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おしゃべりルーム

6Sekko:2006/03/27(月) 21:08:55
拍手とギリシャと船酔い
なんていうか、音楽会で「音楽鑑賞」をしている人には拍手が天敵というのは分かります。自分のうちのリスニングルームで一人静かに音楽を聴いたあとで、雷鳴に驚かされると興ざめなように。でも、生の演奏会に行くのは、社会的な行為で、生の演奏家からメッセージを受けているわけですから、演奏の後にこちらの気持ちを拍手で伝えたいというのも自然で、たいていの聴衆は後から個人的に感動を伝えたりできないのですから、拍手に目くじら立てることはできないと思います。私は、拍手したい気分の時はします。あるいは知り合いが演奏したときは必ずします。それから知り合いが私のそばにいる時も。私が拍手をしないことに気づいて興をそがれる気になる人がいるときは特に。
 弾く立場になって言いますと、これは、拍手の中身が微妙に分かります。演奏してるときは集中力とか研ぎ澄まされていますから、心から喜んでもらえたとか、感動してもらえたとか、感謝してもらえたとか、感心されたとか、義理の拍手とか、終わってほっとしたという解放感の拍手だとか伝わってくるんですよ。それは演奏中にも伝わってきて、すごく支えてもらってると思えた後で拍手をいただけると嬉しいです。逆にちょっと、だめだったかなと思ったときに意外に暖かい拍手だとほっとしたり。
 サロンコンサートとかだと、最前列で居眠りされたりするのが見えるとすごくつらいです(私もコンサートで寝ることがあります。でも最前列なら我慢します)。私たちのようにオリジナルの組曲ばかり演奏してると、組曲の途中でまだ緊張状態が続いてたり、次の曲とのつなぎが重要な時に、拍手されると、緊張感の腰が折られる、緊張感が伝わっていなかったという反省、とかが頭の中をぐるぐるし、一番いやなのは、拍手がぱらぱらで、拍手した人たちが「あっ、これはまずかったな」と思ったり、拍手しない人が「こんなとこで拍手するなよ、この無教養なやつ」と無言で非難してる空気が伝わったりするときです。本当に、演奏会中ってすごい情報量をキャッチしちゃうんですよ。完全に無我の境地で、周りの反応は邪魔なだけという人もいるかもしれませんが。
 2曲続けてというときで、どうしても1曲目の後で拍手が来る場合があるのですが、それは、その曲が拍手を促す曲らしく、私たちも割り切っています。逆に、拍手を期待している曲のつなぎでシーンとされたら、交感神経が高ぶりすぎて、すごい緊迫感のまま続行ということもあります。そんなケースが多いときは、知り合いをサクラにして、ここで拍手してね、ということもあるんですが、周りの緊張に気おされて拍手できなかったということもあります。集合としての「聴衆」のカラーの方が絶対勝つんですね。
 演奏家も「音楽鑑賞」状態で弾いてることももちろんあり、そういうときは終わったあと、静かに眼を閉じて余韻を味わいたい気分ですが、聴衆が一人でもいれば、その人に向けてのコミュニケーション・モードですから、「分かち合い」というのがメインです。つたなくとも、贈り物をしているつもりなので、よかったと言ってもらえたらうれしいですよ。だって、後に何も残らないんですよ。 録音してもそれは別物だし。今弾けないともう意味がないんです。あああのときはこれが弾けたなあと思っても。
 絵描きは一人で描いて、鑑賞者とは場を共有しないし、物書きも、本は、考えの容れ物であって、読者の好意的な声をいただけるとすごく嬉しいですが、同時進行の分かち合いにはなれず、それでも、あの時描けた、あの時考えたものは、そのまま残ります。演奏は基本的に一回きりで、でもそのナマの感じが麻薬みたいに強烈でやめられないです。演奏家としても聴衆としても。拍手はその表現かな。
 日本でコンサートをした時、一度由緒ある舞台でさせていただいたんですが、最初に主催の方が着物で出ていらして、正座で深々とお辞儀されたので、周りに座っていた参加者もみなお辞儀しました。引っ込まれる時も同様でした。ええっ、ここでは拍手してもらえないんだろうかと一瞬あせりましたが、その後の演奏や舞では自然に拍手が出たのでホットしました。以上私や私の周りの人の感じ方です。全然違う人もいるんでしょうね。サロンコンサートや講演などでは、主催者のお人柄というのがすごく聴衆にも演奏家や講演者に影響を与えると思います。すごーく商業的なものやメディアティックなものは別ですけど。他の方の意見も聞きたいです。
 後、書き込みですけど、私も誤変換だらけで冷や汗ですが、疲れてるときは、直接書き込みを避けて、ワードに行くのも面倒なので、メールを書く画面にして、字のポイントを14位に拡大して、大きくゆっくり書いてからそれをコピーして、書き込みのところに貼り付けることもあります。これ便利なので、お試しを。今のこの文もそうして書いてますが、画面の前に猫が陣取っているので、ほとんど画面が見えないから意味ないかも。
 拍手の話が長くなりました。ギリシャのこと、あまり役に立てません。昨年9月のギリシャは頭がビザンチン・モードだったので、デルフォイにも行ってないし。2度目に訪れた遺跡は、昔と違って、とにかく人が多い、柵が多くなってるというのが印象的だったので、デルフォイも今は結構人が多いのでは。しかし、「自然の景観」「景勝地」の旅行と違って、人間の残した文化を訪ねる旅行は、もう、その文化的歴史的知識を識ってはじめて面白くなります。識ることによってはじめてつながることができるので、遺跡を「景勝地」みたいに訪れたら、すごくもったいないと思います。事前にできるだけいろんなものを読んで、もう「マイ・デルフォイ」というのを作っといて、それから対峙するくらいにしておいたらいいかも。
 クルーズですが、基本的に内海ですから、あまり揺れません。でもナイル河のクルーズなどよりは揺れることもあります。寝るとき船が傾いている日があって、足と頭を反対に寝ました。アテネのホテルに帰ったら、浴室が揺れているような気がしました。私は船酔いしない方ですが、ノルマンディのヴァカンスでジャージー島に渡ったときは時化の後ですごく揺れ、薬を飲んでももう遅く、その苦しみから解放されるなら死んでもいいと本気で思いました。一緒にいた父だけは酔わず、揺れに抵抗せず体を動かしていました、そして、戦争で中国に渡った時はこの上に魚雷と敵機に狙われていた、それに比べたら揺れるだけなんてたいしたことないと言っておりました。戦争に行った人はすごいと思いながらも、そんなこと言われても・・・と恨めしく思い吐き続けました。母も苦しみ、帰りは海はもういや、飛行機チャーターすると決心してたそうですが、結局帰りは波が静かで、薬も早めに飲み、それでも私と母は往路の父に倣って馬鹿みたいに体を揺らしていました。父は寝てました。日航機事故があった夏で、両親は帰りの飛行機に不安を抱いていましたが、船でこれほど苦しいなら、飛行機できりもみ状態になったら恐怖よりも苦しみが大きく、解放されることだけを望むかもしれないと気休めになりました。ちなみに私は飛行機が嫌いです。




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