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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
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生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
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最初に私の立場を明らかにしておきたいと思います。
私は創造論、その中でもID論と呼ばれる考え方を支持しています。
これは宗教的な人格神ではなくて、インテリジェントデザイナーと呼ばれる
存在が生物を設計した、とする考え方です。
宗教者ではないので、宗教的な背景はありません。
一方進化論に関しては、ダーウィンの述べている様な自然選択論による進化は起こりえない、と考えています。
その様な考え方をベースにこちらは議論を展開するので、賛同する方、反対する方、それぞれの投稿をお待ちします。
進化論、創造論も含めて、幅広い議論を展開できればと考えているので、ご参加よろしくお願いします。
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このスレでは進化論創造論論争を決着させます。
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では、そろそろ本題に。
現在自然選択論が厳密に検証された科学だと明確に主張している研究者など誰一人いない。
やってることは精々何とか自然選択の痕跡を見出いそうと血眼になっていること位。
自然選択の観察例とされているのはごく限られた事例で、勿論それらに対しては反論もあり
科学的な証明を厳密に考えればとてもそれに該当する代物ではない。
ソレにも拘らず、自然選択論が現在もまだ通説のごとく扱われているのは、
実に驚くべきことだ。
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自然選択論を提唱したダーウィンの話と少し専門的になりますがゲノム(DNA)の話を少ししていきます。
著書「種の起源」でよく出て来るダーウィンの口癖、
「しかしこのように考えれば説明できる」
は勿論科学でも何でもない。
ダーウィンの論証は全てこの調子。
イクラ豊富な事例を持ち出してみたところで、これでは実証にも何にもなっていない。
教科書にも載っている工業暗化、或いはダーウィンフィンチ、その他大腸菌の変異、タスマニアデビル等、自然選択の結果の実例として引き合いに出されるものはこれ位しかない。
そしてこれらは全て全てゲノムの環境応答性でも説明できる。
自然選択の結果として精密に検証しようとすると矛盾点が噴出する。
逆にゲノムの応答性と考えれば、それ以上攻めようがない。
唯一の弱点はそのゲノムのメカニズムがまだ解明されていないことだが、それは現状の科学の進展状況を鑑みればやむを得ない事と言える。
いずれ発見されるだろう。
まだ発見されていないからと言って存在しないと断定するのが誤りなのは言うまでもない。
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ゲノム、つまりたった4種類の塩基が対になって2重螺旋で延々つらなることによって構成されている
DNAの遺伝情報によって、すべての生物の形態と生命活動は規定されています。
従って生物の進化もこのゲノムの進化つまりゲノムの変異そのものです。
人のゲノムの全てが読み取られたからと言って、その意味が解明されたことにはなりません。
ゲノムの塩基配列の意味は、むしろ大部分が未知であり未解明です。
その塩基配列の変異が何故もたらされたのか、それを明らかにするのが進化を理由を解明すると言う事です。
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ゲノムの話をもう少し続けます。
生物はゲノム、つまり4種類の塩基が対になって連なる暗号情報によって
完全に設計されています。
それは一卵性双生児を見ればよくわかりますね。
指紋であるとか、ほくろの位置とかの違いがるにせよ、外見上区別がつかないほどよく似ています。
ゲノムの主要な任務はタンパク質の製造です。
これがゲノムの中で遺伝子と呼ばれる部分の役割です。
ヒトで言えばゲノム全体の2%程度とされています。
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ゲノムの話をもう少し続けます。
あらゆる生物はゲノムによって精密に設計されています。
一卵性双生児を見ればよく分かりますね。
ゲノム、つまりDNA情報が全く同じであればそっくりな人が生まれます。
それは人の場合約30億の4種類の塩基対によって決定されます。
ツマリ生物の基本情報は全てゲノムの塩基配列によって決定される訳です。
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ゲノムのタンパク質製造過程はセントラルドグマと呼ばれます。
DNAの塩基配列がRNAに転写され、それが翻訳されてアミノ酸からタンパク質が生まれます。
アミノ酸は塩基3つが一組となったコドンによって生成されます。
生成されるアミノ酸の種類は20種類。
