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欠陥コピペ王

108資料管理請負人:2015/03/31(火) 23:00:44
源氏の大将
.
         

◆何を勘違いしているのか、源氏の大将を名乗る。光源氏のつもりか。いや、平家を打ち
破った頼朝、勝ち組の大将を頭に描いたのだろう。光源氏は論外だが、武将たるもの、命
をかけて戦う、全うに戦う。火病患者のように汚い言葉を羅列して相手を陥れることは決
してしない。

◆平家落人氏の投稿はどれも故郷佐賀を懐かしみ、そして誇りに思う内容だ。そして佐高
11期を心から尊敬している人物ではないか。
彼の2010年8月25朝の投稿に対し当日夜に源氏の大将は唾を吐いた。
その後、平家落人は二度と万華鏡には現れなくなった。

◆同様にしてどれほどの数の、万華鏡に参加してみよう、書き込みをしてみよう思う善良
 な人間たちの心を打ち砕いてきたのだろう。同期の中にもたくさんいるはずだ。
他方、β仲間の侵入には一切口を挟まないのだ。

◆シニンの文章は負の印象ばかりだ。


二つの同人誌? 投稿者:平家落人(ひらいえ・おちひと) 投稿日:2010年 8月25日(水)08時51分2
ニユ-ロンカフェのHPで、同人α総務から「同人α24号」発刊を知らせていた。作品を創作した方、編集された方夫々大変な思いの上に同人誌が出来上がったと推察しますが、片やこの万華鏡でも同人α広報部が同じく「同人アルフア24号」を発刊したと知らせていた。
 いずれのHPをたまに覗かせて頂いている立場なのだが、ちょつと戸惑った次第。
どちらも同じ名前で一瞬おや、おや!何なんだと思ったが、お互いに独自の歩みを始めた現れなのだと理解した。
人が集うところ、主義・主張が分かれお互い相容れがたい世界なのですね。
そう言う小生も意見の相違に違和感を感じ、見る立場に徹した者なのですが。


  この素朴な疑問に対して、明らかに新同人よりとおもわれる「源氏の大将」を名乗
  る人物から投稿が入った。何と、自分達の正当性を主張し始めた。過剰反応としかい
  いようがない。尚、このペンネームは以前にも、その後にも登場していない。
   ↓

平家の落人さんへ 投稿者:源氏の大将 投稿日:2010年 8月25日(水)21時28分「平家の落人」とか「最低の男」とか負のニュアンスを感じるペンネームは好きでないので、かと言って「路傍の石」では堅い感じがするので、私は「源氏の大将」ということにします。
「平家の落人」さんとは、どこのページから落人になられたかは存知あげませんが、「違和感を感じ見る立場に徹した者ですが」と言われるわりには、色々と意見をお持ちの方みたいですね。
 アルファーが分裂したのは「主義主張が分れお互いに相容れがたい世界になった」というような大げさなものではありません。「楽しむ趣味の世界」に、義務や約束事を持ち込んだことや、「楽しむ掲示板」に非常識な展示を限度を超えて繰り返されたことによります。
この万華鏡も楽しむ掲示板にしたいものです。



<2010.8.25以前の平家落人氏の投稿>

花山院先生 投稿者:平家落人(ひらいえ・おちひと) 投稿日:2010年 8月11日(水)08時36分
このHPを時々拝見していますが、懐かしい先生のお名前と写真を見せて頂きました。
花山院先生には小生は授業で教えを乞うたことはありません。然し、同学年に付属中から来られた娘さんが居られましたし、又、貴族そのもののお名前を伺いもの凄い家系の方が居られるのだと感じていました。
 然し、先生は我々の在学中に春日大社の宮司となられ佐賀を離れられたと記憶しています。
 先生のお名前は花山院親忠と言うのでしようか、GOOGLEで検索したところその中の一項目「洋々閣-女将のご挨拶14」と言う記事があり、先生のことが詳しく述べられています。この外にも同家の歴史を語る記事が多数掲示されています。
  又、最近春日大社宮司に就任された名門県立奈良高校教師・花山院先生の記事もGOOGLEで紹介されていましたが、息子さんのようです。地理の教師・研究者として一生を捧げるつもりだつたので、宮司就任の依頼は晴天の霹靂だつたようです。
 今回後事を託された先代宮司も鍋島家の出で、佐賀ゆかりの方と知りました。
それにしても、小生が高校三年間ビリケツ三昧で過ごしていたあの母校は、凄い環境であり、そこに集つた人々はもの凄い人たちだつたのだと今更ながら感じた次第です。


