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魏志倭人伝の行程
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魏志倭人伝の行程を公開します。秦野北斗 詳細は徐服と邪馬台国を参照
HP秦野北斗の古代史 6 魏志倭人伝の行程
距離は実測し秦野距離とし換算している。陸行1月の確認のため、倭国の大きさの地図を添付。
1.帯方郡から倭国に至るには水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する(「従郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里」)。
2.始めて海を1000余里渡ると対海国に至る(「始度一海千餘里、至對海國」)。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。
3.また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る(「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」)。官は対馬国と同じ。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000の家族が住める。田畑はあるが足りず、市へいく。
4.また海を1000余里渡ると末廬国に至る(「又渡一海千餘里、至末盧國」)。4000余戸が有る。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。
5.東南へ500里陸行すると伊都国に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)。長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。丗、王が居る。皆は女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐在する所。
6.東南に100里進むと奴国に至る(「東南至奴國百里」)。長官は?馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離。2万余戸が有る。
7.東へ100里行くと不弥国に至る(「東行至不彌國百里」)。長官は多模(たも)、副官は卑奴母離。1000余の家族が有る。
8.南へ水行20日で投馬国に至る(「南至投馬國水行二十日」)。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余。
9.南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)。官に伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳?があり、推計7万余戸。 ウィキペディアより
『旧唐書』倭国・日本国伝
倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中、依山島而居。東西五月行、南北三月行。世與中國通。其國、居無城郭、以木為柵、以草為屋。四面小島五十餘國、皆附屬焉。其王姓阿毎氏、置一大率、檢察諸國、皆畏附之。設官有十二等。
倭国とは、古の倭奴国なり。京師から一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、山島に依って暮らす。東西に五カ月の行程、南北に三カ月の行程。代々中国と通じている。
その国、居住地に城郭がなく、木を以て柵とし、草を以て屋根とする。四面の小島、五十余国、皆、これに附属している。その王姓は阿毎氏、一大率を置き、諸国を検察させ、皆はこれを畏怖している。官には十二等級を設けている。
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