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明主様

2005ゲラゲラ【転載禁止】:2021/06/01(火) 20:20:26
もっと言うなら
お委ねするというのは、結果を委ねる、執着をとるという側面だけではないと思う。
正確にいえば、なぜお委ねし、執着をとるのか、その理由ともいえるのだが。
「赦され、救われたもの」としての理由でも、いいんだが。

その前提として、人間は命は神からいただいたもの、くらいは信仰者なら知っていると
思うが、実感することは少ないと思う。
あるいは、いただいた=譲渡されたものを思っている傾向も否めない。
要するに、自分のものと思っているということだ。

そうではなく、神から雇われた、あるいは使用人のような関係のほうが近いんだ
と思う。
神様が、何かの目的のために、人間を作ったわけで、命はどこまでも神様のものだということだ。
使用人ということは、そこから得た利益(成果、功績、栄誉など)も一切、神様のものであり、神様からいただく給料だけが生活の原資となるわけだ。

そのことに気づかず、自分のものだと勘違いしていたこと。このことを悔い改め、
本来の持ち主である神様にお返しする。
本来の持ち主である神様にお返し(お委ね)しますから、み心のままにお使いください
というのであろう。
これは、ゲラちゃんも教主様によって、初めて教えていただいたことである。
今までの信仰生活では、この視点は出合っていない。

この悔い改めを受け止めるのが、メシアであり、だから「メシアの御名をもって」と
いう文言があるのだと思う。
したがって、いきなり「お委ねします」というのは、一概に肯定しにくいんだよね。
もちろん、この掲示板のみんなは、世界メシア教信徒じゃないから、好きにすればいいんだとは思うんだが、一応、気になったので記した。

 




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