭の三代にしたって、みんな襲津彦の孫だから、
まだ葛城はそこそこ強い。ところが安康の代になって、いきなり事態が動き出すわけだ。
そう考えると、眉輪も雄略の兄弟達も葛城vs和邇の犠牲者か。


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