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フランス語フランス文化質問箱

424ウラヌス:2013/06/23(日) 17:27:10
フランス語の読解力向上について
竹下先生、はじめまして。先生の著作に興味があり、ブログも読ませていただくようになりました。フランス語の学習方法で質問ですが、私はフランスの文学や思想に関心があるので、原書で読んでいます。今のところフーコーが辞書を引きながら一時間に6ページくらい、小説なら18、19世紀のものでおおよそ一時間に5ページから6ページくらい読めるのですが、更に読解力を高めるには、たとえば一時間に6ページを10ページくらい読めるようになるにはどのように勉強すべきでしょうか?中級以上の学習方法がわかりづらいので質問します。

425sekko:2013/06/23(日) 20:19:25
ウラヌスさまへ
ご愛読ありがとうございます。

フランス語を読む速度ですが、もちろんある程度の単語力は必要ですが、後は、読む本の内容によると思います。自分の興味のある分野、日本語でも類似のものを読んだことのある分野と、全く専門外のものとは比較できません。

得意分野や軽い読み物(総合雑誌の記事とか)なら、分からない単語があってもある程度読みとばしていくといいと思います。

分からない単語がある度に、その行の横に一応しるしをつけておいて、それが何度も出てくるような言葉だとか重要な言葉だったと分かった時には、少し後でまとめてチェックすればいいと思います。

一見知らないと思う言葉でも、字面をよく見れば、日本語で漢字を見ればなんとなく意味が分かるように、語根や接頭接尾語で類推できることも多いです。

後、フランス語は、基本的にセンテンスが短いほどエレガントだと見なされている言葉です。関係代名詞がずらずらと続くようなものは、悪文か、英語などの翻訳か、確信を持ったスタイルかです。

学者の中には日本人でもそうですがわざともってまわったような文を書く人もいます。そういうのはスルーした方がいいです。
私も最初の頃は、なかなか意味のとれない文を読むと、自分がフランス語力が足りないせいかと思ったことがありますが、今は、興味のある分野でおもしろそうなことを書いているはずなのに悪文というものにぶち当たると時間の無駄なので結論部分しか読みません。

私は日本語を読むスピードは平均よりかなり速いですが、日本語にも悪文はあるし、特に翻訳文には分かりにくいものが多いと痛感しています。

もちろん、日本語でも自分の知らない分野の専門書は読みにくいですが、逆に、フランス思想系の本などは、昔、日本語訳で読んでえらく難解だったものが、後にフランス語で読んだらすっきり明快というケースの方が多かったです。

昔は、パリマッチなどの大衆誌を読む速度は日本の週刊誌を読む速度と変わらないことが分かって、今は、自分の守備範囲のものなら日本語と同じくらいの速度で、つまり、普通のフランス人より速く読めます。

ただし、東洋史東洋文化ものや科学読み物はほとんどすべて日本語で読みます。中国語の固有名詞がアルファベットでたくさん出てくると、イメージが湧かずにギブアップです。

また、ある時、非常に興味ある分野の生物学の本をわくわくしながら読み始めましたら、自分が「drosophileショウジョウバエ」というフランス語すら知らなかったことに気がついたことがあります。よく考えたらショウジョウバエがどんなものなのかだって、よく知らないのですが、日本語で読むと「実験に使うハエ」という認識だけですらすら読めるのに、知らないフランス語だと何か大切なキーワードのような気がして…。

動物植物、地理学、化学、物理学、数学系の語彙も少ないので、やはり基礎語彙なら高校卒業までに全部習った日本語で読むことにしています。でも、その内容がおもしろかった時にそれをフランス人に披露しようとするとやはり語彙が貧弱なので困りますが。

音楽学の本はフランス語の方がずっと速く読めます。日本語で「変ロ短調」とか言われてもフランス語に訳さないと音楽のイメージが全く湧きません。

私の場合、英語も、得意分野のものなら辞書をひかずに、というか頭の中で翻訳せずに読めますが、小説などでは、原文が悪文なのか自分の語学力不足なのかの判断がつかないことが多くて時間のロスなので、ミステリー、SF、科学ものは、すべて日本語訳で読むことにしています。評価の定まった文学作品や詩などは又別枠ですが。

