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おしゃべりルーム
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政治、ゴシップ、偏見など
フランスで普通のおじさんやおばさんが政治の話を延々とする背景には、別に彼らの意識が高いということじゃなくて、「一家言」もっているように見えることが評価されているからだと思うんですよ。よくパリの日本人が気づくことですが、フランスのデパートの店員とか、全然働かなくて、商品知識もゼロみたいな人が、何かクレームをつけられたり注意されたりすると、猛然と、しかし理路整然と反論を述べ立てたりするんですよ。あのエネルギーと頭を仕事に使えばいいのに、と日本人なんかはびっくりして思うわけです。なんにつけても「自説を披露する」と言うこと自体にステイタスがあるわけですね。ところが、日本では、「普通の人」が突然「しかし、共謀罪は・・」とかファミレスで話し始めたら、「何、この人」って思われるじゃないですか。日本ではよくよく立派なことを言っていると認められる人か、あるいは専門家と認められる人の「高説」でなきゃ、市民権がないんです。これって外国語習得もそうです。たとえばパリのフランス語学校で、日本人は、相当知ってるのに、なかなかしゃべらない、絶対確かで自信がないと口を開かない人がすごく多いんです。そこへ行くと、ブラジル人とかスペイン人とかは、ブロークンでも実によくしゃべります。しかし彼らは、文法問題とかは全滅で、日本人は高得点をとったりするんですよね。日本人は、「言霊」のせいか、口に出していう言葉のハードルが高いのかしら。前にも書きましたが、私だって、フランスでは今回のCPEについて、リセの生徒とも延々と対等に話せて盛り上がりましたが、日本についたとたん、駅前で核廃絶の署名を求めている人を見るだけでうっとおしいとか、ほかにやることないのか、プロ市民、とか感じてしまうんです。すみません。風土とか言葉の持つメンタリティなのでしょう。でも、今いいと思うのは、各種ブログなどで、いろんな人がいろんなことについて自由に意見を交わす場穂が生れたことで、そこには敬語などの言語の縛りも、風土の縛り(自説をぶつ人よりも、口数少ない人の方が尊敬される)もないので、多くの人の考えを知ることが出来ることです。そうすると、日本人のレベルの高さが分かってほっとします。やっぱ、言わないと聞けないですからね。
それで、日本で人前で「一家言を語る人」ってのは、偉い人、自分の正しさに自信を持っている人、になってきて、それが権威とか権力にも関係してくるので、いかがわしかったりするのでは?
「おねえちゃん雑誌」がファッション、コスメ、ブランドを多く語るのは、広告収入のせいでしょう。広告収入の取りにくい雑誌はなかなか存続できないし。おばさん雑誌だとサプリメンとか健康グッズも? 女性のスキャンダル、ゴシップ好きも、マーケット的にはある程度あたってると思います。皇室ゴシップがあると絶対女性誌の売り上げが伸びるということは、買う人が多いからでしょうし。男の方がゴシップに無関心の率が多いかどうかはよく分かりません。ただ、それを、「女性=ゴシップ好き=政治には無関心」というのは日本的くくりかたで、フランスなら「女性=ゴシップ好き=政治を論じるのも好き」なので、両立するし、別にゴシップ好きに価値判断はないのでは?
悪意のゴシップもありますが、これもネットの2チャンネルとか見てると、これもネットでは男女の縛りがないので、男も堂々とゴシップ好きと悪意のゴシップを展開してるし。私は悪意のゴシップはもちろん反対です。でも、他人に関する悪意のゴシップは蜜の味みたいな卑しい根性もふつふつと沸いてくるので、自分の卑しさを確認するだけでもゴシップは反面教師です。
さすがに「おねえちゃん雑誌」は見るとこがほとんどないのでパスですが、おばさん系の他人の愚痴とかゴシップは楽しく読めます。コミックも好きだし。それで馬鹿にされても別に気になりません。でもそれらのほとんどは確かにただその場で消費して終わりのものなので、自分の卑しいところは痩せさせて、人の役にたちそうなところに栄養を与えていかなくちゃと思ってます。
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