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欠陥コピペ王
61
:
資料管理請負人
:2015/01/01(木) 00:19:52
死に支度
◆今年最後の最後まで「くたばれってしまえばいいのに」という、感情むき出しの言葉を
吐く。これにはつい「あんたもだ」と口が滑りそうになる。くわばらくわばら。
いつもどおり書評より書評の前段がこの人にとっては主題である。
「嫌なやつはみんなくたばれ」だ。
◆今年最後の最後までコピペ色(茶色)に染め上げてくれた。なんだか除夜の鐘の響きと
いっしょになって、もの悲しくなる。
◆朝日新聞書評に今月7日にとりあげられていた本だ。早速書評も借りたようだ。このあ
たりは何とも無防備だ。みな朝日を読んでいないと考えてのことか。
ここでの評者、片山氏が「ユーモアの極北」としているところを「ユーモアの極地」とし
ているところなどは、言葉を軽くみている彼らしい。(同名の勝目梓作品も'11年に取り上
げている.*仕度)。
◆ともかく(ともあれ)コピペ作業御苦労様。来年からは引用をはっきり明記するように
徐々に習慣づけるといいのだが、それでは全部借り物の書評になって尊敬されなくなるか
…。このままでは11期の、万華鏡の恥だ。
茶 コピペしたシニンの文章
青 原本(他者がネットに書いた文章)
【コピペ作品】
今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2014年12月31日(水)20時45分
政治の世界では、早くくたばってしまえばいいのにと思うような人物が沢山いる。一方では、色々なジャンルでいつまでも長生きしてほしいなと思う人たちも多い。今年も惜しまれる死を何度も聞いた。
(略)
以上あげた物故者は、いうまでもなく長生きしてほしかった人たちである。年齢的にも亡くなったことはやむをえないものがあったにしても、それでも惜しまれる死であった。
思うに近親者でなくても、このような方々の死を身近に感じるということは、自分だっていつ死んでもおかしくない、という年齢に達したということかもれない。
このように他者の死によって、わが死の想いにとらわれていたときに、気になるタイトルの本が発刊された。それは「死に支度」、著者の瀬戸内寂聴さんはもともと好きな作家のひとりゆえに、早速アマゾンで購入して読んでみた。
今年最後の本としてこの本を紹介したい。
死に支度 瀬戸内寂聴 著(講談社)
92歳にもなり、僧侶でもある著者ゆえに、当初期待していたのは、死をまじかに控え精神的肉体的日常的に自らの死への身構え、あるいは準備しておくものや、心の持ち方を記された極めて説教的なものかなと思ったが、そんなものではない。
1.「死に支度」は「生き支度」といっていいほどの痛快きわまりない、ユーモアたっぷりの文章で、不思議な奇跡のような楽観が漂い、読者を救う感がする。特に二人の20代女性の秘書兼スタッフとの軽妙な会話は抱腹絶倒、読んでいる途中でもゲラゲラと笑いが出てきたものだ。
2.91歳の誕生日を前にしたある朝、小説家の私に長年付き添ってきた寂庵のスタッフたちが一斉に辞意を伝えた。自分たちを養うために働くのはもうやめて、これからは大事な作家仕事だけに専念してほしい、との彼女たちの思いに心打たれた私は、「卒寿の革命」を決意する。
ただ一人残った最年少のスタッフ、24歳のモナとともに新たな生活を始めた私は、間近に迫る自らの死を思い、最後の連載「死に支度」を始める。それは、これまでの人生を振り返り、出会ってきた愛する人々や出家者たちの死に様を通して、自らの「理想の死に方」を探る旅だった。
3.だが、どだい死に支度をしようと考えることが支度をしているあいだは生きようとしているのだから生にとらわれている。かくて著者は宣言する。
「私は呆けても平気よ」「部屋のちらかりだってどうだっていい」「私は出家して死んだ身だから、人の批評なんて気にしないでいい」「今こそ私は自由になった」
生者から死者へ。行きながらの転生。滋味に富んだユーモア小説の極地であろう。
4.現役作家であり僧侶として幅広い読者から支持を集める瀬戸内寂聴さん。誰よりも濃く、深く生きてきた著者は、卒寿を機に「いつ死んでも悔いはない。毎日が死に支度」との思いはあっても、本書を読んだ後は、死と向かい合い新たな生を考える智慧の書にもなる。
私が寂聴さんを目の当たりにしたのは、2年前の7月、代々木公園(明治公園だったかな?)で開催された「脱原発10万人集会」、壇上で挨拶されたときである。真夏のガンガン照り付ける陽ざしの中で法衣姿でしゃべられていた。とても90歳とは思えぬ声のはりと姿勢だった。
ともあれ、本書の帯に書いてあるように「今すべての世代へ贈る、限りなく自由で温かい『生と死の智慧』」というのは、ズバリ言い得ていると思う。
【コピペ元】
1.Asahi Book
死に支度 [著]瀬戸内寂聴
[掲載]2014年12月07日 [ジャンル]文芸
92歳までの一年間、のみならず、それまでの全てが嵐のような日々だった。そして「死に支度」なんて「小説の中でも、実生活でもやめよう」と決める。不思議な、奇跡のような楽観が漂い、読者を救うのだ。
2.講談社ブッククラブ
http://bookclub.kodansha.co.jp/search?page=4&kw=%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E5%AF%82%E8%81%B4
2.【あらすじ】
91歳の誕生日を前にしたある朝、小説家の私に長年付き添ってきた寂庵のスタッフたちが一斉に辞意を伝えた。「先生、私たちを養うために働くのはもうやめて、これからは好きな仕事だけに専念してください」という彼女たちの訴えに心打たれた私は、「卒寿の革命」を決意する。ただ一人残った最年少のスタッフ、24歳のモナとともに新たな生活を始めた私は、間近に迫る自らの死を思い、最後の連載「死に支度」を始める。それは、これまでの人生を振り返り、出会ってきた愛する人々や出家者たちの死に様を通して、自らの理想の死に方を探る旅だった――。
3.朝日デジタル 片山杜秀 書評
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11474716.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11474716
瀬戸内寂聴の『死に支度』は痛快きわまりない。90代の作家が死に支度をしようとする。いわゆる「断捨離」をして身辺を整理したい。けれど、ちっとも進まない。そのうち気づく。そういえば自分は出家をして生前葬もした。二度死んだとも言える。既にもう幽霊なのだ。幽霊がいまさら片づけるか。死に支度をするか。だいたい死に支度をしようと考えることが支度をしているあいだは生きようとしているのだから生にとらわれている。かくて作家は宣言する。
「私は呆けても平気よ」。「部屋のちらかりだってどうだっていい」。「私は死人なんだから、人の批評なんて気にしないでいい」。「今こそ私は本当に自由になった」。
生者から死者へ。生きながらの転生。滋味に富んだユーモア小説の極北である。
4.講談社ブッククラブ
「死に支度」は「生き支度」。92歳の
現役作家であり僧侶として幅広い読者から支持を集める瀬戸内寂聴氏。誰よりも濃く、深く生きてきた著者は、卒寿を機に「いつ死んでも悔いはない。毎日が死に支度」との思いでこれまでの人生を振り返り、出会ってきた数々の愛する人々や出家者の死に様を交えながら、自らの死に方を考えていく。そして最後に行き着いた、意外な境地とは―‐? 死と向かい合い、新たな生を考える智恵の書。
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