ギリシャ語ラテン語なども、時間をかけて読むよりも、フランス語訳なら信頼できる訳本かどうかを判断できるので、ピンポイントで原文に当たる時に理解できる程度でいいと今は割りきっています。大学ではドイツ語が英語の次の第二外国語で、中国語やスペイン語やペルシャ語も何年か習っていましたが、今やギリシャ語(荒井献先生に習いました)やラテン語(アテネ・フランセに通いました)と同じお客さま扱いです。

というのも、平均よりも、書くスピードも読むスピードも速いはずの自分が、年ごとに増える情報量の前で、今「読みたい」と思っている本「書きたい」と思っている本ですら、残りの人生で読んだり書いたりできるかどうか分からないことが実感できるので、欲張りや高望みはやめたのです。

翻訳の充実という点だけでも、日本語とフランス語を同じレベルで読めることには感謝しています。

長々と書きましたが、言いたいことは、

1.テキストの吟味と選択、

2.日本語とか外国語に関わらず一般的な読解力の向上と守備範囲の自覚、

のふたつが基礎になるということです。

私はいわゆる翻訳をする時以外は、ほとんど仏和辞書は使いませんし、使う時もたいていは、日本語でなんと言えるのかを知りたいだけで、いわゆる「意味」はすでに分かっているものが多いです。意味のわからないものは仏仏辞書で検索します。

でもごくたまに知らない単語の意味を知るために紙の仏和辞書を繰っている時、すごくわくわくします。その単語はずっと前からそこにあって、見てもらえることをずっと待っているのだ、運命の出会い、でもアルファベットをたどっていったら絶対に出会える、そこにあるという信頼感に満たされて嬉しくなります。それを見出した時には辞書の編集に携わった人々の息遣いまで感じます。

特に19世紀あたりの耽美的なテキストにある単語はけっこう出ていますから。先人の苦労に感謝、です。

逆に、私のもっている40年くらい前の仏和辞書には今風の言葉や専門語はあまりないので「出会えない」ことの方が多く、だからほとんど使わなくなっているのですけれど。

ウラヌスさまの引かれるのが電子辞書か紙の辞書かは知りませんが、言葉の意味を調べるという、フランス語と日本語が出会う刺激的な場面に出会えるのだと思えば、たとえ読書のスピードが上がらなくても、リッチな時間を過ごされると思いますよ。

http://setukotakeshita.com/

426ウラヌス:2013/06/23(日) 21:07:29
早速の回答ありがとうございます
非常に詳しい回答を早速書いて下さったことに感謝します。先生の回答を見て思ったのは、たとえば、現代思想なら日本語でその分野の知識や理解を高めることが、当たり前ですけど、フランス語でこれらの書物を読むのに便利になるということを再確認しました。私は日本語であまり思想とか哲学の書物を読まないので。現代思想のものではフランス語のほうが明快なのは確かに思われます。たとえば、フーコーは難解そうな気がして敬遠してましたけど、読むと、一文が短く、簡潔なのが印象深いです。ただ文学の場合はどういう単語が特に出てくるという訳でもないので、その点が難しいように思います。ちなみに私は紙の辞書を使います。

427ウラヌス:2013/06/23(日) 21:38:37
翻訳に関して
先生も翻訳の文章はぎこちないと感じていらっしゃるようですけど、私も同感です。実は私が時間がかかっても原書を読みたいのは、翻訳文が好きになれないからです。どうも名画の下手な複製のような気がするのです。フランス語の文章はそれにしてもキレがよく明快だと思います。

428和泉:2013/09/11(水) 00:52:14
映画とか・・・
ご無沙汰しております。

先日、Leos Carax の「HOLY MOTORS」を世田谷の映画館で見ました。何だか解らないけれど印象的でした。何人もの人物に変貌する主人公が、(1) 途中でメルドに変身し、車の中で幕の内弁当を食べたり、(2) 街を綺麗綺麗に撮らずに、上空から墓場まで撮り、墓場にいたモデルを主人公が誘拐・・・でも最後の画面は宗教画のようになって・・・など。「これっていったいどうよ?」が実感でしたが面白かったです。

