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Japanese Medieval History and Literature

1釈由美子が好き:2007/06/03(日) 21:01:22
快挙♪ 3
 本日の歴史学研究会総会・大会2日目、日本史史料研究会さんのお店、中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1)が、なんと! なんと!!

  41冊!!!

 売れたと云々!!
 すげェ!! としか言いようがない。

 2日で、71冊。
 快進撃である。

4590鈴木小太郎:2016/05/11(水) 16:09:21
「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その1)
石川健治氏が藤林益三の<追加反対意見の前半は、内村鑑三が創始した無教会主義のキリスト者・矢内原忠雄の文章を、ほぼ一字一句「写経」することで成立している>と書いていたので、判決文でそんなことをしていいのかな、と思って「近代日本における宗教と民主主義」(『矢内原忠雄全集』第18巻、岩波書店、1964)を読んでみました。
同書巻末の「編集後記」によれば、

-------
三、『近代日本における宗教と民主主義』─本論文は日本太平洋問題調査会編『日本社会の基本問題』(一九四九<昭和二十四>年四月十五日、世界評論社刊)に収められたものである。同会副理事長大内兵衛氏の「序」によると、同書は、戦後新たに発足した日本太平洋問題調査会の最初の論文集で、「そのうち一部はすでに英語に翻訳され、小冊子の形をもつてI・P・R〔Institute of Pacific Relations〕の各国加盟団体をはじめ海外の調査機関、大学等に送られ」、「戦後における日本人の最初の直接の声として研究者および識者の高い評価」を受けた。本論文もその一つであって、同書発行に先立って、英語版が"Religion and Democracy in Modern Japan"の題下に"Pacific Studies Series"の一冊として一九四八年五月二十五日に国際出版株式会社から発行された。
 なお、同書の寄稿者は著者のほか、大内兵衛(「戦後における日本財政金融の民主化」)、羽仁説子(「日本の家族制度─日本の女性から見た─」)、宮本百合子(「今日の日本の文化問題」)、羽仁五郎(「日本人民の歴史」)の諸氏であった。
-------

とのことですが(p747)、大内兵衛(1888-1980)は東大経済学部での矢内原の同僚で労農派の経済学者、羽仁説子(1903-87)は教育評論家で五郎(旧姓森)の妻、宮本百合子(1899-1951)はプロレタリア作家で宮本顕治(1908-2007)の妻、羽仁五郎(1901-83)は当掲示板でも何度か取り上げた著名な左翼の歴史学者で、全体的にマルクス主義者の割合が高い、というか矢内原を除く残りは程度の差はあれみんなその系統ですね。
なお、日本太平洋問題調査会の当時の理事長は高野岩三郎で、大内・矢内原とも縁の深い人ですね。

太平洋問題調査会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E5%95%8F%E9%A1%8C%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BC%9A

さて、「近代日本における宗教と民主主義」の構成は、

? 国家と宗教
? 近代日本における国家と宗教の問題
? 宗教の民主主義化
? 宗教による民主主義化

となっていて、全体で35ページあります。
そして?と?が「裁判官藤林益三の追加反対意見」に大幅に引用されていますね。
ただし、その引用の仕方は石川氏の言う<ほぼ一字一句「写経」する>といった具合でもないですね。

>筆綾丸さん
『矢内原忠雄全集』18巻を図書館から借りてきて読み始めたところなので、ちょっとレスが遅れます。
すみませぬ。

4591鈴木小太郎:2016/05/11(水) 16:55:40
「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その2)
それでは「? 国家と宗教」の冒頭を見てみます。(p357)

-------
 1

 国家と宗教の分離は近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀に亙る政治的及び学問的闘争の結果かち得たる寛容の精神の結晶である。この原則は次の二つの主要点を含むものである。
(一) 国家はいかなる宗教に対しても特別の財政的もしくは制度的援助を与へず、または特別の制限を加へない。すなはち国家はすべての宗教に対して同一にして中立的なる態度を取るべきである。
(二) 国家は国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて何らの干渉を加ふべきでない。信教は各個人の自由に放任すべきであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。
------

これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、藤林は、

------
 信教の自由は、近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀にわたる政治的及び学問的闘争の結果、かちえた寛容の精神の結晶である。政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つているが、次の2つの主要点を含む。
(一) 国家は、いかなる宗教に対しても、特別の財政的もしくは制度的援助を与えず、又は特別の制限を加えない。すなわち国家は、すべての宗教に対して、同一にして中立的な態度をとるべきである。
(二) 国家は、国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて、何らの干渉を加えるべきではない。信教は、各個人の自由に放任されるべきものであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

としていて、藤林は主語を「国家と宗教の分離」から「信教の自由」に変え、更に「政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つている」を加えていますね。
「一字一句」とは言い難い変更ですが、検討は後回しにして続きを見ると、矢内原は、

------
 かくして国家の特定宗教への結びつきは原則的に否定せられ、国民の信教の自由は原則的に確立せられ、国家は世俗化せられたのであるが、併しながらこれによつて国家と宗教の問題が全く消滅したのではない。何となればすべての国家はその存立の精神的又は観念的基礎を有ち、特定の思想の宣伝ならびに教育を重要国策の一つとして数へる。多くの基督教国が今なほ国立教会の制度をもつて居る。ソ連にとりてのマルクス主義、或ひは米国にとりてのデモクラシーは、いづれも国家公認の宗教教義に近いものではなからうか。国家は決して国民の思想に対して無関心な中立的態度をもつことは出来ず、またもつべきではない。宗教も人類の観念形態〔イデオロギー〕の一つである限り、国家は信教自由の原則を認めると同時に、国家自身が宗教に対して無関心無感覚であつてはならない。信教自由の原則は国家の宗教に対する冷淡の標識ではなく、却つて宗教尊重の結果でなければならない。
-------

としていますが、藤林は「特定の思想の宣伝ならびに教育を重要国策の一つとして数へる」以下、「国家は決して国民の思想に対して無関心な中立的態度をもつことは出来ず、またもつべきではない」までをすっぱり削った上で、矢内原の「宗教も人類の観念形態〔イデオロギー〕の一つである限り」を「宗教もまた人類の精神の所産であるから」に変更しています。
矢内原がわざわざ「イデオロギー」とルビを振っている「観念形態」を「精神」としてしまうことも、「一字一句」で済ませるのはどうかな、という感じはします。

4592鈴木小太郎:2016/05/11(水) 17:24:09
「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その3)
さて、続きを矢内原は次のように書いているのですが(p358)、藤林は段落ごと丸々削除していますね。

-------
 国家権力の起源を宗教的に説明することは、古来しばしば行はれて来たところである。あらゆる権威は神によりて立てられたるものであるから、すべての人、上にある権威に従ふべしとは、使徒パウロの教である。然るに地上の事物はすべてサタンによりて侵されやすきものであり、国家権力といへどもその例外を為すものではない。ヨハネ黙示録では、ロマ帝国は「獣」になぞらへられ、その権力は明白にサタン的なるものとして描写せられてゐる。ロマ皇帝は自己を神格化し、自己を祀る神殿を建てさせ、自己を現人神として礼拝することを国民に強要した。而して正にその事の故に、ヨハネ黙示録の記者はロマ皇帝の権力をサタンより出でたるものと称したのである。
-------

まあ、「使徒パウロの教」やサタンがどうしたこうしたという部分は、信仰面では重要であっても、さすがに判決文には引用しづらい感じはしますね。
続けます。

-------
 国家は真理に基かねばならず、真理を擁護せねばならない。併しながら何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また人民でもない。いかに民主主義の時代にありても、人民の投票による多数決を以て真理が決定せられるとは、誰も考へないであらう。真理を決定するものは真理それ自体であり、それは歴史を通して、即ち人類の長き経験を通して証明せられる。真理は自証性をもつ。併し自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。
-------

これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、ちょっとイライラするくらい細かい変更が多いのですが、ま、それはともかくとして、

-------
宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

は矢内原の方には対応する文章が全くなく、藤林の独自見解のようですね。
まあ、独自見解を述べること自体は結構ですが、矢内原を大幅に引用しているにもかかわらず、それと区別できない形で自分の見解を忍び込ませるという手法はかなり問題がありそうです。
さて、矢内原は更に次の文章を加えて「? 国家と宗教」を締めくくるのですが、藤林は全部削除していますね。

-------
 日本は過去においてすぐれた宗教家と道徳教師をもつた。中にも第十三世紀に現はれた一仏僧日蓮は国家と宗教との関係について、国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆するのであり、国家が維持せられることによりて宗教が顕れるのでなきことを痛論した。彼の言にはイスラエルの預言者的な響があつた。併しながら日本が信教自由の原則を学び始めたのは、遥か後代のことであつたのである。
-------

まあ、日蓮にならって「国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆する」と主張してしまったら、政教分離原則と正面からぶつかりますから、この部分はちょっと引用できないでしょうね。

4593鈴木小太郎:2016/05/12(木) 11:08:44
「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その4)
ということで、「? 国家と宗教」に関しては、石川健治氏の<ほぼ一字一句「写経」>との紹介と異なり、藤林は矢内原の文章にけっこう好き勝手な修正を加えているばかりか、矢内原が全く書いていない独自の文章を付け加えていますね。
さて、「裁判官藤林益三の追加反対意見」の「二 宗教の民主主義化」を見てみると、これは四節に分かれた矢内原の「? 宗教の民主主義化」の第二節(p375以下)に対応しています。
冒頭、矢内原は、

------
 国家神道若しくは神社神道に関する連合軍最高司令部の覚書は三つの重要なる点を含んでゐる。
 第一は、神社を宗教と認めたことである。これが日本国民の国民的感情に完全に合致するや否やは若干疑問の余地がないではない。神社は宗教としての思想的体系としては貧弱であり、むしろ素朴なる民族的生活感情の表現たる点が多いからである。併しながら神社の行事ならびに神官の行為には宗教的行事と認められるものがあり、殊に近年の神社参拝の強要政策に鑑み、これを宗教とする事は、宗教とせざる事よりも事実に近いであらう。
------

と書いていますが、藤林は、

------
 国家神道又は神社神道に関する連合国最高司令官総司令部からのいわゆる神道指令は、3つの重要な点を含んでいる。そして、これが憲法20条の基礎をなしているのである。
(一) 神社を宗教と認めたことである。これが日本国民の国民的感情に完全に合致するや否やは、若干疑問の余地がないではない。神社は、宗教として思想的体系が貧弱であり、むしろ素朴な民族的生活感情の表現たる点が多いからである。しかし、神社の行事並びに神職の行為には、宗教的行事と認められるものがあり、これが本件の問題である。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

としていて、矢内原の「国家神道若しくは神社神道」を「国家神道又は神社神道」に変更し、また「連合軍最高司令部の覚書」を「連合国最高司令官総司令部からのいわゆる神道指令」に変更し、矢内原が書いていない「そして、これが憲法20条の基礎をなしているのである」を追加していますね。
また、矢内原の「殊に近年の神社参拝の強要政策に鑑み、これを宗教とする事は、宗教とせざる事よりも事実に近いであらう」は削除し、代わりに「これが本件の問題である」を加えています。
更にその少し後、矢内原は、

------
 第三に、かく国家より分離せられたる神社を宗教として信仰することは、国民の自由であると為された。これは信教自由の原則上、神社神道の信奉者にも他の宗教と同様なる地位を認められたのであり、連合軍最高司令部の指令が神社を廃止する趣旨でなきことを明らかにしたのである。但し神社神道は軍国主義的乃至過激なる国家主義的イデオロギーのいかなる宣伝弘布をも禁ぜられたが、これはひとり神社神道に限らず、敗戦国たる日本のすべての言論、すべての思想に対して課せられた至上命令であり、しかしてそれは正当なる命令と言はねばならない。思想および信教の自由と言つても、それが政治上の原則たる限り、与へられたる状況における政治上の必要に照して、決して形式的に無制限たるを得ないのである。
 前にも述べた通り、明治維新当初、政府は新日本を開くに当り、制度及び文化は西洋より輸入したが、精神的根柢としては日本古来の神ながらの道によることとし・・・
-------

と書いていますが(p376)、藤林は、

------
(三) このように国家より分離された神社を、宗教として信仰することは、国民の自由であるとされたことである。
 明治維新後、政府は、新日本を建設するに当たり、制度及び文化は西洋より輸入したが精神的根底としては日本古来の神ながらの道によることとし・・・
------

と大胆に圧縮していますね。
まあ、こんな具合に大胆な削除や細かい変更は多いのですが、藤林が引用している部分に限れば、「一字一句」とまでは言えないにしても、全体的には「パクリ」、失敬、「写経」に近いような利用の仕方になっていますね。

4594筆綾丸:2016/05/12(木) 14:36:22
丹波離れ80年、募る郷愁
小太郎さん
あまり腕の良くない中世装飾写本の修道僧のような藤林益三からは、死せる孔明生ける仲達を走らす、という故事を連想してしまいました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9E%97%E7%9B%8A%E4%B8%89
--------------
後に、彼は、「自らの法律家としての人生は、まさに、この判決のためにあったようなもの」と述懐しているほど、この判決の執筆に力を入れたと言われる。
--------------
とウィキにありますが、心血を注いだというわりには、なぜパスティーシュのような塩梅なのか。武蔵国の大法廷に飛び込んできた伊勢国の珍しい窮鳥(津地鎮祭訴訟)を奇貨として、やや敬意は欠きながらも、死せる(矢内原)忠雄へのオマージュを献呈してみた、というのが実相だったのではあるまいか。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/21.html
------------
裁判官の粒がそろわなければ、国民が迷惑するのです。また、現在の司法制度が被害者をないがしろにし、裁判結果の通知すらないのはいかがなものでしょう。
------------

4595鈴木小太郎:2016/05/12(木) 15:33:42
同一性保持権の問題
>筆綾丸さん
>心血を注いだというわりには、なぜパスティーシュのような塩梅なのか。

そうですね。
確かに「写経」というよりもパスティーシュに近い感じがします。
石川健治氏は、

------
 藤林長官は、ここで引用を止める。しかし、読ませたかったのはその先であろう。そのためにこそ、出典を明示しつつ、あえて他人の文章を「写経」する、という異例の手段を採ったのに相違ない。引用されなかった部分。そこに書かれていたのは、矢内原にとって宿命的な論点だった、植民地主義と軍国主義の論点である。
------

などと書いていますが、全く納得できません。
実際に「引用されなかった部分」を読んでみても、石川氏のような感想を抱く人は少ないのではないですかね。
また、「異例の手段」であることに加え、例えば筆綾丸さんが前回投稿で引用された部分、

------------------
国家の存立は、真理に基づかねばならず、真理は擁護せられなければならない。しかしながら、何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また国民でもない。いかに民主主義の時代にあつても、国民の投票による多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えないであろう。真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。真理は、自証性をもつ。しかし、自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは、歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。
------------------

など、全部が矢内原の文章の「写経」ではなく、「宗教に関しても」以下は藤林が勝手に追加していることが分かり、私もちょっとびっくりしました。
「裁判官藤林益三の追加反対意見」は憲法76条3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」の「良心」とは何か、という古典的な論点との関係で若干の議論があるはずですが、ごちゃまぜの引用は著作権法上の問題も孕んでいそうです。
著作権法32条1項で「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」引用は許容されますが、その際には出所の明示が必要です(48条1項1号)。
自分の著作物と他人の著作物を区別しないようなごちゃまぜの引用では出所が明示されているとは言い難いですね。
また、引用と出所の明示は著作財産権の問題ですが、もう一つ、著作者人格権の中の同一性保持権(20条)の問題が生じそうです。
矢内原忠雄(1893-1961)は津地鎮祭判決の16年前に死んでいて、一身専属権である同一性保持権は相続の対象とはなりませんが、著作者死亡後も「著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為」は禁止されていますから(60条。なお116条)、死んじゃったからよいのだ、という話ではありません。
なお、「裁判官の良心」という古典的な論点については、藤林も『法律家の知恵─法・信仰・自伝』(東京布井出版、1982)において、「裁判官と良心」という項目で津地鎮祭訴訟にも触れて縷々述べているので、後で紹介してみます。

>丹波発 ふるさとの君たちへ

ご紹介のサイト、「他の二人の姉は京都市に奉公に行き、結核で早く亡くなりました。姉のことを思うと泣けてきます」には実感が籠もっていますね。
矢内原は愛媛県の豊かな農村の大地主の家に生まれた人ですが、藤林は京都北部の寒村の貧しい家の出身で、出自はかけ離れています。
藤林は自分でも、篤志家の援助がなければせいぜい地方の村長程度で終わった人生だっただろう、と言っていますね。

4596筆綾丸:2016/05/13(金) 12:36:01
esoteric な立憲主義
小太郎さん
遅ればせながら、石川健治氏の寄稿を読んでみました。
----------
日本の立憲主義を支える結界において、憲法9条が重要なピースをなしてきた、という事実を見逃すべきではないのである。・・・こと戦後日本のそれに関する限り、文字通り抜き差しならないピースをなしているのであり、このピースを外すことで、立憲主義を支える構造物がガラガラと崩壊しないかどうかを、考えることが大切である。
----------
「9条 立憲主義のピース」という標題から、はじめ、ピースは peace のことかと思いましたが、piece のことだったのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/Piece_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
ベストセラー「Piece (漫画)」のテーマは「考えるな、感じろ!」とのことですが、石川氏のピースのテーマは「感じるな、考えろ!」ということですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9_(%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93)
コンビ名の英語表記は Peace と Piece のダブル・ミーニングとのことですが(英語表記にして渡米するつもり?)、石川氏の「9条 立憲主義のピース」という標題は、お笑いコンビよろしく、Peace と Piece の double meaning だ、という駄洒落かもしれないですね。

全文を読むと、藤林の追加反対意見への言及は矢内原忠雄を導くためのただのダシ、ということがよくわかりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E7%95%8C
-------------
結界(Siimaabandha)とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。
-------------
スィーマーバンダーの本義からすれば、石川氏の説く「憲法諸条文が織りなす公共空間という結界」は聖なる領域だから、立憲主義がゆくりなくも秘教じみてきて、幽霊屋敷に迷い込んだときのようなドキドキ感があります。石川氏のレトリックはいつも刺激的で良いですね。

4597鈴木小太郎:2016/05/13(金) 13:14:08
同じ最高裁判所長官とはいっても・・・。
>筆綾丸さん
>「9条 立憲主義のピース又吉」

石川氏は平和でない方のピースという言葉が結構好きらしくて、例の「7月クーデター説」の説明においても「二〇一四年七月一日、日本の防衛法制にとって最も枢要なピースが破壊され、ひとつのクーデターが起こったのである」などと言っていますね。

「日本の防衛法制にとって最も枢要なピース」─「窮極の旅」を読む(その32)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7990

>藤林の追加反対意見への言及は矢内原忠雄を導くためのただのダシ

そうですね。
藤林について調べ始めたら、ダシとしての品質にもいろいろ問題がありますね。
ウィキペディアを見ると、藤林は1970年7月に最高裁判事に就任、76年5月に長官となるも翌年8月に退官ですから長官在任は僅か1年3か月で、戦後18人いる最高裁長官の中でも最短です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9E%97%E7%9B%8A%E4%B8%89

国会図書館サイトで<著者:藤林益三>を検索すると39件ヒットしますが、最高裁判事就任前の著書を見ると、編著が『貸倒れ対策一問一答』(金融財政事情研究会、1967)、単著が『法律あ・ら・かると : 銀行員のケースによる実務への手引』(近代セールス社、1968)の合計二冊だけですね。
また、『松田判事在職四十年記念 会社と訴訟. 上』(有斐閣、1968)という論文集に「 第二会社について」という論文を寄せているほか、次のような若干の雑誌記事があります。

「私立学校退学処分の法律上の性質とその効力の判定(民事々件)-判例研究」
「会社更生法をめぐる諸問題(座談会)」
「地面師の話」
「貸倒れ対策一問一答」
「会社更生法15年の回顧と改正の問題点」

https://ndlopac.ndl.go.jp/F/IFQ18X3BB74ISNMAR845UQES44AM79ACIQM23ENGPN9VKP276E-16926?func=short-jump&jump=000001

「地面師の話」を始め、いずれも非常に格調高いタイトルの書籍・雑誌記事ばかりなので、正直言って、よくこれで最高裁判事、そして長官になれたな、という感じがしないでもありません。
退官後、再び弁護士に戻ってからの著書である『法律家の知恵─法・信仰・自伝』(東京布井出版、1982)を見ても、分量的には信仰に関する記述が相当ありますが、失礼ながら独創的な見解は特になく、カール・ヒルティの『幸福論』の引用など、キリスト教の通俗道徳的な側面に終始していますね。
不遜な言い方ですが、同じ最高裁判所長官とはいっても、田中耕太郎などとは教養の水準が全く違いますね。

「岩元禎と田中耕太郎」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8033
「鷗外の序文を代筆した男」(筆綾丸さん)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8035
「尾高朝雄と田中耕太郎」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8036

4598鈴木小太郎:2016/05/14(土) 09:43:53
「藤林裁判官は、"法律"のほかに"神"にも拘束されているのだろうか」
『法律家の知恵─法・信仰・自伝』には裁判官の良心の問題について、藤林の見解を率直に述べた部分があるので紹介しておきます。(p109以下)
この本は藤林が昭和56年(1981)5月に琉球大学で行った一週間の集中講義の記録だそうです。

------
良心があるから神にも拘束される

 ところで、皆さんに聞いて貰おうと思って、私が最高裁判所をやめてから出版された法学セミナーという雑誌の増刊を持って来ました。これは「最高裁判所」(昭和五二年一二月)という本ですが、これに歴代長官のプロフィールという四頁ずつの記事が出ていて、その中に私は「藤林益三─タカ派路線の総仕上げ」ということになっております。これは少し時間がかかりますが、読みますから聞いて欲しいのです。これが、私の言いたい一つの大事なことです。
 「このように藤林氏は、労働基本権や迅速な裁判を受ける権利などにかかわる裁判については、弁護士出身のわりには、保守的態度を堅持したが、津地鎮祭訴訟という宗教的テーマに対しては、異常とも思える情念を燃やして取り組んだ。」
異常とも思えたんだそうです。私は異常とは思わないのですが。
【中略】
この記者はよく私と会っています。読売かどこかの司法記者で、社会部の人です。
【中略】
「五十二年八月の退官時にも、神を語った」。これは国民審査のおりの信条という所に書いたとおりの文句です。全国の戸ごとに配られる公報に書きました。総選挙のときに、最高裁判所裁判官国民審査ということがあって、その際、公報という印刷物が配布されます。公報には信条というものを書くことになっています。そのおりに私はそれを書きました。ほかの方は簡単に書かれるが、私はちょっと厄介なことを書いたのです。「人が義とせられるのは、行為によらず、ただ信仰によるのであるが、義にして愛なる神とその子キリストを信じるからには、法律家としても、それにふさわしい者でありたいと思っている」ということを書きました。これを退官時にも話したのです。そこで、この記者はそれを引用して書いているのですが、「決して揶揄するわけではないが・・・」。揶揄とはむずかしい字です。ひやかすということです。ひやかすわけではないが、といってひやかしているのです。「藤林裁判官は、"法律"のほかに"神"にも拘束されているのだろうか」。
 先にも言ったように、憲法七六条三項には、裁判官は良心に従う、それから憲法と法律にのみ拘束されるとあります。そこで、神にも拘束されるのかと言うのです。もちろん神にも拘束されるというのが私の持論です。良心に従って、憲法と法律に拘束される。私の良心を形成しているものの中には、私の信仰も入っています。これは主観的良心ではないのです。これはもう私という人格を形成しておるのだから仕方ないのだ、というのが私の持論です。
-------

「読売かどこかの司法記者」に藤林の軽蔑の気持ちが込められていますが、これは滝鼻卓雄というプロ野球の世界ではそれなりに有名な人で、ウィキペディアによれば「株式会社読売新聞グループ本社相談役、株式会社読売巨人軍最高顧問、学校法人慶應義塾評議員」だそうですね。
記者としてよりも経営者・実業家として有能な人なのかもしれません。

滝鼻卓雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E9%BC%BB%E5%8D%93%E9%9B%84

4599鈴木小太郎:2016/05/14(土) 10:28:19
「結論が先で論理は後」(by 藤林益三)
裁判官の「良心」は古典的な論点ですが、最近の憲法の教科書を見ても、それほど議論が深まっているわけではないようですね。
少し前の部分で、藤林は「要するに、裁判というものは、人間というフィルターを通過するのです。濾過したり、漉したりするフィルターというとわかりましょう。人間というフィルターで濾過せられるのです。裁判をする裁判官を通過し、濾過されていって結論がでるのです」(p96)とした上で、裁判官の判断過程を迷路に譬えます。
そして、「論理をたどっていくと、東の方へ行ってしまう」場合でも、「裁判官の勘からいうと、つまり全人格的判断からいうと、東へ出ては困る。どうしても南に出たいのです。理屈だけを延長させていくと東へ出そうになる。けれども、南が正しいという結論になると、そこに山があっても道を造るのです。のこぎりを持ってきて竹藪を切り、シャベルで地下茎を掘りおこして、ここに道を造る作業をするわけです。そういうことをして南へ行く結論を出す。裁判官にはそういう作業があるのです」と述べます。
この部分、全体の小見出しが「結論が先で論理は後」となっていて、これが藤林の主張の要約になっていますね。
ま、あまり理論的な説明ではありませんが、ひとつの考え方としては理解できます。
ただ、これは「裁判官藤林益三の追加反対意見」があまり論理的ではないことの説明にもなっていそうですね。

さて、前の投稿で紹介した部分の続きです。(p111以下)

------
 「神道式の地鎮祭は習俗行事か宗教活動かと争われた津地鎮祭訴訟で、他の四判事とともに反対意見を述べただけでなく、一七ページにわたる追加反対意見を書き込んだ。多数意見は『憲法二〇条三項の"宗教活動"とは、その目的が宗教的意義をもち、効果が宗教に対する援助、助長、促進、圧迫、干渉になる場合である』と、政教分離原則について不完全分離説をとり、神式地鎮祭を"世俗的なもの"と津市長側に軍配を上げた。これに対し、藤林氏は『国家と宗教が結べば、宗教の自由は侵害される』『少数者の宗教や良心は多数決をもって侵犯できない』『(地鎮祭を)宗教的なものといわないで、何を宗教的というべきであろうか』などと、怒りの調子で、追加反対意見を開陳している」。「この追加反対意見は、五月の憲法記念日の前後、他の判事が恒例の地方視察旅行に出かけている留守に書いたらしい。"原案"はもっと激しい調子でいまの神道を批判している、と伝わっている」。
 そんなことはありません。あまり長くなったから削っただけです。そういうことまで、新聞記者はどうして知っているのでしょう。私一人が長々と書いておったのでは困りますから、少し縮めたことはあります。多数意見のページ数と五人の少数意見のページ数と私一人のページ数とが均衡しているつもりです。三分の一くらいになっております。憲法記念日の後に、最高裁判所の裁判官が出張する、というのはいまもやっていることです。長官だけは留守番をします。既にこのことは申しました。そういうことだから、その間に書いただろうというのです。確かに時間があるから書いたことは書きましたが、私は前から書いて準備していたのです。半年ほど前から書いて準備をしていたのですが、それをまとめたり、削ったりすることは留守番中にやりました。
------

