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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
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生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
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確率に関連して、生物の誕生進化の場面で顕著に示されるのが同時性の問題です。
いくつかの要素が同時に存在して成立する必要がある。
殊に生命誕生の際、それは極めて説明し難い謎として顕在化します。
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これも基本的に確率の問題ですが、それ以上に成立理由の問題でもあります。
何故その同時性が成立し得たのか、その理由の説明が付きません。
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もう一つ、生命誕生の普遍的な問題として卵が先か鶏が先か、ありますね。
これは設計云々以前にその成立理由、成立過程が謎です。
つまりその事実成立のメカニズム自体が全く不明という事です。
この問題は当面生物進化のほとんどすべての場面で未解決問題として提示されます。
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設計者を想定する場合、中間関与の問題が存在します。
もう一つが偶然性の支配の問題です。
その中でも極めて難問なのが偶然性支配の問題です。
これは今の所回答が見出せそうもありません。
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つまり完全な偶然、予期せざる出来事といったものが存在するのかどうか、と言う話です。
一つの考え方として、全て個別の偶然性までのは支配していないが、トータルでは偶然性を支配している、と言う考え方です。
その支配の仕方も難しいですね。
それと中間関与の問題は関連します。
中間関与は偶然性に関与する可能性があります。
つまり偶然性に介入する訳ですね。
これは理神論的な初期設定のみとする考え方とは明確に異なります。
偶然性への関与の仕方も勿論不明です。
関与があるとして、それは微細なものか強力なものか、その程度も色々な可能性が考えられます。
勿論生物進化の過程でも同様の事が言えますが、基本的にはそれは排除して考えるべきでしょう。
その場合殆ど恒常的に関与しなければなりません。
これは如何にも非現実的です。
では初期設定で全て可能か。
これも相当に非現実的ですね。
しかしこれも何度もしてきた話ですが、生命発生の過程すら殆ど解明されていない現実を鑑みれば、それもあり得ないことではないと言う予測も不可能ではないようにも見えます。
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生命の誕生、生物の進化には未知の強力なメカニズムが存在していることは間違いないでしょう。
そのメカニズムとは一種の自己組織化です。
自己組織化であれば中間関与は必要ではありません。
自己組織化ですから勿論それに対する与件が必要です。
しかしそれだけで果たして全てが成し遂げられるものなのか。
これも不明と言うしかありません。
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この初期設定でどこまで可能か、と言う問題は全てのフェーズで直面します。
これも極めて解明不能に見える難問ですね。
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この場合は初期設定とはビッグバン以前の設定を指します。
つまり無からインフレーション、ビッグバンを生じさせた設定ですね。
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現在見えている初期設定は物理法則と物理定数位ですね。
しかしそれだけではこの世界の成立の全ては到底説明出来そうもありません。
では未知の設定があるとすればそれは一体何なのか。
これも現在の所見当もつきません。
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例えば有性生殖における生命発生過程のたった一つの受精卵から成体に至るまでの驚くべき過程の詳細がどの様なアルゴリズムに支配されているかは全く不明ですが、それが人間であれば30億個の塩基対によって支配されている事は明白に確認されます。
しかし宇宙生成における熱力学第二法則に抗うメカニズムを導く初期設定が一体何なのか、勿論物理定数、物理法則でビッグバンの過程はある程度説明可能ですが、その後の様々な原子の生成、更に恒星の誕生、銀河団の形成、その後の生物誕生は言うに及ばずこの遠大な過程が何によって支配されているのか、その初期設定とは一体何のか。
すべての初期設定がなしうるのであれば中間関与は造作もなく可能であることは十分に考えられます。
しかし基本は初期設定によると考えるのが基本的に物理法則に支配されているこの世界からは推測されます。
