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おしゃべりルーム

77Sekko:2006/06/25(日) 20:38:30
サッカーとユニヴァーサリズム
しつこいようですが、サッカーネタです。あんとに庵さんの今日のブログにこんな記事がありました。

『 某所で某知り合いがこんな意見を述べていた。と言っても閉鎖されたところなので引用するわけにはいかないので大意。

GNPが世界第二位の日本が敗退して喜ばしい

サッカーのワールドカップは最貧国が活躍出来る場だからGNPが20位までの国は出場出来ない方がいい。

なんじゃ?こりゃ。
あまりにも酷い意見なんで、悪いけど、ここで反論させてもらう。
これはものすごい差別意識としか思えん。
金銭の多寡関係なしに南米や中南米の選手が強豪として君臨しているという現実はどうよ?彼等は足の蹴りっぷり一つで王者とか神様とか言われ尊敬を集めている。サッカーってなぁボールがありゃ出来るスポーツでもある。で、すごいヤツらがゴロゴロしてるサッカー世界に「経済的ハンデがあるんだから」などと「配慮する」ってのは、彼等に対するものすごい侮辱である。
久々に怒髪天を突いてしまった。
こんなくだらない意見を吐くな馬鹿もの!!!!!!!!!
ヨーロッパは確かに先進国が多くGNPが高い。だからサッカーが強いのか???ああ?
いやね、わたしゃ球転がしには詳しくないですよ。だから間違ってるかもしれないけど、大雑把な感覚でもおかしいと思うよ。サッカーってなぁヨーロッパの伝統的な球技で歴史が長い。つけ焼き刃なアジアとかアメリカとかオセアニアとはわけが違う。もうサッカーは彼等のアイディンティティであったりするわけで気合いの歴史も違っていたりする。だから強いのは当然でしょうよ。サッカーてなぁ彼等ヨーロッパ人の歴史文化そのものであるんじゃねーのかい。で、そこに南米というヨーロッパの伝統を受け継いだ新たな国々が闘いを挑んで君臨してくるようになった。「王者」はイギリスでもイタリアでもフランスでもなく常にブラジルに冠して言われるように。すごいよなぁ。南米の人々。植民地の反撃を球転がしで返したと。
 で、いまや中南米の国々から、或いは東欧の国々はもとより、アフリカから優れた選手が沢山出て来るようになったし、彼等はサッカー文化の歴史の長い欧州の国々で活躍し、そこで力をつけ本国の誇りとしてW杯に臨んでいるという感じだしょ。ヨーロッパ人は強い選手なら出自関係なくどんな人種だろうが称賛する。ダメな選手はこき下ろすだけだ。それは他のことにも言える。芸術でもそうだ。優れた人物は出自関係なく認める。そういう土壌がサッカーワールドカップを支えてきたわけでもあるだろうよ。
 金銭とかそういうことで物事を測る意識なんか関係ない。彼等は「サッカーをする俺」に誇りを持っているわけでその出自など関係ない。そういう世界に対し「最貧国だから配慮しろ」ってのは見下した物言いだ罠。
そういう価値観の人々が生きている世界にGNPがどうたらとか。。。もうね、あほかと。
村上ファンドみたいなアホ経済上下脳思考はやめてくれって感じ。
 腕一本で生きようとしている人々(スポーツ・芸術・言論)が造る文化への侮辱でもある。
あまりにも怒ってしまったので、某所で反論すると荒れそうだし、嫌がる人が多数いそうなんでここに書いたが、ここ読んでいて反論したいならどうぞ。』

 以上です。私はもちろん、逆差別反対、ユニヴァーサリズム擁護論者なんで、この意見には賛成なんですが、ワールド・カップがそういうユニヴァーサリズムの花開く場所だとはあまり思ってません。ていうか経済大国が参加しなければワールドカップは経済的に成り立たないし。ちょうど昨日のフィガロにこういう記事が載ってました。エリック・ゼムール記者。意訳します。
 『「お客様は神様です」
 分かった。一瞬で全てが分かった。木曜夜のニュールンベルクのことだ。ドイツ人審判がガーナ=アメリカ戦で、アフリカの最強選手エシアンがアメリカのキャプテンにごく普通のタックルをしたのにイエロー・カードを出した。これによってガーナの天才エシアンは決勝トーナメントの第一試合を戦えなくなった。このことで、我々は、サッカーの神とその秘密の宗教は審判という大司祭を擁する「不正義」だったと分かったのだ。
 審判はコート・イヴォワールのドログバがシュートした時にオランダ選手が腰をつかんだのを見なかった。スイス選手がトーゴ選手にした明らかな反則も無視。フランスのヴェイラのシュートが韓国のゴール・ラインの後ろに入ったのも見なかった。(・・・)
 しかし「不正」によるいかづちは、神の制裁と同様、偶然に与えられるものではない。いつも、より弱いものが打たれ、強い者は守られる。ワールドカップの経済利益に鋭い自覚を有する不正なのだ。現世的不正である。
 1982年、セヴィリアで、ドイツのGKがフランスのバチストンに突撃した時、審判は微動だにしなかったが、2000年のヨーロッパカップで、ポルトガル選手がジダンに軽く触れただけで、ジダンはフリーキックの機会を与えられて決勝進出を果たした。フランスが98年に世界チャンピオンになっていたから、審判の見る目が変わったのだ。
 1966年のイギリスでのワールドカップでは、イングランドへの肩入れが目にあまり、78年のアルゼンチンもひどく、2002年には韓国が助けられた。FIFAにとってはお客様が神様なのだ。FIFAがサッカー場にラグビーのようなヴィデオ・アシスタンスのシステムの導入に抵抗する理由がよく分かる。ヴィデオ判定がされればサッカーはその毒ある魅力を失うに違いない。」

という感じです。つまり、中南米のサッカー大国は、GNP的には弱小国化もしれませんがサカー連盟の顧客リスト的には、経済効果絶大で、神様のようなもの。要するに金には国籍がないというか、金を生むところが優先されるという、全く他の世界と同じ普通の金の論理が働いているわけです。GNPの小さい国が強いという全くのサクセスストーリーでもなければ、実力主義のユニヴァーサリズムの理想郷でもないんですよね。
 世界の強豪サッカー選手で、自国のリーグだけを渡り歩いているのはイタリアとサウジアラビアだけということも読みました。サウジは、自国のトレードが600万ユーロ(9億円近い)というので他国は手が出せないそうです。アラブ首長国連邦は、自国チームで戦ってくれる強いサッカー選手には国籍上げます(しかも税金なし)と公式に呼びかけて、FIFA が国籍に関する規定を厳しく変更したほどなのも記憶に新しいです。
 しかし、ワールドカップやオリンピックって、国民性はもとより、世界の地政学や経済学についていろいろ考えるタネをもらえる貴重な機会です。




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