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欠陥コピペ王

136資料管理請負人:2016/01/11(月) 18:40:45
1*9*3*7 
◆2015最後もまた欠陥読書人は裏切らなかった。

・23時の投稿
・冒頭の「あと数時間で2015年も終わり」「今年読んだ中で一番に印象に残っている本の 紹介をしましょう」。
 文末の「とにかく心にずしりと響く書である」
 導入部分は毎年年末の文章の使い回し。

・大好きな「臭缶金曜日」連載記事の紹介でもある

・大好きな朝日新聞書評(ネットBook Asahi.com)とAmazon ブックレビュー二つからの 丸写し



注)茶:コピペ箇所  青:コピペ元(他人の文章) 緑:本当の評者


コピペ作品 

12月の本?? 投稿者:月刊読書人?? 投稿日:2015年12月31日(木)23時11分22秒????返信・引用

?? あと数時間で2015年も終わりだ。70歳を過ぎてからは、なんだか年月の過ぎ去りようが特別早いような感じがする。やりたいことはあっても、やらねばならぬという義務感のない日常の中では、時間への緊張感のなさゆえかもしれない。
さてそれではことし最後の本の紹介です。私が今年読んだ中で一番に印象に残っている本の紹介をしましょう。

ことしの7月だったと思うが、武田泰淳著「汝の母を」というドキュメンタリー風の戦争体験記を紹介した。外面的には戦争中、従軍する日本兵の非道性、異常性を明らかにしながらも、従軍した泰淳の内面の葛藤を表現したものだった。
この書を知ったのは、元共同通信社の記者で、今は作家の辺見庸さんが「週刊金曜日」に連載していたご本人の独白的な告発書による。その書が一冊の本として上梓された。2300円と少々高価ではあるが読みがいのある書である。以下、紹介したい。

 「1*9*3*7」       辺見庸 著(週刊金曜日)

?タイトルの由来は日中戦争に突入した「1937年」を基点にしたことによる。同年12月に南京大虐殺が起きた。
「もし、私がその場にいたとしたら、自分だったら果たして殺さなかったのか」。著者は日本兵による殺害、略奪、強姦があった戦時に立ち返り、自らにその問いを突き付ける。それが戦争と日本人を掘り下げる本書の出発点となった。
そう問わざるを得ないほどに、戦時中におこなった日本軍の残虐性、非人道性、異常性は際立っていた。堀田善衛の「審判」や武田泰淳の従軍手帳などにはあからさまな実態が述べてあり、これらと著者は正面から向き合う。
「7月の本」の中で紹介したように「汝の母を」には、命乞いをする農民の母に対し、?その息子に母親へ性行為をさせたあと、両方とも殺害してしまうこと、強姦しながら戦友に手を振る兵士、縛られた中国人を刺し殺す訓練の光景なども。著者は正気を保つことに「自信がない」ともらす。
?絶望に満ちた事実に正面から向き合った文章を読むのはつらいが、目が離せなくなる。読者にも過去の出来事を自らの問題としてとらえさせる文章力があるのだ。
さらに、この思索は、中国で将校として従軍した亡き実父の残影を見極めようとする試みに及ぶ。当然ながら亡くなった実父への糾弾や問いは厳しい。

? 著者は苦悩の据え、どんなに残酷な行為に対しても「これが戦争と言うものだ」「戦争が人間性を歪めた」とする責任転換に満足し、無責任体制が蔓延した戦後日本の問題性を提示していく。
責任を曖昧にすることを許さない「戦争考」には、重すぎほどの説得力がある。

?今、改めてこの書の響きを胸に抱えてみる。この書物の中にはいかほどの血の海と屈辱と苦痛の海が横たわっているのだろう。
辺見さんが強いこだわりをもって1937年という時を題材に選んで執筆を開始したとき、この国では、「1937」年のことを記憶から消し去ろうと目論む政権が、過去を現在と未来に直結するべく、憲法も国民主権も次々足下に踏みつけているさなかであった。
安倍一派らが狼藉の限りを尽くしているとき、辺見さんはすべての力を注いで、この国が永久に決別できないであろう深い沼のような闇と真正面から向き合っていた。驚くべき集中力と洞察力、緻密で冷静な筆致、克明な描写力で黙々と抵抗し続けていたのだ。

この作品は単に史実を読者の眼前にさらし、私たちのごく身近にいた男たちが戦場で犯し続けた罪を暴くことだけが目的ではない。辺見さんはその罪の場に自身をも置く。読者も誘われるようにその場に立つ。
自身の内奥に潜む残虐性とその裏の奇妙な愉悦感とが恥となって読者自身を苛む。私とは、人間とは何なのか。戦争とは何なのか。二重三重のまやかしの国にっぽんとは、いったい何なのか。

とにかく心にずしりと響く書である。


コピペ元?.


