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欠陥コピペ王

57資料管理請負人:2014/12/30(火) 09:10:37
絶望の裁判所
◆今月もなかなかのコピペぶりだ。本紹介、書評に入るとほぼ茶色に染まった。

◆自分の斜光作品の引用および宣伝と、紹介本からの引用(「 」できちんとくくってあ
る)も、他人が書いた書評に加わり、これまで着すると、真っ茶色になる。

◆長い前書きの最後に、『ものを書くあるいは文章を編集する営為』をする人間としては
『真実性の追求』というスタンスだけは失いたくない、とある。なんじゃこれ。
この人は作家、ジャーナリストにでもなったつもりらしい。その営為とやらがなぜ真実性
の追求になぜ繋がるのか。それはいいとしても、他人の文章をコピペしてあたかも自分の
文章のように書いている現実とどう結びつくのだろうか。コピペだけやり続けても真実な
んかみつけだせやしない。


茶:コピペ箇所 青:底本  緑:底本著者



コピペ作品


今月の本 投稿者:月刊読書人 投稿日:2014年11月30日(日)21時57分
その前に旅人さん、島田市の文学賞おめでとうございます。
    (中略)
それでは月末になったので、今月推奨したい本の紹介です。
先月発行された佐賀高校11期生の「斜光」の「編集後記」に編集委員の一人として私は以下のようなことを書いた。
*読書人自身の過去の文章の引用

 「原発は『トイレなきマンション』と言われることがある。つまり廃炉になった場合の処理の方法がまだ見つかっていないばかりでなく、仮に見つかったにしろ放射能が消滅するには10万年という途方もない時間を要する。
 このような原発のために、佐賀の玄海原発をはじめ、あちこちで運転差し止めの訴訟が起こされているが、先の福井地裁判決は胸のつかえがとれたような素晴らしい判決だった。
 判決内容は、「原発の稼働は憲法上、人格権の中核部分より劣位」「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」という主旨で運転差し止めを命じたのだ。最近の傾向で日本の司法そのものが体制内化している状況の中で画期的な判決と思えた。
 だが驚いたことに大手新聞の読売は『ゼロリスクに囚われたあまりに不合理な判決』、産経は『非科学、非現実的判決だ』と論評した。
 『斜光』とは関係ないと言われるかもしれないが、少なくとも『ものを書くあるいは文章を編集する営為』をする人間としては『真実性の追求』というスタンスだけは失いたくない。」

(中略)
今月紹介したい本はそのような私の不安や懸念を後押ししてくれるものである。一時このような硬派の本としては珍しくベストセラーとなったこともある。

  絶望の裁判所            瀬木比呂志 著(講談社現代文庫)
?33年間裁判官を務め、現在大学に籍を置く著者が、国民の権利と自由を守るべき日本の裁判官・裁判所が、およそ司法権の名に値しない、上命下服の役人集団であることを明らかにした告発の書である。
 情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ……、知られざる裁判所腐敗の実態を暴き、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ、と言う。

*紹介図書からの引用 (講談社サイトに掲載されている)
 冒頭の「まえがき」では、
「裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか? ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
 しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、ほとんど全くない。近年、最高裁幹部による、裁判官の思想統制「支配、統制」が徹底し、リベラルな良識派まで排除されつつある。・・・・・・・・」

 このような思いに至ったことを、30年間の裁判所生活で見たこと、経験したことを具体的に、実証的に、場合には数字をあげて検証し暴いていく。
?我が国の知識階級の多くは、「出世できなかった、跳ねっ返り裁判官の誇張的見方であって、実際の裁判所はそこまで酷くはないだろう」との淡い願望を抱いていたのではないか。そのような願望を、本書は容赦なく打ち砕く。
 著者が本書を通じてもっとも伝えたかったのは、裁判所内部の事務総局中心体制というヒエラルキーによる支配・統制が裁判官たちの精神を荒廃させ、モラルや士気を低下させて、あたかも「収容所群島」の囚人のような悲惨な立場へ追いやっており、そのような裁判官たちによる判断は、あるべき公正、公平なものとは程遠いものとなっている、という点にあろう。