この説明で、「裁判官藤林益三の追加反対意見」に矢内原忠雄の文章が「写経」されているのは決して時間がなかったからではないことが分かりましたが、そうすると「半年ほど前から書いて準備をしていた」にもかかわらず、なぜ「写経」で済ませたのか、なぜ自分の言葉で語らなかったのか、という疑問はむしろ深まってきます。

4600筆綾丸:2016/05/14(土) 12:36:56
西洋の神と日本の神
小太郎さん
総理、東大総長と並び、日本国の公務員として最高の俸給を支給されているのに、多忙かどうかはさておき、半年間も心血を注いであの程度のパスティーシュしか書けなかったのか、というのは凄いことですね。
まあ、あいつなら、可もなく不可もなし、というくらいの軽い気持ちで長官に指名した三木内閣もちょっとビックリしたでしょうね。
藤林の追加反対意見は、西洋の神を奉ずる最高裁長官が日本古来の神を奉ずる一市長を高所から諄々と諭したつもりの、良くいえば間狂言、悪く言えば茶番劇、くらいの意味しかないのではあるまいか。
長官が拠って立つ無教会主義キリスト教も、元を辿れば、所詮は中世のドイツ人マルティン・ルターにしか行き着かないのに、なぜああも熱狂的になれるのか、不思議な心性ではあります。甚だ格調の低そうな「地面師の話」と、信仰面において、どう折り合いをつけているのか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%96%B0%E4%B8%80
岡田新一設計の威圧的な最高裁判所はどのように建てられたのか、と興味を惹かれました。藤林が憲法違反とした起工式はあったのではないか。あったとすれば、いわゆる瑕疵の治癒ということか。この建物がいまだに健在なのは、ひとえに神道的な起工式の賜なのではあるまいか。起工式なかりせば夙に土崩瓦解していたやもしれぬ、と考えるは思考の訓練くらいにはなります。

付記
・最高裁庁舎新営審議会発足(1965年)
・岡田新一設計事務所設立(1969年)
・藤林の最高裁判事の任期(1970年7月31日-1976年5月25日)
・最高裁新庁舎竣工(1974年3月)
・藤林の裁判長の任期(1976年5月25日-1977年8月25日)
・津地鎮訴訟の最高裁判決(1977年7月13日)
最高裁新庁舎起工式の時期は不明ですが、判事の任期からすると、起工式に立ち会っていたかどうかはともかく、どのような起工式であったのか、ということくらいは知っていた可能性がありますね。

4601鈴木小太郎:2016/05/15(日) 10:25:14
「陽気でおしゃべりで気さくな長官」
>筆綾丸さん
最高裁判所裁判官、そして長官を決めるのはもちろん内閣ですが、実際には最高裁の判断を尊重していて、特に長官の場合は前任の長官の意向が大きく働くようですね。
私は今まで藤林益三に何の興味も持っていなかったのですが、著作リストを見て、何でこの程度の著書・論文しかない人が長官になれたのか本当に不思議に思い、大急ぎでいくつか参考になりそうなものを読んでみました。
その中のひとつ、毎日新聞の司法記者だった山本祐司氏(1936生)の『最高裁物語(下巻)』(日本評論社、1994)の「第16章 陽気な長官」には次のような記述があります。(p173以下)

-------
ショートリリーフ─藤林益三

 変わった風が吹いた。ロッキードの影はますます濃くなり、深刻さを増しているが、国会近くの最高裁では明るい笑い声がはずんだ、陽気でおしゃべりで気さくな長官が誕生したのだ、昭和五十一年五月二五日夕、皇居での親任式を終えたばかりの藤林益三は初の記者会見にのぞんだが、終始にこやかで脱線しがちなそのデビューぶりは、厳粛で言葉少ないこれまでの長官のそれとは大分様子が変わっていた。
 「愛ですよ」と藤林は言った。「愛といっても恋愛じゃないよ。だいたい日本語には愛という言葉が少ない。ギリシャ語には四通りもあるのに。エロスの愛ではなく、アガペー。つまり汝の敵を愛する"愛"じゃがな」
 藤林は気持ちよさそうだが、この時期に藤林をワン・ポイントのショートリリーフに選んだところに最高裁のしたたかさがある。初の弁護士出身の長官で、しかも任期が一年三ヵ月しかないが、そのあとには検察出身の岡原昌男が予定(任期一年七ヵ月)されているところをみると、保守の基盤が揺るぎもしないほど固まって、石田、村上色に染め上げられた最高裁に新風を吹きこんで組織を活性化しようとする意図がうかがえる。
 村上の強い推薦によるものだが、藤林は六年前の石田時代に最高裁判事になっており、壮烈なリベラル派対保守派の戦いを体験して、その時は石田、村上の保守派に属しその後も一貫して変わることがない。
-------

石田和外(1903-79)は徹底した青法協退治で有名な名物長官で、共産党関係者からは今でも蛇蝎のように嫌われている人ですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%A4%96_(%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98)

村上朝一(1906-87)は性格的には石田より温厚な人だったようですが、石田時代の厳しい対立の名残があったので、「陽気でおしゃべりで気さくな」藤林の登場が歓迎された、という事情のようですね。
藤林が関与した事件について若干の紹介をした後、山本記者は次のように続けます。

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「長官になったら大根づくりはできないな」と記者会見の続く藤林は、眼鏡越しに柔和な笑顔をみせた。
「いままでの裁判官公舎ではガラスやガレキの空地があったので、それを開墾して大根なんか食い切れないほどできて、裁判所に持っていって配ったんじゃ。長官公舎には立派な日本庭園もあるが、クワを入れたら叱られるだろうし、それに警護付きじゃ、日曜ごとに主宰している聖書の集まりもできなくなるかな。ま、定年まで一年三ヵ月の辛抱じゃから」─座談のうまさと飾らない人柄は最高裁内部では定評になっている。
─藤林は明治四〇年、京都府の生まれ、"素性もよくわからん山猿"と自ら笑うが、父に三歳で死別、郷里の篤志家の援助で三高─東大を出て弁護士生活。夫人は明治の文豪、巌谷小波の末娘。育ちのよさが、そのまま明るさにつながったような魅力に富んだ人で、クリスチャンの藤林とは似合いのカップルといわれた。藤林は協和銀行、日本興業銀行などの法律顧問をつとめる一方、破産法の権威で、倒産会社の会社更生の達人という評判が高かった。昭和三八年からは東京地方労働委員会の公益委員もつとめたが、藤林の庶民的な肌ざわりは四〇年にも及ぶ在野生活が培ったものといえる。
------

藤林の文章は、率直に言ってあまり高度な知性を感じさせず、ここしばらくエマニュエル・トッドの著作をまとめて読んでいた私にとっては通読するのも若干の苦痛を感じるほどでしたが、「ショートリリーフ」とはいえ最高裁長官にまでなった人ですから、もちろん非常に頭は良い訳ですね。
しかし、その頭の良さは極めて実務的な頭の良さで、藤林の文章だけを読んでいても感じ取れない種類のものですね。

>あったとすれば、いわゆる瑕疵の治癒ということか。

津地鎮祭訴訟の場合、地方自治法第242条の2に基づく住民訴訟という特別な制度があるので、市長の出費についての違法性・違憲性を争うことができたのですが、国の行為にはそういう手段がありませんから、問題のある行為があっても誰も争えず、結果的に放置されることになりますね。
これは「瑕疵の治癒」とは違います。

総務省「住民監査請求・住民訴訟制度について」
http://www.soumu.go.jp/main_content/000071219.pdf#search='%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%87%AA%E6%B2%BB%E6%B3%95%E7%AC%AC242%E6%9D%A1%E3%81%AE2'

ちなみに「裁判官藤林益三の追加反対意見」も、実際に矢内原忠雄の文章と読み比べてみたら著作権法上問題があるのは明らかですが、これも矢内原忠雄の遺族が同一性保持権の問題を争うかといったらそんなことは実際上なく、また、他の人は争う法的手段がないので、事実上放置されることになります。
問題の性質は異なりますが、結果的にちょっと似た状況ですね。

4602キラーカーン:2016/05/15(日) 23:27:05
最高裁長官等々
鈴木小太郎さん
最高裁判所の実情を記したものとしては、政策研究大学院大学のオーラルヒストリーで矢口元最高裁長官のものが航海されているようです
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA70857294

実際は、三権分立の観点から、最高裁判所の人事については、最高裁の判断を優先させたのでしょう。
(一歩間違うと「行政の司法への介入」と言われるでしょうし、明治以来の「官治」の伝統もあるでしょうし。

>>親任式
内閣総理大臣と最高裁判所長官の二名だけは天皇陛下の任命です(憲法7条以外に規定されている「国事行為」)

筆綾丸さん
はじめまして

>>総理、東大総長と並び、日本国の公務員として最高の俸給を支給

京大総長も仲間に入れてあげてください

そういえば、当時、国立大学の学長の給与は
1 東大、京大総長
2 その他旧帝大
3 旧官立大学
4 新制国立大学
と明確にランク分けされていました
ただ、筑波大学だけは、東京教育大から改組された際に3→2へ昇格したようです

と、とりあえずの投稿まで。

4603筆綾丸:2016/05/16(月) 12:49:36
ゴリラの耳ー遺愛寺の鐘は枕を欹てて聽く
小太郎さん
そもそも瑕疵は存在しない、と考えればいいのですね。

ご引用の文に、
---------------
長官公舎には立派な日本庭園もあるが、クワを入れたら叱られるだろうし、それに警護付きじゃ、日曜ごとに主宰している聖書の集まりもできなくなるかな。
---------------
とありますが、「クワ」が津地鎮祭の「鍬入れの儀」とコレスポンドし、まるでヨハネの黙示録のようです。この文から、一判事としては公務員宿舎(或いは自宅)で聖書の集まりはできるが、長官として長官公舎での聖書の集まりには問題がある、と考えているらしいことがわかります。長官公舎であれ、公舎内の私生活で聖書を輪読するだけのことだから、別に構わないような気がします。憲法第20条に照らしても、何の問題もないはずです。あまり適切な例ではありませんが、公舎内の私生活で、人を集めて歌麿の肉筆浮世絵を鑑賞するのと同じことです。


キラーカーンさん
はじめまして。
東京帝大(1877年設立)と京都帝大(1897年設立)における大日本帝国の歴史的背景を考えると、東大総長と京大総長の給与水準が同じというのは、異論もあるのでしょうね。

http://www.shinchosha.co.jp/book/126591/
現在の京大総長山極寿一氏の『父という余分なもの―サルに探る文明の起源―』は購入したまま、未読でしたが、開いてみると、「? 直立歩行は舌から始まった」という項目があって、今西錦司のよくわからない禅的進化論「人間は立つべくして立った」よりも官能的な話ですね。証明不能のテーマではありますが。
この本と関係はないものの、耳を動かせないのは人類だけだ、と仄聞したことがあるのですが、ゴリラは耳を動かせるのかどうか・・・。

4604鈴木小太郎:2016/05/17(火) 10:48:51
「瑕疵の治癒」
>筆綾丸さん
「瑕疵」は民法の瑕疵担保責任などにも出てきますが、「瑕疵の治癒」となるとかなり特殊な法律用語になってしまい、前提として行政法上の「行政行為」という概念を理解する必要があります。
ウィキペディアでは原田尚彦『行政法要論』を参照して「行政行為」を「行政庁が、行政目的を実現するために法律によって認められた権能に基づいて、一方的に国民の権利義務その他の法律的地位を具体的に決定する行為」と定義していますが、地鎮祭訴訟で問題となった市長の出費などはそもそも「行政行為」ではなく、従って「瑕疵の治癒」の問題ともならないことになります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E8%A1%8C%E7%82%BA

ウィキペディアの説明はいささか古風ですが、新しい議論を紹介するとなかなか複雑になってしまうので、この程度でやむをえないのでしょうね。
「瑕疵の治癒」について詳しく知りたい場合、例えば藤田宙靖『行政法総論』(青林書院、2013)のp244あたりが参考になりますが、法律に慣れていない人には相当難解な話ですね。

>キラーカーンさん
こんにちは。

>矢口元最高裁長官のもの
ご紹介、ありがとうございます。

>>親任式
前回投稿では最初にうっかり「最高裁判所裁判官、そして長官を任命するのはもちろん内閣」と書いてしまい、あわてて「任命」を「決める」というやや曖昧な表現に訂正しました。

4605鈴木小太郎:2016/05/17(火) 13:22:12
「裁判官藤林益三の追加反対意見」の執筆時期
山本祐司氏の『最高裁物語(下巻)』には、最高裁判事の信仰について、次のような記述があります。(p203以下)

------
 この事件が最高裁にあがってきたのは、藤林が最高裁判事になって一年足らずのことだった。日本人にとっては過去の戦争もからんで、スッキリとは割り切れない難しい問題だったが、最高裁大法廷が結論を出すまでには六年もかかった。
 全裁判官の評議を開くたびに、議論が白熱してなかなか結論が出なかったのは、裁判官自身の世界観を問い詰めることにもなったからだ。その津地鎮祭事件が本格的審理の軌道に乗ったのは、藤林が判事から長官に進んで大法廷の裁判長になってからだ。「あの地鎮祭は私の在任中に決着をつけたい」と藤林はことあるごとに熱っぽく語った。
 最高裁きっての宗教家と自負する藤林にしてみれば、国家と宗教の原則が問われている大裁判は何としても自分の裁判長の間に解決せねばならぬ、という焦りもあった。
 昭和五二年七月一三日の判決は藤林の定年まで一ヵ月しかなかった。この裁判に関与した裁判官は藤林ら一五人のフルメンバーだったが、その宗教色を人事興信録でみると次のようになる。
 藤林益三(無教会キリスト教)、岡原昌男(浄土宗)、栗本一夫(浄土宗)、天野武一(真宗)、下田武三(真宗)、高辻正己(神道)、大塚喜一郎(日蓮宗)、岸盛一(仏教)、団藤重光(とくになし)、岸上康夫(なし)、江里口清雄(なし)、吉田豊(なし)、服部高顕(なし)、本林譲(なし)、環昌一(なし)となっていて、信仰生活五〇年の藤林が群を抜いている。今なお毎日曜日の無教会キリスト教の百人集会を主宰して聖書研究を続け、また福音キリストの立場に立つスイスの哲学者ヒルティの『幸福論』をポケットに忍ばせる真摯さ、だが論理が勝負の裁判では、その熱意がそのまま判決に結実するとは限らない。藤林は敗れたのである。
【中略】
 地鎮祭事件の最高裁大法廷判決は、次期長官になる岡原ら一〇人が多数意見を形成し、藤林ら五人の少数意見を圧倒した。それでも藤林にとって救いとなったのは、少数意見五人の顔ぶれである。やがて最高裁長官になる服部高顕、元東大教授で刑事法の第一人者である団藤重光、この時期にもリベラル派に近いといわれた環昌一、最高裁事務総長をこなした実力派、吉田豊が顔を揃えていたからだ。しかも少数派はクリスチャンの藤林を別にすれば、いずれも無宗教であった。
------

「仏教」の岸盛一氏だって「最高裁事務総長をこなした実力派」じゃなかろうか、といった混ぜっ返しはともかく、「仏教」と浄土宗・真宗・日蓮宗の並置は変ですし、宗派を書いている人もどの程度の信仰なのか、日々お経を上げたり題目を唱えたりしているのか、それとも単に家族が葬式を行うときの菩提寺の宗派を書いているだけなのか、などは全然分かりません。
「無宗教」の岸上康夫・江里口清雄・本林譲氏は多数意見ですから、「無宗教」か否かも意見の相違に直接反映している訳ではなく、まあ、個別インタビューの結果ならともかく、「人事興信録」程度の調査では何も分からないとしか言いようがないですね。
ちなみに団藤重光氏(1913-2012)は最晩年にカトリックの洗礼を受けて、洗礼名はトマス・アクィナスだったそうですね。

さて、改めて以上の記述と5月14日の投稿、「結論が先で論理は後」で紹介した藤林の『法律家の知恵─法・信仰・自伝』を照らし合わせてみると、藤林は、おそらく自身が中心となって「裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見」をまとめた後、「五月の憲法記念日の前後、他の判事が恒例の地方視察旅行に出かけている留守」に「裁判官藤林益三の追加反対意見」を執筆したようですね。
とすると、多数派よりもむしろ反対意見の四裁判官に、なんじゃそれ、という意外感を与えたかもしれないですね。

「結論が先で論理は後」(by 藤林益三)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8346

4606筆綾丸:2016/05/17(火) 15:06:38
洗礼名
小太郎さん
団藤重光の洗礼名トマス・アクィナスにびっくりし、藤林益三は何と言ったのか、ちょっと興味を惹かれました。内村鑑三はヨナタン、矢内原忠雄はルカですか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E6%95%99%E6%B4%BE%E4%B8%80%E8%A6%A7
「日本のプロテスタント教派一覧」を見ると、佃煮にするほどの凄まじいバリエーションがあって、そぞろ薄気味悪くなってきました。語弊がありますが、スキゾフレニーのような。くわばら、くわばら。


https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160515
NHKスペシャルを見ながら、羽生さんは余裕があるなあ、と思いました。

4607鈴木小太郎:2016/05/18(水) 09:33:15
「ジエフアソン」の出典
『判例時報』の古いバックナンバー(855号)で津地鎮祭訴訟大法廷判決の多数意見・「裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見」・「裁判官藤林益三の追加反対意見」の分量を比べてみたら、おおよそ13:9:10の割合で、百分率だと41%・28%・31%となりますね。
多数意見は誰が中心となって執筆したのか分かりませんが、「われわれ」という表現が四回出てくる反対意見はおそらく藤林がまとめたものなんでしょうね。
反対意見と追加反対意見を合計すれば59%ですから、藤林の熱意はすごいなと思います。
まあ、量の点では確かにすごいのですが、問題は質です。
ハト派・タカ派、リベラル派・保守派といった先入観を抜きにして、純粋に論理の緻密さという観点から多数意見・反対意見・追加反対意見を読み比べると、多数意見は下級審で問題となった全ての論点について丁寧な論証をしており、一番論理的ですね。
これに対し、反対意見は信教の自由を保障するためには「何よりも先ず国家と宗教との結びつきを一切排除することが不可欠」とする一方で、「時代の推移とともにその宗教性が希薄化し今日において完全にその宗教的意義・色彩を喪失した非宗教的な習俗的行為」は「宗教的活動にあたらない」としつつ、その具体的判断基準は示さないなど、論理に若干の甘さがあります。
そして「藤林裁判官の追加反対意見」となると、個人的な宗教史研究の成果の発表と個人の宗教的信念の吐露に終始していて、論理を追及する意志もそれほど感じられません。
困るのは藤林の見解を基礎づける根拠を検証することが難しい点で、矢内原忠雄の「近代日本における宗教と民主主義」のごちゃ混ぜ引用については既に触れた通りです。
また、

------
すなわち法は、行為の抑制のためにつくられるのであるから、法は、宗教的な信念や見解そのものに干渉することはできないが、宗教的活動に対しては抑制が可能であるとしたのである。換言すれば、あらゆる宗教又は宗教らしいものを憲法上宗教として取りあつかい、その外部に現われたところのものを問題とするにとどまつたのである(清水望、滝沢信彦共訳、「コンヴイツツ・信教の自由と良心」のうち、宗教とは何か、参照)。
------

も、あまり親切な書き方ではありませんが、ちょっと検索すれば1973年に成文堂から出ている本だと分かります。
しかし、

------
「宗教における強制は、他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によつて私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによつて私が救われようはずがないからである。」(ジエフアソン)

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

となると、一体何を参照すればよいのか。
矢内原の引用の仕方を見れば、本当にジェファーソンがそんなことを言っているのか、藤林が勝手に何か変なことを付け加えているんじゃなかろうか、とか疑いたくなりますが、検証の手掛りもありません。

>筆綾丸さん
>佃煮にするほどの凄まじいバリエーション

プロテスタントは一切の媒介を排して個人が神と直面することを要求しますから原理的に無限の分派を生み出す可能性があり、実際に数えきれない分派が生まれていますが、教会という結節点すら否定する無教会主義は、殆ど個人ごとに神を量産するシステムのような感じもします。

藤林が「私はこの塚本という先生のとりこになりました」(p60)と言う塚本虎二を知るために、量義治(はかり・よしはる、埼玉大学教授)氏の『無教会の展開─塚本虎二・三谷隆正・矢内原忠雄・関根正雄の歴史的考察他』(新地書房、1989)を読み始めたのですが、私のような不信心な者には理解困難な文章が続き、内村鑑三を継承するのは本当に大変なことだなと圧倒されてしまいます。
ま、所詮、私には信仰の核心部は分からないので、ある程度理解できたら打ち切ろうと思っています。
信仰とは直接関係ありませんが、塚本の妻が英語学者斎藤秀三郎の娘で、斎藤メソッドの齋藤秀雄の実姉というのは面白いですね。

塚本虎二(1885-1973)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9A%E6%9C%AC%E8%99%8E%E4%BA%8C

4608鈴木小太郎:2016/05/19(木) 08:44:09
M.R.コンヴィッツ著『信教の自由と良心』
昨日、Milton R. Konvitz著、清水望・滝澤信彦訳の『信教の自由と良心』(成文堂、1973)を入手し、パラパラめくってみたら、藤林が引用していたジェファーソンの文章が出ていました。
まず、本書の性格ですが、「訳者あとがき」によれば、

------
 本書は、Milton R. Konvitz, Religious Liberty and Conscience, A Constitutional Inquiry, 1968 を訳出したものである。
 M.R.コンヴィッツは、コーネル大学教授(法学博士、哲学博士)として精力的に研究に従事するかたわら、全米黒人向上協会(N.A.A.C.P)並びにニュージャージー州やニューアーク市の行政部局の法律部門として活躍し、またリベリアの法典編纂に参与してきた。【中略】
 本書は、アメリカにおける「信教の自由と良心」について憲法学的に論述したものであるが、同時に国民各層にできるだけひろく問題の所在を明らかにしようとする啓発的な面をもっている。憲法学者としてのすぐれた分析力と明晰な洞察力には定評があるが、本書でもアメリカ社会の変容を鋭くみつめつつあるヒューマニストとしての適度に抑制された情熱が随所にみられ、今日的な問題提起は生き生きとして、示唆的である。
------

とのことです。
【中略】とした部分には主要著書が載っていますが、これらはすべてウィキペディアに出ています。

Milton R. Konvitz(1908-2003)
https://en.wikipedia.org/wiki/Milton_R._Konvitz

また、本書の構成は、

一 教会と国家の問題の新しい様相
二 宗教とは何か
三 宗教と世俗主義
四 合衆国憲法改正第一条における良心

というものです。
個人的には第二章の冒頭に出てくるフランス大革命時の「理性の宗教」とかオーギュスト・コントの「人類教」の解説などが興味深いのですが、1968年という発表時期を反映して、良心的兵役拒否などの問題に多くのページを割いていますね。
分量はB6版で164ページですから、普通の新書程度です。
さて、ジェファーソンの引用は第四章に出てきます。(p145以下)
文脈を紹介すると話が長くなるので、取り急ぎ、文言だけを確認すると、

-------
しかしそれにしてもかような〔1965年の「合衆国対スウィガー事件」の〕裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある。というのはここで問題となっているのが良心にかかわる問題だからである。再びトマス・ジェファソンの次のような言葉が想起される。

宗教における強制は他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである(24)。
-------

となっています。
ジェファーソンの引用は一段下げ、「神を崇拝すること」に傍点を打っていますが、これは原文ではイタリックだそうです。(凡例)
そして注24を見ると、

-------
(24) "Notes on Locke and Shaftesbury," The Papers of Thomas Jefferson, ed. Julian P.Boyd (Princeton,1960), Vol.?,p.547.
-------

とのことです。
上記引用文と「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、「宗教における強制は」の後に読点があることと、文末が「はずがないのである」から「はずがないからである」になっていることの二点だけが違っていて、「むり」のような普通は漢字にするはずの語句がひらがなになっている点も共通ですから、ま、藤林は清水・滝澤訳を「写経」したのでしょうね。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

これで私はジェファーソンの全著作を総当たりするという「奴隷的拘束」ないし「苦役」(憲法18条)からは解放されたのですが、何で藤林は出典を明示しないのだろうか、という疑念は深まるばかりです。

4609筆綾丸:2016/05/19(木) 15:25:26
ジェファーソン
小太郎さん
http://founders.archives.gov/documents/Jefferson/01-01-02-0222-0007
藤林が出典を明記せずに引用した和文は、モタモタしていて、あまり上手な訳とは思えませんが、原文は以下のようです(Locke’s worksの中程よりやや下)。
--------------
[co]mpulsion in religion is distinguished peculiarly from compulsion in every other thing. I may grow rich by art I am compelled to follow, I may recover health by medicines I am compelled to take agt. my own judgmt., but I cannot be saved by a worship I disbelieve & abhor.
--------------
a worship が「神を崇拝すること」と訳されていますが、ここは「礼拝」の意味で、不信と嫌忌の礼拝によっては救済されないのである、とでも訳したほうがいいように思われました。神の崇拝ならば、a worship ではなくthe worship となるのではあるまいか。人は不信と嫌忌の対象でも「礼拝」することはできますが、「崇拝」はできません。「崇める」というのは内面的なことだから。
補遺
むしろ、儀式(儀礼)と訳したほうがいいのかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
ジェファーソンの宗教観は、聖公会・理神論の宗教哲学・ユニテリアン主義とありますが、藤林の奉じた「無教会主義キリスト教」と似て非なるものなのかどうか、残念ながら興味はありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA
連続テレビドラマ「ホームランド」で、主人公の娘と副大統領の息子が Monticello に行くシーンがありました。なぜイタリア語なのか、と思いましたが、
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Jefferson designed the main house using neoclassical design principles described by Italian Renaissance architect Andrea Palladio・・・
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建築家ジェファーソンはルネサンスの建築家パッラーディオを敬愛していたから、小高い丘をイタリア語風に Monticello と命名したのですね。テレビドラマではモンティセロと発音していましたが、ジェファーソンのことを考えれば、モンティチェッロと発音してあげたほういいのでしょうね。

http://www.leagle.com/decision/1966454420Pa34_1446/COM.%20ex%20rel.%20SWIGER%20v.%20MARONEY
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%91%E3%82%B9
「合衆国対スウィガー事件」とは、これでしょうか。habeas corpus が問題になったケースのようですね。