そのアミノ酸が連なってタンパク質が誕生します。
そのRNAからタンパク質への翻訳作業を行うのがリボゾームです。
リボゾームもタンパク質で構成されている、それ自身が巨大な分子機械です。
そのすべての過程は極めて複雑で精密にコントロールされており、その全ての設計を行っているのがゲノムです。
そのゲノムはたった4種類の塩基が連なることによってコーディングされた巨大なプログラムです。
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引き続きゲノムの話です。
ゲノム、つまりDNAの塩基配列は生命の根幹にある訳です。
生命体を誕生させるためにはゲノムの存在が必要条件、ゲノムなくしては生命体は存在しえない、
と言う話になる訳です。
このゲノムの極めて精密で周到なシステムが偶然誕生しえたのか、
これが進化論を考える上でもその根幹に置くべきテーマです。
ダーウィンの時代は想像もしえなかったこのシステム、それがダーウィンの提唱した
自然選択説で説明可能、と未だに多くの人たちが疑いもなく考えています。
もっとも原始的な単細胞生物が何故誕生したのか、これは未だに全く解明されていない
謎です。
その原初の生命体が人にまで進化したその過程は、複雑化と多様化です。
その複雑化と多様化が何故成し遂げられたか。
自然選択論者は当然その自然選択論によってその過程を説明しようとしますね。
自然選択論は、簡単に言えばより生存に適したものがより多く生き残ることによって、
進化がもたらされる、と言う考え方です。
ツマリ生存に有利なものが生き残り、より生存に有利な形態になる。
では、複雑化と多様化は本当に生存に有利であったのか。
単にその個体数を増やすためだけであれば、複雑化は全く必要がありません。
多様化も、その環境に応じた多様性があれば十分で、現在の様に数百万種に及ぶ種を
誕生させる必要はありません。
コレは極めて自明の事柄なんですが、何故か自然選択論者はそれを無視します。
不都合な事実にはすべて目をつむる、若しくは何とか言い訳をこじつける、残念ながら
それが自然選択論者の態度の真実です。
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現在、有性生殖が無性生殖に比べてそれ自体で決して有利ではない、基本的に
不利でしかない、というは多くの研究者の認めるところです。
より単純な無性生殖の方が単に個体数を増やすだけであれば遥かにリスクが少なく
有利と言えます。
その生存に有利とは言えない有性生殖が何故誕生したのか、その理由に多くの研究者は
頭を悩ませています。
悩む、という事はつまり自然選択論が念頭にあるからなんですね。
自然選択論的に説明のしようがない。
そこまで自然選択論を意識していなくても、その根底にはやはり生存に有利なものが生き残って進化するという
自然選択論が暗黙の了解事故になっています。
それが実は進化の考察の科学性を大きく損なっているのです。
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暗黙の了解事項ですね。
それは、創造論から完全に離脱した結果、と見ることもできます。
多くの人たちが創造論イコール宗教と言う固定観念に囚われています。
この思い込みが私の与するID論の理解を大きく妨げています。
創造論を宗教的な文脈だけで捉えようとする態度はむしろ中世的です。
それを未だに創造論を宗教としか考えない人たちが多いのは驚くべきですね。
ID論はそれ自体宗教的な人格神を想定していません。
それはID論を主張する人たちが宗教者であるかどうかとは全く別の問題です。
それを混同している人が少なくありません。
ID論を主張する人たちに宗教的な背景が多いことは事実です。
しかしその主張自体は非宗教です。
例えば長らく有名な無神論者で晩年それを否定してID論を提唱したアントニー・フルーには
宗教的な背景は一切ありません。
ID論を宗教と決めつけてしまう理由は一つはID論の理解が不十分の為であり、
もう一つは自説を守りたいからです。
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自然選択論は基本的に偶然性に依存しています。
「偶々環境に適した生存に有利なものが生き残って進化した」
と言ってる訳で、そこに予めの目的性は全くありません。
つまり偶然が積み重なって人間も誕生した、と言っているわけです。
そう信じ込んでいる。
偶然が積み重なって人のような複雑極まりない生物がどうして出来上がるのか、
それを真剣に考えれば疑問をいだきそうですが、そうならない。
ツマリ信じ込んでいる、それこそ宗教的な態度といえるでしょう。
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ID論は創造論の中でも少なくとも建前上全く宗教色を持たない説です。
聖書に記された正に宗教的な創造論とは全く異質のものです。
宗教者がID論を支持しているいかどうかと、ID論が宗教かどうかは全く別の問題です。
それを何としても紐付けて論じようとするのは、偏った態度です。
その理由の一つはID論を宗教であるとして否定したいがためで、それが前提として
存在しているので判断を誤る結果になります。
実際アメリカのプロテスタントの一部聖書原理主義者はID論を支持していますが、
聖書の天地創造の記述と現実の相違を無視した若い地球説を唱える人たちで、