?そこには構造的な問題がある。日本型キャリアシステムで、これは典型的な「タテ社会」の病理に近い。

? 元裁判官が裁判所の内実について書いた本は少なくないが、その多くは、婉曲に書いたり、歯切れが悪かったり、どこかにためらいがあることが多い。誰でも自分のプライドが傷つくようなことは書きたくないという面もあるだろう。しかし、この本は、まったくそのような点がない。すべて赤裸々に書いていることに驚かされる。

? 最後の章で著者は、このような病理に対する処方箋として、英米流の「法曹一元制」を主張する。つまり弁護士経験者から裁判官・検察官を任用する制度のことだ。資質のある医師が厚労省のキャリア官僚になるような話で説得力がある。
 とにかく本書に対しての裁判所(とりわけ最高裁判事やその中の事務総局)の反応に注目したいものだ。冷笑と無視だけで終わるのなら、国民にとってはいつまでも収容所列島の住民という認識は変わらないだろう。


【コピペ元1】
アマゾン読者レビュー1
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4062882507
評者 londonpenguin 2014/2/27
?国民の権利と自由を守るべき日本の裁判官・裁判所が、およそ司法権の名に値しない、上命下服の役人集団であることを明らかにした告発の書。

類書は数多あれど、本書の最大の特徴は、最高裁事務総局民事局付、最高裁調査官を歴任した、「本当のエリート裁判官」によるものであること。「最高裁事務総局の意向を窺うヒラメ裁判官」というのは、ある意味言い古された、ステレオタイプな日本の裁判官像でもあったが、こういった言説に対して
?我が国の知識階級の多くは、「出世できなかった、跳ねっ返り裁判官のルサンチマンに脚色された誇張的見方であって、実際の裁判所はそこまで酷くはないだろう」との淡い願望を抱いていたのではないか。そのような願望を、本書は容赦なく打ち砕く。

著者が本書を通じてもっとも伝えたかったのは、裁判所内部のヒエラルキーによる支配・統制が裁判官たちの精神を荒廃させ、モラルや士気を低下させて、あたかも「収容所群島」の囚人のような悲惨な立場へ追いやっており、そのような裁判官たちによる判断は、あるべき公正、公平なものとは程遠いものとなっている、という点にあろう。


アマゾン読者レビュー 2
★★★★★ 裁判所の実態の赤裸々な暴露
2014/2/22

評者 オジサン太郎

?元裁判官が裁判所の内実について書いた本は少なくないが、その多くは、婉曲に書いたり、歯切れが悪かったり、どこかにためらいがあることが多い。誰でも自分のプライドが傷つくようなことは書きたくないという面もあるだろう。しかし、この本は、まったくそのような点がない。すべて赤裸々に書いていることに驚かされる。

【コピペ元2】
紀伊國屋書店ウェブストア
[文]斎藤環(精神科医)  [掲載]2014年05月11日
■「収容所群島」の住人たち
 最高裁での勤務経験もある元エリート裁判官の著者は、現在の大学教員という外部の視点から司法界の内情に鋭く切り込む。
? そこには構造的な問題がある。とりわけ重要なのは、事務総局中心体制というヒエラルキーと、日本型キャリアシステムだ。私の見るところ、これは典型的な「タテ社会(中根千枝)」の病理に近い。
 排他的で閉じた中間集団(司法界)がある。内部には細分化された序列構造があり、根拠が曖昧(あいまい)なまま出世や人事が決まる(著者いわく「ラットレース」)。人々は強い閉塞(へいそく)感を感じながらも、誰もラットレースから降りられない。日本の裁判官はこうした「収容所群島」の住人だ、と著者は喝破する。

? 病理に対する処方箋(せん)として、著者は英米流の「法曹一元制」を主張する。弁護士経験者から裁判官・検察官を任用する制度のことだ。資質のある医師が厚労省のキャリア官僚になるような話で、説得力がある。
 本書に対する法曹界の反応に注目したい。冷笑と無視だけなら、この業界は確かに終わっている。活発な議論の端緒とすることで、ぜひ「司法界はじまったな」と言わせて欲しい。




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