初期設定、つまり与件が完了すれば後は自己組織化の世界ですが、それでこの世界の生成が本当に可能なのか。
そしてもう一つの極めて解明困難とも思える謎が偶然性の支配です。
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サイコロを振れば、例えば1の目の出る確率は1/6です。
これは無限回サイコロを振ればそれぞれの出目の全体に対する比率が1/6になることを意味します。
しかし1回振る場合、サイコロを振りだす角度、速度、回転、位置、サイコロと着地面の反発係数、摩擦係数等が全て特定されればその出目が正確に予想できる筈です。
とは言え現実的にそのすべての条件を特定することは殆ど不可能であり、機械的にそれを実現させるのは現代の科学レベルをもってしても多分無理でしょう。
つまり偶然はとても操り難く見えます。
それはつまり未来は予測できないことを意味します。
偶然を操る、或いは少なくとも偶然をトータルで操らない限り。
それでこの世界を成立させるなんてことがあり得るのか。
量子的世界は確率的な存在、そこには不確定が付き纏いますが、最終的にはその理論の実用性が極めて高い事でもわかるようにやはり最終的には因果律が支配します。
量子状態が収縮している通常世界の偶然性はやはりコントロールが困難の様に見えます。
それで意図された世界が生成されるのと言う事をどう考えればいいのか。
この問題も考え出すと切りがありません。
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これは中間関与の問題と関連します。
微細な力の行使による関与は日常的に存在している、と言う考え方も成立する可能性が無いとは言えません。
これも勿論検証は困難ですね。
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微細な中間関与ではない強力な物理力の行使、これも完全に否定できるのかどうか不明です。
物理法則が支配する世界でそんなことが果たして可能なのか。
微細な物理力の行使は可能で強力なそれは可能ではないとする理由があるのか。
それら全ては検証が困難に見えます。
しかし微細な中間関与に関しては、別の考え方も出来そうですね。
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初期設定と中間関与の関係には殆ど無数のバリエーションが考えられます。
中間関与はそれ自体が偶然性を制御し得るものですが、それとは別に初期設定においてどれだけ偶然性をコントロールできるのかと言う問題があります。
つまり初期設定と中間関与は共に偶然性をどこまで制御しきれているのかいないのか、その問題と切り離しては考えられません。
中間関与に多くをゆだねると話はかなり簡単になりそうですが、なかなかそうはいかないですね。
確認されている物理法則は普遍性があり、それは破られないと言うのがか科学の前提であり通常確認される事実です。
そこに中間関与が介入してくるとすれば、それは一体どの程度のどの様なものなのか。
これはもしかしたらある程度は科学的に検出可能かもしれません。
勿論検証するためには、その仮定に立った上での条件設定と検証が必要です。
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宇宙の自動生成に関しては、あまりにデータが膨大であり、遡らなければならない期間も長大です。
そしてこれもそれ無くしてはこの宇宙が存在し得ないダークマター、ダークエネルギーは全く未解明、存在することは間違いなく確認できてもその実体が分かりません。
まあその辺りは少しIDに似ていると言えなくもないですね笑
しかし生命の自動生成に関しては問題がもう少し明確になります。
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部品は自動生成に関してある程度の説明を付けることが出来ます。
ただその同時性、さらにそれが都合よく合体するプロセスの説明は極めて困難です。
しかしそれらは何らかの条件設定によって自己組織化により物理的に生成される可能性が無いとは言えません。
それに対してゲノムの情報の生成は何処をどう考えても単に物理的なメカニズムのみによって成立させることが可能であるとする結論には至れません。
文章を物理現象に任せて生成することは不可能です。
またサルとタイプライターの話になりますが、ゲノムの情報生成にはミスは許されません。
常に周到なアルゴリズムに基づかない限り生物は生存できません。
何の話をしているのかと言うと中間関与の話です。
これもまた謎が多すぎますね。
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生物には更に決定的な問題があります。
ゲノムはあくまでハードですが、ソフト、つまり人間で言えば意識の問題があります。
生命の3要素としてよく境界膜、複製、代謝があげられますが、もう一つ4番目の重要な要素が存在します。
それは個体として生命を駆動し続ける自己同一性です。
恐らくこの観点は誰も語っていませんね。
生命体は1個体として機能する必要があります。
例え単細胞生物であってもその細胞内の機能は1個体として細胞内器官が統合制御される必要があります。
原核生物ですら、その細胞内で代謝が機能し生命を維持するためにシステムが統合されて機能する必要があります。
それは言葉を換えれば自律性です。
