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創作メモ

140管理人:2016/06/19(日) 21:14:36
纏向古墳群→大和・柳本古墳群の流れは、
やはり>>136におけるホムダ王朝のものなんだろうと思う。
その後、4世紀末頃から佐紀とか馬見とか百舌鳥とか古市とか
色々出てきて、このあたりに当時の混迷具合がうかがえるような気がする。

佐紀はやはり宇治を擁立する和邇一派のものだろうか。
馬見は葛城一派だろう。百舌鳥・古市は仁徳一派か。
仁徳を擁立しているのは葛城一派のような気がするが、
そのへん、仁徳はうまいことバランス取ってたっぽい(適当)。

>>135-136における応神5世=応神が宇治に肩入れしたのも
葛城一強を嫌うバランス感覚のような気もするが、
晩年に摂津大隅にも宮を構えていたあたり、老後の面倒は
一番優秀な子である仁徳に看てもらおうとしていたからなのか。


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