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創作メモ
1
:
管理人
:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。
14
:
管理人
:2012/03/10(土) 22:05:58
古代史おもしろすぎやろ。
〜前回までのあらすじ〜
>>11
>>13
>>13
で「記紀と考古学に基づいた一連の流れ」と「魏志・晋書」を並べて書いたわけだが、
まあ、察しのいい人には何が言いたいのか分かると思われる。今回は避けて通れぬ邪馬台国について。
まず、場所。
正直な話、何で畿内説と九州説で未だに決着がついていないのか、管理人にはさっぱり分からない。
魏志の記述を読む限り、どこでどう転べば畿内なるのか全く理解できないのである。
「南は東!」とか、ふざけた理屈だと思う。三十くらいの国名が出てくるが、みんな九州っぽいのに、
何で邪馬台国だけ畿内になるんだ? だとしたらもっとそれっぽい記述をするだろうが。
奈良出身の管理人がお国自慢的根性を捨ててまでそう言っているんだから、九州で間違いない。
そもそも「女王国から東の海の向こうには、同様の倭人の国が複数ある」と書いてあるではないか。
もし奈良出身で畿内説を推す歴史学者がいたとしたら、
お前には海のない県で生まれ育った誇りはないのか? と言ってやりたいところである。
15
:
管理人
:2012/03/10(土) 22:38:50
場所の次は人物比定。例によって、<要出典!>だらけのwikiから色んな説を取り上げてみる。
卑弥呼(170頃?〜247頃?)←意外に長生きだと思わんか?
wikiには7説ありました。
・神功皇后説 書記でもちょろっと触れている。江戸時代までは一般的な説であったらしい。
・熊襲の女酋説 本居宣長とかが言ってる。
実は管理人も7割くらい支持。ただ「熊襲の女酋」という言い方は、本質的でないと思う。
・ミカヨリヒメ説 筑後風土記逸文に出てくる人らしい。よく知らん。
・倭姫命説 垂仁の嫁らしい。ってことは畿内説。
・倭迹迹日百襲媛命説 ヤマトトトヒモモソヒメという発音するだけで舌噛みそうな名前の主。
近年の卑弥呼候補最有力らしい。理由は記紀に箸墓の被葬者とされているから。
5代孝霊の娘で、崇神代の巫女。女王ってのとはちょっと違うような気もするが。
・ウナビヒメ説 これもよく知らん。ヒメノミコトとも呼ばれ、その音訳とする説があるとか。
・アマテラス説 これは分かりやすい。管理人も4割くらい支持。
「熊襲の女酋」という言い方は国学者の立場から発せられたものであって、本質的には
「九州の数十か国を邪馬台国が代表していて、そこの女王」という感じだと思う。だとすれば十割支持。
ちなみにアマテラス説を4割支持する理由は、卑弥呼とは「日の巫女」であり、
太陽神信仰とはまさに当時の北九州における信仰が起源だと思うからである。
16
:
管理人
:2012/03/10(土) 23:06:23
台与(235頃?〜没年不詳)←266年に遣晋使を出していると思われるので、没年はそれ以降か?
wikiには4説ありました。
・豊鍬入姫命説 崇神の娘。アマテラスを祀った初代斎宮らしく、
>>15
のヤマトトトヒモモソヒメ説と繋がっている。
・アマテラスその後に、説 岩戸隠れ前のアマテラスが卑弥呼、以後が台与とする説。
・万幡豊秋津師比売説 神話パートの登場人物。話すと長くなるので話さないが、ある程度反映されていると思う。
・天豊姫命説
>>15
のウナビヒメと繋がっているらしい。
意外な感じがする。神功説もあるにはあるんだろうが、有力ではないということか?
そもそも卑弥呼はよく語られるのに、台与はいまひとつ話題に上らないのは何故なんだろう?
>>13
を見たら予想できると思うが、管理人は神功説である。
台与は13歳で女王になったと魏志に記載がある。卑弥呼=神功とすると、言っちゃ悪いが、ばばあ過ぎる。
時代的に、台与=神功と見る方が、収まりがいいんじゃなかろうか。
卑弥呼の死後に国が乱れたというのは、九州陣営と纏向陣営との戦いであり、
仲哀の死によって神功の治世となるのは、これすなわち台与が女王となったってことではないのか?
>>13
の<3C中頃>を書き換えると以下の通り。
⑦台与 台与陣営東征に伴う纏向王家残党との戦い? 天武のような王権乗っ取り?
17
:
管理人
:2012/03/10(土) 23:42:49
話が当初の目的である応神・仁徳からどんどん離れておる。今後、近づけていきます。
でももう少し、神功皇后について。
14代仲哀の嫁である。この仲哀という王、名前のとおり哀しいお方である。
出てきたと思ったら、いきなり死ぬのである。その死に方が凄まじい。
1.仲哀・神功・武内宿禰の3人で、神寄せの儀式。神が神功に憑き、神功(神)が仲哀に新羅を攻めろと言う。
2.仲哀が神の言葉を疑う。神功(神)は仲哀に「ならば死ねえ!」と言う。
3.死ぬ。
物騒な話である。ともあれ、これは尋常ではない記事と思われる。
この時、神功は仲哀の子を身ごもっており(応神)、上述の神が「天下を治めるのは腹の中の子だ」と言っている。
⑥仲哀が③景行と同一人なのか、景行が遠征に連れてきた世継ぎなのかは分からんが
(世継ぎを戦場へ連れてくるか? 前者っぽいが不明)、書記において景行は九州を制圧しているのである。
魏書の「卑弥呼の死後、男王が立った」というのも、景行or仲哀のことだろう。
>>16
から神功は九州陣営の次期女王候補だったと思われるが、戦いに負けたから手をつけられたと推測される。
したがって、神功の腹にいるのは仲哀の子、または、周囲には仲哀の子と思われている子、だったと思われる。
ところが征服者は死んだ。(暗殺にしか見えないが。)負けても勝つ方法がある訳だ。
また今度。
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