[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
alpha-archive-11 北 勲 斜光作品
4
:
資料期管理請負人
:2014/03/03(月) 22:55:51
巻頭言 2号/幼少の風景 佐賀
.
〔巻頭言〕 2号/幼少の風景 佐賀 1997
佐賀の生活は総じてつまらなかった。田圃のただ中にあり、山の懐深さも海の異変ぶり
もなかった。正月など、凧上げも飽きる年頃のこと、手持ちぶさたでぼんやりそんなこと
を考えたものだ。
しかし探せば出て来るものだ。夏の夜、勉強机の前には青い蚊がびっしり壁を埋めてい
た。裏の田圃では蛙の大合唱だ。夜更けともなると水を張った田の面を伝わって遠くから
やってくる音がある。コトコトン、コトコトン、…。貨物列車だ。客車の動かぬ夜中にこ
っそり動いているのだろう。今思うと夏の風物詩だった。
まだある。秋祭り。その日が待たれた。祭りには風流が出る。アイヨーヤッサイヤッサ
イ。青年が花笠を被り、女流の着物を着流し、鉦を叩いて練り歩く。華やかだったのだろ
う。心を奪われた。しかし、私の村三溝は祭りに当番を出さなかった。それを知ってひど
くがっかりしたものだ。
その祭りで、翁が道端で舞を舞っているのを見かけた。その出立ちは異様で、背中から
は筵が垂れ、またそこからは頭上高く背丈の倍ほどもの指物が立ち上がっていた。翁の舞
いがまたゆっくりゆっくりなのだ。見ているうちにこの翁が人間とは思えなくなってきた。
本当に神様なのかもしれない。子供心にじりじりと後じさりするほど不気味だった。
夏は堀へ泳ぎに行った。誰かが潜る。もう水と同じ緑色だ。すると、我々は「あっ、す
んで行く」と言った。いつの頃からか、とても美しい言葉だ、と感じるようになった。思
い当たってみると、それは「すんで行く」の「すむ」のところに「澄む」を感じていたか
らだった。方言は美しいのだ。
拍子木を打ち鳴らしながら、子供達だけで火の用心を村内に触れ回ることがあった。あ
る日、子供が集まりきるまでの暇潰しに、目の前の平屋のその造作の名前を上から順に挙
げていった。あれは屋根、その下が壁、次が腰板。と、腰板の次にはもう家屋の言葉がな
いではないか。家と地面はつながっているのにと、不思議の感に打たれた。思うに言葉の
分節と言われるものの発見だった。
私は、我々を取り巻く大自然が好きだ。日本の神々が好きだ。言葉が好きだ。これは否
応なく幼い頃に芽生えたものだ。今自分探しが流行っている。今の自分を自分の古い層に
探しあてれば、人生がより深いものに見えてくる。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板