前作の「POLA X」は YouTube では仏語の上に露語が重なっており、チンプンカンプンで、途中までしか見ていません。原作はメルヴィルなので、そちらの方を読みたいと思っています。

「レ・ミゼラブル」の映画化も見ました。最初は原作とイメージが違って「あれれ?」という感じでしたが、まったく別バージョンと考えて、画面の構図、色彩がとても良いと思いました。音楽は crooning って感じがしました。ジャック・ブレルとか、フランソワーズ・アルディとか・・・私の頭が古いのか?原文はコゼットのところで止まっていて全然進みません。

それ以前に聖書が・・・。日本語のもワケ解らんのですが、「福音」は Good News、Gospel、Glad Tidings...う〜ん。それに「義」ですか、right、righteousness これも理解できません。strong も意味がどの範囲なんだか・・・。いつまで経っても入口です。

429スイス鉄道のように:2018/07/17(火) 19:59:21
デシャン監督の絆とは?
こんにちは。
ブログの記事(「ワールドカップでフランスが優勝した」)を拝見いたしました。
私もデシャン監督のインタビューをTwitterで見たのですが、ひとつ教えていただきたことがございまして...
ムッシュー・デシャンは「チームを構成する23人には一生の”絆”ができた」と語ったと翻訳されているのですが、フランス語で”絆”はなんと言うのでしょうか?
私のつたない聞き取り能力では聞き取れませんので、教えていただければありがたいです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

ちなみに、私が見たツイートは、NHKサッカー様が発信されておられる以下です。
https://twitter.com/NHK_soccer/status/1018810767393505281
この中の、開始1分21秒あたりでございます。

http://likeswissrailway.seesaa.net/

430Sekko:2018/07/17(火) 23:32:54
スイス鉄道のように さま
貼っていただいたリンクはここからは視聴不能と出ましたが、デシャン監督のその言葉はネットのあちこちに出回っています。

Ces 23 joueurs, ils seront liés à vie par ce qui s'est passé ce soir.

直訳すると

今夜起きたことによって彼ら23人は一生つながり続けることだろう。

動詞のlierは名詞だとlienだから「絆ができた」で問題ないでしょう。

それにしてもフランスのスポーツ関係者は若い選手もベテランの監督も表現力豊かにしゃべるなあと感心します。

431スイス鉄道のように:2018/07/18(水) 00:05:24
感謝です
竹下様
ありがとうございました。
感謝いたします。

http://likeswissrailway.seesaa.net/

432通りすがり:2019/01/16(水) 01:45:58
兄弟の問題
いつも楽しくブログを拝見させていただきます。
博識の先生の素晴らしいブログに私が気になったことを書くのも気が引けるのですが、
兄弟Frèreの訳の問題なのか、兄と弟問題で気になった個所が2か所出てきてしましたので、
お知らせしておきます。
1.ポール・クローデルはカミーユ・クローデルの兄ではなく弟です。
2.ベルト・モリゾが結婚したのは、マネの兄ではなく弟です。
以上、先生の素晴らしいブログになぜかここだけ気になりましたので、ついメールを
送らせていただきました。
この文章は後で削除していただいて結構です。

433Sekko:2019/01/16(水) 06:31:36
通りすがり さま
ご指摘ありがとうございます。早速訂正しました。

確かに兄弟姉妹に関してフランス語では長幼が特定されないのが普通なのでつい勝手に変換してしまうことがあります。カミーユがポール・クローデルの姉だというのはよく知られているのでエラーの実害はないかもしれませんが、モリゾーのマネ兄弟の方は、自分でもはっきり記憶していませんでした。ネットで調べると1年違いのようで、今はこういう風に簡単に確認できて助かります。
美術館でどちらが年上か確認したつもりだったのですが、どこかで間違えたかすり替わったようでした。

他にエラーがあれば遠慮なく教えてください。(特に事実関係に関するもの。変換ミスとかはしょっちゅうあるので適宜直していますが…)