4610鈴木小太郎:2016/05/20(金) 10:57:08
合衆国対スィーガー事件
国会図書館でM.R.コンヴィッツの著作を検索してみましたが、邦訳されているのは『信教の自由と良心』だけのようですね。
コンヴィッツの研究領域は日本の憲法学者・宗教学者の関心とはあまり重ならないのかもしれませんが、『信教の自由と良心』は決して悪い本ではない、というか平易な語り口で深い内容を語っており、結構良い本ですね。
ウィキペディア情報ですが、訳者の一人、早大名誉教授の清水望氏は内村鑑三の弟子・清水繁三郎の子だそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%9C%9B


>筆綾丸さん
>VI. Notes on Locke and Shaftesbury

ありがとうございます。
当時としては斬新な文体だったのでしょうけど、あまり読みやすくはないですね。
それと、昨日、「スウィガー」と書いてしまいましたが、これは「スィーガー」でした。
すみませぬ。
こちらの事件ですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/United_States_v._Seeger
https://supreme.justia.com/cases/federal/us/380/163/

『信教の自由と良心』に概要が紹介されていますので、引用しておきます。(p129以下)

-------
 さて、かような背景を心にとめながら、最近の合衆国連邦最高裁の判決の一つで、一九六五年の合衆国対スィーガー事件というきわめて教訓的な事件の判決を検討してみよう。この事件は、一九四八年の一般軍事教練兵役法の条項にかかわりをもっていた。この条項では、良心的兵役拒否者は軍務を免除される要件として、「宗教的修養と信念とのために、いかなるかたちの戦争参加をも良心的に拒否する」者であることを立証するよう要求され、かつ「宗教的修養と信念」が次のような文言で定義されている。

この文脈にみられる宗教的修養と信念とは、いかなる人間関係から生ずる義務よりも高次の義務を含む至高の存在に対する関係での個人の信念を意味する。しかしながら、それは、本質的に政治的、社会学的、もしくは哲学的な見解、または単なる個人の道徳律を含まない。

 「宗教的修養と信念」のかような定義は、主として、既に論究された合衆国対マキントッシュ事件における連邦最高裁首席裁判官ヒューズの反対意見の中から援用されたものである。しかし、連邦議会は首席裁判官ヒューズの用いた文言に一つの重大な修正を加えている。それは、「神」を「至高の存在」と書き替えている点である。皮肉にも、連邦議会の選択した用語は、既にみたように、ロベスピエールやオーギュスト・コントが用いたものである。
 スィーガー事件では、良心的兵役拒否者としての地位を否認されていた三名の人物が当事者として関与していた。
 ダニエル・A・スィーガーは、その「宗教的信念」のためにいかなるかたちの戦争参加をも良心的に拒否すると主張し、また「至高の存在」に対する彼の信仰の問題を明らかにしておきたいと述べた。彼は、神の存在に対する自分の懐疑や不信仰を認めながらも、「それ自身のために追求されるべき善や徳に対する信念と献身、並びに純粋に倫理的な信条に対する宗教的信仰」を有していることを明言した。彼は、「ごくばく然とした意味のものを別として、神に対する信仰がなくても」知的・道徳的な完成の域に達しうるとの彼の倫理的信念を確証するために、プラトン、アリストテレス及びスピノザを引用した。【後略】

4611筆綾丸:2016/05/21(土) 10:51:05
憲法の無意識
小太郎さん
いえいえ。何か変だな、と思いましたが、良心的兵役拒否が問題となったケースなんですね。

https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1604/sin_k883.html
有名な文芸評論家柄谷行人氏の『憲法の無意識』を半分くらい読んで、やめました。ピースはわかるのですが、超自我とは、どうもよくわかりません。
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・・・私は日本の戦後憲法九条を、一種の「超自我」として見るべきだと考えます。つまり、「意識」ではなく「無意識」の問題として。・・・(16頁)
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イラク戦争時の自衛隊派遣で、「長らく秘されていたことですが、帰国後に五四名の自衛隊員が自殺した・・・」(40頁)とあり、これは初めて知りました。痛ましいことです。


日本のメディアをリードする(?)週刊誌のネタですが、習近平が訪英した時、宿泊部屋の家具の配置が『風水的に悪い』という理由で配置し直すよう要求した(文春5月26日号147頁)、とあり、中国共産党トップの認識とはまだこんなものか、と驚かされます。もしかすると、南沙諸島の埋め立てや九段線は国家的な風水問題かもしれないですね。

4612鈴木小太郎:2016/05/23(月) 13:54:10
ジェファーソン引用の趣旨(その1)
>筆綾丸さん
>良心的兵役拒否が問題となったケース
そうですね。
もともとアメリカ合衆国憲法修正1条は、藤林が引用する「宮沢俊義編岩波文庫、世界憲法集訳」によれば「連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止することはできない」と定めていて、「信教の自由」は保障していても「良心の自由」には言及していません。
そして、1948年の「一般軍事教練兵役法」では「いかなる人間関係から生ずる義務よりも高次の義務を含む至高の存在に対する関係での個人の信念」を持つものだけが兵役を免除され、「本質的に政治的、社会学的、もしくは哲学的な見解、または単なる個人の道徳律」の持ち主は兵役免除の対象外としているのですが、問題となった三人は、自分が無神論者であるとは主張しないものの、「連邦最高裁によれば、また彼らは一神教もしくは他のいかなる正統派的信仰らしきものをも告白しなかった」(p135)人たちです。
しかし、結論として、連邦最高裁は三人に有利な判決をしたのですが、それは「一般軍事教練兵役法」に言う「至高の存在」についての相当柔軟な、というか、ある意味アクロバチックな解釈に基づいています。
連邦最高裁はパウル・ティリッヒの『組織神学』や『根底の動揺』、「ウーリッジの監督であるジョン・A・T・ロビンソン著『神に対する誠実』」、「倫理教育運動の指導者であるデイヴィッド・サヴィル・マッツィー著『宗教としての倫理学』」などから長大な引用をした上で、「現代の宗教団体に関する、たえず拡張されつつある解釈」を受け入れ(p138)、「至高の存在」への信念とは「兵役免除の資格を与えられることが明白な者の生活のなかで神に対する正統派的信仰が占めているのと同様の位置を、その兵役拒否者の生活の中で占めている」信念であればよいと解釈し、三人がその程度の信念を持っていると認定してしまったんですね。
そして、これに対するコルヴィッツの評価は、

------
連邦最高裁は、要するに、人が宗教的信念に基づいていかなるかたちの戦争参加をも良心的に拒否するかのように語り、ふるまうならば彼は兵役免除要件を満たしているとされる、と言おうとしたのである。こうしたことは、たしかに、そうでもしなければ絶望的なものとなる錯雑さとおそらくは解決不可能な問題とに対する実際的、実用的な対処の方法なのである。
------

というものです。(p142)
「かのように」には傍点が振ってあり、原文ではイタリックになっているはずですが、これは鴎外の「かのやうに」を連想させてちょっと面白いですね。
さて、コルヴィッツは三人の中で一番疑わしいフォレスト・B・ピーターに言及した連邦裁判所の判決文の末尾を紹介した上で、ジェファーソンに触れます。
後半は既に紹介している部分と重複しますが、参照の便宜のためにそのまま引用します。(p145以下)

------
 当該裁判所は、次のように簡潔にこの事件に関する見解を結んでいる。

ピーターが、人を助けてその生活を秩序あるものにする「事実上明白なある力、すなわち至高の表象」を認めていたということが想起されよう。彼がそれを至高の存在に対する信仰と呼ぶかどうかに関して、彼は、「諸君はそれを至高の存在ないし神に対する信仰と称することもできよう。いずれにせよそれらはたまたま私が用いている言葉ではないというにすぎない」と答えた。当該判断基準に従えば、委員会がピーターに兵役免除を認めることになろうということがここに確認されたと考える。

 ピーターも当該裁判所も大事を看過して小事にこだわっていたように思われる。当事者も裁判所も時にはそうする必要もある。というのは、法というものは、その形式と形式的手続とを有しているが、だからといって実質的な正義をそれらの犠牲に供することを欲するものではないからである。しかしそれにしてもかような裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある。というのはここで問題となっているのが良心にかかわる問題だからである。再びトマス・ジェファソンの次のような言葉が想起される。

宗教における強制は他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである。
-------

長くなったので、ここでいったん切ります。

4613鈴木小太郎:2016/05/23(月) 20:54:41
ジェファーソン引用の趣旨(その2)
三人の言い分には相当な差異があり、それぞれに複雑なのですが、かろうじて「宗教的信念」に基づくと言えそうなのがダニエル・スィーガー、ちょっと無理っぽいのがアルノ・ジェイコブソン、全然ダメ感が漂うのがフォレスト・ピーターですね。
ま、文言を素直に解釈すれば三人とも「本質的には政治的、社会学的、もしくは哲学的な見解、または単なる個人の道徳律」で兵役を拒否する人なのですが、三人は「法律上の公式的文言」、すなわち「彼らが良心的兵役拒否者としての資格を得ようとすれば使わざるをえない魔力をもった言葉」(p142)を用いて自分があたかも宗教的信念を持つ「かのように」主張し、連邦裁判所も三人があたかも宗教的信念を持つ「かのように」認定して、丸くおさめた訳です。
しかし、それは、ジェファーソンの言葉を借りれば、形式的に「自分の信じていない神を崇拝すること」であって、それによって「私は救われようはずがない」訳ですね。
「良心にかかわる問題」なのに良心に反する行為を当事者も裁判所も行っている訳で、「かようは裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある」と言わざるをえません。
そして、このようなコンヴィッツの論理展開において、ジェファーソンの引用は極めて巧みであり、効果的ですね。

さて、ここで「裁判官藤林益三の追加反対意見」における、具体的出典を明示しないまま藤林が行ったジェファーソンの引用を見ると、

------
【前略】たとえ、少数者の潔癖感に基づく意見と見られるものがあっても、かれらの宗教や良心の自由に対する侵犯は多数決をもってしても許されないのである。そこには、民主主義を維持する上に不可欠というべき最終的、最少限度守られなければならない精神的自由の人権が存在するからである。「宗教における強制は、他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないからである。」(ジェファソン)
 国家又は地方公共団体は、信教や良心に関するような事柄で、社会的対立ないしは世論の対立を生ずるようなことを避けるべきものであって、ここに政教分離原則の真の意義が存するのである。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

ということで、ま、ジェファーソンの言葉がそれなりに格調のあるものだから、何となく立派なことを言っているような感じはしますが、コンヴィッツの文章に見られるような引用の巧みさはありません。
藤林にとってはコンヴィッツの『信教の自由と良心』で知ったジェファーソンの言葉だけが重要であって、それをコンヴィッツがいかなる文脈において、いかなる意図で用いたかにはあまり興味がなく、また、ジェファーソン自身がいかなる文脈において、いかなる意図でこのような表現を用いたかにもおそらく興味がなかったのではないですかね。
それが、原出典であるジェファーソンの"Notes on Locke and Shaftesbury" はもちろん、自分が「写経」したコンヴィッツの『信教の自由と良心』すら明示しないという奇妙な引用になった理由ではないかと思うのですが、あるいは単に藤林がズボラで無神経なだけなのかもしれません。

4614鈴木小太郎:2016/05/25(水) 09:01:17
藤林益三の弁明(その1)
"Where Have All the Flowers Gone?"(「花はどこへ行った」)で有名な Pete Seeger という反体制フォーク歌手がいて、日本では「ピート・シーガー」と表記されることが多いようですが、同じ Seeger でも良心的兵役拒否問題に登場する人は Daniel Seeger で、両者は特に関係はないようですね。
ま、ピート・シーガーは元アメリカ共産党員で、当然ながら無神論者でしょうから良心的兵役拒否の対象には全くなりえませんが。

Pete Seeger(1919-2014)
https://en.wikipedia.org/wiki/Pete_Seeger
Daniel Seeger(1934-)
https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Seeger

さて、私はもともと藤林益三に何の興味もなくて、たまたま石川健治氏が憲法記念日に朝日新聞へ寄稿した「9条 立憲主義のピース」に出ていたから少し調べてみただけなのですが、改めてこの記事を見ると、

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 ここでは、逆に「重さ」を感じさせる一例として、77年に出された一つの最高裁判決をひもといてみたい。当時の長官は藤林益三。元々彼は、佐藤栄作内閣が最高裁を保守化させようと躍起になっていた時期、切り札として送り込まれた企業法務専門の弁護士だ。実際、リベラルな判決が相次いでいた公務員の労働基本権の判例の流れを「反動」化させるのに大きな勲功をあげた。その彼が定年退官直前に担当したのが津地鎮祭事件であった。

http://www.nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/masukomi_houdou_asahi_kenpou1605.pdf

とあって、「リベラル」派憲法学者である石川健治氏にしてみれば藤林はいささか微妙な存在なのではないかと思われるのですが、文章の後半では藤林への絶賛に終始し、藤林の二面性についての検討はないですね。
もちろん藤林自身は労働問題での「反動」的な対応と津地鎮祭訴訟での「リベラル」な対応の間に何の矛盾も感じておらず、『法律家の知恵─法・信仰・自伝』では次のように弁明しています。(p125以下)

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公安労働事件と私

全逓名古屋中郵事件大法廷判決
 この前、地鎮祭事件の大法廷判決のことを話しましたが、私が最高裁長官在任中に、大法廷の裁判長として言渡をした判決がもう一つあります。それは、昭和五二年五月四日のいわゆる全逓名古屋中郵事件というものです。先に読みました法学セミナーの増刊「最高裁判所」の中の、私の「プロフィール」というところで、私のことをタカ派といっておりますが、それはこの事件に関係があるのです。
【中略】
 そこで、労働法学者やマスコミの方面から、私に対する批判も出ました。弁護士出身の最高裁判事には、いわゆるハト派の人が多いといわれる中で、私がその逆を行ったのではないかということを言う人もありました。しかし、私は自分の信念どおりにやったことでありまして、気持ちの上ではすっきりと落ち着いているのです。

私の信念
 私は東京都地方労働委員会の公益委員として、最高裁に入る半年前までの七年間、苦労をいたしました。都労委の事件と官公労事件とは違いますが、労働法の勉強は同じです。私は労働事件に対する一応の考えはもっていました。それには、無教会のキリスト教の信仰や考え方も影響していると思います。憲法や労働三法があり、労働基本権を尊重する世の中において、国家や地方公務員等のストライキを違法視するのは、私の信念というか、良心に基づくものと思います。
 私は元来、ストライキは好きではありません。使用者側につくとか、そういうことでなく、私の信念というか信仰というか、そういうものが、法律家としての私を形成しているのです。それは、私の良心といってもよいと思います。私が生涯の師と仰いだ塚本虎二先生は、教師が教師の組合に入らないと迫害されるという話をきいても、そんな組合なら入らなければよい、それができなければ学校を辞めてしまえと言っていられました。数を頼んでコトを構えるのはよいことではない、それは富や権力をたのんでコトをなすのと同じだと言われましたが、その思想が私から抜けきらないのです。一つの人生観と言えるかも知れません。
 私は、弁護士時代に、裁判所の命令で、紛争のある会社の代表取締役の代行をしたり、倒産した会社の更生管財人や整理会社の管理人をしたりした経験が沢山ありますが、その度にその会社の労働組合や上部団体と団体交渉をしたり、東京都の労働委員会では、公益委員として労使の間の紛争を審理したり、調停したりした経験があります。これらの僅かな経験でもって、全般を察するわけにはいきませんが、そういう際に、労働組合の一部の人が、背後の方から、こちらにわからないようにして、人越しに乱暴な言葉や声を発することがよくありました。
-------

ここでいったん切ります。

4615鈴木小太郎:2016/05/25(水) 10:29:42
藤林益三の弁明(その2)
「信念というか、良心に基づくもの」「私の信念というか信仰というか」といった表現から伺えるように、藤林にとって信念・良心・信仰という概念には特に区別がなく、常に渾然一体となっているようですね。
ま、それはともかく、もう少し引用を続けます。(p130以下)

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民主主義と個人主義
 民主主義というものは、お互に堂々と議論をつくして、最も妥当な結論へと導くのが本当です。声の大きいのや乱暴なのが勝っては、民主主義は駄目になります。殊に多数をたのみにして、無理を押しとおすというようなことでは、全く問題になりません。このことは、国会の多数党が、お手本を示しているのかも知れません。日本には、まだまだ真の民主主義は育っておりません。
 民主主義というものは、真の個人主義が出来てからでないと成立しないのに、日本では敗戦の結果、未成熟な基盤の上に、民主主義が置かれたので、こんなことになったのだろうと思います。真の個人主義は、個人がもっと自覚と責任をもつべきものです。組織の中にいて、自分の責任を自覚しないようでは、個人主義も民主主義もありません。あるものはただガリガリの利己主義だけです。利己主義と個人主義とは別物であることを留意して貰いたいと思います。
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ここまではよくあるパターンですね。
一昔前は、欧米には「真の民主主義」があることを前提に、日本は駄目だ、日本には「真の民主主義」がない、などと繰り返す「進歩的知識人」が大勢いました。
藤林が面白いのは次の部分です。

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 その点では、私の信じる無教会信仰というものが個人主義的なのです。同じキリスト教といっても、カトリックのように大きい組織の中にいて、神と対するのに教会という組織でもってするのと、神やキリストに対して我ひとりという無教会信者とは違います。私はキリストを通して、神と対するのに一対一です。教会抜きで、直接な関係です。それが私の生き方です。本当の個人主義というものは、こういうものだろうと思います。そして、その上に、真の民主主義が成立すると思っているのです。
------

「同じキリスト教といっても」「大きい組織の中にいて、神と対するのに教会という組織でもってする」ようなカトリックは駄目なのだ、とありますから、同じプロテスタントといっても、教会を構成する宗派も駄目なんでしょうね。
そして、「神と対するのに一対一」で、「教会抜きで、直接な関係」を結ぶ無教会信者でなければ「本当の個人主義」者ではないのだ、そういう「本当の個人主義」の上でなければ「真の民主主義」が成立しないのだ、となると、プロテスタントの中で無教会主義者の占める割合が特に増えず、更にカトリック・プロテスタントを合計してもあまり信者が増えない状況の下で、日本に「真の民主主義」が到来するのはいったい何時のことになるのか。
それは殆ど気の遠くなるような未来のことなのかもしれません。
さて、藤林のストライキ嫌いが官公労に限定されるなら私も理解できない訳ではないのですが、次のような文章はかなり微妙ですね。(p132)

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強く生きよ
 私は、労働問題に理解をもっているつもりですけれども、根本的にストライキは好きではありません。弁護士で長い間生きて来ましたが、もし私が組織の中にいて、ストライキの問題が起こったとしたら、そこでやめてしまいます。人と一緒になって文句を言わなくてもよいのではないか、と思います。官公労働者は国民へ奉仕するのが職務ですから、それがイヤならやめてしまえということです。そんなことを言っても、食えなければ困る、というかも知れませんが、神さまが食わせてくれるというのです。そう言ってやめてみれば、この男は面白い男だから、オレのところへ来い、という人が出ないとも限らない。
 要するに多数の力をたのまなければものが言えないということが、私には気に入らないのです。そして、その多数が、本当に同じような意見をもっておればまだよいのですが、大きい声に反対もできずに従っている人々があることを知っているものですから、腑甲斐なく、情なく思うのです。
 これはなにも労働問題に限りません。大学紛争にも、社会のいろいろな争いごとにも、一般に通じることがらだと思います。一人一人が、もっと強く生きられないものかと思いますし、それが生き甲斐というものだろうと考えるのです。
------

高度成長期には労働組合、特に官公労の鼻息が荒く、一部の組合指導者・組合員には相当な精神的荒廃も見られたので、そのような時代背景を考えるとこの種のストライキ嫌いの心情も理解できない訳ではありませんが、現在のような低成長時代に読むと、いささか寒々とした人生論のような感じがします。
また、景気のよい時代であっても、「神さまが食わせてくれる」と言って自己都合退職した人が「この男は面白い男だから、オレのところへ来い、という人」に巡り合える可能性は相当低かったのではないかと思われます。
ま、藤林の場合は無教会信仰が「強く生き」る支えになったは明らかで、それはそれでけっこうなことですが、普通の人にはあまり参考にならない「生き方」かもしれないですね。

4616筆綾丸:2016/05/25(水) 16:08:40
神を崇める
小太郎さん
United States v. Seegerという文脈で読むと、 「I cannot be saved by a worship I disbelieve & abhor」は、abhor が訳されていないものの、「自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである」でよいのでしょうね。

矢内原と藤林の無教会主義キリスト教への石川氏の言説から、では、石川氏個人の宗教は何なのか、と余計なことながらも知りたくもなりますね。

言葉の綾とはいえ、「神さまが食わせてくれる」とはなかなか強烈ですね。なんだ、藤林の信ずる神とは、その程度のものなのか、彼の信仰はあまり大したものではなかったろうな、という感じがします。
中東のダーイッシュ(IS)に飛び込む若者は、どんな神かはともかく、「神さまが食わせてくれる」と本気で信じているかもしれませんね。

4617鈴木小太郎:2016/05/26(木) 09:15:10
演出家・石川健治の仏壇マクベス
>筆綾丸さん
>「I cannot be saved by a worship I disbelieve & abhor」

筆綾丸さんが指摘された"a worship"の点が気になりますが、原文が現代英語から見れば相当クセのある文章なので、予備知識のないまま細かい分析をするとかえって間違いかねないのかもしれないですね。
探せば注釈書(?)もあるでしょうし、シャフツベリーの思想とかも面白そうな感じがしますが、当面はそこまで手を伸ばす余裕がありません。

>石川氏個人の宗教は何なのか

矢内原の文章を「写経」すると表現する方ですから、キリスト教を信仰している訳でもなく、仏教徒でもないんでしょうね。
何となく荘重な雰囲気を醸し出すために「写経」「結界」などの仏教用語を濫発する石川氏を見ていると、蜷川幸雄演出の仏壇マクベスを連想してしまいます。

>「神さまが食わせてくれる」

学生相手の気楽な講演とはいえ、矢内原忠雄の講演録などと比較すると格調の低さは否めませんね。
貧しい出自から這い上がって法曹としての世俗的栄達を極めた藤林は、もちろん実務家としては極めて有能ですが、「知識人」とは言い難い人ですね。
司法界の田中角栄みたいなものでしょうか。
また、藤林の「本当の個人主義」への異様な執着は、「生涯の師と仰いだ塚本虎二先生」が内村鑑三の死後に行った記念講演を連想させます。
内村鑑三は1930年3月28日に死去したのですが、その二か月後、東京・青山会館で行われた「内村鑑三記念キリスト教講演会」で、矢内原忠雄に次いで講壇に立った塚本虎二は「独立人内村先生」との題で次のように述べたそうです。(量義治『無教会の展開─塚本虎二・三谷隆正・矢内原忠雄・関根正雄の歴史的考察他』、新地書房、1989、p12)

-----
 まことに、先生が教会人に蛇蝎の如く忌み嫌われたのも、要するにこの独立の故であつた。神と人との前に信仰の独立、独立の信仰を保持すること─これが先生の生涯であつた。而してパウロの

キリストは自由を得させん為に我らを釈き放ちたまへり、然れば堅く立ちて再び奴隷の軛に繋がるな

との信仰の自由がまた先生の信仰の自由であつた。而してこの信仰の自由─十字架の信仰のみを以て救はるとの信仰の自由は、凡ての人より、また凡ての物より独立することによりてのみ保たれ得る、といふのが先生の信念であつた。
-------

この塚本虎二の発言を紹介した後、量(はかり)氏は、

-------
 「信仰の自由」は「独立」によって「保たれ得る」と言う。それでは「独立」はなにによって「保たれ得る」のであろうか。「信仰の自由」によってであろう。これでは循環ではないか。しかり、循環である。これはなにを意味するのであろうか。神にのみ依り頼む信仰の自由は神以外の一切のものからの独立と相即するのである。両者は同一の事態の二つの異なる局面にすぎないのである。
-------

と纏めるのですが、これは藤林の信念・良心・信仰の要約にもなっていますね。

4618鈴木小太郎:2016/05/26(木) 11:45:29
「心の燈台 内村鑑三」(上毛かるた)
群馬県には「上毛かるた」というものがあって、群馬県下の小学生は全員、これを丸暗記させられます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F

そこで、群馬県出身者に「心の燈台」と呼びかければ、必ずや「内村鑑三」と返ってきます。
これは決して冗談ではありません。
疑う人は身近な群馬出身者で実験してみると良いと思います。
何の躊躇いもなく瞬時に「内村鑑三」と答えられなければ、それはニセ群馬人です。
さて、群馬県出身者にとって内村鑑三が偉い人であることは、「おどるポンポコリン」を聞いて育った「ちびまる子ちゃん」ファンにとってエジソンが偉い人であるのと同様に自明なのですが、しかし、内村鑑三が何故偉い人なのかはそれほど自明ではありません。
また、小学校でも何故内村鑑三が偉い人なのかについて詳しい説明はしていないはずで、そもそもそうした説明ができる教職員は皆無に近いと思います。
まあ、私も何となく内村鑑三は偉い人と思って育ったのですが、キリスト教の歴史に興味を抱くようになってから内村鑑三関係の本を読むと、内村鑑三って結構恐ろしい人だなと考えるようになりました。
本当に内村鑑三を「心の燈台」として生きてしまったら、よほど精神の強靭な人はともかく、普通の人は通常人としての人生を踏み外し、茨の道を歩むことになりかねないんじゃないですかね。
量義治氏の『無教会の展開─塚本虎二・三谷隆正・矢内原忠雄・関根正雄の歴史的考察他』は、私にとって内村鑑三の恐ろしさを改めて思い起こさせてくれる、ある意味キョーフの書でした。
同書から塚本虎二と共に「内村鑑三記念キリスト教講演会」に登壇した藤井武(1888-1930)に関する部分を少し紹介してみます。(p19以下)

