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61
:
nishiyan
:2017/04/25(火) 12:22:43
文学の現状について
例えば近代においてだと思いますが、文学とは暗いもの、暗さや深さや生真面目さのイメージを価値とする傾向を持っていました。それがある時期、高度経済成長期頃からでしょうか、楽しいことや軽いことがその暗さや深刻さに代わって登場してきました。今ではそれが普通になっています。これはそれ以前に比して社会が豊かさや余裕を持ったためだと思います。
もともと、文学(芸術)は、読者(観客)の側から見れば、もてなし楽しませるという要素と感じ考えるきっかけを提供してくれるという要素とを併せ持っているように思います。文学も映画もそのどちらに力点を置くかで、エンターテインメントの作品や純文学の作品となっていたのでしょう。
そのいずれかの点で、読者を引き付けることが出来なければ、書き続けられていったとしても商売としては衰退していくほかないのでしょうね。ぼくらは単なる読者ですから、小説が滅びようが構わないと思いますが、たとえ滅びてもそれに代わる人間的な表出や表現が止むことはないのは確かだと思います。
今、村上春樹の『1Q84』(2009年)をやっと読み終えて、最近出た『騎士団長殺し』を読み始めています。今度は若い画家が主人公のようで、「騎士団長殺し」という他人の絵が作品に大きく影を差しています。『1Q84』もそうでしたが、いろんな謎や仕掛けが周到に物語世界の流れに設置されていて、読者を物語世界に引き込みます。これらはエンターテインメントの要素に当たると思います。まだ、出だしで作品の生真面目なモチーフの流れは見えていません。
漱石の時代の読者規模を想定してみると、当てずっぽうの推測に過ぎませんが、まだ今で言う大多数の普通の人々にまでは届いていなかったような気がします。つまり、地方であれば生活や経済力に余裕のある地主層くらいまでではなかったかと思います。そこからすると、作者の数も読者の層や数も大きく拡大してきたのだろうと思います。ただ、川端康成の頃とは違って、作家専門では食っていけない時代にはなっていますね。現在は、他の諸問題と同様に文学もいろんな問題を抱えたある飽和点に到っているような感じがします。
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