この自律性はハードとしては説明困難に見えます。
ダーウィンの「最初創造によって生命は吹き込まれ」は中々的を射ていますね。
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この自立性はそのまま意識の存在に繋がります。
唯物論的科学者は、意識は脳内のニューロンの電気信号に過ぎない、と断じたりしていますが、非局所的に散在して断続的に発生する電気信号の一体何処に意識の本体があるのか。
それらの背後にその電気信号を統合する何かがあるとすればそれは物質的には確認されていないものです。
ここまで想像を巡らせることが出来れば、意識が少なくとも現時点では物質的な存在としては確認できないことは明らかです。
我々一人ひとりが自我を持つ認識主体である、これもまた物質現象では説明のつかない驚異の事実です。
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意識を意識として理解できるのは恐らく人間だけでしょうが、生命の誕生時点で獲得された自律性、自己同一性は意識として人間にまで引き継がれます。
生命の核心は恐らくそこにあります。
生命が吹き込まれるとは、生命として個体としての自律性の獲得です。
それは物質的なものとしては確認できません。
自立性の付与が如何なるものなのか、これは恐らく初期設定では説明の仕様がありません。
そしてそれが果たして中間関与と呼んでいいのかも不明です。
しかしそれらは物質的存在と組み合わさることによって生命体として存在している事は間違いありません。
それがアルゴリズムとして説明し得るものなのかどうかも今の所不明です。
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見て感じて考える、これが意識です。
では誰が見て感じて考えているのか。
これが極めてシンプルで且つ究極的な意識に対する問いかけです。
それは私です、と誰しも答えるでしょう。
ではその私とは何のか、と問われると誰もが答えに窮します。
私とは何処にあるのか、頭の中?頭の中の何処?
これは前に述べたニューロンの電気信号の話になります。
つまり意識の物質的な説明が付きません。
物質の先にある何かが意識です。
AIが進歩すれば何れ意識を獲得する、と主張する人たちがいますが、AIはただコンピューター上で演算しているに過ぎません。
どれだけ演算速度が上がろうと、プログラムが高度化しようと、演算装置に意識が宿ることはありません。
ただ意識があるかのように振る舞う、そう見せかけることが出来るだけです。
つまりAI自体には見たり感じたり考えたりする「主体」は存在しません。
その真似をして見せているだけです。
機械に意識が宿ることはありません。
プログラムと意識は無関係です。
意識は別の所に存在します。
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自律性の獲得が生命の核心です。
そしてそれはそのまま意識に繋がります。
それがどう設計されどう実際に運用されているのか。
中間関与が存在するのかしないのか。
そもそも意識は物質としての説明が付かないのでアリゴリズムに支配されているかどうかも不明です。
あらゆる接合と相関は極めて精妙でそれらは全て奇跡としか言いようのないものです。
生物進化は有り得ない奇跡が無数に連なっています。
意識と自律性の問題はその中でも想像が遥かに及ばぬ世界です。
科学が物質世界をどれだけ解きほぐしてもそこに到達できるかは不明ですね。
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生命の誕生から現在に至るまでの進化の過程は有り得ない様な奇跡の連続です。
その奇跡を説明する為に人間原理を用いても有用ではないことは前に述べた通りです。
進化の過程の跳躍は基本的に現時点での説明は不能です。
ダーウィンが構想した様にダラダラと微細な変異が連なることはありません。
ダーウィンの構想はメカニズムとしての説明が欠陥だらけであるのみならず、事実とは何一つ合致しません。
つまり妄想です。
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全ての物質現象は極めて周到で精巧なシステムが連携することによって成り立ちます。
その周到さ精巧さ、驚くべき連携ぶりは現代科学が解明しつつありますが、まだほんの入り口に立っているにすぎません。
アルゴリズム不明の非物質的な現象に関しては勿論言うまでもないですね。
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奇跡が無数に連なる極めてゼロに近い確率に賭けるのは賢明ではありません。
それが事実として存在する以上、奇跡ではなくなります。
それが事実となりえた理由は何か。
理由は存在する筈です。
人間原理の様にそれをただ受け容れてしまうのではなくて、その理由を追求するのが正しい姿勢です。
自然選択論はそれに対する一つの回答ですが、極めて稚拙、事実の裏付けなし、ロジック自体が破綻している、そんな代物を信じてやまない進化論者たちは悲惨ですね。
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前適応、適応放散、共進化、遺伝的浮動、淘汰圧、これらの曖昧な理解、不正確な用法、様々な理解のミスリードをもたらすこれらの用語も進化論学会の惨状をよく示しています。