------
 最後の第七講演者藤井の演題は「近代の戦士内村先生」であった。藤井はこのように語り始めた。「本年三月下旬に、わが東京におきまして数日間うち続いて賑やかなる復興祭が行はれました。かの震災によつて一度び倒れました大なるバビロンは、又しても灰燼の中から華々しく起上つて来たのであります。……全市は三四日の間ぶつ通しに鳴り物と萬歳の叫びとに沸き返つたのであります」。ちょうどそのころ「帝都の片ほとり」の「柏木の里」で、「この騒ぎを余所にして」、「一人の預言者」が世を去った。
 詩人藤井はヨハネ黙示録にある世の終わりにおけるハルマゲドンの戦いの表象をもって師内村の生と死の意義を語り、その講演を次のように結んだ。

 今や遂に彼は斃れました。あゝハルマゲドンの勇将は斃れました。而もバビロンの復興祭の最中に。すなわち彼は敵の本陣から起る凱歌を耳にしながら、その石垣の下に屍を曝したのであります。
 然らば彼の戦は敗北でありましたか。断じて否! 見よ、彼の剱はすでに敵将の胸を貫きました。彼の唱へた徹底十字架本位の福音のまへには、マルクシズムもアメリカニズムも最早や立つことが出来ません。十字架の血に罪の赦しを見出した者にとつて、唯物史観が何ですか。共産社会が何ですか。キリストと共に十字架に釘けられ、彼と共に永遠の国に生れ更つた者にとつて、此世の幸福が何ですか。事業の成功が何ですか。肉の慾、眼の慾の満足が何ですか。十字架の立つ所に社会主義は倒れ享楽主義は亡びざるを得ません。内村先生五十年の奮闘によつて、近代の世界的怪物どもは既に致命傷を負うたのであります。さればこそまさに斃れんとする先生の口から、悲壮なる凱歌が迸り出たのであります、曰く福音萬歳! と。
 先生は斃れました。その戦は勝利でありました。併しながら現代のハルマゲドンの大戦争は未だ終つたのではありません。穢れた霊は致命の傷を受けながらも、今なお活躍を続けてゐます。マルクスは叫びます。アメリカは働きます。学者は囚はれ、青年は迷はされ、教会は堕落します。私どもは起たざるを得ません。私どもも亦真理のために、十字架の義のために、先生の遺しました剱を取上げ、先生の屍を乗り超えて、更に前進を続けなければなりません。我らの戦は是からであります。すなはちこゝに先生の記念会に当つて、私どもはすべての真理の敵に向かつて、新に宣戦を布告します。
-----

藤井武はこの講演の二か月後、内村鑑三を追うように病死してしまうのですが、それを知ってこの文章を読むと、いささか鬼気迫るものを感じます。

藤井武と矢内原忠雄の夫人は姉妹で、藤井の五人の遺児は矢内原が育てたそうですね。
『矢内原忠雄全集』の月報等をまとめた『矢内原忠雄─信仰・学問・生涯─』(岩波書店、1968)には藤井立氏の「叔父の思い出」、藤井偕子氏の「叔父の面影」というエッセイが載っており、偕子氏は別に「『藤井武全集』再刊のころ」という文章も寄せています。
藤井武に関するウィキペディアの記述は簡単ですが、検索してみたところ、「Report from Kamakura」というサイトに「矢内原忠雄が心血をそそいで編集=藤井武全集」という記事がありました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/
http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/yanaiha.htm

4619筆綾丸:2016/05/29(日) 17:12:46
サイクス=ピコ協定 百年の呪縛
http://www.shinchosha.co.jp/book/603786/
池内恵氏『【中東大混迷を解く】サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』を、「第一章 サイクス=ピコ協定 とは何だったのか」まで読んでみたのですが、つまるところ、中東情勢がどうなるのか、まったくわからない、ということで、「中東研究の第一人者」(帯文)を俟つまでもなく、そんなこと、誰もが考えていることじゃないか、と期待を裏切られながらも、続きも読んでみようか、としています。中東はなるようにしかならんのでしょうね。

http://ikeuchisatoshi.com/category/%E3%80%8E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%EF%BC%9D%E3%83%94%E3%82%B3%E5%8D%94%E5%AE%9A-%E7%99%BE%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%91%AA%E7%B8%9B%E3%80%8F/
残念ながら、NHKの番組は見ませんでした。

4620鈴木小太郎:2016/05/29(日) 23:56:38
久しぶりの東北
一昨日、27日(金)に北関東・常磐自動車道経由で久しぶりに宮城県に行ってきました。
常磐道の日立あたりに連続するトンネルは何だか陰気で、また、いわきJCTから北は対面通行区間が多いですから、東北自動車道に比べるとちょっと利用しづらい感じがします。
冬場は雪があまり積もらなくて良いのでしょうけど。
常磐富岡ICで下りてからは国道6号を北上し、大熊・双葉町の帰還困難区域を道路から垣間見ましたが、店舗・住宅の荒廃が進んでいますね。
出発時間が遅かったのであまり寄り道はせず、松川浦と原釜尾浜にだけ寄ってみたところ、旅館街は復興が進んで活気が出て来ている感じでした。
原釜尾浜海水浴場近辺も海岸堤防の建設が進んで風景が一変していました。

福島県相馬港湾建設事務所「復旧復興だより」(PDF)
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec_file/41390a/hukkoudayori/soumakouwan_hukkyuuhukkou_20151105.pdf

昨日、28日(土)は、朝4時に起きて名取市閖上から亘理町の荒浜、鳥の海まで見てきましたが、堤防工事の進捗具合はすごいですね。
閖上の日和山の階段下には独特の風貌の狛犬が並んでいましたが、これは以前、湊神社にいた狛犬ですね。

http://chingokokka.sblo.jp/article/55258081.html

所用を済ませた後、帰路はのんびり東北自動車道を南下しました。
私もこのところ親の介護の都合で、といっても特別大変なことをやっている訳ではなく、親が毎日飲む薬の管理とインシュリンの注射程度なのですが、それでも遠くに出かける機会がめっきり減ってしまいました。
ま、そんな生活に慣れると、あちこち出かけようという気持ちも乏しくなってしまうのですが、たまには遠出も良いものですね。

>筆綾丸さん
日本の政教分離論議はあまりにチマチマした議論が多いなと思って次の課題を探していたのですが、フランスのライシテは面白そうですね。
入門書として工藤庸子氏の『宗教vs.国家:フランス「政教分離」と市民の誕生 』(講談社現代新書、2007)を読んだ後、ジャン・ボベロの『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』(白水社、2009)に取りかかったところです。

4621筆綾丸:2016/05/30(月) 15:14:40
destroyed a city か destroyed the city か
小太郎さん
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=advanced_search_result&dfrom=2016%2F06%2F01&dto=2016%2F06%2F30&heading_title=%E6%96%B0%E5%88%8A%E6%83%85%E5%A0%B1%20%282016%E5%B9%B406%E6%9C%88%29
『家族システムの起源』は、6月刊行の予定ですね。

http://shantipapa.hatenablog.com/entry/2016/05/28/%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E5%BA%83%E5%B3%B6%E6%BC%94%E8%AA%AC%E3%81%A7%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%8B%89%E5%BC%B7%EF%BC%88%E8%8B%B1%E6%96%87%E3%83%BB%E5%92%8C
日経(5月28日朝刊)に、オバマ大統領のスピーチ全文が掲載され、読んでみたのですが、
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Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
------------
冒頭の「a city」について、なぜ「the city(or the cities)」ではないのか、Hiroshima と Nagasaki の両都市を含意するので不定冠詞にしたのか、と疑問を感じたものの、そんなものか、とそのままにしました。ところが、たまたまNHKワールドニュースのBBCの放送を見て、オバマが「a city」ではなく「the city」と発音していることに気づきました。引用の録画でも、当然、同じです。
スピーチ全文は、ホワイトハウスからメディアに事前に配られた原稿では「destroyed a city」となっていたが、平和記念碑の前に立ったオバマは、ここは長崎ではなく広島だということを強調するために「destroyed the city」とした、ということなのか。あるいは、このスピーチ全文は日本のメディアがテープを起こしたもので、オバマが「destroyed the city」と発音しているのに、理由は不明ながら「destroyed a city」とした、ということなのか。英語を母語とする人ならば、定冠詞と不定冠詞の使い方は絶対間違えないはずです。

A flash of light and a wall of fire destroyed a city.
A flash of light and a wall of fire destroyed the city.

どちらが正しいのか、英語とは長い付き合いですが、恥ずかしながら、わかりません。

4622鈴木小太郎:2016/06/01(水) 20:46:05
松川浦のエマニュエル・トッド
ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』(白水社文庫クセジュ、2009)の冒頭はこんな具合です。(p15)

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序章 フランスのライシテ 記憶と歴史の間

 多くのフランス人にとって、ライシテはごく身近な現実のように見える。わざわざ研究する必要などない、過去の経緯は誰でも知っている。多くの小説や物語が教師と司祭の争いを描き出してきたではないか……。ところが、他の国の人びとからは、ライシテはフランス以外の国には関係がないフランス独自の情熱だと思われている。六角形の小さな国の住人たちが、勝手に自分たちを普遍的だと思っているだけだというのである。
 フランス人にとっては身近な現実、フランス人以外には特殊な情熱、これがライシテについての正しい認識を得る妨げになっている。こう言うと驚く人が多いだろう。しかしこんにち、歴史学上の知見と共通の文化の記憶とのあいだには乖離が生じており、その乖離は、一九〇五年の政教分離法(諸教会と国家の分離に関する法律)一〇〇周年の際にも確認された。たとえば、政教分離法の争点は第四条にあり、それを起草したフランシス・ド・プラサンセ(一八五三-一九一四年)は条文の雛形をスコットランドとアメリカ合衆国に求めているのだが、この事実を知る者は少ない。このことが示すのは、フランスのライシテの歴史は、直接間接に他の国の歴史と繋がっており、諸外国の事情を参考にすることなしにフランスだけでライシテが勝利したわけではないことである。

http://www.hakusuisha.co.jp/book/b207408.html

別に難解な文体で書かれている訳ではありませんが、フランス近代史、特に19世紀の歴史に疎い私にとってはなかなか手強い書物ですね。
あるいはいったん打ち切って、周辺の基礎知識をじっくり固めてから再挑戦する方が適当かもしれませんが、もう少しだけ読み進めてみるつもりです。

>筆綾丸さん
>『家族システムの起源』
今回は東松秀雄氏以下四人が訳して石崎晴己氏は「監訳」なんですね。
「監訳」って名前だけ貸すような例も多いみたいですが、少なくともトッドに関しては石崎氏は相当細かく口を挟みそうですね。
私は暫くトッドばかり読んでいたので、今は少し距離を置きたい気分です。
書評等が出そろってから読もうと思います。

トッドは2011年8月上旬に東日本大震災の津波被災地を訪問していて、『トッド 自身を語る』(藤原書店、2015)にはトッド撮影の流出建物やバスが浮かぶ松川浦の写真も載っていますが(p138)、トッドを案内したというジャーナリスト三神万里子氏との対談内容は、率直に言ってあまり芳しいものではありません。
トッドはジャーナリストの父親と違ってあまりに繊細な人で、生々しい災害現場を歩くような仕事には適性がないような感じがします。
また、トッドを案内した三神万里子氏がちょっと頭でっかちなタイプで、原発事故に対する不安と思い込みが強く、その不安感がトッドに相当影響を与えていますね。
ま、見えないものを見るのがトッドの真骨頂ですから、ルポライターとしては落第であっても仕方ないですね。
人にはそれぞれ得手不得手がありますから。

『トッド 自身を語る』
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1472

4623鈴木小太郎:2016/06/04(土) 11:23:19
谷川稔『十字架と三色旗』
ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』はやはり自分には少し難しいので、いったん止めて、同書の「訳者あとがき」(伊達聖伸氏)で紹介されていた谷川稔氏の『十字架と三色旗─もうひとつの近代フランス』(山川出版社、19797)を読んでみたのですが、これは優れた本ですね。
ついでに谷川氏の『国民国家とナショナリズム』(山川・世界史リブレット、1999)も読んでみたところ、これまた眼から脱ウロコの良書でした。
私は今までの経験上、自分にとって未知の分野に進む場合、あまり多くの学者の本を読むと混乱するばかりなので、優秀なひとりの学者の本を集中的に読むのが効率的だと考えていて、フランス近代史は谷川氏について行こうと決意したのですが、最近の著作はあまりないようですね。
ウィキペディアを見ると、「2005年3月31日、頸髄損傷後遺症などのため、京都大学教授を辞職」とあるので、御病気の影響なのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A8%94

備忘のため『十字架と三色旗』の内容を少し抜き書きしようかなと思ったら、法哲学の谷口功一氏(首都大学東京)が丁寧な紹介をされていました。

「法哲学/研究教育余録」
ライシテをめぐる闘争史−−谷川稔『十字架と三色旗』
http://taniguchi.hatenablog.com/entry/2015/01/20/070215

4624筆綾丸:2016/06/04(土) 19:02:41
伊勢神宮とライシテと屏風
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%86
ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』を読みはじめ、次の指摘は、なるほど、そういうことか、と思いました。
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ジャン・ボベロの理論的貢献のひとつは、laïcisation(脱宗教化)と sécularisation(世俗化)を概念として分けたことで、前者は法律によってライシテに基づく公教育や政教分離が制度化される過程を指し、後者は市民社会と文化・習俗において宗教の影響が減退する過程を指す。(10頁)
-----------
ウィキによれば、 laïcisme はギリシャ語源、sécularisme はラテン語起源の言葉なんですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E5%8A%9F%E4%B8%80_(%E6%B3%95%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
ご引用の谷口功一氏のブログには、「シャルリー・ヘブド事件」とありますが、Hebdo の H は発音しないのでエブドの間違いですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2
ガリカニスムの語源ガリアは、ウィキを見ても、大変複雑な史的背景があるのですね。


http://mainichi.jp/articles/20160512/k00/00m/010/141000c
伊勢志摩サミットにおける各国(及びEU)首脳の記念撮影ですが、ライシテという観点からみると、どうなんだろう、と若干の疑問を抱きました。伊勢志摩をサミット会場に選んだ最大の目的は伊勢神宮内宮前の記念撮影にあって、議題の経済やテロの問題などはただの付け足しだったのではないか、とまでは邪推しませんが。
サミットの夕食会会場に飾られていた「燕子花図屏風」の八橋も気になりました。G7を背後から八橋が守る、という洒落かもしれませんが、あれは酒井抱一でしょうか。

4625鈴木小太郎:2016/06/06(月) 09:53:09
「もう書評は書かないと心に決めていたが・・・」(by 谷川稔)
国会図書館で検索した範囲では、谷川稔氏のここ十年ほどの著作は僅少なのですが、その中のひとつ、「書評 相良匡俊著『社会運動の人々─転換期パリに生きる─』をめぐって」(『史学雑誌』124編、11号、2015)を読んでみました。
冒頭を少し引用すると、

------
 本書は二〇一三年七月二四日に逝去した相良匡俊の遺稿集である。それもたんなる遺品の寄せ集めではない。ながらく埋もれていた傑作が再発見され、あらためて単行本のかたちで世に問われたことをまずは喜びたい。その再発掘に私自身もいくらか寄与できたのならば、なおさらである。本書は、相良が他界する二か月前の五月に、旧社会運動史研究会の関係者が上梓した『歴史として、記憶として─「社会運動史」一九七〇〜一九八五』(御茶の水書房)と、そのお膳立てとなった三度のシンポジウムがなければ、おそらく陽の目を見ることはなかったであろう。そのシンポ劈頭の拙論「戦後史学と社会運動史、そして社会史」(二〇一一年一二月一〇日、於、東洋大)が、この研究会の存在を忘却の闇から呼び戻し、関係者たちを再記憶化の作業に駆り立てるきっかけを提供したとすれば、何がしか故人への供養になっただろうか。もう書評は書かないと心に決めていたが、その禁をあえて破ることにしたのも、「相良匡俊と社会運動史」という「記憶の場」に、私なりのけじめをつけておきたかったからである(拙稿「全共闘運動の残像と歴史家たち」前掲書所収、参照)。
------

という具合で(p106)、1946年生まれの谷川氏は全共闘世代の歴史家なんですね。
日本史の場合、この世代の歴史研究者は、濃淡の違いはあれ、概ね民青(共産党)系と言ってもよいでしょうが、西洋史はちょっと違うようですね。
谷川稔氏を読み始めたばかりの私ですから、もちろん相良匡俊氏(1941-2013、元法政大学教授)の名前も知りませんでしたが、谷川氏が紹介する相良氏の研究もなかなか面白そうなので、もう少しフランス近代史の勉強が進んだら読んでみたいですね。
ま、今はあまりあせらず、入門書の続きとして谷川氏が半分程書いている『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』(中央公論新社、1999)や服部春彦・谷川稔編著『フランス近代史─ブルボン王朝から第五共和制へ』(ミネルヴァ書房、1993)などを読もうと思っています。

>筆綾丸さん
谷口功一氏に『十字架と三色旗』を教えたという長野壮一氏のブログでは「『週間チャーリー』編集部襲撃」「JE SUIS CHARLIE(俺はチャーリーだ)」などと書かれていて、これもちょっと妙な感じですね。

近代フランス社会思想史ブログ
http://snagano724.hatenablog.com/

4626筆綾丸:2016/06/06(月) 18:31:22
瀆神的なキリスト教?
小太郎さん
ご引用の「近代フランス社会思想史研究ブログ」を拾い読みしましたが、ほんとにフランス社会思想史の専門家なのか、と思いました。
地下鉄車両内の写真を「メトロ6番線のリシャール=ルノワール駅です」としてますが、この駅を通るのは「メトロ6番線」ではなく「メトロ5号線」です。また、「シャーリー、ヌソムトゥ(俺たち皆チャーリーだ)!」の原文は、おそらく「Charlie, Nous sommes tous!」かと思われますが、この場合の「tous」は「トゥ」ではなく「 トゥス」と「s」を発音します。
レピュブリック広場のプラカード「I AM CHARLIE」は「俺はチャーリーだ」でいいかもしれませんが、「JE SUIS CHARLIE」を「俺はチャーリーだ」とする言語感覚は理解できません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3_(%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%84)
ちなみに、シャルリは『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』のパロディという説もあるようですが、いくらなんでもチャーリーはないだろ、と思いました。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Charb
もうひとつのプラカード「CHARB MORT LIBRE」の通称CHARB(シャルブ)は、くだらぬマンガばかり描いて射殺されてしまいました。ちなみに charbonnier とは炭焼き人のことですが、デッサンにカーボンは必需品です。

ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』に、これ見よがしな(オスタンタトワール、オスタンシブル)が出てきますが(165頁)、当時、たしかにこの言葉が流行語になりました。ostensible も ostentatoire も、カトリックの ostensoir(聖体顕示台)の派生語なので、これらがイスラムのヴェールとの関連で使われたため、その逆説的なシニカルさが受けて流行語になったのでしょうね。

同書180頁に『世俗的なキリスト教?』(Un christianisme profane ?)とありますが、英語 profane の第一義は「冒瀆的な」とか「神を汚す」という意味であるために、「冒瀆的なキリスト教?」という訳が浮かんでしまうのですが、フランス語の第一義は「世俗的な」とか「宗教外の」という意味なんですね。英語と仏語の微妙な意味のズレのためにスパイの身元がばれてしまう、というような探偵小説があったような気がします。

谷川稔氏『十字架と三色旗』を入手しました。

補遺
『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』の「第五章 ライシテ協約としての政教分離 ? 国家の反教権主義と政教分離」あたりを読むと、エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』の訳注(226頁)について、こんなことが本当にありうるのか、と驚きますね。
---------------
一九〇五年の政教分離法にもかかわらず、当時はフランスの統治下になく、第一次世界大戦後にフランスに復帰したアルザス地方には、一八〇一年に執政官ナポレオンと教皇ピオ七世の間で結ばれたコンコルダートが現在に至るまで存続している。
---------------

4627鈴木小太郎:2016/06/07(火) 10:12:05
「十九世紀フランスの小説は、社会史的史料の宝庫」(by 谷川稔)
>筆綾丸さん
>「JE SUIS CHARLIE」を「俺はチャーリーだ」とする言語感覚

巴里のアメリカ人が書いた紀行文をグーグル翻訳したみたいな文章ですね。

>谷川稔氏『十字架と三色旗』

「あとがき」を見ると、「本書の基本的な構想は一〇年以上もまえにできており、史料や文献の収集もそれなりに進めていた」にも拘らず、「文部省主導の「大学改革」という名の会議の嵐に巻き込まれ」てしまって、出版はずいぶん遅れてしまったそうですね。
しかし、谷川氏は次のように続けます。(p241以下)

------
 そのようなわけで、本書は長くあたためたわりには、未熟児のまま世に送り出される結果となった。もっとも、「不出来な子ほど可愛い」のたとえどおり、長年この主題にかけてきた思いだけはひとしおである。それに不恰好なものではあれ、方法的な工夫も多少試みている。
 ひとつは、ミクロ・ストーリア全盛の時代に、あえて長いタイム・スパンをとったことである。フランスの近代国民国家形成を、文化統合という観点からとらえかえすには、どうしてもフランス革命それ自体の再検討が必要であり、しかもそれを十九世紀全般にわたる文化ヘゲモニーの変容とあわせて、総合的に理解しなければならないと考えたからである。
 この試みは、専門分化の著しい今日の歴史学においては、無謀の謗りを免れないことも承知している。しかも今日では、西洋史という外国史研究の領域においてさえ、「手稿史料信仰」とでもいうべきものが成立しており、手稿を使わない研究は研究の名に値しないと極論するむきさえある。本書にあてはめれば、第二章以外は落第ということだろうか。
 だが、こうした「帰化史学」的論法はどこか思い違いしているように思われる。活字文化が成熟していない前近代史の世界ならいざしらず、近現代史においては、新聞、雑誌、議事録、回想録といった活字化された文献もりっぱな一次資料であり、しかも手稿史料より情報量が多いのが通例である。【中略】それに、なによりもこの古文書至上主義は、外国史研究の特性である視野の広角性を失わせる恐れがある。
------

日本史の専門分化は凄まじい段階に達していて、『歴史学研究』・『日本史研究』・『史学雑誌』あたりに載る論文であっても、著者が実際に読者として想定しているのはせいぜい十数人くらいでは、みたいな論文もけっこうありますが、日本史より多少はマシとはいえ、西洋史も傾向は同じなんでしょうね。
さて、もう少し続けます。

------
 この史料選択という点でひとつ試みたのは、叙述に臨場感をだす工夫である。歴史家にとって史料は、武器と同時に足枷であり、作家のように登場人物の心象風景を描いたり、一人称で語らてみたりすることにブレーキとして作用する(もっとも本書第二章では、嘆願書に語らせてはいるが……)。そこで、逆に、同時代を生きた作家の小説や自伝の表現を借りて、原史料に準ずるものとして語らせてはどうかと考えた。それも、たんなる状況証拠ではなく、同時代人の目撃証言あるいはひとつの解釈としての史料的価値を有する有力な文献史料として。
 第四章以下でバルザック、フロベール、パニョルらの小説をふんだんに引用してみたのは、そのささやかな実験である。今ではすくなくとも、十九世紀フランスの小説は、社会史的史料の宝庫だとの確信を深めている。なによりも、この「史料」はアクセスが万人に平等に開かれているのがありがたい。手稿のように、アクセスに社会的・経済的な特権性がつきまとうようなこともない。
------

本書では「ささやかな実験」は明らかに成功していますね。
工藤庸子氏の『宗教vs.国家:フランス「政教分離」と市民の誕生』(講談社現代新書、2007)にも十九世紀の小説が「ふんだんに引用」されていて、なるほど、こんなやり方があるのか、と思ったのですが、直接には谷川稔氏の先例があったのですね。

4628筆綾丸:2016/06/07(火) 14:23:59
骨までライシテ
https://www.youtube.com/watch?v=uVGkSdrYqvI
『城卓矢 - 骨まで愛して』
YouTubeで台湾の番組を見ると、漢語では、要愛我入骨、と言うようですが、なんだか、骨上げの儀式のような趣がありますね。

小太郎さん
https://fr.wikipedia.org/wiki/Gabriel_Le_Bras
『十字架と三色旗』の参考文献に、「Le Bras,Gabriel. L'église et le village,Paris,1976.」(11頁)とありますが、著者はエルヴェ・ル・ブラーズの父ですね。

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・・・ボベロの肝いりで作られたGSRLも、Groupe de Sociologie des Religions et de la Laïcité から Groupe Sociétés, Religions, Laïcités へと改称している。最初は「宗教」が複数形で「ライシテ」が単数形だったのに対し、今では「社会」も「宗教」も「ライシテ」も複数形である。クセジュから出た最新著は、その名も『世界のライシテ』(二〇〇七年)で、「ライシテ」は当然のごとく複数形で用いられている。同書によれば、日本もー靖国問題や象徴天皇制をどう考えるかという難問はあるがー「かなり厳格なライシテの国」である。(『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』184頁)
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巻末参考文献の標題をみると、ライシテが複数形になっているのは、
Jean Baubérot, Les laïcités dans le monde, ≪Que sais-je?≫,2007.(?頁)
Guy Bedouelle, Jean-Paul Costa, Les laïcités à la Française, 1998.(?頁)
の二つだけで、前者は国別ライシテの諸相、後者はフランスにおけるライシテの時代別諸相、ということなんでしょうね。
津地鎮祭訴訟をライシテ訴訟と言うと、いまひとつピンときませんが、Les laïcités dans le monde の中の貴重な一例と考えれば、珍奇な追加反対意見があるものの、フランス革命という大分水嶺にまで遡及可能な輝かしい世界性を帯びてくるから、まあ、不思議と言えば不思議な感じがしてきますね。

4629鈴木小太郎:2016/06/08(水) 10:11:15
ライシテと愛媛玉串料訴訟大法廷判決
>筆綾丸さん
>津地鎮祭訴訟をライシテ訴訟と言うと、いまひとつピンときませんが、

