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創作メモ
107
:
管理人
:2012/04/02(月) 00:26:48
〜前回までのあらすじ〜
ウマウマで安定。(少なくともその以前・以後よりは。)
半島情勢について。まあ、細かいことは省略するが、7C初頭頃には下記の通りになった。
・百済:弱体化(主に新羅にやられる)→大和と協力(6Cの仏教公伝など)→高句麗とも協力へ
・新羅:6Cに勢力拡大(任那滅亡)→孤立化を危惧し、大陸に協力を求める(南北朝・隋・唐に朝貢)
・高句麗:かつては百済・新羅の脅威、また、もともと大陸とは仲が悪い→百済とは協力路線へ
こんな感じである。つまり唐-新羅ラインと、高句麗-百済-大和ラインが徐々にできつつあったわけだ。
ちなみに7C後半、百済も高句麗も唐・新羅連合軍に敗れて相次いで滅亡することになる。
さて、任那復興を目指し、推古代には新羅征討が三回計画されている。
>>101
の来目皇子・当麻皇子がそれである。
ちなみに一回目(600年)は実際に派兵して新羅を降伏させているが、大和軍帰還→新羅が任那侵攻、という
誰でも予測できそうな展開になっている。2回目・3回目は
>>101
のとおり、計画だけで終わってしまったようだ。
6C後半もさんざん百済から救援要請があったようだが、国内がごちゃごちゃしていたので無理だったようだ。
推古代は派兵が可能だったということは、やはりそれなりに安定していたのだろう。
外交上のもう一つ大きなトピックといえば遣隋使・遣唐使であるが、有名なの省略。
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