老舗旅館「洋々閣」女将と花山院先生 投稿者:平家落人(ひらいえ・おちと) 投稿日:2010年 8月12日(木)18時23分
小生の高校時代の恩師であり、春日大社宮司になられた花山院先生についてGOOGLEを検索していて、唐津の「洋々閣」と言う老舗旅館のHPの中で、ここの女将が花山院先生に関する記事を掲載しているペ-ジを見つけた。そして女将の掲載記事のバツクナンバ-を拝見して、著名人の方々との広い交流を綴ったものや歴史考察などを述べた記事を興味深く拝見しました。
 小生、洋々閣についての知識も、又女将の知識も全く無かったのですが、郷里の歴史の新しい展開が開けてきました。
検索ツ-ルの面白い点は、次々と関連記事を検索して広がつていくこと、そしてどんどん大きく飛んでいく楽しさを実感しています。
たまたま花山院先生から検索した関連記事ですが、いちど洋々閣の女将の記事を覗いてみて下さい。

 洋々閣女将のご挨拶のバツク・ナンバ-14に春日大社宮司であられた故花山院先生の紹介記事が出ています。先生の後任で同じく藤原氏の子孫である葉室宮司、そして現在の花山院宮司のことも述べられています。
 膨大な女将の独り言は、豊富な知識と人柄から観察した唐津にまつわる様々な史実を掲載されていて、親しく拝見させて頂きました。
 中・高五年間の佐賀市内での学生生活では唐津には一度も行ったこともなく、やつと高校同窓会で一度訪れたものの、ただ行って帰っただけの旅でした。今は遠い唐津ですが、機会があれば、史跡をゆっくり訪ね、洋々閣を拝見する旅をしたいものです。
  平安貴族の末裔であられた故花山院先生の記事から、飛びに飛んで洋々閣の女将のHPを知ることになりました。この方がどんな姿・形の人なのか解りませんが記事を読み漁っていると、見識の深さに感心するばかりです。
ひとつひとつ読み漁る楽しみが増えました。
それにしても暇な時に訪ねる検索ペ-ジは面白いですね。


佐賀の奥深さ 投稿者:平家落人(ひらいえ・おちひと) 投稿日:2010年 8月13日(金)19時39分
花山院先生の記事から色々調べていく内に、たつた五年間(その前に、引揚後過ごした幼少の二年間もあつた)過ごしただけの佐賀でしたが、平安から維新に至るまでの永い期間の佐賀の歴史を今回少し知ることになりました。
大隈候や藩主竜造寺家、鍋島家などの話を祖父や両親から多少聞かされていたくらいで、佐賀に関しては殆ど歴史音痴でした。

 それにしても我が高校の先生や先輩、同級生たちに凄い人たちがいたこと、とりわけ密流さんのように花山院家と特別の縁を保ってこられた方や松浦党の子孫である洋々閣の女将さんのような見識高い方がいたことを今回のことで知りました。上海事変の空閑少佐の事件なども初めて知りました。未だに霊を慰められておられる関係者の方々、頭が下がります。
 今回、洋々閣の女将の記事の中に女将が肥前町に「にあんちゃん」の安本末子さんの事跡を訪ねる記事を拝見し、その記事からラジオにかじりついて聞いたあの時代を懐かしく思い出しました。
女将の友達が安本さんの同級生で、その方たちが肥前町の関係先を案内してくれたそうです。だから探訪の記事は、恩讐を超えた身近に迫るものを感じさせます。
貧しかったあの時代、在日で両親を亡くした兄弟に届かずともエ-ルを送って励ました三男坊の小学生が北九州八幡にいましたが、それが当時のおとなしい僕でした。
 彼女は日記「にあんちゃん」がベストセラ-になり、肥前町を離れその後東京の大学に進まれました。小生も大隈候の創立したその大学に進みましたが、その当時校内で「あつ!この女性は安本さんではないかな?」と度々スレ違つて感じた女子学生がいました。その当時の印象でも芯の強そうな感じの方でしたが、現在は苦難の過去を乗り越えて結婚されて小生と同じ県に居られることを知りました。
 「にあんちゃん」のフアンとして幸せな人生を送られることを心から願っています。
 花山院先生から始まり、様々なことに触れたここ数日でしたが、戦後第一回の入学だつた三回生の叔母にも聞いたところ戦後すぐのことで旧制中学・高女の方や軍隊帰りなど凄い人材の集う母校だつたそうです。
 今の若者には理解出来ないし、知らないだろうあの貧しい時代が何と心豊かだつたと思うこのごろです。そんな時代を生きてきた自分は幸せだと感じる次第です。
 故郷佐賀の地味ではあるものの芯の深い奥深さを痛感しました。その佐賀をこれから少しづつ学んでいきたいと心した次第です。

先輩のHPに侵入し気ままに書かせていただき失礼しました。




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