政教分離原則に関しては1977年(昭和52)の津地鎮祭訴訟大法廷判決の20年後、1997年に愛媛玉串料訴訟大法廷判決が出ていて、これは目的効果基準という判断枠組みこそ津地鎮祭訴訟を承継しているものの、結論としては非常に厳格な政教分離を求めていますから、現在の日本は「かなり厳格なライシテの国」と言ってよいでしょうね。
もともとこの掲示板で津地鎮祭訴訟を論じるようになったのは5月3日に石川健治氏が朝日新聞に寄稿した「9条 立憲主義のピース」がきっかけですが、判例としては津地鎮祭訴訟大法廷判決は若干古いものになってしまっていますね。
藤林益三からは離れてしまうので、今まで愛媛玉串料訴訟には特に触れませんでしたが、憲法学界での評価の一例を紹介すると、阪口正二郎氏(一橋大学教授)は『論究ジュリスト』No.17(2016年春号)において、「愛媛玉串料訴訟判決を振りかえる」と題して、次のように述べています。(p61)

------
?.愛媛玉串料訴訟判決の画期性

 1997年4月2日、最高裁大法廷は、1981年から1986年にかけて、愛媛県が靖国神社の行った例大祭にいわゆる「玉串料」を、みたま祭に「献灯料」を、さらに県護国神社が行った慰霊大祭に「供物料」として、県の公金から合計16万円あまりを支出した行為は、憲法が保障する政教分離原則に違反するとの判断を示した。
 この愛媛玉串料訴訟判決(以下「本判決」とする)が「画期的」な判決であることについては、当初から、広く認識が共有されていると言っていい。訴訟を提起した原告は、「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」と評価している。また原告の弁護団長も、「1997年4月2日は、わが国の憲法裁判史において画期的な日として長く記憶されることとなろう」としている。判決を報じたマスコミにおいても、読売、朝日、毎日の主要3紙が判決について「社説」を掲載している。憲法学界の反応は、判決後特集を組んだ『ジュリスト』誌における鼎談「愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決をめぐって」における3名の憲法学者の発言におおよそ示されている。司会を務めた戸松英典は、鼎談の冒頭で、そもそもなぜ鼎談を行うのかという理由として、「これは最高裁判所が政教分離原則違反を争う訴訟に対して、初めて違憲の裁判を行った画期的なもので、憲法学界はもとより、各方面から注目を浴びております」と述べている。これを受けた横田耕一も、「従来政教分離の裁判にいろいろな形で関与していますが、この事件で違憲判決、しかも13対2という形で違憲判決が出たということは、これまでの最高裁の傾向からして、正直言って意外でした」と述べている。また、長谷部恭男も、「この判決は日本国憲法下における精神的自由権プロパーに関する初めての違憲判決と言ってもよい判決で、その点で重大な意義を持っていると思います」と述べている。
-------

ざっとこんな論調ですね。
注記によれば、原告の「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」というコメントは名田隆司「おわりに」(『「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集』1997、p458)からの引用だそうで、この種の訴訟がどのような立場の人によって提起されているかを伺うことができます。
まあ、正直、私は思想的にかなり偏った人々が主導し、「リベラル」な憲法学者たちが追随する日本の政教分離原則論議がそれほど面白くはなくて、何だか息苦しい感じがします。
そんなのよりは比較法的検討の方が、視野が開けて楽しいですね。

『論究ジュリスト』No.17(2016年春号)
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641213173

京都産業大学・憲法学習用基本判決集
愛媛玉串料訴訟
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/28-3.html

4630筆綾丸:2016/06/08(水) 12:29:15
悪の芽
小太郎さん
ご引用の『愛媛玉串料訴訟上告審判決』における「裁判官可部恒雄の反対意見」の[49]は面白いですね。玉串料の如き些末なものはどうでもよく、ほかに存在するであろう「悪の芽」を摘んだほうがよい、と。最高裁判決の中で、反対意見とはいえ、「悪の芽」という表現はかなり異質な感じがしました。
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悪の芽は小さな中に摘みとるのがよく、憲法の理想とするところを実現するための環境を整える努力を怠ってはならない。しかし、国家神道が消滅してすでに久しい現在、我々の目の前に小さな悪の芽以上のものは存在しないのであろうか。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E9%83%A8%E6%81%92%E9%9B%84
最高裁判所首席調査官というのは大変なエリートだと仄聞していますが、可部氏には可部氏なりの言うに言われぬ鬱屈があったのでしょうね。


https://fr.wikipedia.org/wiki/Manifestations_des_10_et_11_janvier_2015
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 首都パリを西から東へ横断したこの百万人デモの集結点がナシオン広場つまり「国民広場」であり、そこに通じる最後のブルヴァールが「ヴォルテール大通り」であったのは、偶然とはいえまことに象徴的である。反教権的フランスを象徴する思想家ヴォルテールと国民との結合、あたかも「ヴォルテール的フランス」そのものを表現しているかにみえる。(『十字架と三色旗』14頁)
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これは1994年1月16日のデモの進路ですが、約20年後のデモ(2015年1月11日)の進路の一つも、レピュブリック広場からヴォルテール大通りを経由してナシオン広場へと至っていて(Le cortège parisien va de la place de la République en direction de la place de la Nation, via le boulevard Voltaire.)、この進路は谷川氏の言われるように偶然ではなく必然です。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Voltaire
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・・・il prend le nom de boulevard Voltaire le 25 octobre 1870. Il relie la place de la République et la place de la Nation. Très rapidement, le boulevard Voltaire est devenu une voie qu'empruntent de nombreux défilés de partis politiques de gauche, de syndicats ou de mouvements de contestation.
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ウィキの説明によれば、偶然ではないことがよくわかります。共和国広場と国民広場を結ぶのはヴォルテール以外ありえず、左派・労働組合・抗議運動など様々なデモの進路となる聖地のようです。命名の翌年のパリ・コミューンが、このブルヴァールの性格を決定づけたのでしょうね。
1962年2月8日広場というのがヴォルテール大通りとシャロンヌ通りとの交叉点にあって、アルジェリア戦争反対のデモで9名の死者が出た、ともありますね。

谷川氏のアパルトマンがあったスールト大通り(Boulevard Soult)は、パリ12区の東端、ヴァンセンヌの森に近く、「全共闘世代の歴史家」らしい選択だと思いました。今時の学生や研究者は、意識的か無意識的かはともかく、パリの西側に住むはずですね。つまり、大統領府や首相官邸に近い方です。セーヌの右岸と左岸、東側と西側では、パリは何かが決定的に違います。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-de-Dieu_Soult
スルトは大通りの名に相応しい顕官ですね。

4631鈴木小太郎:2016/06/09(木) 08:30:07
愛媛玉串料訴訟の原告について
昨日の投稿で、愛媛玉串料訴訟の原告の「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」というコメントを紹介した後、<私は共産党関係者が主導し、「リベラル」な憲法学者たちが追随する日本の政教分離原則論議がそれほど面白くはなくて>と書いてしまったのですが、少なくとも愛媛玉串料訴訟の場合、原告が「共産党関係者」と言えるかは問題なので、若干の補充をするとともに「共産党関係者」を「思想的にかなり偏った人々」に変更しました。

阪口正二郎氏の「愛媛玉串料訴訟判決を振りかえる」の上記原告コメントには、

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2)名田隆司「おわりに」「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集刊行編集委員会編『「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集』(1997年)458頁。
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との注記があり、名田隆司氏の名前で検索したところ、最初に「愛媛現代朝鮮問題研究所」ブログが出てきました。
そのブログによると、名田隆司氏は「愛媛現代朝鮮問題研究所」代表で、「2012年4月15日/朝鮮民主主義人民共和国国際文芸作品コンクールで、最優秀賞を受賞」したという『強盛大国へ向かう挑戦』の著者であり、「2012年4月15日に朝鮮民主主義人民共和国から、「名誉博士」号(政治社会部門)を授与された」人だそうです。
また、ウィキペディア情報ですが、名田氏は「えひめ高齢者協同組合専務理事や愛媛チュチェ思想研究連絡会代表も務める。「さらむ・さらん社」という出版社を運営し、そこから朝鮮民主主義人民共和国を賛美する書籍を出版している」そうですね。

http://miyamiyasaitou.blog.fc2.com/blog-date-201205.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

国会図書館で名田氏の名前で検索すると北朝鮮関係を中心に24件ヒットしますが、1936年生まれの名田氏の最初の著作は『偉大な愛の讃歌金正日書記と人民』(幸洋出版、1983)という「金正日書記生誕41周年を祝して」発行された「金正日の肖像」付の本だそうです。
また、1992年には『人民の子、金正日 : 金正日書記生誕五十周年を祝して』(さらむ・さらん社)、1995年には『 ノンナムは見ていた : 四国朝鮮初中級学校50年』(さらむ・さらん社)を出版し、愛媛玉串料訴訟大法廷判決の翌1998年には『マスコミ市民』という雑誌に「「拉致疑惑」歴史をねつ造するな! 」という論文を寄稿しているそうです。
以上の名田隆司氏の経歴・著作を見ると、日本共産党の党員ではなく、もう少し極端な思想の持ち主のようですね。
私は愛媛玉串料訴訟は日本共産党系の自由法曹団が手掛けた案件だとずっと思っていて、そのためついつい「共産党関係者が主導」みたいな表現を用いてしまったのですが、あるいは若干の誤解があったのかもしれません。
少し検索したところ、自由法曹団編『憲法判例をつくる─自由法曹団が選んだ50の判例』(日本評論社、1998)という本に愛媛玉串料訴訟も載っているそうなので、事実関係を確認してみるつもりです。

>筆綾丸さん
>「悪の芽」

可部反対意見は面白いですね。
ご指摘の「悪の芽」の前に出てくる「憲法論議としての自殺行為」云々も筋の通った議論です。

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一二 憲法89条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によって国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り一銭一厘の支出も許されないかの如き体裁となっている。そこで忽ち問題となるのが、津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる「特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を」することは、憲法八九条に違反することにならないか、ということである。
 この点は、他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから……と説明されるのが通常である。しかし、憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか。
 一方において、宗教関係学校法人に対する億単位、否、十億単位をもってする巨額の公金の支出が平等原則の故に是認され得るとすれば、そして、もしそれが許されないとすれば即信教の自由の侵害になると論断されるのであれば、その論理は同時に、他の戦没者慰霊施設に対する公金の支出が許されるとすれば、同じく戦没者慰霊施設としての基本的性質を有する神社への、五千円、七千円、八千円、一万という微々たる公金の支出が許されないわけがない、もし神社が「宗教上の組織又は団体」に当たるとの理由でそれが許されないとすれば、即信教の自由の侵害になる、との結論を導き出すものでなければならない。宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
 戦前・戦中における国家権力による宗教に対する弾圧・干渉をいうならば、苛酷な迫害を受けたものとして、神道系宗教の一派である大本教等があったことが指摘されなければならない。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/28-3.html#iken5

4632筆綾丸:2016/06/09(木) 16:57:36
立憲僧
小太郎さん
ご引用の反対意見のうち、以下の言説は核心をついていて、僭越ながら良いものですね。
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宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
-------------
このあとに大本教弾圧の話が出てきますが、若い頃、高橋和巳の『邪宗門』を何度か読もうとして、結局、読めなかったことを思い出しました。今から読んでもしょうがないかな、と考えています。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Robespierre_(m%C3%A9tro_de_Paris)
パリ市内に、ロベスピエールを顕彰する通りの名はなく、20区に隣接するモントルイユ市にメトロ9号線のロベスピエール駅が辛うじてあって、むかし、訪ねたことがあります。外に出ると、荒んだ街並みが広がっていて、がっかりしたものです。ウィキによれば、1936年、共産党の市長のときに命名されたのですね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Tignous
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%A9
シャルリ・エブド事件の犠牲者の一人にモントルイユ在住のティニュスという人がいましたが、モントルイユ市役所の大広間で行われた葬儀の模様を、当時、インターネットで見ました。トビラ司法相が追悼の言葉を捧げていましたね。

『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』では「立憲僧」、『十字架と三色旗』では「立憲派僧」とありますが、これは後著の参考文献中「Un curé constitionnel」(7頁)の訳語のようですね。昨今の日本で流行している立憲主義という用語からすると、なんだか奇異な感じがしますね。
(curé constitionnel は立憲司祭のことで、立憲僧は moine constitionnel か?)

4633鈴木小太郎:2016/06/10(金) 12:43:39
「原告団より弁護団が先にできたほどだった」(by 東俊一弁護士)
自由法曹団編『憲法判例をつくる』(日本評論社、1998)を確認してみましたが、冒頭の「発刊によせて」によれば、「この本は、自由法曹団の弁護士が、みずからがかかわった、憲法問題を争点にした裁判の弁護活動と判決をコンパクトにまとめたもの」だそうですね。
愛媛玉串料訴訟は地元愛媛の東俊一という弁護士が担当です。
それを見ると、「事件のあらまし」に、

------
「靖国の国家護持に反対する愛媛県民の会」の会員らを中心として20名余の原告が選出され、82年6月、知事を被告として損害賠償代位請求住民訴訟が提起された(以降第5次まで提訴。第2次からは、県東京事務所長らも被告に)。
------

とあり(p217)、また、「訴訟の重点と工夫」には、

------
1 住民側が、まず最初に心を砕いたのは、確実に勝訴するために、原告団と弁護団の構成をどうするかであった。「一部の宗教者の裁判だ」などとの知事側からの矮小化の主張を許さず、この裁判が、幅広い県民の支持によって闘われていることを示すものにすることが何よりも重要だと考えたのである。
 原告団には、僧侶・牧師等宗教者だけでなく、学者・労働者・教師・主婦等多様な人々が県内各地から参加し、団長には真宗大谷派の若き僧侶安西賢二が就任した。彼は右翼の執拗な脅迫にも屈することなく毅然たる態度を貫いたし、また不偏不党の立場を堅持した。
 弁護団には、思想信条を超え約10名の弁護士が参加し、団長には、長老の弁護士が就き、病身ながら重責を果たした。ところが、団長と若手弁護士が1審判決の直前に、そしてもう1名の若手弁護士が1審判決の直後に、いずれも病気で死亡した。痛恨の極みであったが、次々と若い人々が弁護団に参加したし、後を継いだ若き弁護団長は団結を何よりも重視した。原告団、弁護団のこのような構成と団結は、裁判に対する国民的支持を広げ、また裁判所に住民側の主張を真正面から受け止めさせるうえで、重要な役割を果たした。
-----

とあります。(p218以下)
阪口正二郎氏(一橋大学教授)が引用した「原告」のコメントと「原告」名田隆司氏の経歴にはちょっとびっくりしましたが、まあ、名田氏は裁判記録集の「おわりに」を執筆するくらいだから、それなりに熱心に活動した人なんでしょうが、あくまで「20名余の原告」の一人なんですね。
一審判決の前後に弁護団長を含む三人の弁護士が病死した、というエピソードは、面白いと言っては不謹慎ですが、たぶん「罰が当たったのだ」みたいな言われ方もされたんでしょうね。
さて、東俊一弁護士の書き方だと「靖国の国家護持に反対する愛媛県民の会」から原告が選出され、それとは別に弁護団が選任されたように読めますが、田中伸尚氏の『政教分離─地鎮祭から玉串料まで』(岩波ブックレット、1997)を見ると、最初から「県民の会」の中心に複数の弁護士がいたようですね。
同書によれば、「真宗大谷派の若き僧侶安西賢二」氏は『浄土真宗の戦争責任』(岩波書店、1993)の著者、菱木政晴氏などの思想的影響を受けて真宗教団の戦争責任を追及する活動を行っていた人のようですが、

------
【前略】安西さんは、玉串料公金支出の〔1982年1月12日の共同通信〕ニュースに接したとき戦争責任を負っている真宗者として見逃してはならないと受け止めた。たまたま前年から結成準備が進められていた「靖国の国家護持に反対する愛媛県民の会」(以下、「県民の会」)が二月一一日に発足し、早くもその日の総会で、玉串料問題を「会」として訴訟する方針が確認された。県内の有力な弁護士をはじめ労働組合員、教員、宗教者らがメンバーで、安西さんも当初から加わっていた。
 動きは早かった。四月一九日に安西さんら一〇人が【中略】知事に返還を求め、さらに今後の支出の差し止めを求める監査請求をした。
-----

とのことで(p28)、監査請求が却下されると、

-----
 安西さんらはすぐに訴訟の準備に入った。訴訟については「県民の会」の弁護士が特に熱心で、原告団より弁護団が先にできたほどだったと東俊一弁護士はいう。憲法の精神、原理を大切にする弁護士にとって、靖国神社に公金が支出されるのは、とてもみすごすことができる問題ではなく、自身の課題としてとりくんでいこうという意思が当初から強くあった。
------

そうですね。(p30)
地方自治法に基づく住民訴訟は相当複雑な手続きですから、一般市民ではなかなか動けず、最初から法律に精通した弁護士が組織的に取り組まなければ素早い対応は無理ですね。
まあ、原告団長の「真宗大谷派の若き僧侶安西賢二」氏も自由法曹団、そして共産党があまり目立たないようにするために、「一部の共産党系弁護士の裁判だ」などとの「知事側からの矮小化の主張を許さ」ないために選ばれた人なんじゃないですかね。
それなりに信念のある人でしょうから、飾りとまで言っては失礼ですが。

>筆綾丸さん
>以下の言説は核心をついていて

結局、多数意見も決め手は法的論理ではなく、歴史認識なんですね。
歴史認識で「国家神道」は真っ黒だから、「国家神道」につながるものは全て駄目、「悪の芽」は全て摘み取るのだ、という発想です。
その典型は尾崎行信判事の見解ですね。

------
2 これに対し、本件の玉串料等の奉納は、その金額も回数も少なく、特定宗教の援助等に当たるとして問題とするほどのものではないと主張されており、これに加えて、今日の社会情勢では、昭和初期と異なり、もはや国家神道の復活など期待する者もなく、その点に関する不安はき憂に等しいともいわれる。
 しかし、我々が自らの歴史を振り返れば、そのように考えることの危険がいかに大きいかを示す実例を容易に見ることができる。人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命身体の自由をも奪われたのである。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には10年を要しなかったことを想起すれば、今日この種の問題を些細なこととして放置すべきでなく、回数や金額の多少を問わず、常に発生の初期においてこれを制止し、事態の拡大を防止すべきものと信ずる。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/28-3.html#iken3

4634鈴木小太郎:2016/06/11(土) 11:15:04
政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その1)
憲法学の世界になじみのない人が憲法判例、特に人権分野の判例の解説を読むと、日本の判例を分析しているはずなのに、何故にアメリカの判例や学説への言及がこんなに多いのか、という素朴な疑問を抱くと思います。
政教分離論議はその典型で、そもそも津地鎮祭訴訟大法廷判決の目的効果基準はアメリカからの輸入品に若干手を加えたものですし、愛媛玉串料訴訟大法廷判決における目的効果基準批判派もアメリカの別の判例理論の輸入業者ですね。
ま、新憲法制定の経緯から、憲法学界にはアメリカ留学組が極めて多く、ついつい議論が「アメリカでは・・・」となりがちなのですが、それでも旧憲法下のドイツ国法学の伝統を嗣ぐドイツ出羽守も相当な存在感を示していますし、現在は樋口陽一氏以下のフランス出羽守も一大勢力を誇っていますね。
そこで、普通の人権の議論では、アメリカをベースとしつつも、ドイツ・フランスの学説を適度にブレンドした、それなりにバランスの取れた議論がなされるのが通常なのですが、政教分離論議においてはドイツ出羽守の存在感が稀薄です。
それは何故かというと、ドイツではそもそも政教分離がなされていないので、日本の議論には全く参考にならないからですね。
辻村みよ子氏の『比較憲法』(岩波書店、2003)にドイツの事情についての簡明な説明があるので、ちょっと引用させてもらうと、

--------
 ドイツ連邦共和国基本法は,第4条1項で「信仰および良心の自由ならびに信仰告白および世界観の告白の自由は,不可侵である」と定め,2項で宗教活動の自由を保障している。しかし,政教分離を定めた規定はない.それどころか,第7条3項で,宗教教育は,公立学校においては,非宗教的学校を除き,正規の教科目とすることを明示している.
 さらに基本法は,第140条でワイマール憲法第136-139条,第141条の規定を基本法の構成をなすものとして取り込んだ.その内容は,以下のとおりである.市民・公民の権利の享有は宗教に無関係であり,何人も教会の儀式・祝典または宗教的行事への参加を強制されない(ワイマール憲法第136条).国教会は存在せず,宗教団体結成の自由が保障される.ライヒ領域内の宗教団体の結成はいかなる制約にも服さず,これらの規定を執行するための法規は州の立法による(同137条).法律等にもとづく宗教団体への国の給付は,州の立法によって支払われる(同137条).国民の休息の日は,法律等によって,日曜に定められ(同139条),軍隊・病院・刑事施設および公の営造物では,礼拝式または司牧の要望があるときは宗教団体が宗教的儀式を行うことも認められる(同141条).さらに,宗教団体の財産権が特別に保護される(同138条2項).
 これらの規定からすれば,国教をもたないという原則のもとで,宗教団体や教会が特別の地位を得ることが可能となるようにみえる.実際に,コンコルダートによって国家と大教会が公法上の契約を締結している事実が説明されることになるが,連邦憲法裁判所は,国家の宗教的中立性の義務を強調する傾向にある(例えば,大教会に保障されている手数料免除について,小規模の宗教団体との区別を設けることを正当化できないと判断している).
------

といった具合です。(p96以下)
ドイツにはもちろん信教の自由はありますが、政教分離という発想自体がないんですね。
政教分離をめぐる日本の煩瑣な議論に慣れた者にとっては殆ど驚異の世界ですが、中でも不思議なのは公教育における宗教の位置づけです。
少し長くなったので、ここでいったん切ります。

辻村みよ子(1949-)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%9D%91%E3%81%BF%E3%82%88%E5%AD%90

4635鈴木小太郎:2016/06/11(土) 11:38:34
政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)
辻村みよ子氏の『比較憲法』からの引用をもう少し続けます。(p97以下)

------
宗教と教育
 宗教と教育の関係では,「磔刑像」に関する問題が興味深い.ドイツの諸州では,義務教育学校の教室にキリスト像のついた十字架を架けることが一般的であり,バイエルン州では学校規則で「十字架が設置されなければならない」としてこれを命じていた.十字架ではなく実際には「磔刑像」が設置されていたことから,児童の両親がその撤去を求めた事件で,仮処分の訴えが行政裁判所で却下された後,連邦憲法裁判所に憲法訴願が提起された.
 連邦憲法裁判所は,1995年,基本法第19条4項の法的救済の規定,第4条1項の信仰の自由,第6条2項の親権者の教育権などを根拠として,行政裁判所の判断を退けた.そこでは,キリスト教徒以外の信教の自由を侵害するとして違憲判断を下したが,この決定は世間の大きな批判にさらされることになった(1995年5月16日決定,BVerfGE93,1)(詳細は,ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの最新憲法判例』98頁以下〔石村修執筆〕参照.
------

少し前まで私はドイツの「義務教育学校の教室にキリスト像のついた十字架を架けることが一般的」であること自体を知らなかったので、「磔刑像」について社会的な論争が起きたことも全く知りませんでした。
ま、正直、十字架が良くて「磔刑像」が駄目という感覚は全く理解できないのですが。
さて、以上を受けて、辻村氏は次のようにまとめます。

------
 ドイツでは,前述のように,公立学校において宗教教育を正規の授業科目とすることが定められており,「宗教の授業は,国の監督権を害さない限りにおいて,宗教共同体の教義にそって行われるものとする」とされる(基本法第7条3項).実際にも,キリスト教の宗教教育が必然的なものと解されてきたため,もともと教育における国家の宗教的中立性を確保することは困難である.これに対して,フランスでは,公教育の中立性を確保するための真摯な努力が続けられている.
------

最後の一文はまさに「ライシテ」の中心問題ですが、辻村氏の書き方も些か微妙ですね。
「フランスでは,公教育の中立性を確保するための真摯な努力が続けられている」を裏返すと、ドイツでは「真摯な努力」がなされていないということになりそうです。
辻村氏はある国の制度が「真摯」なものであるか、ある国の国民が「真摯な努力」をしているかどうかを判別することも比較憲法学の役目と考えておられるのですかね。
そうだとすれば、ちょっと傲慢なのではないかと思うのですが。

4636筆綾丸:2016/06/11(土) 11:40:57
公の支配
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%AD%A6%E5%8A%A9%E6%88%90
「宗教関係学校法人」は国(県)の認可によるもので「公の支配」(憲法89条)に服するから、「巨額の助成」であろうとも合憲だ、ということのようですね。これに比べると、玉串料や地鎮祭など、馬鹿々々しいほどケチな問題だな、という気がしますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC89%E6%9D%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%88
GHQ草案の「not under the control of the State」(現行憲法の英訳 not under the control of public authority )は、「コンコルダート」あたりに起源があるのかどうか・・・。


https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/
青井未帆氏『憲法と政治』は、少し読んでみましたが、著者の個性云々以前に、岩波書店らしい内容です。

4637鈴木小太郎:2016/06/11(土) 12:31:45
>筆綾丸さん
投稿時間が重なってしまいましたね。
これから外出しますので、レスは後程。

4638キラーカーン:2016/06/11(土) 22:55:45
「公の支配」等々
>>ドイツ出羽の守
ドイツに限らず、欧州各国には「キリスト教○○」という有力政党がありますから、
その意味で、日本の憲法学者が考えるような「政教分離」という議論には不適切なのでしょう

>>辻村みよ子女史
辻村女史はフランス憲法が専門ですから、フランス憲法とフランス革命を無意識のうちに「至高の物」としている可能性があります。

>>公の支配

個人的には、憲法改正での「影の本命」ではないかと思っています。
少なくとも、現状の運用について異論を唱えている勢力はないので
改憲のコンセンサスは取れるはず。
(朝鮮学校は、おそらく、現状ではいかなる意味でも「公の支配」には属しません。
 「専門学校」に該当するという可能性は残っていますが)


「影の対抗」は衆議院の「7条解散」の明文化です

4639鈴木小太郎:2016/06/13(月) 09:38:41
「靖国神社大学」(仮称)と憲法89条
>筆綾丸さん
>公の支配
佐藤幸治氏(京都大学名誉教授・学士院会員)は一昔前の代表的な憲法教科書である青林書院・現代法律学講座『憲法』において、「アメリカ的発想に基づくが、目的趣旨が必ずしもはっきりしないまま成立」とまで言っていますね。
(引用は「新版」(1990)、p166以下から)

