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明主様
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浄霊のお光が違う
これは世界救世教いづのめ教団イズノメ 誌 、 中村重留さんの投稿です。
《?発展?は神様が仕組まれる。》
抜粋 、昭和22年11月私は北海道へ開拓布教に。最初は函館で布教しておられた、寺村光生先生にお世話になり。( 中略) 朝早くから、夜遅くまで多い日には100人近くも浄霊を頂きに来ました。
わずか2ヶ月ほどで、100数十人の入信者が与えられ、街の評判となっていました。
良い事は続きません。私の所へ新聞記者が訪ねてきて、浄霊についての質問を、
私は浄霊の功徳や、目に見えない霊の存在、自分で知り得た事を話しました。目に見えない世界の話は 彼らには理解出来なかったのです。
翌日、?観音教団にお灸(きゆう)?という見出し、「インチキ集団」という内容の記事が、新聞に報道、その日を境に、浄霊を頂きに来る人が、いなくなりました。
(中略)、 あらたな布教の地を求め、親戚の家を訪ね、??神様の話になり。叔父は私に協力してくれる事に、早速知り合いに呼びかけ、奇跡が起こったのです。祖母がガラスで手を切り、泣いている子を連れて来て、「 早く治してあげなさい、と叫ぶのです」骨が見えるほどの深い傷、真剣に祈りながら浄霊を、30分ほどすると子供は泣き止み、血が止まり、傷口がふさがっていたのです。 この奇跡が元となり、 浄霊を受ける人が増え、1ヶ月に10数名が「おひかり」を頂き、新たな布教の足がかりを、明主様は作ってくださいました。
(中略)《救いの一つとしての芸術》
明主様のご面会は何よりの楽しみでした。明主様は、『今日はこういう話をしたい』と仰っしゃって、 瑞雲郷(聖地)の、ご構想や、21世紀の未来の生活様式を、満面に笑みを浮かべながら、語られました。
その魅力的なお話に私は心踊り、全身の血がたぎりました。
今日はどんなお話をされるのかと、期待に胸を膨らませ、旭川から列車を乗り継ぎ、片道50時間をかけて毎月、ご面会をお許し頂きました。
間近で明主様のお話を、聞かせて頂だいて、目と目が合う事がありました 。その時は優しい御目でありながら、肚の底まで見透かされるような眼力を感じ、怖さまで覚えたものでした。
特に私の印象に残った話は 、美術に関してのお話でした 。『今日は、栖鳳(せいほう)の作品が手に入ってね。』とニコニコされながら、作者と作品の解説をされるのです。 さすがに?神人明主様? なんでもお分かりになると思いました。
後で聞かされた事ですが、明主様は常に美術について猛勉強をしておられたそうです。(中略)
《 浄霊の光が違う》
ご法難後、信徒数が激減し。 私がいた旭川支部でも訪れる人が2、3人に、 こんな時こそ、明主様にご面会しお力を頂かねばと、毎月ご面会を頂きました。
ある月ご面会を頂き、また熱海から列車で車中二泊、夜の10時過ぎ旭川の支部へ帰り着きました 。
すると、誰もいない支部に、煌々と電気が、声が聞こえて来るのです。急いでドアを開けると15、6人の信者が待っていました。
尋ねると、「先生が明主様の、ご面会を頂かれ帰って来ると、?浄霊のお光が?違うので、誰が一番先に頂くか、順番を決めていました。」というのです。
私はもう夢中でご浄霊を取り次ぐと、皆さんから「楽になった」と喜ばれました。その日は夜中の1時過ぎまで、かかったと覚えております。
◆( 当時、こんな事があったのですね 。今は大祭や月次祭、 先生から頂だく御浄霊ですね。)
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