出版物は編集者や校閲さんが見てくれるのでかなりのエラーは防げますが、それでも後から気づくことがあります。増刷で訂正できない時は冷や汗です。

ブログはほとんど下書きなしで書いているので、たまに読み返して自分でエラーを見つけた時にはその都度訂正していますが線引きで訂正すると読みづらいのでたいていは単なる訂正です。

もうすぐブログの一部を編集したものが出版されますが、もとがブログなのでやはり心配です。自由な感じで読みやすいのですが。

それにしても、欧米系言語では兄弟姉妹の長幼が気にならないなんてやはり儒教ベースの国とは違うなあと思います。小説を訳した時に、登場人物のひとりのsoeurが出てきて、どう読み返しても姉か妹か分からずに困ったことがあります。(どう処理したか覚えていません)

昔はネットでの資料確認ができなかったので、フランス語の言葉の日本での翻訳例が分からずに適当に処理していたこともありました。例えば日本ではプロテスタント教会もカトリック教会も教会と呼ぶとか、だんだんといろいろなことを学びました。

これからもよろしくお願いします。

http://www.setukotakeshita.com/

434Sekko:2020/02/08(土) 05:54:56
定冠詞の使い方
La chambre d’hôtel と La chambre de l’hôtel の違いについて質問を受けました。

前者はそれでひとかたまりの言葉でホテルの種類は問題になりませんが、後者は、どんなホテルかが前提として共有されています。
La chambre de l’hôtel où vous allez dormir (お泊りのご予定のホテルの客室)みたいな特定のホテルの認識があります。

私たちには理屈だけではなかなか難しいです。でも、結局あるシチュエーションでどちらかを使われて、おかしいと思うかどうかは慣れると分かってきます。

ひとかたまりというのは、例えば、「ダンス教室」と言うか「ダンスの教室」と言うかというのに似ています。

Classe de danse ならダンス教室ですが、classe de la danse と言われれば、ダンス以外にもクラスがあるのだなとか、どんな種類のダンスだろう、という感じです。

http://www.setukotakeshita.com/

435t.p.:2020/05/22(金) 18:09:04
なぞなぞ
dictionnaire!

436Sekko:2020/05/27(水) 06:33:16
t.p.さま
ありがとうございます。

もちろん正解です!

他に答えが分かった方で、ここにいらした方には申し訳ありませんでした。

こういう形の質問だったら、「先着」でしか答えを書き込めませんよね。

この質問、単語の意味をすぐに思い浮かべてしまう人には難しかったと思います。
フランス語を聞いたり読んだりすると同時に日本語に脳内変換してしまうタイプの人もいるので、そんな人にはもっと難しかったかも。

別に深い意味はなくて、でも答えをいっしょに書いちゃうのも考える楽しみがないと思ってああいう書き方になってしまいました。

今度何かフランス語がらみで質問をする時は、複数の人がいろいろ提案できるようなものにします。

ここにいらっしゃった方、他のことでもご質問などあればどうぞお気軽に。

http://www.setukotakeshita.com/

437若生敏由:2021/01/28(木) 11:45:50
SNS上小話の英訳と追加
 昨日の「ふらんすのSNSで送られてきた小話」を楽しく読ませていただきました。最後に、フランス人の自己批評を加えてあることに好感をもちます。日本では、世界的に深刻な話題を風刺する際に、わが身を棚にあげておきがちですが、フランス人の方が柔軟だということでしょうか。
「日本人ならどういうジョークになるんだろう」と締めくくってあったので、試しに追加の話をこしらえてみました。私は、古希を過ぎた元英語教員なので、紹介された小話の英訳を試み、その続きとなるような場面を、やはり英語で添えてみました。
 たいした内容ではないかもしれませんが、一読いただければ幸いです。

??There are many people in any country who are doubtful or suspicious about the vaccine against novel corona-virus disease.

??To inoculate against the virus, a doctor comes to a place where people from U.K., France, German, and U.S. just happen to be present at the right time.

