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Re: 表音
秦野さん、さっそくお返事ありがとうございます。
それで与那国島の海底遺跡なのですが、先の表面照射年代測定法だと1万年前とのことで、いつごろ沈んだのかがきになるところですね。
こちらの台湾のほうにも、与那国同様な海底遺跡があるそうで、確か以前聞いた話だと、回廊で与那国島までつながっているとのこともあるそうですから、同時代のものでしょう。
http://mypaper.pchome.com.tw/phantomuk/post/1321387236
ただ、台湾側でも1万2千年前と言っているのですが、どこにその根拠があるのか気になるところです。また洪水神話が台湾にもあるそうです。
最近スフィンクスの年代が1万年前だという新説が流れたのを思い出しますが、実のところ、そこまで古くないとの見方もあるそうです。
http://www.moonover.jp/bekkan/ooparts/2.htm
ともあれ、邪馬台国の時代の小氷期で海面が低い時期に、与那国島の海底遺跡の一部が地表に顔を出していたということは、確かであろうと感じますね。
浅瀬の地域は、その後の温暖化の時代に海が侵食してきて水没したので、山幸神話みたいな話が出来たのかもしれません。
もうひとつは、白鳳大地震の際のときに高知の海岸沿いが水没したように、地震で土地の隆起や水没が起こるケースです。
木村さんという方が、邪馬台国沖縄説で、先の海底遺跡を炭素年代法で、BC200年ころから作られたものだと話しているそうです。
http://dairoku126.exblog.jp/15078179/
その木村教授が、先の表面照射年代測定法の詳細結果を記した方なので、それなりの根拠があるのかなとも感じます。下記のページに、地震による遺跡の地形の傾きとか、その辺の説明がなされてます。
http://www.yonaguni.jp/iasekiyouchikei-kenkyu-siryou-3.htm
それで遺跡全体のはじまりは1万年前、この遺跡の一部に、3800年前と、1600年前、600年前の3期に別れて、構築の跡があるとの見方は興味深いところです。
確かにAD400年以降は、温暖化による海進で、遺跡自体はまた沈んでいたかもしれませんね。AD1400年あたりは、先のグラフでいけば、やはり小氷期なので、遺跡は顔を出していたのでしょう。
とすると、邪馬台国時代に、この遺跡が再活用されていた件はありうるかなと感じます。アーチ門が沖縄のグスクに似ているそうです。
個人的には、その遺跡の40度傾いて立てられている石垣の並びと、九州各地の弥生時代〜の神籠石の並び具合との比較をしてみたい感じがします。こちら女山神籠石。
http://www.geocities.jp/bicdenki/newpage47.htm
ここに魏志倭人伝のひとつの国があった可能性も考えてみたいですね。
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