誤解を与える、更に言えば言葉によって欺く。
現代の総合説は進化の真実を何一つ説明出来ていません。
何一つ、です。
そのベースとなっている自然選択論からしてダーウィンの妄想に過ぎないのですから、その上に成り立っている総合説が正しかろう筈もありません。
この科学の方法論に則らない学問分野が成立している自体が極めて嘆かわしいですね。
中立説自体は基本的に科学的な手法に則っていますが、それを進化殊に自然選択論と無理やり接合しようとするともうデタラメです。
何故こんな惨状を呈しているのか。
ひとつは進化が再現検証が殆ど不能であるという事実です。
その状況に付け込んでレトリックを弄して言いたい放題、言葉では何とでも言える世界です。
もう一つは彼らが宗教的と考える事柄にたいする強いアレルギーです。
一種の科学信仰ですね。
これは進化論学者以外の科学者にもある程度共通するものです。
そしてこれも理由が不明ですがダーウィンに対する強い思い入れがあります。
このダーウィン崇拝が止まない理由が何処にあるのか、それは彼らに自問してもらうしかありません。
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前のスレも含めて、このテーマで10年以上書いていますが、書き始めた頃に比べて知見が遥かに深まりました。
その過程で、自然選択論、ダーウィン、現代進化論が如何にデタラメであるか、その理解も格段に進みました。
それは当初想像していたものを遥かに超えています。
現代進化論の悲惨な現状。
彼ら一部を除く主流と称される現代進化論者たちは本当に一体何を考えているんでしょうね。
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科学を理解しないダーウィンの妄想を引き継いだ科学者と称する人たち。
それが主流とされる進化論者たちです。
ダーウィン同様彼らも科学の方法論を知りません。
そしてダーウィン同様妄想を語っている訳です。
更にかれらはそれを科学であると信じ込みます。
病根は深く治癒されそうもありません。
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自然選択論は極めて稚拙です。
それに対して進化の過程は極めて複雑で精妙です。
とても偶々の変異とそれに対する環境による生存率の制限で説明できる代物ではありません。
自然選択論において自然が行使できる唯一の力は生存率の制限です。
それによって全てが成し遂げられるとダーウィンは言っている訳です。
それが科学的であると主張し信じ込んでいる人たちが未だにアカデミズムの中央に陣取っているんですから呆れます。
中立説は自然選択論に対立こそすれ補強しないものであることは言うまでもありませんが、それがあたかも自然選択と折り合って説明可能であると言うデタラメなレトリックが弄されます。
まず何が必要か、それは自然選択論を一度完全にリセットして素直に進化の事実と向き合う事です。
それが出来ない限り、進化論が科学として成立することは決してありません。
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「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレを神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。
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宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
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何一つ実証されていないものを何故科学と信じることが出来るのか。
宗教的なものを極力排除しようとする彼ら自然選択論者が何故自ら宗教的な態度に陥っていることに気付かないのか。
結局のところ理性の脆弱さがもたらす同様の結果という事です。
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宗教の闇は深いですが、それはそのまま人間の知性の闇の深さを意味します。
人間が何時までその闇を引きずり続けるのか、それは科学の進歩とはもしかすると無関係かも知れませんね。
それも断言はできません。
人間の設計も深い謎に包まれています。
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生物の設計は、人間にとどまらずあらゆる生物に関して微に入り細に入り極めて周到で巧妙、驚くべき精巧なメカニズムを備えています。
中でも物質的な肉体と意識の接合にかんしては、取り分け注意深い設計がなされている様に見受けられます。
非物質的な存在としてしか規定できない意識、精神の実体がどの様なものであれ、それは極めて絶妙に脳機能と接合されています。
それがうまく接合しなければ意識体としての生物は機能しないと考えられるので、当然と言えば当然ですが。
意識の実体が今後どこまで解明されるかは、不明です。
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設計問題はあらゆる場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。