??"This is the vaccine for you," the doctor says. First, a British is called.
British:??"No thanks."
Doctor: "Gentlemen are all to have vaccine inoculation."
??Without turning hair, the British got a preventive shot.

Doctor:??"Well, German. It's your turn!"
German: "That's very tempting but no thanks."
Doctor: "I’m not asking for, but I’m telling."
??Obediently, the German got vaccinated.

Doctor:??"Next is your turn, American."
American: "I refuse vaccinations."
Doctor: "Oh, you should have known it. Your neighbor have already finished a vaccination."
??Changing suddenly, the American agreed to get a shot.

Doctor: "Thank you for waiting, French. It's finally your turn."
French: "I don't need a vaccine."
Doctor: "Gentlemen are all to have vaccine inoculation."
French: "Who cares?"
Doctor: "I’m not asking for, but I’m telling."
French: "No way!"
Doctor: "Oh, you should have known it. Your neighbor have already finished a vaccination."
French: "So what?"
Doctor: "Who on earth are you?"
French: "A real Frenchman!"
Doctor: "Oh, that's funny. Then, anyway, it means that you have no right to get vaccinated."
French: "What was that? How dare you say I don't have the right??!!"
??In the end, the French also decided to have an inoculation against the virus.

 French people would certainly laugh at the way this small talk unfolds. I wonder what kind of joke will be possible about Japanese people.

Doctor:??"Is there any person who hasn't been called yet?"
Japanese:??"Present here."
Doctor:??"You look an Asian."
Japanese:??"I'm a Japanese. Today I accompanied my French husband."
Doctor:??"You may have vaccine inoculation, if you wish."
Japanese:??"Thank you for encouraging me to, but I’m afraid I can’t."
Doctor:??"Why?"
Japanese:??"In Japan, as of today, no one has openly gotten vaccinated."
Doctor:??"In France, you are also a regular citizen sharing liberty, equality, and fraternity together with us. It's entirely up to you whether or not to have an inoculation."
Japanese:??"I can't easily go ahead of having a vaccine shot as one of the Japanese."
Doctor:??"I'm not asking for, but I'm providing you the opportunity. Here in this republic, your choice won't be blamed."
?? Realizing that her husband has the same opinion, the Japanese woman moved on to get vaccinated.
???????????????????????????????????????????????????????????????????? (1/ 27/ 2021)

 今後とも、興味深い話題の提供や思索を披露していただけるように期待しています。

438Sekko:2021/01/28(木) 19:52:01
若生敏由さま
ご愛読ありがとうございます。

英訳、雰囲気が出ていますね。
英訳してから英語で続けて発想すると、視点が変わって興味深いです。

で、日本人は、女性なのですね。他の人たちは確かに、男性風。フランス語では男性名詞になっていますし。

でもここで、他の国の人は男性なのに、日本人の揶揄だけ女性という設定は、ポリコレじゃないというか、フェミニストに叱られそうな非対称です。
しかも、「日本人で私だけが…」という逡巡に、フランス人の夫に従うという夫唱婦随の方が結局勝つという…。

実際は、これまで私が見てきたところでは、ラテン系、地中海系(アルジェリアとか)の国や、日本では、社会的には家父長的で男性が主導権がありそうに見えるのですが、家庭内では女性が圧倒的に強い、というのが実感です。家庭内ヒエラルキーとの誤差が大きいです。

まあ、この小話のようなシチュエーションでは他人の目があるのでどうするかは不明ですが、私のイメージでは、

「あ、けっこうです。夫にワクチン受けさせましたから、私のリスクは減りますしね。受けなきゃ副反応のリスクはゼロだし。」

くらいですかね。

実際、スペイン語のビデオで、マックワクチンのドライブスルーでおまけ付きのワクチンを注文する運転席の女性が、車の後部にいる夫にワクチンを打たせる、というジョーク映像も流れてきました。

うーん、いっそ、アメリカ人、ドイツ人、イギリス人、それぞれと結婚している日本女性がどういう反応をするかを想定比較するのもおもしろそう。夫のお国柄の影響をどのように受けるのか、とかね。
高齢の親にワクチンを真っ先に受けさせるかどうかを各国の人に尋ねた反応とかも。

