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alpha-archive-11 北 勲 斜光作品
1
:
teacup.運営
:2014/01/01(水) 19:06:54
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2
:
資料期管理請負人
:2014/03/03(月) 22:52:16
巻頭言 パイロット号
.
〔巻頭言〕 パイロット号 1995
この文集は、広く同窓生に開かれています。私たちの励まし、慰め、救いの場です。
一、同窓会は貴重な共同体です。近代社会は個人を生みました。私達もかつて学び働くた
めに村や町を後にしました。私達は独りになって自由を得ましたが、代償として孤独も得
ました。人は弱く、励まし・慰め・救いを求めてヘルプを叫びますが、得られず孤独なの
です。家族は助けてくれます。職場・仲間なども助けてくれましょう。私たちの同窓会も
幾つかのそれら共同体の一つとして位置づけられます。
一、この文集は、またこれからの超高齢化社会を生きるための、楽しみの場でもあります。
私たちはいずれ、老年期に入り、体力・気力の衰えを感じる事になります。しかし私たち
はあと十年、二十年、三十年を生きなければなりません。生きるとは、まず死ぬまで生き
ることです。それから、生きるとはいきいきと生きることです。過去の思い出にひたるの
もけっこうですが、これから迎える老年期を迎え討つ気概が必要なことを感じます。そう
することによって、私たちが遮二無二働いて高度経済成長社会に貢献したように、世界で
も未曾有のこれからのわが国の高齢化社会に貢献することにもなるでしょう。「斜光」は、
その意味で高齢を生き抜くための、励まし、慰め、救い、そして楽しみの場であるばかり
でなく、工夫、企みの場としても位置づけられます。
一、テーマは自由です。随想、評論、小説、紀行、日記、詩、書簡、論文、実録、感想、
エッセイ、なんでもかまいません。多くの方の投稿を歓迎します。今号は皆様方の中から
またたくさんの原稿が寄せられました。同窓生のあの人の姿があります。今を生きる人の
本音が語りかけてきます。どこを読んでも損はないことうけあいです。
誰か初老や老人の恋愛小説を書いてください。(まだあまり注目されていませんが、元
気な老人がこれから増えていけば、確固としたジャンルになると思います)。誰か我がヒ
ューマンドキュメントを綴ってください。誰か我が芸道とその極意を伝授して下さい。誰
か生きる信条、生きる哲学を語ってください。誰か世の中に正当に怒ってください。誰か
佐賀弁講座を開いてください。生きる意欲に満ちた、励まし、慰め、憩いとなる作品をみ
んなで期待します。 (金木犀)
3
:
資料期管理請負人
:2014/03/03(月) 22:53:32
巻頭言 創刊号/シャボン玉
.
〔巻頭言〕 創刊号/シャボン玉 1996
もうろくしたせいか、かげろうとしんきろうの区別がつかなくなった。幻のようなもの
であれば、時にかげろうと言い、時にしんきろうと言うてしまう。そのうちにシャボン玉
と虹との別も怪しくなった。野道を散歩していて、あ、シャボン玉だ、と言うたら、どこ
どこ、と六つの由菜は路傍から立ち上がった。指さすと、なあんだあれのことか、おじい
ちゃん、虹だよ虹。叫ぶように言ってけたたましく笑った。残り少ないのかなあ。家人は
心配しているようなのだ。
おじいちゃん、シャボン玉作ろう、とある日由菜が手を引いた。洗面所で石鹸をぬるま
湯に溶かす。庭へ出た。由菜がストローの先を石鹸水につける。頬を膨らませて吹いたが
液が滴るばかりだ。ストロー先に切込みを入れて広げた。上向きに労わるように吹くと今
度はむっくり現れた。やったあ。風にぷるぷると震え今にも壊れそうだ。筒先を発ち庭を
漂う。しかし柊に触れあっけなく散った。これがシャボン玉なのよ、おじいちゃん。孫は
さとすように私の顔を覗き込んで言った。なら、シャボン玉は人生に似ている。私はスト
ローを借り受け幾つも幾つも放った。
??その晩、宇宙へ深く潜り込んだ。この頃夢想しやすくなってもいるのだ。私自身シャボ
ン玉として浮いている。風船のような十ほどの束だ。愛情を込めて送りだした玉なので、
壊れないかはらはらだ。ほころびれば縫い合わせ、破れればトタンでも何でもあてがう。
円かならんことを願ってそのメンテナンスに奔走する。ほどなく丹精むなしく一つが微塵
となった。がっくりだ。この隙に別のが一つしぼんでしまう。生んでは壊れ生んでは消え、
いつの間にか年月が経ち、残るは一つだけとなった。楽しみはあらかた尽きたし、投げや
りな気持ちがなくはない。
その時である。私めがけて青い手裏剣が飛んできた。こちらはシャボン玉なのでひとた
まりもない。思わずのけぞる。すると両手に余るほど大きくなったところでそれは私から
反れて行く。これが圧倒的に美しい。まず漆黒の中に輝く青がいい。青の中の刷毛ではね
たような白い渦がまたいい。じつに秀麗だ。外は死だというのに、あの青い海に、白い雲
の下に生命は閉じ込められて爆発している。…百五十億年かけてやっとおまえはいるのだ。
有難い、稀なことではないか、この美しい地球に存在することは。…青は次第に小さくな
っていく。私は残ったシャボン玉が無性にいとしくなった。そのシャボン玉はぷるぷると
震えている。
4
:
資料期管理請負人
:2014/03/03(月) 22:55:51
巻頭言 2号/幼少の風景 佐賀
.
