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感想など何でも掲示板

64佐藤公則(管理者):2017/04/29(土) 09:32:17
Re: できれば感想を聞かせて下さい
 仕事の方はひととおり覚えることができたという段階で、俯瞰して考えられるようになりました。基本的には単純で、建物各棟の戸締まり、施錠を確認することです。私学の高校と大学が敷地内に併設されていて数が多く、繰り返しが勝負になります。
 どの仕事もそうなんですが、他の人は本当に律儀で、反対にぼくはルーズなところがあってそれとの格闘が仕事継続の中心かなと思っています。つまり、外からも確認し、内側からも確認することを教わるわけですけど、石橋を叩いて渡るみたいなことが警備の仕事だとしてみんなやるわけです。ぼくはそういうところは少しルーズなところがあるなと、反省的に言えばそういうことになります。でも単純ですから、また嫌いな運動にもなると考えて、しばらくはっやっていきます。夜の勤務のリズムはまだつかめていません。

 さて、山本哲士の文章の件ですが、ぼくは昔の山本の文章はもう少し分かりやすかったと考えています。主に学校論、教育論を展開していたあたりの文章ですが。当時は、分かってもらおうという気持ちがあって、言葉を選んだり書いたりしていたと思います。最近はあまり読んでもいないのですが、どちらかというと他者に理解してもらうことをあきらめたような文章、書き方になっているとおもいます。それで、少し前に吉本さんの仕事をまとめて評価するような本があって読んだんですが、「吉本隆明と『共同幻想論』」でしたかね、どこか息せき切って論じているような面が感じられ、評論や批評の本として高い評価はできないけれども山本ならではの視点を貫いて読み解こうとしているとは思いました。つまり言葉遣い、文章のわかりにくさもあって、今もまだ評価としては保留の状態にあります。
 ぼくなんかはホントは分からないことなんですが、山本は世界の思想的な現状の最先端を、言語の垣根を越えてとらえ、自分もその最先端を走ろうとしているんじゃないかと思います。そこには山本だけが見えている風景があるんだろうとは思います。見えているように突っ走っているなという気がします。ぼくはそれで、実際の彼の最近のブログなどの文章は、雑で、しかも理解を拒否するみたいな書き方をして、なんだコイツ、と思わないでもないのですが、こちらから少し山本のほうに近寄っていくようにして、それで少し言っていることの片鱗だけは感じ取るというような読み方をしています。理解しているわけではない、そうだそうだと思いながら読んでいるわけでもありません。でも、少しだけ、山本がどういうところにこだわっているのかが分かる気がするところもあるのです。全貌はちょっととらえきれないので何とも言えませんが、ある意味でかなり核心部分を考え、詰めるように思考しているなと思うのです。nishiyanさんの評価だとかなりボロカスになりそうですが、もちろんその原因は山本の文章にもある気がします。確かにそう読まれる可能性を含んでもいると思います。ただ、山本がやっていることは孤軍奮闘の部分があり、誰もやらないという孤独性もあると思います。シニフィアンやシニフィエといい、分かりにくい言葉を多用するのは、おそらくは邦訳しきれないという、かなり外国ものに通暁してきた過去の経験から出てくるものでしょう。吉本さんをどのように評価するかということで、今のところ山本ほど世界水準に置いて突出した存在として吉本さんを高評価する存在はほかに見えません。埋もれさせたくないという意志は明瞭です。そこはぼくには分からないところですし、何ともいいようがないところなのです。
 元に戻りますが、山本のブログの文章は酷いというのはぼくも実感しています。ただその酷さは、言い得ないところを言おうとしているためなのだと半分好意的に受けとめて読んでいます。例に挙げられた二つの文章はことに酷いことになっていると思わないでもありませんが、かすかにですがぼくには分かる部分もあります。乱暴な言い方ですが、山本は誰も考えている奴はいねえよと言いたいのだと思います。考えていると思い込んでいる奴ばかりだと。別の言い方をすると、システムから言わせられている、そのように考えさせられている、ということになるでしょうか。
 主語性様式といい、述語性様式といい、これを解説するのは大変面倒くさいし、またぼくにもはっきりと理解されているわけではありません。今のところは漠然とですが、便宜的に言語のヨーロッパ様式、日本様式くらいに区別してとらえています。

> この件は、わかりやすい言葉でわかりやすく述べることはできそうに思います。山本哲士はなぜわかりやすい言葉を志向しないのか、わたしたちの生活世界に向かって言葉が閉じているからではないかという疑念を持っています。

 山本がnishiyanさんの言うところを志向していないことは確かだと思います。そういうところを捨てているんじゃないかなという気もします。あるいはあきらめているというか。ただ、ぼくには判断がつきません。
 以前に、晩年の吉本さんが糸井さんとの対談めいたところで、山本と思われるような人物にたいして批判めいた言辞をしているところがありました。それが山本のことかははっきりとは言っていないのですが、多分そうだったと思います。それはつまり、山本の半分世界に目を向け、世界に出ていこうとする姿勢についてだったと思います。危険な言い方をすれば山本には野心があり、マルクスたらんとする願望があって、そういう部分を批判していたんだろうと思います。そこで自分の身体出処の重きを置くところが違ってきます。ぼくも山本の全的な姿勢については、どうかなと思うところはあるのです。ですが知的生産の部分では無視できないところがあると思っています。

 長々とまたうまく言えませんが、だいたいはこんなところでしょうか。また何か思いついたことがあれば発信してみます。今日はこれで。











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