それにしても、このコロナ禍、検査数、感染者数、死亡者数、みな実際は国同士の比較もできないばらばらだというのに、パニックを煽る言葉や責任追及や不平不満などはけっこう共通しているので、国民性とかを考えるのに興味深い機会だとは思っています。

個々を見てみると人それぞれだけれど、全体としてみると国民性って絶対あるなあ、と思います。地方性も。(パリで暮らす移民はマルセイユで暮らす移民とは歩き方から違っているそうです)

若生さま、英語の発想で視野を広げることを生かしてお元気で発信を続けてください。

http://www.setukotakeshita.com/

439若生敏由:2021/01/29(金) 09:51:52
小話の改訂
 思いがけなく、丁寧にコメントを加えていただき、大変嬉しくおもっています。なるほど、西欧での女性の位置はそうなのかと認識をあらためさせられました。
 それならばと思い直し、せっかくなので、悪あがきかもしれませんが、改訂を試みました。そうしたくなるのも、あるいは日本人の一面でしょうか。
 読み飛ばすだけで、結構です。

Doctor:??"Possibly, could there be non-Westerners?"
French:??"Here, I brought my Japanese friend, but he says he just came here as an observer."
Doctor:??"You may have vaccine inoculation, if you wish."
Japanese:??"Thank you for encouraging me to, but I’m afraid I can’t."
Doctor:??"Why?"
Japanese:??"In Japan, as of today, no one has openly gotten vaccinated."
Doctor:??"In France, you are also a regular citizen sharing liberty, equality, and fraternity together with us. It's entirely up to you whether or not to have an inoculation."
Japanese:??"I can't easily go ahead of having a vaccine shot as one of the Japanese."
Doctor:??"I'm not asking for, but I'm providing you the opportunity. Here in this republic, your choice won't be blamed."
????Realizing that he cannot disregard the world standard, the Japanese embarrassingly moved on to get vaccinated.

440Sekko:2021/01/30(土) 03:57:46
若生さま
わざわざの「改訂」ありがとうございます。

日本人って、「世間の標準」と「世界の標準」との間でうろうろ迷っているのかも。

って、もうこれって「小話」という感じじゃないですね。
比較文化の小論文みたいな。

逆に、昔、フランス語のレポートがフランス人の先生に理解不可能だったようで、二度目は会話文だけにしたことを思い出します。https://spinou.exblog.jp/15666988/

私は、今は、バカロレアの哲学の小論文の予習をしているリセの生徒などに、困ったら哲学小話風のエピソードをいくつか用意しておいて堂々と書きなさい、とアドバイスすることがあります。採点者も延々と同じような引用や論の展開ばかり見てうんざりしているので、新鮮で高評価してくれる可能性大ですから。

また何かおもしろいお考えがありましたらどうぞ!

http://www.setukotakeshita.com/

441若生敏由:2021/03/05(金) 20:25:55
「自然の中で深呼吸」その2の最後の写真について
??フォンテーヌブローの写真を見ていると、パンデミックのことなど忘れそうです。自然を人間の都合に合わせながらとりいれ、そうすることで人間もまた自然の延長にあることを実感できる場所が都市の近郊にあることは大切なことだとおもいます。

「自然の中で深呼吸」その2の最後の写真についてお尋ねします。

 タンポポの脇に点在している小粒の花は、オオイヌノフグリではないでしょうか。その花だとすると、仙台近郊に住む私も真冬から3月いっぱいくらいは、周辺の野辺で見かけているものです。雪でも降らなければ一面が枯れ野の一帯に、鮮やかな青色を保ちつづけている、けなげな花です。冷え込もうが、風が吹こうが、大地がことごとく枯れ衰えることはないのだという意志を示しながら、大空に語りかけているようにも見えます。

 その花の学名がVeronica persiaであると知ったときは、かなり驚きました。現在の日本のオオイヌノフグリは西洋種らしいですが、和名は花ではなく実のかたちの印象を表しているとのことです。和名は、なんだか、学名に失礼におもえます。

