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創作メモ

101管理人:2012/03/31(土) 01:12:23
〜前回までのあらすじ〜
>>98-99

敏達は>>100の分類でいくと①+②である。これは前にも述べた。では恒例の嫁リスト。子については主だったものを。
・嫁1(皇后):ヒロヒメ。息長マテ王の娘とある。詳しくは分からんが、息長って名前からして②の出自であろう。
 子に押坂彦人大兄などがいる。敏達の出自からも、②の正統はやはり継体系・息長系で進める予定だったんだろうか?
・嫁2(嫁1没後に皇后):額田部皇女。欽明とキタシヒメの娘である。後の推古。別腹の妹である。
 継体系・息長系で進めるかと思いきや、こっちは蘇我系である。子にはいろいろいて、菟道貝蛸皇女(すげえ名前、厩戸嫁)、
 竹田皇子、小墾田皇女(上記押坂彦人大兄の嫁)、タメ皇女(舒明嫁)、桜井弓張皇女(来目嫁)、などがいる。
・嫁3:オミナゴ。出自は春日系。
・嫁4:ウナコ。伊勢大鹿首小熊の娘とあるが、誰だ?
 子に糠手姫皇女(上記押坂彦人大兄の嫁、舒明母、長生きしたらしい)など。

いろいろバランスとろうとしている感じがしますなあ。在位は572-585年とされている。
欽明は任那復興を夢見て没したらしいが、その遺言を引き継ぐ形で百済と協議したり(進展なし)、
新羅との通交から任那分の税?を受け取っていたなどとある。また、廃仏派であり、物部モリヤの働きで禁止令を出したりしてたらしい。
まあ、そんなところである。特にこれといって他に取り上げることはないですわ。

次は用明。在位585-587年。父は欽明、母はキタシヒメ。①王家正統+②蘇我系である。いよいよ蘇我が動き出すか。
・嫁1(皇后):穴穂部間人皇女。父は欽明、母はオアネ。蘇我系ですな。
 子に厩戸皇子、来目皇子(第二次新羅征討計画時に筑紫で病没)、茨田皇子など。
・嫁2:イシキナ。蘇我イナメの娘。子に田目皇子(用明没後に穴穂部間人皇女と結婚したらしいが、古代はすげえわ)など。
・嫁3:ヒロコ。出自は葛城直または当麻倉首とあるが、よく分かりません。
 子に当麻皇子(第三次新羅征討計画時に出陣するが、嫁没のため途中で帰還とある)、スカテ姫(伊勢斎宮)など。


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