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alpha-archive-11 北 勲 斜光作品

5資料期管理請負人:2014/03/03(月) 22:57:10
">〔巻頭言〕 3号/佐賀 佐嘉 讃
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〔巻頭言〕 3号/佐賀 佐嘉 讃 1998



 神野に生まれた者はそれだけで幸いである。佐嘉に生まれた者はそれだけで幸せである。
 「こうの」と呼ぶ在は佐賀の北に位置する。私の育った頃の神野は佐賀のいわゆる「出
はずれ」で、市街から続いた商店がまばらになり、やがて一つもなくなるという地帯に展
開していた。住宅も街道、旧街道、また枝道沿いにあるぐらいで、これもやがてぽつんぽ
つんと点在するようになる。残る大地は何か。しべて水田である。所によっては「見渡す
限り」の水田の眺めがあった。
 春、代かき前の田は一面のレンゲ畑である。子供達がそこに目をつけないはずはない。
花に埋もれて相撲をした、ドッヂボールをした。秋、稲刈りが済めば田は切り株こそある
もののいわば空き地である。男の子たちはそこで野球をした。ボールはフワボールであっ
た。
 こうのは「神の野」と書く。これが激しく夢想をかきたてるのだ。神野はもしかして神
代の時代野原で、神々の遊ばれた所ではないのか。子供たちが走り回って遊ぶように、神
々はここで戯れたのではないか。こう考えると、自分はとてつもない所に産まれたものだ
と、自然に胸を張っている。

 佐嘉は誇らしい。奈良時代の『肥前風土記』記載、由緒ある土地柄だ。
??『昔昔、樟樹一株(くすのきひともと)、此の村に生(お)ひたりき。幹枝(もとえ)
秀(たか)く、茎葉繁茂(しげ)りて、朝日の影には、杵嶋の郡の蒲川山を蔽ひ、暮日(ゆ
ふひ)の影には、養父(やふ)の郡の草横山を蔽へりき。日本武尊巡(やまとたけるのみ
こと)巡り幸(いでま)しし時、樟の茂り栄えたるを覧(み)まして、勅(の)りたまい
しく、「此の国は栄の国と謂ううべし」とのりたまひき。因りて栄(さか)の郡といひき。
後に改めて佐嘉の郡と号(なづ)く』
 佐賀生まれなのに博多生まれよと公言するのを聞いたことがある。博多は佐賀より格が
上であった。人によって違いはあろう。しかし転出者にとって「佐賀出身」と言うのは、
肩身が狭いものだった。佐賀は猫化け騒動や貧乏県だ。いや、薩長土肥の佐賀だよ、とや
りかすのがせいぜいだった。神野に生まれたこと、佐賀に生まれたことをこれからは誇り
にすることができる。


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