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ダーウィンは晩年はっきりとした宗教嫌いでした。
また、一方で唯物論者と呼ばれるのも嫌悪していました。
最初生命は創造によって吹き込まれた、と彼は述べています。
それなのに、自然選択の妄想に憑りつかれてのめり込んでしまったのは、もしかしたら不運と言うべきかもしれませんね。
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何れにしても、彼によって撒かれ育まれた自然選択の種は別の土壌で大きく成長し、進化論の誤った方向に導き続けます。
それら一部の人たちにとって覚醒は夢のまた夢です。
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以前に書いていたスレで執拗に書込みを続ける障碍者がいますね。
全てこちらが書いていることの真逆、繰り返し論証してきたことを全く読まず、勿論理解もせず執拗に自分の誤った思い込みだけをヒタスラ押し付けようとします。
もちろんそんなものに対応すべき理由は何処にもありませんね。
その障碍者は自分の思い込みの妄想と嘘を書き込みたいがためにこちらの投稿を利用しているだけです。
いくらこちらが見捨てたスレとは言え、あまりに目障りで迷惑、排除は当然の事です。
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自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
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自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
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生命体のシステム全体で見れば、ゲノムも含めて更に複雑で精妙なシステムの上に成立しています。
進化の過程においてはゲノム重複が極めて重要な役割を果たします。
そして特定の遺伝子の獲得が進化を飛躍させます。
それら全てが自然選択とは無縁の世界です。
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米軍がUFOの存在を否定できない事実と公式に認めた現在尚、何とかUFOの存在を否定しようとする頑迷なUF0否定論者が先日NHKの番組に出ていましたが、彼らはどんな事実を突きつけられようとそれと正対しようとはせずに何とか逃げ道を探ろうとします。
自然選択論者とよく似ていますね。
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アインシュタインが最後までその存在の同意を拒んだ量子世界にける因果律では説明しきれない諸現象は現在事実として認められ、それらは世界認識のパラダイムシフトを要求しかねない状況にあります。
人間の想像力はまだ事実に全く追い付けていません。
それが理解できないでいると結局科学も理解できないことになります。
どちらにしても自然選択論者はそもそも科学者ではありませんが。
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量子論は極めて実用性が高い理論でそれなしではコンピューターも成立しません。
それだけ実用性が高い理論でありながらその解釈問題は未だ全く解決していません。
人間の想像力が追い付かない世界がそこにはあります。
想像力の限界を認識できないとこの世界の理解は進みません。
これは逆説的な真実ですね。
GPSは相対論なしでは利用できませんが、量子論ほどの実用性はありません。
しかし完全に人間の時空認識のパラダイムシフトを果たしました。
今日の常識が明日の非常識となる可能性があります。
人類の科学はまだその入り口に立ったばかり、まだ生まれたての子供の様なものです。
如何なる事実を突きつけられようとUFOの存在を否定し続けようとするような滑稽な真似だけは避けたいですね。
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勿論自然選択論者の事です。
彼らは信者なんで、それは彼らにとって当然の事です。
一番問題なのは彼らが自分たちが信者であることの自覚が乏しい事です。
自覚が出来ない、自分を客観視できない。
これは底辺たち固有の属性ではありません。
底辺のこの目を覆う属性は彼らの中にも見出すことが出来るのです。
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人間の想像力はあくまで現実に拘束されます。
どれだけ想像力を働かせようとしてみたところで、結局のところそれは現実の延長に過ぎず、その変形や組み合わせでしかありません。
つまり人は想像を絶する世界とういうものは文字通り想像することはできないのです。
そもそもがそうであるにも拘らず、敢えて自ら想像力を限定してしまう人たちがいます。
その様な能力故でもあるでしょうし、同時にそのように自らの思考を閉じ込めてしまっている訳です。
誰を指しているのかは明らかですね。
さて、無事1000回を迎えることが出来ました。
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