------
(ロ)公金支出の禁止 憲法は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」(八九条)と定める。本条により、?宗教団体への公金支出・財産供用、および?「公の支配」に属しない慈善・教育・博愛事業への公金支出・財産供用、がそれぞれ禁止されることになる。?は政教分離に関するもので二〇条の信教の自由の箇所で述べることにして、ここでは?について若干論及することにする。
 およそ公金の使途は明確にしておかなければならないが、慈善・教育・博愛の事業の場合は美名の下にとかく包括的な支出が容認されがちであると同時に、他面、これらの事業に公権力が深く介入することはその自主性・独立性を害する結果になり好ましくない、という配慮が?の背景にあるものと推測される。既にマッカーサ草案(八三条)にあったことから知られるように、アメリカ的発想に基づくが、目的趣旨が必ずしもはっきりしないまま成立し、しかも文言上の混乱もあって(「公の支配」なら「服する」であるべく、「属する」ではありえない、「属する」なら「公の支配」でありえない、といわれる〔小嶋和司〕)、様々な論議を生むところとなった。【後略】
------

マッカーサー草案以来の「公の支配」をめぐる混乱を、政府と憲法学界が一体となったご都合主義的解釈で弥縫した結果、現在では一般の私立大学と並んで、宗教団体を母体とする大学にも、毎年、数億・数十億という巨額の公的資金が流れ込んでいますね。
支給の対象は同志社・立教・上智のようなキリスト教系大学はもちろん、大谷・花園等の仏教系大学、そして国学院や皇学館のような神道系大学にも及んでいます。
だから、仮に宗教法人靖国神社が私立の「靖国神社大学」を設立したら、憲法上何の問題もなく、巨額の公的資金を供与できるんじゃないですかね。
靖国神社の国家護持となると憲法上の超弩級の重大問題となり、かつては凄まじい騒動が起きたものですが、そんな難路ではなく、多くの宗教団体がやっているように「靖国神社大学」(仮称)を設立すれば、憲法上ノープロブレムで一挙に人材育成と公的資金投入による財源確保ができそうですね。

「靖国神社法案」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%B3%95%E6%A1%88

>キラーカーンさん
>「影の本命」
9条のために憲法全体が「不磨の大典」になってしまっていますが、89条は直さないとみっともないですね。

4640筆綾丸:2016/06/13(月) 12:03:01
unter der Aufsicht des Staates
小太郎さん
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2016/01/08/1365889_2.pdf
出来の悪い文科省の資料ながら、私学助成総額4,303億円(私立大学等3,153億円、私立高校等1,023億円、・・・)の内、宗教法人関係の割合はどのくらいになるのか、わかりませんが、玉串料の比ではないでしょうね。

http://www.pref.tottori.lg.jp/127219.htm
私学助成総額は、最も人口の少ない鳥取県(約57万人)の一般会計(約3,500億円)を上回る規模になるのですね。これ以上、人口減少が続くと、鳥取県は消滅するでしょうね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Artikel_7_des_Grundgesetzes_f%C3%BCr_die_Bundesrepublik_Deutschland
ドイツ連邦共和国基本法(949年5月24日施行)の第7条とは、これですね。unter der Aufsicht des Staates(国の監督権の下で)は、under the control of the State(under the control of public authority)によく似ています。 日本国憲法の施行時期(1947年5月3日)からすれば、一卵性双生児と考えていいのでしょうね。

キラーカーンさん
国(都)が認可するかどうか不明ですが、オウム(アレフ)大学を設立して補助金をもらう、という方法もあり、そうなれば、惚れ惚れするほどの眩しい合憲性を確保できますね。宗教とは無関係ながら、同様に、山口組大学というのも合憲で、警察庁風情にとやかく言われる筋合いはなくなります。問題があるとすれば、山口大学と紛らわしい、というくらいのものです。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160612_08/
著名なノーベル賞受賞者がEU残留を訴えていますが、要するにマネーです。ヒッグス粒子はCERNのLHCで発見されたはずなんですが。物理学といい、遺伝学といい、マネーがなければ何もできない・・・。
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The laureates said European funding would be cut if Britain voted to leave, adding that losing that funding is a risk to UK science.
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4641キラーカーン:2016/06/13(月) 23:24:17
駄レス
>>青林書院・現代法律学講座『憲法』
私の憲法の教科書はこれでした。
大学での憲法の教員が佐藤幸治の弟子でしたので
(その人は今は日本には居ません。カナダに居るようです)
ですので、民進党の某議員がバイブル視している「芦部憲法」は知りません

そのような記述があったのは、全く覚えていませんでした

>>山口大学と紛らわしい
「神戸山口組大学」なら、もっとややこしいです

4642鈴木小太郎:2016/06/14(火) 14:58:09
宗教系大学への補助金
>筆綾丸さん
>宗教法人関係の割合はどのくらいになるのか

これはちょっと分かりませんが、学校別の支給金額は「日本私立学校振興・共済事業団」サイトで見ることができますね。
「平成27年度私立大学等経常費補助金 学校別交付額一覧」によれば、全566校中、1位が日本大学95億、2位早稲田大学90億、3位慶応義塾大学82億円ですね。(億円未満四捨五入、以下同じ)
宗教系大学を拾うと、

15位 関西学院大学 30億
20位 同志社大学 28億
24位 立教大学 23億
29位 聖マリアンナ医科大学 21億
32位 上智大学 20億

といった具合です。
上位は全てキリスト教系ですが、仏教系も創価大学をトップとして、

36位 創価大学 19億
37位 龍谷大学 18億
55位 立正大学 10億

と続きますね。
創価大学が仏教系の中で1位というのは少し意外ですが、政治力によるのでしょうか。
ま、それはともかく、神道系は、

123位 国学院大学 5億
318位 皇学館大学 2億

ということで、金額的には少ないですね。

http://www.shigaku.go.jp/files/s_hojo_h27a.pdf

>オウム(アレフ)大学
一応真面目にレスすると、「幸福の科学大学」の例もあり、さすがにこれは無理でしょうね。

http://www.sankei.com/life/news/141029/lif1410290036-n1.html

>キラーカーンさん
>民進党の某議員がバイブル視している「芦部憲法」

憲法それ自体に宗教的ともいえる情熱を注ぐ人は今までにも大勢いましたが、特定の憲法学者に帰依(?)するパターンは珍しいですね。
コニタンの無駄に華麗な経歴を見ると、芦部氏の講義を聴講する等の現実の接点はなかったようですが、だからこそ逆に妙に理想化してしまったのですかね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E4%B9%8B

4643筆綾丸:2016/06/14(火) 18:52:01
サンデマン派
小太郎さん
キリスト教系のトップが関西学院大学というのは意外でしたが、どのような宗派に属するのか、まったく知りません。1位と2位が関西にあるというも意外ですね。

http://eic.obunsha.co.jp/resource/topics/0403/04032.pdf
国立大学の運営費交付金(私学の経常費補助金に相当)の総額1兆1,310億円は巨額ですね。私学とは趣旨が違うものの、統廃合すべきような大学がゴロゴロしているな、という感じはしますね。

http://www.shinchosha.co.jp/book/220036/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
『電気革命』は面白い本ですが、物理学史上、不朽の業績を残したマイケル・ファラデーはサンデマン派に属したとありますが、この宗派に属する日本人はさすがにいないのでしょうね。
--------------
じつは、ファラデーの家族は、サンデマン派という、穏健な少数派キリスト教の一派の熱心な信徒だった。この一派は、アメリカで優勢なクエーカー派とよく似た、聖書を字義通りに解釈することを特徴とした集団である。ファラデーは、王立研究所に加わったときでさえも、この信仰を捨てず、熱心な信徒でありつづけた。彼の妻も、また、親友たちも、サンデマン派のメンバーだった。(102頁)
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キラーカーンさん
司法試験の勉強をしていた知人から佐藤幸治氏の『憲法』を借りて、少しだけ読んだことがあります。遠い昔のささやかな思い出にすぎませんが。

4644鈴木小太郎:2016/06/15(水) 10:28:55
裁判官可部恒雄の反対意見
「靖国神社大学」(仮称)について私が書いたことは、一見すると奇矯に思えるかもしれませんが、愛媛玉串訴訟大法廷判決で可部恒雄裁判官が「憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか」と言われていることを私なりに咀嚼したものです。

「裁判官可部恒雄の反対意見」
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/28-3.html#iken5

可部反対意見に述べられているように、もともと「憲法89条は、行政実務上の解釈困難な問題規定の一つであり」、「憲法89条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によって国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り1銭1厘の支出も許されないかの如き体裁となっている」という事情があります。
そうした立法上の過誤とも言える条文の解釈において、平等原則のような大ナタを振り回すと何が起きるのか。
「津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる『特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を』することは、憲法89条に違反することにならないか」という問題については、「他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから……と説明されるのが通常」ですが、ここで平等原則を使うと、仮に「靖国神社大学」(仮称)が設立された場合、「特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出」が許されるのに何故に「靖国神社大学」(仮称)への支出が許されないのか、という問題が生じます。
ま、靖国神社を嫌悪する「リベラル」な憲法学者たちは様々な理由を工夫するでしょうが、結局のところ、差別を合理化する理由は靖国神社の過去に求めるしかないでしょうね。
極悪非道の「国家神道」の総元締めである靖国神社は過去に数々の悪事を行ってきたのだ、だからその復活は断固として阻止せねばならぬ、みたいな議論ですね。
「結界」という言葉が好きな石川健治教授だったら、<靖国神社は未来永劫「結界」に閉じ込めておかねばならぬのだ>などと主張されるかもしれません。
ただ、過去を辿ると、では他の宗教団体はどうなのか、という話にもなります。
果たして「特定宗教と関係のある私立学校」の母体である個々の宗教団体の歴史を辿った場合、戦前、積極的に戦争に協力しなかった宗教団体がどれだけあるのか。
愛媛玉串料訴訟の原告団長のように浄土真宗には靖国神社攻撃に熱心な人が沢山いますが、浄土真宗の戦争協力の実態を調べようとする人には菱木政晴氏の『浄土真宗の戦争責任』(岩波書店、1993)あたりが参考になります。
ま、過去をあれこれ詮索すると、どの宗教団体にもそれなりに「不都合な真実」がいろいろ出てきますね。
結局、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、靖国神社大学(仮称)に石を投げなさい」ということになります。

>筆綾丸さん
>関西学院大学
公式サイトの「沿革」には、

------
18世紀に英国で始まったメソヂスト教会。その指導者であるジョン・ウェスレーは豊かな霊性と知性をともに尊重する信仰覚醒運動を推し進め、活発な開拓伝道を展開して多くの教会を興しました。そして、19世紀、アジアへの伝道をさかんに展開し始めたのが米国の南メソヂスト監督教会です。1885年、同教会はジャパン・ミッション開始を決定し、当時、中国での医療伝道に父とともに従事していた、弱冠32 歳のウォルター・ラッセル・ランバスをその責任者として任命しました。

http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_001777.html

とありますね。
また、<当時の進取の気風に合わせた漢音読みで「クワンセイガクイン」と呼ぶことになりました>とありますが、東日本ではそもそも大学名を正確に読めない人も多そうですね。

4645鈴木小太郎:2016/06/15(水) 11:02:04
ドイツにおける信仰の自由(その1)
辻村みよ子氏の『比較憲法』(岩波書店、2003)に出てきたドイツの連邦憲法裁判所の1995年5月16日決定について、もう少し詳しく知りたいと思ったのですが、辻村氏が言及するドイツ憲法判例研究会編『ドイツの最新憲法判例』(信山社、1999)は入手できませんでした。

「政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8383

その代りといっては何ですが、村上淳一・守矢健一・Hans Peter Marutschke 著の『ドイツ法入門〔改訂第8版〕』(有斐閣、2012)に若干の言及があるので、少し長くなりますが、前提となる部分を含め、引用してみます。(p59以下)

-------
 公民権とは違ってすべての人間に保障される人権は、普遍的な内容をもつものだと解されがちである。しかし、人権の内容は、国によって一様ではない。その例として、信仰の自由を取り上げよう。ドイツ連邦共和国では国家と教会の分離(カトリック教会と福音主義〔evangelisch.プロテスタント〕教会)の分離の原則が行われているが、それは宗教的に無色の国家が教会の公共活動に無関心な態度をとるというのではなく、国家が─特定の教会と一体化して他の教会ないし宗教団体を排除することなしに─教会の活動を支援することを許容するものである。公立学校のうち宗派学校においては宗教教育が正規の授業科目とされている(7条3項。これについては教育法の項目〔94頁〕で説明する)のも、多くの大学(州立)に神学部が置かれているのも、国家が教会税(119頁)の徴収を代行するのもその現れである。
-------

段落の途中ですが、ここでちょっと切ります。
公立学校に「宗派学校」があるとか、州立大学に神学部があるとか、国家が教会税の徴収を代行するとか、日本とは全く別世界ですね。

-------
しかし、ドイツに見られるキリスト教の強い伝統は、しばしば信仰の自由との軋轢を生んできた。大きな政治的・社会的反響をよんだ例として、共同学校を含む国民学校〔94頁〕の教室に十字架(単なる十字架ではなく磔になったキリスト像であることが多い)を掲げることを義務づけるバイエルン州の学校教育令を5対3で違憲とした1995年5月16日の連邦憲法裁判所第1部決定(憲法異議事件)を参照しよう。この決定の多数意見は、こう論ずる。

「キリスト教の文化的側面には、信者でない者に対する寛容も含まれるのである。十字架は、昔も今もキリスト教の特別の信仰象徴物に属する。否、これこそがキリスト教の信仰象徴物なのである。それは、キリストが犠牲になることによって人類を原罪から救ったこと、そして、サタンと死にうち克って世界を支配したことの象徴であり、受難と勝利を一体として象徴している〔2種類のキリスト教事典からの引用〕。……〔生徒の親が教室から十字架を撤去してほしいと申し立てたのに対してこれを却下した〕行政地方裁判所・〔それに対する抗告を却下した〕行政高等裁判所のように、十字架を単にヨーロッパ的伝統の表現だとしたり格別の信仰的意味を持たない護符だとしたりするのは、キリスト教と教会の自己理解に反する仕方で十字架を冒涜するものである。……学校におけるキリスト教教育が是認できるのはその特徴的な文化的・教養的側面に関する限りであって、その信仰的真理に関してではない。……教室に十字架を取りつけることは、学校に宗教的・世界観的色彩を帯びさせることのできるこのような限界を超えたものである。すでに確認したように、十字架からキリスト教の信仰内容との特別の関連を切り離して意味を薄め、ヨーロッパ文化一般を象徴するものとみなすことは不可能である。十字架はキリスト教信仰の堅い核心を象徴するものであって、そのキリスト教信仰がとりわけ西洋世界をさまざまに形づくってきたことは確かであるが、社会の全員がこの信仰をもつわけではなく、基本法4条1項の基本権〔信仰・良心の自由〕を主張する多くの者がこれを拒んでいるのである。したがって、宗派学校を除く義務教育学校に十字架を取りつけることは、基本法4条1項に違反する」。
-------

4646鈴木小太郎:2016/06/15(水) 11:44:54
ドイツにおける信仰の自由(その2)
行政地方裁判所・行政高等裁判所は「十字架を単にヨーロッパ的伝統の表現だとしたり格別の信仰的意味を持たない護符だと」したそうですが、連邦憲法裁判所の多数意見は、そんな見方は「十字架を冒涜」するものであって、「十字架はキリスト教信仰の堅い核心を象徴するもの」と判断するのですね。
裁判官というより堅固な宗教的確信を抱いた教会関係者の発言のような感じもしますが、しかし、十字架の冒涜は許せないと息巻く多数意見の裁判官が出した結論はというと、「宗派学校を除く義務教育学校」に十字架を取り付けてはならない、というものなんですね。
ちょっと妙な感じがしないでもありませんが、とりあえず引用を続けます。(p63以下)

------
 これに対して、教室に十字架を掲げても信仰の自由を侵害することにならないと説く少数意見は、多数意見のように十字架のキリスト教神学的な意味から出発するのは間違いだ、とする。

「キリスト教の生徒が教室の十字架を見て、多数意見が十字架の意味として言うような印象を持つことも、あるかもしれない。だが、信心深くない生徒については、そうは言えない。その生徒から見れば、教室の十字架はキリスト教の信仰内容を象徴する意味をもつわけではなく、キリスト教的特徴をもつ西洋文化の諸価値を伝えたいというキリスト教的共同学校の狙いを象徴するもの、それどころかその生徒が信じないで背を向け、もしかすると打倒しようとしている宗教的信念を象徴するものにすぎない」

 ドイツのカトリック教会は、違憲の結論に強く反発している(憲法学者にも、多数意見を批判する者が少なくない)。しかし、それは、教会の立場からすれば十字架が本来もつべき意味を「冒涜」(多数意見)するという、逆説的な立場に立つことになる。
------

少数意見の最後の方は何だかずいぶん物騒な話になっていますね。
もう少し詳しい分析が欲しいのですが、これで終わってしまっていて、議論はイスラム教徒の女性がスカーフ着用のまま教員としての職務を行うことの是非に移ります。
それにしても十字架の「冒涜」に関するねじれ具合は面白いですね。
ドイツの判例の動向も興味深いのですが、フランスのライシテについてやっと少し理解が進んだ段階なので、暫くは手を付ける余裕がありません。

4647筆綾丸:2016/06/15(水) 11:46:37
神の場
小太郎さん
靖国神社大学(仮称)設立運動が現実化したら、国内的(vs.立憲主義者)にも国外的(vs.中国政府)にも大騒ぎになり、そうか、こんな条文があったのか、とメディアの世界では憲法9条よりも憲法89条の方が問題になるかもしれないですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Sandeman_(theologian)
サンデマン(1718-1771)とウェズレー(1703?1791)の関係に言及したウィキの説明によれば、青山学院大学や関西学院大学の教祖ヴェズレーとサンデマンの間には、大覚醒(The Great Awakenings)という最大公約数があったのですね。どのような思想か、知りませんが。
His work was widely read, and influenced a great many independent clergy throughout England. The Letters drew heated responses from theologians such as John Wesley and John Brine who were more closely aligned with Hervey's views.

--------------
ファラデーは、宗教的な信条から、宇宙は空虚な空間ではなく、神の存在にあまねく満たされているのだと確信していた。このことをはじめ、弱小宗派が標榜する変わった信条をいろいろと持っていたせいで、からかわれることも多く(「わたしは、キリスト教のなかでも、とても小さく、しかも軽蔑されている宗派に属しているのでね」と、彼はため息交じりに口にしたことがある)、そのうち彼は自分の考えを他人には話さないようになった。(『電気革命』103頁)
--------------
メソジスト派の宗祖ヴェズレーも、はじめのうちは、軽蔑されていたのでしょうね、たぶん。
ファラデーは宗教信念に基づいて「力の場」を物理的実在とし、マクスウェルがそれを方程式化する、という過程を考えると、大覚醒(The Great Awakenings)の後世への影響は凄かったのだな、と驚かされます。物理学が「場」に目覚めたのだ、と。

小太郎さん
また重なってしまいました。

4648筆綾丸:2016/06/15(水) 13:19:26
神学の迷宮
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%90%8C%E7%9B%9F
ウィキに、ドイツキリスト教民主同盟(Christlich-Demokratische Union Deutschlands)の宗教的根源として、
-----------
キリスト教民主同盟は欧州連合憲章に記されている神に関する事項の定着、保証に尽力する。そのためにキリスト教の象徴を公共空間に目に見える形で保持すること、ならびにキリスト教の祝祭日を保持することに尽力するとされている。
-----------
とありますが、連邦憲法裁判所の多数意見や少数意見と、「キリスト教の象徴を公共空間に目に見える形で保持すること」という支配政党の党是(?)などを考えると、まるで神学の迷宮のようで、何が何だか、わからなくなりますが、案外、こういうのがゲルマン好みの世界なのかもしれないですね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Christlich_Demokratische_Union_Deutschlands
ドイツ語では、für die Bewahrung christlicher Symbole im öffentlichen Raum となっていて、「目に見える形で」という言葉はないですね。

4649鈴木小太郎:2016/06/17(金) 10:23:10
『トクヴィル 平等と不平等の理論家』
>筆綾丸さん
>ヴェズレーとサンデマン
サンデマンは名前も知りませんでしたが、その後継者のアメリカでの伝道はあまり成功しなかったようですね。
後世への影響力という点ではウェズレーはすごいですね。
それにしてもプロテスタントの系統図は無限に分岐して行きますから、なかなか覚えられません。
せめて宗派ごとに芸術的特色でもあればよいのですが、それは殆どなくて、理屈の違いだけですからねー。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88

>大覚醒
たまたまライシテの勉強の続きで宇野重規氏の『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社メチエ、2007)を読んでいたところ、大覚醒への若干の言及がありました。
もっともトクヴィルがアメリカを訪問した十九世紀前半の第二次大覚醒運動の方ですが。

サントリー学芸賞選評(鹿島茂氏)
http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/2007sr1.html

4650鈴木小太郎:2016/06/17(金) 11:52:15
脱キリスト教化とナチズム
6月11日の投稿で、辻村みよ子氏が『比較憲法』(岩波書店、2003)において、

------
 ドイツでは,前述のように,公立学校において宗教教育を正規の授業科目とすることが定められており,「宗教の授業は,国の監督権を害さない限りにおいて,宗教共同体の教義にそって行われるものとする」とされる(基本法第7条3項).実際にも,キリスト教の宗教教育が必然的なものと解されてきたため,もともと教育における国家の宗教的中立性を確保することは困難である.これに対して,フランスでは,公教育の中立性を確保するための真摯な努力が続けられている.
------

と書いていることに触れ、ついでに若干のイヤミも言いましたが、まあ、ドイツだってドイツなりに「真摯」だからこそ、あえてキリスト教の宗教教育を残しているのじゃないですかね。
パリ周辺部に相当遅れたとはいえ、ドイツでも啓蒙主義の荒波を受けて社会の脱キリスト教化はそれなりに進行しており、20世紀に入って脱キリスト教化がひとつの頂点に達した時点で登場したのがナチズムですね。
久しぶりにエマニュエル・トッドを少し引用してみます。(『新ヨーロッパ大全?』、藤原書店、1993、p38以下)

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歴史的経過の問題─脱キリスト教化とナチズム

 一八九〇年から一九一四年までの間、反ユダヤ主義は無視できない勢力を持っていたが、支配的ではなかった。汎ゲルマン主義民族主義の片隅に巣食う過激分子という格好であった。まだ現実には自律性を持っていなかったのである。一八九〇年から一九一四年の間、反ユダヤ主義の候補者の得票率は二%から三%にすぎなかった。それと一九三二年七月三十一日の選挙で民族社会党が獲得した三七・四%の得票とは、比べものにならない。反ユダヤ主義イデオロギーの勢力伸長の各段階は、ドイツの脱キリスト教化の進展速度を考えると理解できるようになる。宗教実践の衰微は一八七〇年から一八八〇年にかけてプロテスタントの労働者世界で始まる。そして一八八〇年頃には中間階級にも及び始める。しかし一九一四年の時点で、脱キリスト教化はプロテスタント・ドイツそれ自体においてもまだ完了から程遠かった。ルター主義は弱まったが、死んではおらず、とりわけブルジョワ階級に残っていた。宗教の衰微は社会民主主義と自民族中心的民族主義という二つのイデオロギーの成長を引き起こした。しかし一九一四年にはドイツはまだ道の半ばにあったにすぎない。脱キリスト教化が完成し、農民、ブルジョワ、あるいはホワイトカラーという新たなカテゴリーといった中間階級全体が不信仰へと立ち至るのは、一九一八年から一九三〇年までのことである。この時、そしてこの時のみ、一国のイデオロギー化がその頂点に達することができる。ルターの神がついに消滅し、宗教的不安がさらに重くたちこめた雰囲気の中で、時代そのものが世界の終末の様相を呈して来る、そのような時に、権威と不平等の理想の究極の実現たるナチズムが勝利するのである。一九二九年の経済危機は、家族的価値が権威と不平等の理想を生み出している国で、中間階級が伝統的宗教の心を安らげる保護膜からこぼれ落ちるまさにその瞬間に起こったが故に、人種主義型の政治危機を引き起こすことになったのである。以下のような数字によって、この時間的経過の一致を検証することができる。プロテスタントの「堅信式」の件数は一九二〇年に八〇万八千件だったのが、一九三〇年には四四万七千件に落ちた。宗教的信仰の消失の直接的結果たる出産率が落ち、そのため出生率は一九一八年に二五%だったのが、一九三〇年には一五%となっている。
------

トッドが挙げた数値を根拠に「ルターの神がついに消滅」と評価できるかはともかくとして、脱キリスト教化が急速に進展した後にナチズムが登場したことは明らかだと思います。
戦後、(西)ドイツの憲法体制がナチズムへの反省から新たに構築されたことを否定する憲法学者はいないでしょうが、信仰の自由についても、「真摯さ」が足りないから政教分離を徹底させなかったのではなく、むしろドイツなりの「真摯さ」の結果として国家と宗教を徹底的に分離せず、公教育の中立性を徹底的に追求しなかったのではないか、即ち意図的な「不徹底」こそがドイツなりの「真摯さ」の現れなのではないかと思うのですが、この点はまた後で検討したいと思います。

「政教分離論議におけるドイツ出羽守の不在(その2)」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8383

4651鈴木小太郎:2016/06/18(土) 09:27:28
「私の記録の読み方が足りませんでした」(by 某最高裁判事)
国会図書館サイトで「可部恒雄」を検索したら7件しか出てきませんでした。
その中で入手が容易だったご本人の「性急な法曹一元論を排す─ある元キャリア裁判官の思うこと」(『論座』64号、朝日新聞社、2000)と、可部氏と同じく最高裁判事を務めた泉徳治氏の「可部恒雄さんの思い出」(『判例時報』2135号、2012)を読んでみましたが、両方とも面白いですね。
前者には編集部のつけた、

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本誌〔2000年〕八月号の「再生のアジェンダ・司法を社会の中へ」で対談した矢口洪一・元最高裁長官と中坊公平・元日弁連会長は、それぞれの立場から司法改革の中心課題に「法曹一元」の実現をあげた。こうした主張に対し、スモン薬害訴訟での和解実現で知られる可部恒雄・元最高裁判事は、自らの経験に基づきながら、いまの「法曹一元論」には重大な欠陥がある、と反論する。
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という前置きがあり、その後、

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原子雲の下に生き残って
医者、弁護士、そして裁判官
法服を着た裁判官には上司も部下もない
「世間知らず」への疑問
途はすでに開かれている
似而非なる法曹一元
世界に誇れる清廉と公正
-------

