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おしゃべりルーム
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二元論の誘惑
私の会社の同僚に、人の悪口を言うのが好きな人がいます。竹下先生の『Noと言える国』の中で、”二元論の誘惑”というのが出てきて、「二元論は誘惑的に働く、それはしばしば権力の誘惑であり、二元論の誘惑にさらされながら、悪は「絶対悪」でなく人間の自由意志に向けられた試練であり克服すべきものであるとする・・・」という箇所があります。
悪口を言っている同僚を見ながら「この人も二元論の誘惑に負けたのだろうか」とふと思いました。
誰かを悪と定めて、自分を善とすることは単純に気持ちいいことなのかもしれません。同僚の場合は権力の誘惑とは言えませんが、ある種の力ではあるでしょう。自分の方が絶対的に上なのだということを他者に知らしめたいということからくる行為なのかも。もちろん本人は無自覚ですが。
ちょっと思いついたことをつらつらと書いてみました。。。
話は、変わりますが、小説の『ダヴィンチコード』読みました。
正直言ってこれが世界で大ヒットした理由がよくわかりません。
ミステリーとして面白くなくはないし、テンポ良く進行していって、ちょっとした謎解きも用意されていて。
まあ二塁打ぐらいの感じは確かにあるんですが、心理描写も特になく、日本のミステリーの方がずっと面白いです。
なんだかインディジョーンズを小説で読んでいるような感じで、読んでいて、うまく作れば小説より映画の方が面白いのではないかと思いました。
本が売れたのは営業上の戦略が成功したというのもあるんでしょうが、キリストとダヴィンチというのが、キリスト教世界の人々には受けたんでしょうか。キリストの隠し子とか、ダヴィンチがキリストに関しての暗号を残したとか、私はフィクションとしてしか読めませんでした。状況設定がハリウッド映画っぽいし。ひょっとしたら真実も含まれているのかもしれないけど、たぶん大方の日本人にとってこれは小説でしかないでしょうね。
この本がヒットして、そして映画が上映中止になったところもありますが、それが不思議な感じがいたしました。
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