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AIと政治スレ
66
:
名無しさん
(ワッチョイ 44dc-2849)
:2024/05/22(水) 09:21:05 ID:ZDaBubhU00
シンギュラリティ後の消費社会について、アレント「人間の条件」から考えたい
ちょっと長くなってしまうけど名著なので省略せず引用する
『近代における労働の解放は、万人に自由を与える時代をもたらさないだけでなく、反対に、全人類をはじめて必然の軛(くびき)のもとに強制するという危険は、すでにマルクスによってはっきりと感じられていた。
彼は、革命の目的は、すでに完成された労働階級の解放ではありえず、労働から人間を解放することにあるのでなければならないと主張していたのである。
最初一見すると、この目的はユートピア的に見え、マルクスの教義における唯一の、厳密な意味でユートピア的な要素であるように思われる。マルクス自身の用語でいえば、労働からの解放とは、必然〔必要〕からの解放である。
これは究極的には、消費からの解放であり、したがって、ほかならぬ人間生活の条件である自然との新陳代謝からの解放を意味する。
しかし、ここ十年ばかりの発展を眼にし、とくにオートメーションがますます発達したために開かれた可能性を眼にすると、昨日のユートピアが明日のリアリティになるのではないかと疑っても当然であろう。
もし、そうなれば最終的に人間の生命を拘束している生物学的サイクルに固有の「労苦と困難」として残るのは消費の努力だけであろう。
しかし、実をいえば、このユートピアでさえ、生命過程に本質的な、世界の観点から見た場合の空虚さを変えることはできない。
生物学的生命の絶えず循環するサイクルが通過しなければならぬ、労働と消費というこの二つの局面がその比率を変えて、人間のほとんどすべての「労働力」が消費に費やされるという状態さえやってくるかもしれない。
それに伴って、余暇という重大な社会問題が起こってくるだろう。
この余暇の問題というのは、本質的には、消費能力を完全に維持するために、いかにして日々の消耗に十分な機会を与えるかという問題にほかならない。
苦痛なき消費、努力なき消費は、生物学的生命の貪欲な性格を変えるの
でなく、それを増大させるのである。そして、この結果、最後には、苦痛と努力の足枷から完全に「解放された」人類は、世界全体を自由に「消費」するようになり、人類が消費したいと思うすべての物を日々自由に再生産するようになるだろう。
もちろん、もし世界とその物的性格が、完全に自動化された生命過程の容赦のないダイナミズムにともかく持ちこたえることができる間は、いかに多くの物が、毎日毎時間、このような社会の生命過程において現われ、また消えようが、世界にとっては取るに足りないことであろう。
しかし、将来のオートメーションの危険は、大いに嘆き悲しまれているような、自然的生命の機械化や人工化にあるのではない。
むしろ、その人工性にもかかわらず、すべての人間的生産力が、著しく強度を増した生命の中に吸収され、その絶えず循環する自然的サイクルに、苦痛や努力もなく自動的に従う点にこそ、オートメーションの危険が存在するのである。
機械のリズムは自然のリズムを著しく拡大し、強めるだろう。しかし、それは、世界に関して生命が持つ主要な性格ー耐久性を食い尽くすことーを変えるのではなく、逆にそれをもっと恐ろしいほど拡張するだろう。』(pp.192-194)
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