ブック朝日com
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015120600011.html?guid=on

1★9★3★7(イクミナ) [著]辺見庸
著者:辺見 庸  出版社:金曜日 価格:¥ 2,484
[評者]市田隆(本社編集委員)  [掲載]2015年12月06日

■おまえなら殺さなかったのか
? 書名の由来は日中戦争に突入した「1937年」。同年12月に南京大虐殺が起きた。
 「おまえなら果たして殺さなかったのか」。著者は、日本兵による殺害、略奪、強姦(ごうかん)があった戦時に立ち返り、自らにその問いを突きつける。それが戦争と日本人を掘り下げる本書の出発点となった。

 そこに立ち塞がるのは、著者を苦しめる事実の数々だ。
 中国で従軍した作家武田泰淳の小説「審判」には、兵士らが上官の気まぐれな命令で、罪ない中国の農民2人を一斉射撃で殺す場面がある。泰淳の「従軍手帖(てちょう)」に?はこの場面と重なる記述があるという。また、兵士らの証言記録には、強姦しながら戦友に手を振る男たち、しばられた中国人を刺し殺す訓練の光景も。著者は、正気を保つことに「自信がない」ともらす。
?絶望に満ちた事実に正面から向き合った文章を読むのはつらいが、目が離せなくなる。読者にも過去の出来事を自らの問題としてとらえさせる力があるのだ。
 さらに、この思索は、中国で将校として従軍した、今は亡き実父の残影を見極めようとする試みに及ぶ。
 戦後に地方紙記者になった父が書いた従軍記。その中に中国人を拷問する部下に中止を命じた記述があり、偽善の臭いをかぎとった。「(拷問は)あなたの指揮下で生じたことではないか」。ひとつの行為の責任さえ曖昧(あいまい)にする父の姿。しかし、同じ状況下だったら、自分も「大差なかったのではないか」。
?著者は苦悩の末、どんなに残酷な行為に対しても「これが戦争というものだ」「戦争が人間性をゆがめた」とする責任転嫁に満足し、無責任体質が蔓延(まんえん)した戦後日本の問題性を提示していく。責任を曖昧にすることを許さない「戦争考」には、重すぎるほどの説得力がある。この歴史を繰り返さないためにも、本書を読み、改めてまわりを見渡すことが必要に思えた。(評・市田隆=本社編集委員)
    ◇
 金曜日・2484円/へんみ・よう 44年生まれ。作家。78年、中国報道で日本新聞協会賞。『自動起床装置』で芥川賞。




コピペ元?
投稿者ゆ〜ば   2015年10月26日
形式: 単行本Amazonで購入

 一種の霊気を含んだこの作品は、雑誌に連載中から私の周囲で話題になる問題作であった。その作品が1冊の書物になって私の手元に届いた。
? 今、改めて書物を胸に抱えてみる。この書物の中にはいかほどの血の海と屈辱と苦痛の海が横たわっているのだろう。筆者辺見庸が強いこだわりをもって1937年という時を題材に選んで執筆を開始したとき、この国では、「1★9★3★7」の史実を人々の記憶から消し去ろうと目論む政権が、過去を現在と未来に直結するべく、憲法も国民主権も次々足下に踏みつけているさなかであった。
彼らが狼藉の限りを尽くしているとき、筆者は心身のすべての力を注いで、この国が永久に決別できないであろう深い沼のような闇と真正面から向き合っていた。驚くべき集中力と洞察力、緻密で冷静な筆致、克明な描写力で黙々と抵抗し続けていたのだ。
この作品は単に史実を読者の眼前にさらし、私たちのごく身近にいた男たちが戦場で犯し続けた罪を暴くことだけが目的ではない。筆者はその罪の場に自身をも置く。読者も誘われるようにその場に立つ。
力なき人々を殺すとき強姦するとき、読者自身の内奥に潜む残虐性とその裏の奇妙な愉悦感とが恥となって読者自身を苛む。私とは、人間とは何なのか。戦争とは何なのか。二重三重のまやかしの国にっぽんとは、いったい何なのか。「征くみな」は、今や私の目前に迫っている。




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