ID論自体の非宗教性とは相容れないものです。
一方のカソリックの総本山のバチカンは、ID論が非宗教的であるという理由で
ID論を警戒しています。
その限りにおいては、バチカンの判断が正しいと言えるでしょう。
このID論と宗教の混同は根が深く、中々解決されない問題です。
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インテリジェントデザイナーを神と呼ぶのは勝手ですが、教義もなければ人格がある訳でもない。
例えば人格神を信仰するキリスト教、或いはイスラム教徒と言った特定される何者かは決して想定していない訳です。
いDID論を宗教と呼ぶのは、殆どがそれを攻撃材料とするためのID論に反対する立場の人たち、もしくは理解が不足している人たちです。
ID論は前提ではなくて結論です。
つまり信仰は前提があってそれを無批判に信じ込むのに対して、ID論は事実に基づく考察の結果であるところの結論です。
つまりID論自体は宗教とは無関係に存在します。
宗教者が支持している、と言うのはもちろんそれが宗教であることにはなりません。
ID論を宗教として批判しようとしている人たちは、歴史的な背景にばかり着目してID論のロジックをしっかり理解しようと
していない訳です。
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創造論を代表するものの一つとして、旧約聖書にある天地創造の記述通りに
生命が神によって創られた、とする考え方があります。
そしてこの天地は約6千年前に創られたことにされています。
ID論のロジックの組み立ては、知的な設計者が存在しなければ、
現在のような生物たちが誕生するはずがない、と言う事実に基づく推論です。
推論であり再現性もないので、証明の仕様もありません。
しかし、あらゆる科学的な知見を総合的に検証した結果導かれた結論なので、
非科学的と言う批判は的外れです。
上述のような聖書に基づく創造論者がID論を支持するのは別に勝手ですが、
ダカラと言ってID論が宗教である事には勿論なりません。
あらゆる科学的知見は聖書的創造論に反しています。
一部の宗教者たちがID論を支持してるという事実は、ID論が宗教かどうかとは
全く別の事です。
それを多くの人たちが混同しています。
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ID論、つまりインテリジェントデザイナー論というのは、1980年代以降提唱された、
比較的新しい議論です。
それ以前の創造論は基本的に宗教に拠って立つものが殆どで、そういった従来の創造論から
宗教色を一切排したものがID論です。
提唱者に宗教的な背景を持つ人たちが多いのは事実で、その為科学を装ったIDを隠れ蓑にした
宗教だと言う指摘もよくなされます。
これな何度も言ってきたことですが、提唱者に宗教的な背景があろうがなかろうが、ID論自体は
宗教ではありません。
そこには協議もなければ人格神も存在しない。
神からの啓示も存在しません。
従って、ID論自体を宗教と決めつけるのは誤りなわけですが、ID論に対する未理解、
若しくは単にID論の攻撃材料にするためにID論を宗教と決めつけている人たちも
少なくありません。
ID論には宗教の前提である無検証の信仰が存在しません。
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そもそもこの問題は、この世界は何の作為もなく全くの偶然、偶々の産物なのか、
それとも何らかの作為、意図に基づいて設計されたものかなか、
と言う根本命題に由来します。
これは突き詰めれば宇宙誕生のビッグバンにまで遡ることになります。
この宇宙の誕生が全くの偶然なのか、そうではなかったのか、と言う話ですね。
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ツマリ簡単に言ってしまえば、この世界の設計者がいるのかいないのか、
と言う話です。
この場合、設計者が何者か、は特定できない、特定しない、特定しようがない、
と言う話になります。
設計者の実体が全く不明なので、それを検証しようがありません。
従って、ID論を従来の科学の範疇で規定することは出来ないわけです。
あくまで仮説、さらに言えば仮説以前の推論ですね。
しかしながら、その推論の根拠は全て科学的な知見に基づいています。
あらゆる科学的な事実を検証し、それ以外の結論が導けない、つまり設計者なしには
この宇宙も存在しえない、と言うのがその論理で、その結論の正しさを担保するのは
ロジックの正確さ厳密さ以外にはありません。
それを非科学的と非難するのが的外れであることは、言うまでもありません。
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ID論は全て科学的な知見に基づいているので、当然ですが原初の単細胞生物から
現在のような多様で複雑な生物に至る進化の過程を事実として承認します。
前述したように、ID論は科学として確立した学術分野では無いので、一言でID論者と言っても
その主張の内容は微妙に異なることもあります。
共通認識は、設計者がいなければ生物は生まれない、と言う部分ですね。
まずその部分を検証していきましょう。
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この世界は設計されているのか?