という、これもおそらく編集部がつけた小見出しに沿って議論が展開して行きますが、その三番目、「法服を着た裁判官には上司も部下もない」から少し引用してみます。(p58以下)

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 法曹一元を唱える人から、キャリア裁判官は「上司」である裁判長や所長、あるいは最高裁の顔色ばかり見て、良心に従った判断をしていない、という批判がなされることがある。しかし、これはおよそ実情からかけ離れた言い分である。
 ひとたび法服を来た裁判官には、一般社会でいう上司と部下という区別がない。裁判官と裁判官との間を規律するものは、先輩と後輩という関係のみである。裁判所の中で、私はこのことを、あらゆる機会に公言してきたが、一度も、そして誰からも、異論を差しはさまれたことはない。本来、弁護士志望だった私は、前述のような経緯で判事補に任官したが、その後、嫌気もささずに仕事に邁進できたのは、この自由闊達な雰囲気があったればこそである。
 私は最高裁の調査官室に前後三回にわたって勤務したが、先輩格の調査官が若い訟廷部付の判事補にやり込められて、それで格別問題の起こらないのが同室の研究会であった。
 法廷で証言を聞き、記録を読んで事実認定に力を尽くす。それが裁判官(トライヤル・ジャッジ)の仕事である。
「記録を読んでいない者には合議に参加する資格がない」。これは、ある最高裁判事が審議の席上で、不用意な発言をした先輩裁判官に向かって発された言葉である。それを伝え聞いて、私は強い戦慄に似たものを感じた。
「言いたいことを言え。ただし、一人前に仕事をしたうえで言え」「合議に際しては先輩に対しても遠慮はいらない。ただし、記録を読んでからにしろ」。そういう雰囲気の中で私は育てられ、そしてそれを後輩に伝えようと努力してきた。
 最高裁の調査官として、ある事件について主任裁判官とかなり激しい議論をしていた時のことである。そのご意見が記録に照らして誤りであることを具体的に指摘した私に対して、裁判官は「私の記録の読み方が足りませんでした」と言って、頭を下げられた。調査官として現にお仕えしている最高裁判事からそのようにされて、私は内心の感動を禁ずることができなかった。事実の認定は裁判の生命であり、それにかかわる者の間に上下の区別はないのである。
 裁判官の命を受けて事件の調査にかかわる立場の調査官にしてこうである。いわんや第一線の裁判官においてをや。
------

最高裁調査官の世界など普通の人にはなかなか伺い知る機会はないので、貴重な証言ですね。
特に<裁判官は「私の記録の読み方が足りませんでした」と言って、頭を下げられた>には驚きました。
そして、この部分を読んで、私は改めて津地鎮祭訴訟大法廷判決における「裁判官藤林益三の追加反対意見」の奇妙さを連想しました。
同意見には同一性保持権を無視した違法な引用があり、また引用に際して出典を明示しないという別の著作権法違反もありますが、このような史上稀なる失態が生じたのは、藤林が他の四裁判官との反対意見を纏めた後、時間に追われて調査官と全く相談しないまま同意見を書いたからでしょうね。

「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その1)〜(その4)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8337
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8338
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8339
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8340
同一性保持権の問題
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8342
「結論が先で論理は後」(by 藤林益三)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8346
「裁判官藤林益三の追加反対意見」の執筆時期
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8352

4652鈴木小太郎:2016/06/18(土) 11:05:48
可部裁判官の「釣合いの感覚」
泉徳治氏(元最高裁判事)の「可部恒雄さんの思い出」(『判例時報』2135号、2012)は、

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一 スモン和解
二 判決へのこだわり
三 首席調査官時代のあれこれ
四 画歌文集「旅情」
五 チップス先生さようなら
六 そして、可部さんさようなら
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という構成です。
四の冒頭を少し紹介してみると、

------
 可部さんは、昭和二七年四月、初任地の福岡地裁に着任し、翌二八年、同地裁判事佐藤秀氏の薦めで、当時八女に本部のあった「やまなみ短歌会」に入会し、終生同会で短歌を続けられた。
 昭和二〇年一〇月に、広島の焼け跡の、昔電車通りであった所を通っていた時に、「トタン葺の小さな本屋が出ておりまして、そこに、戦後復刊第二号の『アララギ』が出ておるのを見て、本当に飛びついて買った」と記しておられるから、青年のころから短歌の世界にあこがれておられたのであろう。
【中略】
 可部さんは、平成一二年一月一四日の宮中歌会始の「召人」に選ばれた。ご題は「時」。可部さんは、次の歌を詠進された。

 病める日も清(さや)けき時もともにゐて妻と迎ふる新しき春

 披講による朗詠の間、緊張した面持ちで起立しておられる可部さんのお姿を、私はテレビで拝見していた。私は、平成一一年六月二日の調査官出身者による可部さんの叙勲祝賀会等で、ご夫妻の仲むつまじさを目の当たりにしてきており、可部さんの誠に素直なお歌を拝聴して、思わず顔がほころぶのを禁じ得なかった。
-------

とのことで(p6)、この一作だけで歌人としての才能を判断することはできませんが、召人の立場にふさわしい歌ではありますね。
また、『旅情』は「可部さんの歌と散文、奥様の誠に見事な玄人はだしの写生画が収められている」画歌文集だそうです。
ついで、「五 チップス先生さようなら」も冒頭から引用してみると、

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 可部さんは、昭和五四年三月の最初の訪英の際、ケンブリッジに足を伸ばし、ジェイムズ・ヒルトンの名作「チップス先生さようなら」の舞台となったパブリック・スクール「ブルックフィールド校」のモデルといわれるリース校を訪れ、その思い出を「法曹」平成一二年六月号に寄稿しておられる。私も、この作品なら研究社の小英文学叢書で読んだことがある。可部さんは、四五年間にわたる裁判所在職は自分の半生というより一生であるというに近いとして、人生のすべてをブルックフィールド校と共に過ごしたチップスの姿にご自分をなぞらえておられる。そして、チップスが何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion"であるということを紹介しておられる。
 可部さんは、最高裁判事の六年一〇か月の間に、一二件の個別意見を書かれているが、大法廷判決での反対意見一件を例外として、他はすべて補足意見である。補足意見は、多くの場合、同僚の裁判官を説得して多数意見を形成した上で、多数意見に更なる説明を加える趣旨で書かれるものであるから、個別意見の中では最も理想的なものであると思う。論客ぞろいの第三小法廷にあって、可部さんが全件で多数意見に加わっておられるということは、可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得た結果ではなかろうかというのが、私の解釈である。私が事件の関係で先例となるべき最高裁判例を探そうとすると、可部さんが加わった判決に遭遇することしばしばであった。
------

とのことで(p7)、可部氏が主観的に<何より重んじたのは、この人生において、何が大切であり、何が然らざるかに対する「釣合いの感覚」、人生において事の軽重を見誤らぬ"sense of proportion">なんですね。
そして、客観的にも<可部さんの「釣合い」の感覚と安定かつ精緻な法律解釈が、多数の裁判官の同調を得>ていたにも拘らず、同調が得られなかった唯一の例が愛媛玉串料訴訟大法廷判決のようですね。

4653筆綾丸:2016/06/18(土) 12:38:57
チェックポイント・チャーリー
小太郎さん
http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/a/araragi.html
加部氏の「悪の芽」という詩的な言葉に異質なものを感じましたが、なるほど、アララギ派の歌人でしたか。アララギが何を指すのか、昔も今も、私にはわからないのですが。

優秀な最高裁調査官が藤林の珍奇な追加反対意見をどう見ていたか、知りたいところですが、いまとなっては不明でしょうね。石川健治氏には、「写経」などはどうでもいいから、そのあたりの事情を追究してほしいものだ、と思いますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%89
NHKのBSプレミアム『寒い国から帰ったスパイ』(1965)を見ていると、冒頭に、ベルリンの Checkpoint Charlie が出て来たのですが、もしかすると、シャルリ・エブドの Charlie は冷戦下の検問所の名前(NATOのフォネティックコード)を意識したものではあるまいか、と思いました。そう考えると、JE SUIS CHARLIE というスローガンもずいぶん奇妙なものに感じられますね。世界をライシテとイスラムに分断するための検問所を、ベルリンではなくパリに立てるべく、私は立ち上がるのだ、というような。
この映画で面白かったのは、私は神は信じないけれども歴史は信じる、と女が言うと、なんだ、君はコミュニストか、と男が言うところで、1965年当時、マルクスの唯物史観はそんなふうに揶揄されていたのか、ということでした。現在、こんな会話が成り立つ国はまだあるのかどうか。 

4654筆綾丸:2016/06/18(土) 13:14:02
007のホーキング
http://www.bbc.com/news/science-environment-36540254
二度目の重力波検出の記事で、おおよそのことはわかるつもりですが、
---------------
One of the black holes was spinning with the dimensionless number of 0.2.
We measure between zero (not spinning) and one (maximally spinning).
---------------
という、ルイジアナ州立大学のゴンザレス教授の話は理解不能です。

http://blog.livedoor.jp/motersound/51945322
ブラックホールの蒸発を唱えたのはホーキング博士ですが、ジャガーの宣伝には驚きました。次は『007』に出演ほしいですね、できれば悪党の親玉として。
ボンド君はまだアストンマーチンなんかに乗ってるのかね、とか、女王陛下は御年90だ、君臨すれども統治せずと言ったって、もう草臥れたろう、とか、前から何遍も言っているように神は存在しない、とか、あのシンセサイザーの音で聴いてみたいな。

4655キラーカーン:2016/06/19(日) 01:43:30
ベルリンの思い出等々
>>小数点の次元
 「スピン」の話なのでしょうか・・・

>>脱キリスト教化

記憶モードですが、欧州への旅行の際、入国審査で「宗教は」と聞かれて
「無宗教」答えてはいけませんと旅行ガイドに書かれていたと思います。
(「仏教」と応えておくのが無難とされていました)
理由として、

無宗教≒共産主義者

と思われかねないとされていました。
と言うことなので、「キリスト教民主主義政党」というのが欧州各国にあったのでしょう。

1989年の12月に旅行でベルリンにいました。
「おのぼりさん」として、ベルリンの壁を鑿ととんかちで壊してきました。
その時はチェックポイントチャーリーではなく、フリードリッヒシュトラーセ駅から
通過ビザで東ベルリンに入り、その日の夜行でプラハに抜けました。

4656鈴木小太郎:2016/06/19(日) 09:52:12
最高裁判所首席調査官室に死す。
泉徳治氏の「可部恒雄さんの思い出」には一箇所だけ妙なことが書いてありますね。
「三 首席調査官時代のあれこれ」の冒頭です。(p5以下)

------
 裁判に関して先に述べたことは別として、可部さんの首席調査官時代で私が一番驚いた出来事は、仁分百合人氏の来訪であった。仁分氏は、可部さんが司法研修所付時代に司法研修所教官、可部さんが行政局付時代に民事局長兼行政局長を務められた人であるが、裁判所切っての酒豪でも知られた人であった。酒席の後は、必ず後輩が二、三人でご自宅まで抱えてお届けしたという伝説が残っている。可部さんが四階にある行政調査官室で我々と雑談をしていた時、三階の首席調査官室の事務官が可部さんを迎えに来た。仁分さんが可部さんを訪ねて来られて、首席調査官室のソファーに座られた途端に息を引き取られたというのである。可部さんは、「そうか」といって、静かに三階に降りていかれた。仁分さんも、可部さんのような後輩の温かい手に抱えられて、ある意味、仕合わせだったのではないかと思うのである。
------

「仁分百合人」は「にふん・ゆりと」と読むのでしょうか。
名字も名前も珍しい方ですが、「裁判所切っての酒豪」あたりでそれなりのストーリー展開を予想したものの、首席調査官室で死んでしまった、というのは本当に驚愕の事態ですね。
泉氏は割と淡々と書かれていますが、事務官が医者でもないのに死亡を認定してしまい、可部氏もその報告にあまり驚かず、また医者の手配を指示する訳でもなく、<「そうか」といって、静かに三階に降りていかれた>というのはずいぶん変な話です。
まあ、おそらく泉氏が書いていない事情がいろいろあってそのような対応になったのでしょうが、入室できる人が極めて限定された閉鎖的空間で訪問者が頓死し、しかも関係者が特に驚いていないという状況だけを考えると、殆どミステリーの世界ですね。
ちょっと話を膨らませれば「最高裁首席調査官室殺人事件」みたいなタイトルで、浅見光彦シリーズの二時間ドラマ程度にはなりそうです。

>筆綾丸さん
>アララギが何を指すのか
ご紹介のサイトを見ると、アララギ派については特別な事情がありそうですが、一般的にはアララギ=野蒜の古名なんですね。
私はそんなことすら知りませんでした。

>ホーキング博士
1942年生まれだそうで、けっこう長生きな方ですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Hawking

>キラーカーンさん
>「キリスト教民主主義政党」

ドイツキリスト教民主同盟(CDU)などプロテスタントでもカトリックでも良い訳ですから、ある意味、いい加減な政党ですね。
以前、筆綾丸さんに紹介された佐藤伸行著『世界最強の女帝 メルケルの謎』(文春新書、2016)を読んで、メルケルなど実際には無神論者ではなかろうかと思いました。

「物理学者メルケルの言語ゲーム」(筆綾丸さん)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8228

4657筆綾丸:2016/06/19(日) 14:03:02
als ob ふたたび
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E6%A4%9C%E6%A1%88%E6%9B%B8
実物の死体検案書を、なぜか、数回見たことがあります。
死亡場所の記載は必須ですが、「死亡した施設の名称」として、「最高裁判所首席調査官室内」(東京都千代田区隼町4番2号地先)とは最高裁の威厳にかけて書けず、鴎外の als ob ではありませんが、仁分百合人はまだ生きている「かのように」鄭重に扱われ、救急車で移送された最寄りの病院の医師により正式に死亡が確認され、この場合は、死体検案書ではなく死亡証明書が発行され、死体検案書の文字は二重線で消されます。死亡場所は、たとえば東京大学附属病院内のような、死に場所としてごく尋常な名称が記されたのでしょうね。
あのアル中はそれほどまでに首席調査官になりたかったのだよ、あさましいもんだね、とノンキャリアの事務官たちの間で、しばらく酒席における話題の首席になったが、やがて話頭にのぼらなくなった。首席調査官室で死ねなかったことは、死んでも死にきれぬという凄絶な怨念を建物に残したらしく、霊感の強い女性職員などは、ときどき大法廷に彷徨う妙な気配を感じると訴えたが、厳粛な理性の場においては、少数の珍妙な反対意見のように軽く無視されてしまった。
「可部さんのような後輩の温かい手に抱えられて」という文章は、おそらく、役人の淡々とした事務処理を暗示しているように思われ、それは(法)医学的にも正しかったのでしょうね。可部氏の首席調査官時代を考えると、これは1984年2月20日から1987年5月28日までの、或る日の出来事ということになりますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B4%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%A8
三島の『宴のあと』では、艶福家の環久友(元ドイツ大使)は、「雪後庵」の厠で脳溢血を起こして倒れるのですが、夫人の強い要望により、「自宅」で倒れて死亡したものとして処理されます。蛇足ながら、厠という表現には官僚への冷笑があり、さらに言えば、雪後庵という名称は雪隠に通じ、保守党御用達の高級料亭など雪隠の如きもので、つまり、日本の政治は便所の中でなされる、という三島一流の言葉遊びなんでしょうね、おそらく。

キラーカーンさん
ベルリンの壁崩壊の数年後、ブランデンブルク門の下を歩いたことがありますが、ちょうど落日時で、ヴァーグナーのゲッターデメルング(神々の黄昏)のようだな、と思いました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%B3%E8%A7%92%E9%81%8B%E5%8B%95%E9%87%8F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6%E7%90%86%E8%AB%96
量子力学のスピンに関係すると思われるのですが、わかりません。超弦理論でいう9(+1)次元は、わからぬながらも、まだ自然な感じがしますが、非整数次元などは想像すらできません。宇宙にしてみれば、人間如きに理解されてたまるか、といったところですが。

4658ザゲィムプレィア:2016/06/21(火) 00:29:58
非整数次元は関係ないようです
>筆綾丸さん
>キラーカーンさん、はじめまして

>One of the black holes was spinning with the dimensionless number of 0.2.

高度な物理学は素人なのでググってみました。

http://www.jaxa.jp/press/2010/03/20100308_blackhole_j.html

スピンの表現方法
 いろいろな質量のブラックホールのスピンを比べる際には、ブラックホールの全角運動量(J)ではなく、スピンパラメーター(a*=Jc/GM2)という指標を用います。ここでcは光速、Gは重力定数、Mはブラックホールの質量で、ブラックホールが自転していない場合にはa*は0となり、ブラックホールが極限まで自転する場合にはa*の絶対値は1になります。

0.2はこのスピンパラメーターの事だと思います。

なお、「dimensionless number」の訳語は無次元数です。

4659鈴木小太郎:2016/06/21(火) 09:58:48
宇野重規『民主主義のつくり方』
ライシテの勉強で宇野重規・伊達聖伸・高山裕二編著『共和国か宗教か、それとも 十九世紀フランスの光と闇』(白水社、2015)を読み、宇野重規氏はなかなか面白いなと思って『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社メチエ、2007)を読んだら、これも良い本だったので、更に『民主主義のつくり方』(筑摩選書, 2013年)を読んでみたのですが、この本は若干微妙ですね。
前半のプラグマティズムの見直し云々はスラスラ読めたものの、後半、日本各地に散在する新しい民主主義の芽を探す、みたいな話になった途端、なんだかビジネスノウハウ本のような雰囲気も漂ってきました。
まあ、登場するのはそれなりに頑張っている人たちなのでしょうが、前半の理論的な部分と後半の実践的(?)な部分のつながりがチグハグで、釈然としませんでした。

『共和国か宗教か、それとも』
http://www.hakusuisha.co.jp/book/b212990.html
『民主主義のつくり方』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480015839/

>筆綾丸さん
私も裁判官の人事のことなど全く知らないのですが、最高裁判所調査官が唯一の出世コースということではないはずですね。
ウィキペディア情報ですが、仁分百合人は最終的に高等裁判所長官になったそうなので、まあ、栄達を極めたと言って良い人ではないでしょうか。
ちなみに仁分百合人は関根小郷(最高裁判事、1905-93)の後任として民事局長兼行政局長となり、その後任が中村治朗(最高裁判事、1914-93)とのことなので、1910年あたりの生まれではないかと思いますが、そうだとすると可部恒雄(1927-2011)とは17歳ほど年が離れていますね。

最高裁判所事務総局
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E4%BA%8B%E5%8B%99%E7%B7%8F%E5%B1%80

4660筆綾丸:2016/06/21(火) 16:35:40
神と薔薇とガルガンチュア
小太郎さん
ご引用の文章に、「・・・裁判所切っての酒豪でも知られた人であった。酒席の後は、必ず後輩が二、三人でご自宅まで抱えてお届けしたという伝説が残っている」とありますが、酒豪というのはどんなに酒を飲んでも乱れない人というイメージがあるため、これではたんに酒癖が悪いだけではないかと思い(私は酒癖の悪い奴が嫌いなので)、つい意地悪な文を書いてしまいました。

ザゲィムプレィアさん
ありがとうございます。
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スピンの新しい測定方法を、銀河系の中心にある巨大ブラックホールであるSgr A*の光度変動の測定結果に適用したところ、a*=0.44±0.08と、多くの研究者の予想に反するかなり小さな値が得られました。これは自転速度に換算すると光速の22%に相当します。(JAXA)
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We measure between zero (not spinning) and one (maximally spinning).において、なぜ最大値が1なのかと思いましたが、これは光速という上限を意味すると考えればいいのですね。また、One of the black holes was spinning with the dimensionless number of 0.2.において、One of the black holes とは、14太陽質量の方なのか、8太陽質量の方なのか、光速に換算すると何%くらいになるのか、不明ですが、BBCの科学特派員ジョナサン・アモスも、そんな細かいことは書いても仕方ない、とやめたのでしょうね。

「これらのブラックホールの性質は、質量、スピン、電荷という3つの物理量だけで完全に決まります」(JAXA)ともありますが、なんだか凄いことですね。BBCの記事には、・・・gargantuan black holes - ones that are many millions, even billions, of times the mass of our Sun.と、太陽質量の数十億倍のブランクホールの検出可能性への言及もありますが、こんなガルガンチュア級ブラックホールでもわずか三個の物理量だけで完全に決まるというのは、信じられないような話ですね。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%96%87%E6%88%A6%E4%BA%89
今日のNHKのBSワールドニュースでBBCの放送を見ていると、英国議会において殺害された女性議員の追悼演説があり、保守党議員は白薔薇を、労働党議員は赤薔薇を、それぞれ左胸の上に一輪ずつさしていましたが、中世の薔薇戦争を踏まえたものなのか、わからぬながらも、興味深い風景でした。

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1006258.html
中国のCCTVは純中国産スパコンが世界一になったことを伝えていましたが、名前は太湖之光「神威」です。有人飛行船「神舟」といい、中国共産党はほんとに「神」が好きなんですね。いっそのこと、「神党」に党名変更すればいいのに。

追記
http://www.rfi.fr/europe/20160620-royaume-uni-jo-cox-hommage-david-cameron-chambre-commune-jeremy-corbyn
rfi の写真は Jo Cox の下院の席に捧げられた紅白のバラで、les députés portaient en signe de deuil une rose blanche à la boutonnière(下院議員は追悼の徴として白バラを襟のボタン穴にさした)とあるのですが、BBC の説明と違うようです。保守党と労働党のバラの花はあきらかに別様式でした。BBC は、たしか、the white rose for Yorkshire, and the red for Labour と言ってました。なぜ Yorkshire が保守党を意味するのか、わからなかったのですが。

4661ザゲィムプレィア:2016/06/21(火) 22:01:57
ブラックホール
>筆綾丸さん

スピン(角運動量)の概念そのものは難しくないのですが、プラックホールは巨大な質量ですからそのスピンを正確に取り扱う
ためには相対論を適用する必要があります。残念ながら、それは私の手に余ります。
スピンパラメータですが、その値の絶対値の範囲が0から1なら扱いやすいので、そのように定義したのかもしれません。

「これらのブラックホールの性質は、質量、スピン、電荷という3つの物理量だけで完全に決まります」
ブラックホールの内部は原理的に観測不能です。(何も外に出てこないから)
その内部構造について、多くの物理学者が受け入れる標準的な理論はありません。
よって、現時点で論じることができるのは外から観測できる質量、スピン、電荷だけである。
このことを裏返して表現していると解釈することもできます。

「神党」
現在の中共は共産主義と程遠い状態ですから、そのうち改名するかもしれません。
今のうちに商標登録しておけば高く売れるかもしれませんね。

4662キラーカーン:2016/06/21(火) 22:16:04
(無題)
ザゲィムプレィアさん

>>無次元数

ありがとうございます

>>裁判官の人事

西川伸一著『裁判官幹部人事の研究「経歴的資源」を手がかりとして』
があります。

4663鈴木小太郎:2016/06/22(水) 10:01:50
共産党と「神」
>筆綾丸さん
>中国共産党はほんとに「神」が好きなんですね。

政教分離に関する判例を読んでいると、日本共産党もホントに「神」が好きだなあ、という妙な感想を抱きます。
共産党を名乗る以上、当然に無神論者のはずですから、神社など愚民が愚神を礼賛しているだけ、「前衛」である我々には無関係と笑って完全無視するか、あるいは靖国・護国神社のような「天皇制」と特に関係の深い神社に絞って攻撃するといった選択肢もあったはずですが、日本共産党はそんな妥協はしません。
一番最初の津地鎮祭訴訟の場合、原告の共産党の市会議員は当初、共産党の弁護士さんが集まった自由法曹団の協力を得られず、独力で訴訟を追行していたそうですが、もしかすると当時の自由法曹団には、田舎神社の地鎮祭などどうでもよい、みたいな雰囲気があったのかもしれません。
しかし、その後、自由法曹団は北海道砂川市の空知太(そらちぶと)神社のような、僻地のどーでもいいような神社にも熱心に攻撃をかけて違憲の大法廷判決を勝ち取りましたね。

砂川政教分離訴訟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E8%A8%B4%E8%A8%9F

また、靖国神社の場合、内閣総理大臣の公式参拝に反対する夥しい数の訴訟が提起されましたが、その種の裁判闘争において示された、靖国神社の復活を絶対に許してはならぬ、「結界」に閉じ込めておかねばならぬのだ、という共産党関係者の決意の強さは、なんだかその祭神の無限の力を信仰しているような感じもしてきます。
一瞬たりとも油断したら、あの偉大なお方が復活するぞよ、みたいな感じですね。

>キラーカーンさん
>西川伸一著『裁判官幹部人事の研究「経歴的資源」を手がかりとして』

内閣法制局がそれほど注目されていない頃に、『知られざる官庁・内閣法制局』(五月書房、2000)を出した人ですね。

西川伸一Online
http://www.nishikawashin-ichi.net/index.html

4664鈴木小太郎:2016/06/22(水) 10:41:33
「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」(by ヴォルテール)
昨日の投稿で、宇野重規氏の『民主主義のつくり方』(筑摩選書, 2013年)についてちょっとイヤミっぽい言い方をしてしまいましたが、これは私が妙に大きな期待を持って読み始めたからで、普通の読者はたぶん良い本だと評価するものと思います。
宇野氏は平明な言葉で深い内容を語ることのできる人で、例えば『共和国か宗教か、それとも』の冒頭では、次のようにフランスの十九世紀をまとめていますね。(p7以下)