 ほんとうかどうか分かりませんが、その花を見ているとイエスの顔が見えてくるというのが学名の由来という説明に出会ったことがあります。その真偽とは別に、真冬の土手にその花の群落を目にすると、枯れ果てたなかで再生を促す役目を果たしている花として、希望を感じさせられています。

 写真の花がオオイヌノフグリだとして、フランス語の俗名はどうなっていますか。

442Sekko:2021/03/06(土) 02:58:45
若生敏由 さま
この花は今の季節、至る所に咲いています。
植物の名に疎いのでネットを検索しました。

ヴェロニック(ヴェロニカ)と呼ばれているものには200種類もあって、西南アジア原産という印象です。この花はペルシャのヴェロニック(Véronique de Perse)と呼ばれているそうなのでやはりオリエントっぽいですが。

和名は確かに夢がないですが、フランス語も俗に「猫の腸」boyau-de-chatにという異名もあるそうです。和名よりましかも。

ヴェロニックは聖女なのでフランスによくある名前です。でももともとイエスの顔をぬぐった女性の名は伝わっていず、「真実のイコン」というのがそのまま聖女の名になりました。で、その布をローマ皇帝ティベリウスの「癩」の傷にあてると治癒したという伝説があります。

それで、皮膚病の治療に使われるハーブが「Veronica officinalis」ヴェロニカ薬草と呼ばれたとありました。日本語で調べたらそれは「(コモン)スピードウェル」という万能薬草のようです。

オオイヌノフグリとスピードウェルが同じヴェロニカ種に属しているんですね。

若生さまのおかげで花の名前が分かったので、これからこの花にヴェロニックと呼びかけることにします。

仙台近郊にお住まいとのことですが、先日の地震の影響はどうだったでしょう。10年前のショックを思い出します。日本に行く飛行機をキャンセルしたのは2011年の春が初めてで、2020年の春が2度目でした。毎年咲き続けてくれる花たちに力をもらえる思いです。

お元気でお過ごしください。

http://www.setukotakeshita.com/

443愚者:2021/07/07(水) 12:10:04
パンと葡萄酒
Sekko様
ベルナノス「田舎司祭の日記」の日記を書く司祭は、パンと葡萄酒しか口に入れない、あるいは体が受け付けないと書いてあったと思います。胃病には悪い食生活ではないでしょうか。
この小説において、司祭がパンと葡萄酒だけで生きているというのは重要な点だと思いますが、Sekko様はどういう意味だと思われますか?

444Sekko:2021/07/10(土) 06:33:27
愚者さま
旅行中でお返事遅れてすみません。
この小説の舞台であるノール地方に行っていました。リールにも。

ベルナノス、読みかえさないとニュアンスがつかめませんが、もちろん「パンと葡萄酒で生きる」というのは聖餐と同じシンボリックな意味です。

でもこの司祭が毎日のミサで葡萄酒を飲んでいるうちに依存症になっていたことも考えられますし、実際村人たちからそう思われていたようですね。

葡萄酒に砂糖をたくさん入れていて、そこに固くなったパンを浸したものしか胃が受けつけなくなった、というような記述も確かあったと思いますが、ワインの水割りを子供の時から普通の食卓で水代わりにしているというのはフランスでは昔からありました。あるいは、固くなったパンも、焼き立てのパンも、大きな容器に入れた牛乳に浸して食べるというのも昔は基本スタイルでした。

私がフランスで暮らし始めた頃にはトーストも、食パンも、シリアルも、ほとんど見かけませんでした。
今はアングロサクソン化して、何でもありですが。

ですから、この小説の舞台においては、この司祭の食生活自体はそれほど奇矯ではない「苦行」パフォーマンスだった気もします。

この食生活ではプロテインがとれないですが、砂糖を入れていますし、ワインの中にはブドウ由来の炭水化物もありますから、代謝が適応していくケースもあると思います。
「断食」聖人には「聖体パン(ホスティア)」(水と小麦粉だけでできている)で何十年も生き続けた人が少なくないですし、宗教と関係なくても、「青汁」だけでずっと健康に生きている人の話もありますから、代謝の変化というのは底が深いようです。