コレが根本問題ですね。
設計されていない、とすれば全てが偶然の産物、と言う話になります。
この宇宙世界がどのようにして成立したかを考える場合、偶々か或いは設計されているか、
実はこの二つしか選択肢はありません。
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つまり、この世界はただあるがままに、何の作為も何の意図も介在せずに
全くの偶然の産物として存在しているのか。
それとも何かしらの意図、何者かの作為が介在することによって初めて
この世界が成立しているのか。
この何れかしかないのです。
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更に単純化て言えば、偶然か偶然ではないのか?
偶然とは全くのほったらかし状態。
そんな事で果たしてこの世界が出来上がるのか?
仮に全くの偶然の結果であるとするなら、どのようにして、どのような仕組みによって
この宇宙が生成され、生物は誕生したのか?
生物の進化に対して最も簡明な回答を与えるのが、自然選択論です。
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自然が他の何者の介入もなしにそれ自体で成し遂げ得る、それを説明し得るのは
実際の所自然選択論位しかないんですね。
それが未だに多くの人たちが自然選択論にしがみ付いている理由でもあります。
ダーウィンはマルサスの人口論によって自然選択論を着想を得たわけですが、
マルサスの真意は宗教的道徳的人口の抑制であり、社会科学理論としても
現在有用性は全くありません。
自然選択論が実はそれ自体が極めて非現実的な構想であることの理由は他にも
山の様にありますが、そもそもその着想の時点から躓いていると言えます。
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しかし前述したように、自然選択論的な考え方以外に自然任せで何事かが変化し
何物かが生成される、それを説明し得る有力な理論は存在しません。
自己組織化と言う似たような概念もありますが、実はこれは全く異質の考え方です。
この自己組織化の話は、また改めて行います。
従って、宇宙生成に関しても、漠然と自然選択論的な考え方で説明しようとする傾向があります。
それはつまり自然に何者かが関与する、その様な未知の存在を否定したいがためでもあります。
多くの科学者が全く未知の存在を前提にすることに躊躇するのはある意味当然の事ですが、
その躊躇が真実の究明を阻んでいるとしたらそれは誤謬でしかありません。
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自然任せではない、介在している何者か、それがID(インテリジェントデザイナー)です。
この辺りで改めてIDと宗教の関係について整理しておきましょう。
ID論は敢えて宗教色を消し去った隠れた宗教だと、と言う言い方をする人たちもいます。
実際宗教者、例えば一部のキリスト教聖書原理主義者はID論を強く支持しています。
ID論を唱えだしたのもそういった宗教的な背景のある人たちだとの指摘もあります。
しかし、それとID論が宗教かどうかは全く別の話です。
進化論にも色々ありますが、ID論は進化の事実を認めます。
進化論対創造論を科学対疑似科学と言う位置づけをされることがありますが、
それは創造論の一つであるID論には当てはまりません。
疑似科学とは例えば聖書原理主義者たちの唱える若い地球説です。
旧約聖書の記述を何とか事実としたい訳ですね。
ID論は科学に立脚しているので、科学的な知見に反する主張は行いません。
そういう意味では既存の進化論対ID論はむしろ疑似科学対科学と言う構図になります。
既存の進化論が何故疑似科学なのか、それはまた改めて説明します。
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前にも述べたように、ID論には教義も経典も教祖も信仰の対象となる人格神も存在しません。
IDを神と呼ぶのは自由ですが、宗教的な意味での神には該当しません。
宗教は無検証に前提となる神を信じるのに対して、ID論のIDは検証と考察と結果の結論です。
それでも尚ID論を宗教と呼ぶのは、ID論に対して基本的に無知であるか、或いはどうしても
ID論を宗教と位置付けないと不都合な事情が何かあるのか、そのどちらかという事になります。
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この辺りでまた少しダーウィンの話をしましょう。
「ダーウィンの作り話を簡単に信じ込んでしまう人たちのオメデタサ加減」
勿論ダーウィンは別に嘘を吐こうなんて考えは持ち合わせていません。