〔巻頭言〕 2号/幼少の風景 佐賀 1997
佐賀の生活は総じてつまらなかった。田圃のただ中にあり、山の懐深さも海の異変ぶり
もなかった。正月など、凧上げも飽きる年頃のこと、手持ちぶさたでぼんやりそんなこと
を考えたものだ。
しかし探せば出て来るものだ。夏の夜、勉強机の前には青い蚊がびっしり壁を埋めてい
た。裏の田圃では蛙の大合唱だ。夜更けともなると水を張った田の面を伝わって遠くから
やってくる音がある。コトコトン、コトコトン、…。貨物列車だ。客車の動かぬ夜中にこ
っそり動いているのだろう。今思うと夏の風物詩だった。
まだある。秋祭り。その日が待たれた。祭りには風流が出る。アイヨーヤッサイヤッサ
イ。青年が花笠を被り、女流の着物を着流し、鉦を叩いて練り歩く。華やかだったのだろ
う。心を奪われた。しかし、私の村三溝は祭りに当番を出さなかった。それを知ってひど
くがっかりしたものだ。
その祭りで、翁が道端で舞を舞っているのを見かけた。その出立ちは異様で、背中から
は筵が垂れ、またそこからは頭上高く背丈の倍ほどもの指物が立ち上がっていた。翁の舞
いがまたゆっくりゆっくりなのだ。見ているうちにこの翁が人間とは思えなくなってきた。
本当に神様なのかもしれない。子供心にじりじりと後じさりするほど不気味だった。
夏は堀へ泳ぎに行った。誰かが潜る。もう水と同じ緑色だ。すると、我々は「あっ、す
んで行く」と言った。いつの頃からか、とても美しい言葉だ、と感じるようになった。思
い当たってみると、それは「すんで行く」の「すむ」のところに「澄む」を感じていたか
らだった。方言は美しいのだ。
拍子木を打ち鳴らしながら、子供達だけで火の用心を村内に触れ回ることがあった。あ
る日、子供が集まりきるまでの暇潰しに、目の前の平屋のその造作の名前を上から順に挙
げていった。あれは屋根、その下が壁、次が腰板。と、腰板の次にはもう家屋の言葉がな
いではないか。家と地面はつながっているのにと、不思議の感に打たれた。思うに言葉の
分節と言われるものの発見だった。
私は、我々を取り巻く大自然が好きだ。日本の神々が好きだ。言葉が好きだ。これは否
応なく幼い頃に芽生えたものだ。今自分探しが流行っている。今の自分を自分の古い層に
探しあてれば、人生がより深いものに見えてくる。
5
:
資料期管理請負人
:2014/03/03(月) 22:57:10
">〔巻頭言〕 3号/佐賀 佐嘉 讃
.
〔巻頭言〕 3号/佐賀 佐嘉 讃 1998
神野に生まれた者はそれだけで幸いである。佐嘉に生まれた者はそれだけで幸せである。
「こうの」と呼ぶ在は佐賀の北に位置する。私の育った頃の神野は佐賀のいわゆる「出
はずれ」で、市街から続いた商店がまばらになり、やがて一つもなくなるという地帯に展
開していた。住宅も街道、旧街道、また枝道沿いにあるぐらいで、これもやがてぽつんぽ
つんと点在するようになる。残る大地は何か。しべて水田である。所によっては「見渡す
限り」の水田の眺めがあった。
春、代かき前の田は一面のレンゲ畑である。子供達がそこに目をつけないはずはない。
花に埋もれて相撲をした、ドッヂボールをした。秋、稲刈りが済めば田は切り株こそある
もののいわば空き地である。男の子たちはそこで野球をした。ボールはフワボールであっ
た。
こうのは「神の野」と書く。これが激しく夢想をかきたてるのだ。神野はもしかして神
代の時代野原で、神々の遊ばれた所ではないのか。子供たちが走り回って遊ぶように、神
々はここで戯れたのではないか。こう考えると、自分はとてつもない所に産まれたものだ
と、自然に胸を張っている。
佐嘉は誇らしい。奈良時代の『肥前風土記』記載、由緒ある土地柄だ。
??『昔昔、樟樹一株(くすのきひともと)、此の村に生(お)ひたりき。幹枝(もとえ)
秀(たか)く、茎葉繁茂(しげ)りて、朝日の影には、杵嶋の郡の蒲川山を蔽ひ、暮日(ゆ
ふひ)の影には、養父(やふ)の郡の草横山を蔽へりき。日本武尊巡(やまとたけるのみ
こと)巡り幸(いでま)しし時、樟の茂り栄えたるを覧(み)まして、勅(の)りたまい
しく、「此の国は栄の国と謂ううべし」とのりたまひき。因りて栄(さか)の郡といひき。
後に改めて佐嘉の郡と号(なづ)く』
佐賀生まれなのに博多生まれよと公言するのを聞いたことがある。博多は佐賀より格が
上であった。人によって違いはあろう。しかし転出者にとって「佐賀出身」と言うのは、
肩身が狭いものだった。佐賀は猫化け騒動や貧乏県だ。いや、薩長土肥の佐賀だよ、とや
りかすのがせいぜいだった。神野に生まれたこと、佐賀に生まれたことをこれからは誇り
にすることができる。
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