この司祭の場合は「胃の痛み」や病気を抱えて不健康だったのですから向いていなかったわけです。

でも昔は「田舎司祭」のイメージが、村人たちに招かれ続けて丸々太った陽気な人、というものが典型的でしたから、この小説の田舎司祭はそのイメージを払拭して村人たちの信仰を呼び覚まそうという意志と、不健康で倒錯的な実態とがずれていったという感じでしょうね。

霊的生活における「食」の問題、というのはいつもどこか危ういところがあって、興味深いです。

445愚者:2021/09/13(月) 10:23:40
ありがとうございました。
sekko様

いまさらですが、解説ありがとうございました。
昔の田舎司祭のイメージが根強いものだったなら、ベルナノスの田舎司祭が村人たちに受け入れられない理由がよくわかります。
この新司祭は受難のキリストの寓意のように思えます。
ところで、L'art de coire を久しぶりに読もうと思ったのですが、情報の量と濃度がこちらの読解の能力を圧倒的に超えているので今日は断念しました。

ところで、sekko様は「資本論」をお読みになったと思いますが、凡人には退屈で難しい本だと思われますか?
こちらの最近のベストセラー斎藤幸平「人新世の「資本論」」を読んで、やっぱり読むべき本だったのか、と思いながらなんとなくやる気が起きません。
近年日本のエライ人達が人権というものをまるで理解していないことがいやでもわかる出来事がたくさんあったので、呆れはてる上に恐怖を感じていますが、斎藤幸平や白井聡ら30代の正統的な論逆がいることに、一筋の希望を見いだしています。
2015年の「ラウダート・シ」の思想を、おおざっぱに言えば、神学から離れてだれにでもわかる形にしたのがこの本だと感じましたが、「資本論」がテーマという点で抵抗を感じるカトリックが少なくないのにやや驚いています。
「人新世の「資本論」」は、「惑星の物質代謝」の概念を核心とする実践的な書でもあります。
マルクスがプロテスタントであったことはあまり知られていなくて、私自身無神論者だと思い込んでいました。
岩波文庫は活字が小さくて、そもそも本屋の店頭にはありません。もし読みやすい日本語訳をご存じでしたら教えていただけますか。

446Sekko:2021/09/13(月) 19:33:26
愚者さま
『資本論』を通読したことはありません。

私が高校一年の頃、駒場の社会思想史の講義で習ったヘーゲル=フォイエルバッハ=マルクスの流れを兄が解説してくれたので、前二者の本の方をかなり読みました。難解でしたが、弁証法、疎外論、支配と隷属、類的存在としての人間、など新しい世界に「開眼」された思い出は強烈です。

その頃にマルクスで読んだのは『経済学=哲学手稿』です。

人間と人間を取り巻く対象を社会的諸関係の中でとらえるということに納得しました。
(あらゆる「実力行使」や「暴力」には昔から一貫して反対の立場ですが。)

それに関してやはり高校時代に読んだ本で今もフランスの書斎にあるのはマルクーゼの『[改訳版]初期マルクス研究--「経済学=哲学手稿」における疎外論』(未来社)です。
(レーニンは中央公論社世界の名著シリーズで読みました。)


今距離をもって思うと、労働の概念そのものが劇的に変わったことに感慨はあります。

『神と金と革命がつくった世界史』(中央公論新社)でキリスト教と共産主義の関係について書いたとき、あらためていろいろなことを考えさせられました。

マルクスが生まれるすぐ前に父親がプロテスタントに改宗したわけですが、社会の多数派に属するというプラグマティズムに徹していたようで、マルクスも宗教に関してはかなりニュートラルだけれどキリスト教文化ベースの教養が根づいていたのは確かだと思います。

(私のブログは「想定読者」が自分である覚書なので、長さや読みやすさについてこれと言った配慮も努力もしていませんので申し訳ありません。時事についてはそれなりの情報提供を心がけています。時々眺めてみてください)

季節の変わり目、愚者さまもお元気で。


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