基本的に極めて生真面目な研究者です。
しかし結果としてその強い思い込みと勤勉さが、生物進化の探求解明の方向性を
大きく誤らせる事になっている訳です。
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ダーウィンの自然選択論にその着想を与えたマルサスの人口論は、現在のみならず
19世紀の当時としてすら殆ど無意味な汎用性のない理論です。
それは別としても、進化論としての自然選択論はそれ自体が自己破綻している理論です。
にも拘らず、未だに多くの人々が信じて疑わない理由の一つは、つまりその理論が単純明快で
誰にも簡単に納得できるものだからです。
ここに大きな落とし穴がありますね。
単純明快で誰にも理解でき、そしてそれが正しいと信じ込める。
しかし、それが真実であるかどうかは実は全く別の話なのです。
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科学は事実を解明する学術分野である、と定義することが出来ます。
事実の対極にあるのは、虚構、想像、信仰、と言った概念になります。
科学とはそもそも基本的に西欧文明によりもたらされたものです。
そして、西欧文明を中世までの西欧文明を覆っていたのはキリスト教です。
キリスト教は宗教であり信仰です。
つまり、中世までの文明は事実と虚構の区別が曖昧な状態だったわけです。
その事実と虚構の区別が曖昧なカオス状態から脱却する先鞭をつけたのが、
ガリレオからニュートンに至る近代物理学の系譜です。
それは事実を数理的に説明する、と言う普遍性を持つ試みでもあります。
ポイントは事実です。
事実の裏付けが無いものは科学とは呼べません。
それは想像に分類されます。
従って、科学とされるためには事実による検証が絶対的な必要条件になる訳です。
その要件を踏まえたうえで自然選択論を検証すれば、それが科学かどうか
自ずと明らかになります。
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ガリレオ以前、ギリシャ哲学から続く学術史の中では、考証は基本的に思索による
論考によって行われ、実験によって何かを検証するという態度は殆ど取られませんでした。
それは、一つには実験設備、機器と言ったものが存在せず、正確に何を実際に行って試すより
思考のみによって物事を検証する方がより正確だと考えられていたことにもよります。
それを覆す上で極めて重要な役割を果たしたのが望遠鏡や顕微鏡いった光学機器の発明です。
見れば信ずる、それが事実だからです。
今まで見えなかったものが見えて来る、それによって空想に頼るしかなかった事柄が、
実際に実際に視覚に認知され事実として明らかにされる訳です。
近代科学の歴史は想像からの脱却でもある訳です。
それは信仰からの脱却でもあります。
ダーウィンが評価されている一つのポイントは信仰からの脱却ですが、実はそれはダーウィンが
存在しなくても簡単に事実によって証明される話であり、ダーウィンのクドクドとした
論考を待つまでもありません。
あらゆる化石証拠が明白にそれを示しています。
その辺りの思い違いが、未だにダーウィン信者が生き続けている理由でもあります。
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物理学がガリレオに始まりニュートンに至る経緯を経て近代科学化を成し遂げていきますが、
それに対して生物学の近代化は2世紀以上の遅れをとります。
生物学の近代化を成し遂げたのはパスツールです。
パスツールは初めて実験手法を用いて微生物が自然発生しないことを示しました。
それが科学的な手法です。
それに対して、またダーウィンの話になりますが、彼は科学者でも何でもありません。
ダーウィン自身、ずっと地質学者を自称していますね。
純粋に地質学の観点からいえば地質学者も科学者ですが、彼が提唱しているのは生物の進化に関する理論です。
それが何ら科学的手法に依拠していないのは、「種の起源」を読めば明らかです。
「科学(science)」と言う言葉がよく使われだしたのは比較的近年ですが、ダーウィン自身
科学と言う言葉を殆ど使っていません。
実際、実験と観察、観測による事実の検証、この最も基本的な近代科学の手法をダーウィンが
十分に理解していたと思える痕跡はありません。
「このように考えれば説明できる」
これがダーウィンの口癖です。
そこに事実による検証は存在しません。
ダーウィンが最後まで気にしていた「あるべき膨大な中間種の化石の不存在」に関しても、
自説の最大の弱点と認めながらも、その不存在の理由に様々な言い訳を用意することに熱心で
事実の裏付けがないままに自説の正しさを主張し続けます。
これは思索だけに頼った古代ギリシャ哲学者と大差ありません。
彼が引用している膨大と思える事例も、現存する数百万に及ぶ生物種に比べればほんの大河の一滴にしか
