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おしゃべりルーム

90Sekko:2006/07/25(火) 12:38:19
ブルノ劇場のアマデウス
夕べの『ドラマティック・モーツアルト/アマデウス』はちょっと「??」でした。構成は凝っていて、チェコに来たときの11歳のモーツアルトの演奏会という感じで、カツラをつけた11歳の少年ピアニストが協奏曲と、トルコ行進曲を演奏、次に、リムスキー・コルサコフのオペラ『モーツアルトとサリエリ』の上演でモーツアルトが死ぬ。第3部がレクイエムで、モーツアルトへの鎮魂というストーリー性があります。
 でも、最初から、少年がモーツアルト扮装で出てきたときから、映画ならともかく、なんか猿真似のようで痛々しく、18世紀の世界にいざなわれる、なんて気はしませんでした。次のオペラ、これが一番まともでした。そして、第3部、久しぶりにレクイエムを聴けると思ったら、頭巾をすっぽりかぶった白い修道服みたいな8人が蝋燭立てを手にして変な踊りをはじめたのです。しかも均質性がなく背の高さがボコボコで綺麗じゃない。それは実は修道服をとった後で、4組の男女ペアだったということで納得です。そのペアが、まるでフギュア・スケートの男女ペアみたいに、背の高さや大きさがすごく違うんです。こんなレクイエムで、ペアで踊るなよ、といいたくなるうっとうしさです。海神別荘の最後で海老蔵が言う「女の行く極楽には男はおらんぞ、男の行く極楽には女はいない」という台詞を思い出しました。ミサがすっかり近代化したフランスでも葬儀ミサだけは教会の中で男と女が左右に分けられたりするのも思い出しました。
 一つのシーンだけ、モーツアルトの霊みたいな宮廷スタイルの男性ダンサーがペアで手と手を取り合って踊るんですが、それはそれで違和感ありすぎ。しかも二人のテクニックのレベルに明らかな差があって、それが目立つ。
 悪趣味の極みはわざわざ棺を運んできたりその蓋を開けたりするところです。だいたい、フランス系レクイエムと違って、このレクイエムはバレー、しかもクラッシック・バレーには合わないです。さすがに『ラクリ・モーサ』ではダンサーたちもじっとしてましたが、最後のほうはごろごろ床に転がるコンテンポラリー風の振り付けだし、洗練されてなさすぎ。バックにスクリーンがあって映像や光の演出があるのだから、踊りはないほうがよかった、と思いました。できるだけ見ないようにしてたんですが。歌と音楽はよかったです。
 贅沢で、サーヴィス精神旺盛で、変化に富んで、オリジナルで、楽しかったとも言えるはずが、少しずれると空疎になるのかとびっくりしました。会場で広告をもらった中に来年1月のベルガモ・ドニゼッティ劇場の『ルチア』があったんで、口直しに、帰ってからインタネットでチケット買っちゃいました。29000円なんて、今までで一番高価なチケットで驚きましたが。「引越し公演」という日本語が広告によく出てきて不思議でした、一部の出演者だけでなく全スタッフ丸ごと総出でやってくるという意味なのでしょうが、引越しというとその後日本に留まるみたいなので、変な表現です。30年前はこんな言葉なかったような。




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