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おしゃべりルーム
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中央公論5月号
1.原田さんの論文について
日本の人口減少については、悲観論と楽観論がありますね。楽観論では、人口減少恐るるに足らず、かえって活気ある団塊高齢者を中心にゆったりして過ごせるでしょう、的なものが多いですかね。原田さん(団塊の世代に近い方)もそんな感じの論調で、そして、少ない若い世代に温かく、「自分の孫を愛するように他人の孫も愛して」豊かな文化を維持しよう、とおっしゃっています。
でも、そもそも、なぜ人口が減るか、若い人が家庭を形成せず、子どもを持たないか、ということを、原田さんは特に深く追究せず、「人口減少、少子・高齢化」という所与の条件での暮らし方について述べておられるように見えました。わたしから見れば、日本の問題は、若い世代が家庭を形成できない、子どもを持ちたくない、ということ、そのものにあると思えます。
それと、すでに子どもや孫を持っている大人。バスや電車に乗るだけでわかります。わたしは、子どもは座るものじゃない、と言われて育ちました、というか、そういうしつけを受けましたが、シルバーシートに子どもを座らせて平気な親(混雑する通勤時間に乗る子どもは私立の小学校に遠距離通学しているわけです)とか、電車で「OOちゃん、ここにお座り。」と孫に席をとる祖父母!!、多いですよー。一方で、貧困家庭のDVや児童虐待、・・・ 日本てこんなだったかしら、と最近、けっこううんざりしています。
つまり、日本が少子化・高齢化してゆく原因、少子化・高齢化しているなかで社会規範が崩壊している、そういう社会について問うことなしに、人口が減ることそのことだけについて議論することに疑問があります。
2.日本の若者について
堀江氏が「金で買えないものはない」と言った続きは、「金で買えないものは差別につながる。血筋、家柄、毛並み」という文章がありましたね。日本のムラ的つながりの中では、家柄、ムラ的組織では肩書き、そういったものが日本社会での「価値」だった、それを突破しようとしたのはわかりますが、結局置き換えられるのが、せいぜいのところ、お金、というわかりやすい数字でしかないのが、日本の精神的貧困ですね。お金に換算できない価値で大切なものは、「人権」とか「生活の質(Qualite de lvie)」とか、だと思うのですが、なぜ、日本では、人と比較して出る数字や地位が生活の基準になるんでしょうね。他人がどうであっても、世間一般がどうであっても、自分には自分の「権利」が、「基準」が、「考え方」が、とならなかった、なっていないことが日本の問題だと思います。そこから出たいと思うと、「ほっておいてくれ」「自由にさせてくれ」ということにしかならない。
誰もが、自分の考え、自分の暮らしを対等に持ち、それを保障するのが「再配分」であるとまで理解しての「再配分なんていらない」ではないと思います。
かつて、ムラの大きな集合体であった日本(江戸時代、あるいは戦前)、それが、中央集権、ムラの崩壊のみが進んで、かつて存在した価値の継承はなくなってしまいました。でも、不思議なことに、ムラの仲間うちのみ意識する、という行動様式だけが残っている感じがするんですね。安定した共同体で、秩序をわきまえ、分に合った暮らしをする、という生活様式はなくなりましたが、自分の所属する共同体のあり方にはとりあえず順応して生きる、というのが、老若問わず、日本人の「自分でものを考えない」生き方であるように思えます。
年功序列に従って「ものを考えずに生きる」だったのが、年功序列が崩壊したために、次は「金」を基準に、あるいは、基準なんて何もなしに「ものを考えずに生きる」状態が、日本人ではないでしょうか。で、自然に恵まれ、人は温和でそこそこ均質で(字の読めない人はいない)、今のところ家族も最低限の機能はしている、というところで、厳しい闘争にまで至らないでいる社会が、日本の社会なのでは、と思っています。でも、そのように、厳しい闘争に至らないように、と抑圧されているものがかなりある社会、でもあるのだろうと。
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