過ぎません。
それを科学を称することが如何に無意味であるのか、そこに未だに気付けない人たちが多いのには
本当に驚かされます。
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そんなダーウィンに対して、パスツールは紛れもない科学者です。
パスツール以前の生物学と言えば、もっぱら博物学、或いはリンネに代表される
分類学で、パスツールよくコッホと並んで細菌学の開祖と呼ばれたりしますが、
生物学に科学的な実験手法を持ち込んだという意味において、近代生物学の父と
読んでも差し支えありません。
化学者でもあったバスツールはそういった分野でも確固たる業績を残しています。
何度も言いますが、それに対してダーウィンが「種の起源」で述べている生物進化に関する主張は、
科学的な実証とはかけ離れたものです。
ダーウィンがずっと言い続けているのは、
「生物は微細な変異が長い年月をかけて積み重なり変異し、それはいかなる変異も成し遂げ得る」
「その変異を誘導しているのが、自然による選択、つまりその生物の環境適応力の差異だ」
これをヒタスラ繰り返しています。
これは共にダーウィンの想像であり、その想像を正当化するために様々なレトリックを
弄する訳ですが、科学的な証明と言えるものは何一つありません。
それが科学な訳はありませんね。
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ダーウィンの進化論は、鉄屑を砂漠に撒いて、長〜い時間経過したら、
いつの間にかベンツが出来たと言う様なものであり、科学的ではありません。
水は高いところから低いところに流れ、その逆はありません。
猿が人間と交配しても赤ちゃんが出来ない様に全くの別物です。
お墓の前で猿に昔お祈りする人がどこにいますか?
人間は明確な目的を持って生み出されたのです。
カレーライスがあります。カレーライスを作る目的を持ったお母さん
が作る意思を持たない限り、ジャガイモ、人参、玉ねぎ、肉、カレー粉、お米は
は、カレーライスに変化しないのです。人間も創造主が愛する子を
目的を持って人間を生み出されたのです。宇宙万物は、人間と言う目的の
ために創造主が用意された家庭、ゆりかごと捉えるのが自然なのです。
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國本さん
書き込み有難うございます!
ひとつお伺いしたのですが、國本さんは何か宗教的な背景はおありですか?
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誠成公倫という天照大神を祭神とする宗教に所属しております。
宗教団体には所属しているものの元々唯物的であり、天照大神などは実在するというより
教義として祈れば現世利益が得られるからという極めて信仰心などとは
掛け離れたものですあり、神様は信じないで八島義郎師という教祖を信じてきました。
因みに今も八島義郎師を師と仰いでいる事に変わりはありません。
しかし上記の様な進化論を否定する意見は、当宗教からではなく
2016年に助け合い主義の西間木俊光氏から真理を教えて頂いたものの一つです。
今は、神様は、姿形はない無形の心として確実に存在されている事を確信しております。
自分で言うのも何ですが、宗教では決して人類は救われない事を痛感しております。何故ならうちに
来れば幸せになれるけど他はダメという様なものばかりだからです。誠成公倫は
そこまでは主張しませんが、他者の事、万民がどうすれば救われるかは説いておりません。
助け合い主義は違います。一部の選ばれし者たちが人間の果たす役割を果たせば
争い、貧困、飢餓、病等から抜け出す事が出来、万民が救われるのです。
それもあと3年つまり2025年で為し遂げられるところ迄来たのです。
それを今、私は命掛けで取り組んでいるのです。
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そうなんですね。
了解しました。
このスレは標題にある通り「進化論と創造論の正否を論じる掲示板」なので、
その趣旨に沿った書込みをお願いします。
進化論と創造論に関しては、どの様な見解をお持ちですか?
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進化論は、悪魔が神の実在から目を逸らせるのものであり、全世界が騙されています。
創造論は、よく知りませんが、この世界の創造は、親子の法則、創造の法則に分けて説明できます。
詳しくは、 WHOMと言う動画をお送りするのでそちらの4章5章をご覧下さい。
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