-------
序章 「宗教的なもの」再考─シャルリ事件を超えて

前著からのコンセプト
 本書は、二〇一一年に刊行した前著『社会統合と宗教的なもの─十九世紀フランスの経験』の続編である。前著では論じられなかった思想家や文学者をとりあげ、新たなメッセージを発することを目的としているが、基本的なコンセプトにおいて変更があるわけではない。
 前著の序章で、私たちは次のように述べている。「フランス革命に続く一世紀は、宗教をはげしく批判することで逆説的に宗教がはたしてきた役割を問い直し、その機能を新たに作り直そうとした時代である。と同時に、一度は断ち切った人々のつながりを、新たに作り直すことを自覚的な課題とした時代でもあった。このようなフランスの経験は、人々をこれまで結びつけてきた紐帯が解体するなか、新たな社会統合の原理を見いだせないでいる日本社会にとっても示唆するところが大きいだろう」(前著、一六頁)。
 フランス革命はカトリック教会を大きな標的とする革命であった。結果として、革命によって生まれたフランス共和国は、教育や社会的相互扶助など、かつてであればカトリック教会がはたしてきた役割を、自ら担うようになる。さらには世俗性や脱宗教性を意味する「ライシテ」の原則を国是としたように、世俗的共和国であることを自らのアイデンティティとした。その限りにおいて、宗教を公的空間から徹底的に排除することが十九世紀フランスの歴史的課題であったといえる。
 ところが、その思想や学問をつぶさに見ると、印象は一転する。もっとも鮮やかであるのは、社会学者・哲学者のオーギュスト・コントであろう。神学や形而上学の時代から、実証的な科学の時代へ。人類の歴史における不可逆の変化を大胆にも強調したコントは、やがて自ら「人類教」なる宗教を唱えることになる。このコントの例に見られるように、宗教を排除したフランス社会は、実はそれに代わる精神的な基礎を一世紀にわたり模索し続けたのである。それはあたかも、「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と語ったヴォルテールの言葉を忠実になぞるかのようであった。【後略】
-------

昔、清水幾太郎について調べていたときにオーギュスト・コントも少し読んだことがあるのですが、その時は「人類教」とか何言ってるんだろ、頭がおかしいのかな、程度の感想しか抱けなかったのですが、大きな時代の変化の中で位置づけるとコントも面白い人ではありますね。
ま、さすがに現代日本においてコント的「人類教」の布教は無理とは思いますが。

今日、宇野氏の『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)が書店に並ぶようなので、さっそく読んでみるつもりです。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/06/102378.html

4665筆綾丸:2016/06/23(木) 13:32:48
神の属性
小太郎さん
トクヴィル『平等と不平等の理論家』を眺めていますが、どうでもいいことながら、宇野重規氏は童顔なんですね。
communist は communion(聖体拝領)と語源は同じですから、中国共産党も日本共産党も宿命的なまでに神と親和的(或いは近親憎悪的)なんでしょうね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%A8%BC%E4%BA%BA
ワールドニュースでドイツのARDを見ていると、VWの株主総会の雛壇にNOTARの席がありましたが、これはいわゆる公証人ではなく、日本の会社法でいう検査役のことなんでしょうね。ウィキにはサウジアラビアの例があって、これはスンニ派諸国に流布しているものなのか、サウド家のアラビアに限られる例外なのか、知りたいところです。

ザゲィムプレィアさん
ブラックホールの内部観測の不可能性はある意味で神に似ていて、「質量、スピン、電荷」という物理量は「不変、偏在、永遠」という神の属性(attribute)と相似かもしれないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%A9
すでにヒズボラ(神の党)という組織があるので、中国共産党の党名変更は権利侵害になるかもしれませんね。もっとも、権利侵害は中国共産党の得意技のひとつですが。南シナ海が古来より中国固有の領海であるのと同じく、アッラーより神のほうがずっと古い、と。

4666筆綾丸:2016/06/23(木) 16:21:17
プレカリアート
http://societas.blog.jp/archives/1009864162.html
--------------
 ロザンヴァロンは、現代において排除される人々について、彼ら、彼女らは、社会の機能不全によって登場した存在であり、ある意味で、非社会化の結果もたらされたものであるといいます。現代社会のキーワードの一つである「プレカリテ」とは、このような意味での不安定性や脆弱性のことを指します。脆弱な立場に置かれた人々は、古典的な意味でのプロレタリアート階級を形成せず、むしろ「プレカリアート」となります。積極的に階級や集団を形成することなく、古典的な意味でのプロレタリアート階級を形成せず、むしろ「プレカリアート」となります。積極的に階級や集団を形成することなく、欠如態においてのみ語られるという意味での「プレカリアート」は、まさに現代の、否定的な個人主義を象徴しているといえるでしょう。(宇野重規氏『<私>時代のデモクラシー』(岩波新書)53頁)
--------------
プレカリアートとは嫌な用語ですが、具体的には、非正規雇用の労働者を指すのでしょうね。

http://www.dictionnaire-juridique.com/definition/precaire-convention.php
http://tomonodokusho.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-dfb6.html
辞書で précaritré を引くと、はじめに、「不安定・不確実・一時的なこと」とあり、次に、「(法律)容仮占有」とあります。容仮占有とはなんぞや、というと、古くはボアソナードの草案に占有の一形態として出てくるものなんですね。
La possession est naturelle, civile, ou précaire.
法律用語 précaire について、フランス語の定義を読んでみたものの、なんのことか、よくわかりませんでした。


蛇足
http://www.shintaku-kyokai.or.jp/profile/pdf/seikaronbun3607.pdf
むかし、フランスの nue-propriété(虚有権)が理解できなかったのですが、この論文を読んで、すこしわかりました。さほど難しい概念ではないのですね。

4667ザゲィムプレィア:2016/06/23(木) 22:48:32
Yorkshire と保守党
> 筆綾丸さん
「Tory」でググって以下を見つけました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%85%9A_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)

「ヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)の即位を認める立場をとった人達をさして「Tory」と言ったのが始まりである。」

イギリスの知識人にとって「Tory」の起源がヨーク公の支持者であることは常識なのでしょう。

4668鈴木小太郎:2016/06/24(金) 09:55:04
宇野重規『保守主義とは何か』
宇野重規氏の最新刊、『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)を読んでみましたが、前半の

------
序章 変質する保守主義─進歩主義の衰退のなかで
第1章 フランス革命と闘う
 ? エドマンド・バークの生涯
 ? 英国統治システムへの自負─帝国の再編と政党政治
 ? 『フランス革命の省察』
第2章 社会主義と闘う
 ? T・S・エリオット─「伝統」の再発見
 ? ハイエク─知の有限性と懐疑
 ? オークショット─「人類の会話」というヴィジョン
------

までは面白かったですね。
よく整理された丁寧な分析がなされていて、宇野氏は本当に頭の良い人だなと思いました。
ただ、

-------
第3章 「大きな政府」と闘う
 ? アメリカ「保守革命」の胎動
 ? リバタニアリズム─フリードマンとノージック
 ? ネオコンの革命─保守優位の到来
-------

に入ると、宇野氏の頭脳ではなく、対象のアメリカの「保守主義」自体が相当に混乱したものなので、一応の整理としては参考になる、程度の印象でした。
そして、

-------
第4章 日本の保守主義
 ? 丸山眞男と福田恆存
 ? 近代日本の本流とは
 ? 現代日本の保守主義とは
-------

は、「バークの定義に立ち戻るならば、近代、そして現代に至るまで、日本に本当に保守主義が存在したのかは疑問が残る」(p189)という、まあ、バークを基準にしたらそうなるでしょうね、という感じのミもフタもない結論に終わっていて、あまり面白くありませんでした。
マイケル・オークショット(1901-90)は全く読んだことがなかったので、これを機会に少し読んでみたいですね。

>筆綾丸さん
>宇野重規氏は童顔なんですね。

ご本人はツイッターアカウントのアイコンに石川啄木を使っていますが、確かにちょっと似ていますね。
また、ムンクの「叫び」にも似ている感じがします。

https://twitter.com/unoshigeki

4669筆綾丸:2016/06/24(金) 16:31:50
Remain(護憲派) vs. Leave(改憲派)
小太郎さん
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来週発売の新刊「保守主義とは何か」の見本刷りが届く。食卓に置いておいたら、小2の次男が読んで(眺めて?)いる。「なかなか面白いよ」とのこと。どのへんがと聞いたら、「出てくる名前が面白い」。小2も推薦、ぜひご期待を。
------------
早熟な小学2年生に敬意を表して、早速、購入しました。

ザゲィムプレィアさん
ありがとうございます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%85%9A_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)
ヨークシャーは白薔薇、労働党のシンボルは赤薔薇ということなんですね。トーリー党に対して、ホイッグ党の流れを汲む自由党はほとんど消滅状態のようですね。

EU離脱派(Leave)の勝利に刺激され、日本でも憲法をめぐって、Remain(護憲派)と Leave(改憲派)の対立に拍車がかかるかもしれないですね。

http://www.bbc.com/news/politics/eu_referendum/results
国論を二分するほど大きな問題でも、Turnout(投票率)は72.2%で、約30%は投票に行かない、というのは面白い現象です。日本の国民投票でも、ほぼ同じような結果になるかもしれないですね。

4670筆綾丸:2016/06/25(土) 23:03:34
T・S・エリオットいわく
宇野重規氏の『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』を読みました。
チェスを連想させるのでチェスタトンは面白く、オークションのようなオークショットは面白く、エリの夫を連想させるのでエリオットは面白く、ハイエナのようなハイエクは面白い。これらが、小学2年生が「出てくる名前が面白い」と感じた理由ではあるまいか。

--------------
 興味深いのは、エリオットが英国の文化をサブカルチャーとして位置づけていることである。彼にとって、英国教会がローマ・カトリックから独立したことは、いわば英国文化がヨーロッパのメインカルチャーから離脱したことを意味した。その意味で、英国文化はまさしくサブカルチャーであった(この場合の「サブカルチャー」はもちろん、現代日本でいう「サブカルチャー」とは異なる。あくまでヨーロッパのメインカルチャーに対するサブカルチャーとしての英国文化と意味する)。
 この場合、この離脱が良かった、あるいは悪かったと評価するつもりはないとエリオットは強調する。また、サブカルチャーが必ずしもメインカルチャーに劣るともいわない。ただ彼は、メインカルチャーから離れることでサブカルチャーが損なわれると同時に、メインカルチャーもまた構成要素を失うことで損なわれたと述べるのみである。ここにヨーロッパと英国の関係についての、彼のニュアンスに富んだ評価を見てとることができるだろう。(76頁〜)
--------------
T・S・エリオットがEU離脱の国民投票を論じているようで面白いですね。

--------------
 ハイエクはこのような法観念の下に「法の支配」を強調した。ハイエクによれば、法の支配が発展したのは十七世紀イングランドである。ただし、興味深いことに、ハイエクはその起源を中世ヨーロッパではなく、古代ギリシアにおける「イソノミア」に見出す。この言葉は「デモクラシー」よりも古く、デモクラシーが「民衆による支配」を意味するとすれば、イソノミアは「市民の間の政治的平等」を指すものであった。
 この言葉は十七世紀イングランドに導入され、やがて「法の前の平等」や「法の支配」といった言葉に置き換えられていく。人民は恣意的な国王の意志ではなく、法によって支配されるべきである。この観念の定着によって、はじめて英国における近代的自由が発展していったというのが、ハイエクの思想史観である。ハイエクの思想史では、デモクラシー(民主政治)より、はるかにイソノミア(法の支配)が重視された。ハイエクの見るところ、権力による恣意的な立法の危険性は民主政治ではむしろ大きくなる。個人の自由を守るのは、権力を拘束する上位のルールを重視する「法の支配」の伝統であった。(92頁)
--------------
フランスではラテン語起源のエガリテがエガリテとして現代まで続いているのに、イギリスではギリシア語起源のイソノミアがイソノミアとして残らず、なぜ「法の支配」という理念に置き換えられたのか。ハイエクを読めばいいのでしょうが、宇野氏の説明を読むかぎりでは、その論理過程がよくわかりませんでした。

4671鈴木小太郎:2016/06/26(日) 10:01:23
石川健治教授の「憲法考古学」もしくは「憲法郷土史」
講談社学術文庫で佐々木惣一(1878-1965)の『立憲非立憲』が復刻されましたが、これはおそらく石川健治氏の強力な推奨によるものなのでしょうね。
書店で手に取ってみて、正直、佐々木惣一の本文はどうにも古くさい感じがしたのですが、とりあえず石川氏の「解説」を読むために購入してみました。

『立憲非立憲』
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062923668

巻末の31ページにわたる「解説」は、

------
一九一六年一月

 いまから一〇〇年前、一九一六年の新春を期して、三本の言論の矢が放たれた。それぞれの仕方で大正デモクラシーを演出すべく、あたかも示し合わせたかのように。
 一つは、東京帝国大学法科大学で政治学・政治史を講じた、吉野作造の論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」である。【中略】
 いま一つは、京都帝国大学文科大学で哲学・哲学史を講じた、朝永三十郎の著作『近世に於ける「我」の自覚史─新理想主義と其背景』(東京宝文館、一九一六年一月)。【中略】
 そして、ほかの二人に比べても一層華々しかったのが、京都帝国大学法科大学で行政法を講じていた、佐々木惣一の言論活動であった。『大阪朝日新聞』は、一九一六年の元旦第一面を、ひとり佐々木のためだけに提供した。本書の標題にもなった論説「立憲非立憲」がそれである。【中略】
-------

と始まっていて(p223以下)、「三本の言論の矢が放たれた」という、いかにも石川氏らしい華麗で躍動的なレトリックが見事です。
朝永三十郎(1871-1951)はノーベル賞を受賞した物理学者・朝永振一郎(1906-79)の父親ですね。
この後、「三者の連環」「ハイデルブルクの契り」「イェリネックの影」「『立憲非立憲』の成立過程」「その後の佐々木惣一」という石川氏らしいロマンチックな小見出しに従って物語が展開します。
一番ドラマチックなのはやはり佐々木惣一のドイツ留学時代で、ハイデルブルクにおける三人の交流が詳細に描き出されています。
ま、石川氏の華麗なレトリックの魅力もあって、決してつまらない訳ではない、というか結構面白いのですが、「解説」を読み終わった後でも、百年前の佐々木惣一の著書を復活させる現代的意義がどこにあるのか、私にはよく分かりませんでした。
私の見るところ、石川氏がやっているのは「憲法考古学」ではないですかね。
石川氏自身はもちろん自身の研究に重要な現代的意味があると思っていて、例えば清宮四郎の「違法の後法」という八十年前の論文が、ものすごい理論的射程を持っていて、現代の難問を解決する偉大な力があるのだ、と力説するのですが、私はバッカじゃなかろか、と思っています。

「苦しまぎれにやった」(by清宮四郎)─「窮極の旅」を読む(その35)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7994

まあ、時代は全く変化しているのですから、清宮四郎の古い論文を読んだところで現代的課題は解決できないのは明らかであり、石川氏が清宮四郎に関してやっているストーカー的研究は、現代的意義は特にない「憲法考古学」じゃないですかね。
「憲法考古学」が言い過ぎだとしたら、「憲法郷土史」と言い換えても良いと思います。
佐々木惣一や清宮四郎は、当時の日本においては秀才中の秀才で、ヨーロッパに留学して当時の最先端の学問に触れ、それぞれの才能を精一杯生かして立派な学問的業績を上げた人たちですが、評価の視点を日本ではなく世界に広げてみれば、当時においても所詮は学問的に遅れた辺境地域の二流・三流知識人ですね。
その学問がいかに形成されたかをどんなに詳細に再現しても、結局は郷土の偉人の顕彰以上のことはできないと思います。

>筆綾丸さん
新書では物足りなくなって、宇野氏の論文集『政治哲学的考察─リベラルとソーシャルの間』(岩波書店、2016)を読み始めました。
硬い文章ですが、こちらの方がむしろ分かりやすい箇所も多いですね。
レスは後ほど。

4672筆綾丸:2016/06/26(日) 13:04:28
アジのたたき(by cookpad)
小太郎さん
http://cookpad.com/
ご紹介の文庫の帯文にある、「責任ある日本国民に告ぐ」や「渾身の書き下ろし解説」という表現は、アジ(agitator)のたたきのような塩梅ですね(塩は赤穂の塩)。どちらかというと、私はアジのひらきのほうが好きです。

「弟子の大石義雄(1903-91年)」が「家老の大石良雄(1659-1703)」を踏まえた命名だとすれば、「佐々木惣一(1878-1965年)」は主君の浅野長矩(1667-1701年)になるのかもしれません。江戸城本丸松の廊下(現皇居東御苑内)に於ける、上野介の訓戒は下の如くで、激昂した内匠頭が刃傷沙汰に及び、後日、昼行燈を佯りつつ、内蔵助が遺恨を果たすとは、お見事(江戸地誌『続江戸雀』より)。
「政治は固より憲法に違反してはならぬ。而も憲法に違反しないのみを以て直に立憲だとは云えない。違憲では無いけれども而も非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実に此の点を注意せねばならぬ」
注)いまひとつ論旨がすっきりしないのは、古文書の誤読かもしれない。

-----------
バークは後年、ヨーロッパ全体の秩序について、英国の主導権を前提としつつも、独立諸国家間の水平的な関係を主張する「ヨーロッパ・コモンウェルス」論を展開している。あくまで多様な国家の間の調和を重視する点に、バークの秩序観の根本を見てとることができるだろう。その前提には、自由の精神という共通文化があったのである。(『保守主義とは何か』47頁)
-----------
宇野氏は、EUの萌芽を遠くバークの「ヨーロッパ・コモンウェルス」論に求めているような感じがしました。ドイツ主導のEUに保守主義者バークは反対したでしょうが。

追記
ネオコンを遡るとトロツキストに行きつく(140頁)、とは知りませんでした。奇妙な出自なんですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160623-00000000-jij_afp-int
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0
NHKBSワールドニュースの回し者のようで気が引けるのですが、オーストラリアABCが「スーフィー音楽家」の暗殺を報じていて、スーフィズムの生命力には驚きました。

4673キラーカーン:2016/06/26(日) 22:12:41
郷愁としての憲法
>>「憲法考古学」

石川氏にとっては、日本国憲法制定後の国内外情勢で「憲法が汚された」と感じており、
憲法制定前や「大正デモクラシー」時代の「古きよき時代」への

「復古」なくして「憲法再生」なし

と言う心境かもしれません。


>>最新刊、『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)

個人的には、同じ中公文庫の最新刊である『元老』伊藤之雄に興味があります。

4674鈴木小太郎:2016/06/27(月) 08:41:44
「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」(by 伊藤博文)
エドモンド・バークを基準にしたら、日本に保守主義者はいませんでした、で話は終わりそうですが、宇野氏は「しかしながら、だからといって近代日本にはまったく保守主義は存在しなかったといえるだろうか」(p171)との問題意識のもと、「憲法起草者である伊藤が、自らのつくり出した明治憲法体制の「保守」に最大の関心と情熱をもった人物であったとしてもおかしくない」として、伊藤博文に言及します。
宇野氏の伊藤博文像は瀧井一博氏の研究に依拠しているようですが、

------
 伊藤はこの木戸のすすめでローマの故地を訪れる。ローマの古(いにしえ)の歴史を振り返りつつ、日本の課題が文明国としての制度的枠組みを整備することにあると認識したとき、伊藤はそれが時間を要するものであることを実感したという。瀧井によれば、この瞬間こそ、急進的な改革官僚であった伊藤が、漸進的な改革政治家に変わった瞬間であった。
------

のだそうで(p173)、なかなかドラマチックですね。
さて、上記に続けて、宇野氏は次のように述べます。

-------
保守主義の担い手
 しかしながら、伊藤にとって困難もまた明らかであった。欧州諸国において憲法政治には歴史があり、今日多くの国々で自明の原理とされている。これに対し、「憲法政治は東洋諸国に於て曽て歴史に徴証すべきものなき所にして、之を我日本に施行するは事全新創たるを免れず」(枢密院での講演、『伊藤博文演説集』)。
日本を含む東洋の国々にとって、憲法政治はまったく新たな試みであった。そのような試みをゼロから打ち立てることの難しさを、伊藤は強く認識していた。
 さらに伊藤は、そもそも憲法政治にはその国の精神的な「基軸」となるものが必要だが、はたして日本にそのような「基軸」があるかを問題にする。「抑欧州に於ては憲法政治の萌芽せる事千余年独り人民の此制度に習熟せるのみならず、又た宗教なる者ありて之が基軸を為し、深く人心に浸潤して人心此に帰一せり。然るに我国に在ては、宗教なる者其力微弱にして一も国家の基軸たるべきものなし」(同前)。かつて隆盛した仏教も今日では衰退に向い、神道もまた人々の人心をよく掌握できていない。結論として伊藤は「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」と結論づけるが、その皇室はあくまで伊藤のデザインした明治憲法体制のなかに位置づけられるべきものであった。
-------

私の当面の関心は宗教にあるので、宇野氏の問題意識とは別に、この部分にちょっと注目したのですが、私自身は江戸時代中期には日本の世俗化はほぼ達成されていると考えているので、まあ、伊藤が仏教も神道も「微弱にして一も国家の基軸たるべきものなし」と認識していたことは当然だと思います。
ごく少数の例外を除き、伊藤のみならず、明治維新の動乱を生き残って「明治憲法体制」を作り上げた国家指導者の大半の宗教認識はこのような醒めたものですね。
では、津地鎮祭訴訟や愛媛玉串料訴訟の大法廷判決で、現代日本の最高の知的水準にあると思われる人々がほぼ一致して認識している強大な「国家神道」とは何だったのか。
明治憲法制定前は「微弱」だった神道が、国家、あるいは伊藤が「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」と評価する皇室と結びついた結果、たちまちにして化け物のように強大な存在に転じたのであろうか、といった疑問も生じるのですが、これはまた後で検討します。

4675鈴木小太郎:2016/06/27(月) 10:08:06
イェリネックの墓
『立憲非立憲』の「解説」によれば、佐々木惣一はゲオルグ・イェリネックの埋葬に立ち会ったそうですね。(p231以下)

-------
〔1911年〕一月五日に脳溢血で父を亡くしたばかりの佐々木は、日記によれば、毎晩夢にうなされ不眠に悩み、信仰や神について知己に問いかけては、考え込んでいたようである。そうしたなか、一月一三日の金曜日、「午後に朝永君を訪う途上」、ロシア人学生からイェリネック急死(脳卒中)の一報を得て「何となく感深く」、昼食時にその日の新聞で死亡記事を読んだ。【中略】
 翌一四日は、朝永との昼食後、イェリネックの写真を購入し、翌々一五日は、「日本人一同撮影すとの案内により」一一時に行き、やはり朝永と昼食した後、「午後イェリネック教授の埋葬式に列す、色々思う。……悲しき思あり」(洋行日記、一九一一年一月一四日、一五日)。
------

念のためと思ってウィキペディアを見ると、亡くなったのは12日とありますね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Georg_Jellinek

そして、三日後の1月15日に埋葬式があった訳ですね。
さて、石川氏は上記引用部分の少し後で、

------
イェリネックの影
 佐々木惣一は、イェリネックが埋葬される場面を、目撃している。真向かいが、これまた近代日本の政治思想史に抜き難い影響を残した、『国法汎論』のJ・C・ブルンチェリの墓であることにも気がついただろう。ドイツ市民の墓にありがちなギリシャ神殿を意識した派手な墓である。それに比して、大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石のもとに、ついこの間まで自分の前で欠伸していた、世界の憲法学の泰斗が埋葬されてゆく。父の死と重なったこともあり、佐々木に強い印象を残したのは間違いない。イェリネックの晩年様式を代表する「憲法変遷論」に、佐々木が本気で取り組むに至る決定的な契機は、おそらくこの体験であったろう。
------

と推測されています。(p235)
しかし、佐々木が「大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石」を見た、というのはちょっと変な話ですね。
イェリネックは死の直前まで大学で講義をしていて、12日の死去の三日後に埋葬された訳ですから、本当にそのような墓石があったとすれば、その手配があまりに手際良すぎます。
同じページにある石川氏が撮影したらしい墓石の文字は判読不能ですが、ウィキペディアに載っている写真を見ると、この墓石には二つの金属製のプレートが嵌め込まれていて、上の方に、

Georg Jellinek
1851-1911
Camilla Jellinek
1860-1940

下の方に、

Barbara Jellinek
1917-1997

とあります。

https://de.wikipedia.org/wiki/Georg_Jellinek#/media/File:Jellinek_grab.JPG

Barbara Jellinek は二人の息子で、行政法学者であった Walter Jellinek の娘のようですね。

Walter Jellinek(1885-1955)
https://de.wikipedia.org/wiki/Walter_Jellinek

私もドイツの墓事情など全く知りませんが、自然石の一枚岩の墓というのは意外にモダンな感じがしますし、祖父母と孫娘という組み合わせも少し珍しい感じがするので、あるいはこれは孫娘が祖父母の墓を建て、孫娘が亡くなった後、その遺族が孫娘の名前を刻んだプレートを追加したのではないですかね。
ま、詳しい事情は分かりませんが、埋葬式の時点では「大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石」は存在せず、佐々木もそれを見ていないと考えるべきでしょうね。

>筆綾丸さん
>「責任ある日本国民に告ぐ」
講談社も社名を百年前の「大日本雄辯會講談社」に戻した方が良さそうですね。

>キラーカーンさん
>「古きよき時代」
樋口陽一氏を中心とする「立憲主義」を声高に叫ぶ憲法学者のグループの中でも、石川氏の懐古趣味は突出していますね。
『立憲非立憲』のオビにあるように、確かに石川氏は「異彩を放つ憲法学者」ですが、憲法学界のリーダーたる資質には若干の疑問を感じます。

4676筆綾丸:2016/06/27(月) 12:22:16
Malesherbes 或いは「悪の草」
小太郎さん
----------
ちなみにトクヴィルの母方の曾祖父は、革命前には啓蒙思想家の庇護者として知られ、革命後には逆にルイ十六世の弁護人をつとめて処刑された司法官マルゼルブである。(『トクヴィル 平等と不平等の理論家』23頁)
----------
パリ8区〜17区にマルゼルブ大通り(Boulevard Malesherbes)があり、17区にはこれと数百メートル隔てて平行するトクヴィル通り(Rue de Tocqueville)があり、道幅と長さからすると、フランス本国では曾祖父の方が大事に扱われているようです。
ウィキによれば、
Le boulevard Malesherbes fut inauguré par Napoléon III en 1863.
・・・la rue reçoit son nom actuel en 1877 en souvenir de l'historien Alexis de Tocqueville.
前者はナポレオン三世の第二帝政期の命名、後者は第三共和政期の命名という本質的な相違があるものの、メトロ3号線にはマルゼルブ駅もあって、トクヴィルの曾祖父の扱いは別格です。ちなみに Malesherbes を Males+herbes と分解すれば、「悪の芽」ならぬ「悪の草」の意となり、ボードレールの「悪の華」の生みの親のような感じになります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%84%E8%B0%B7%E8%A1%8C%E4%BA%BA
「トクヴィルの<可能性の中心>」(11頁、76頁)という表現は、柄谷行人氏の『マルクス その可能性の中心』のパクリなんでしょうね。若い頃、読みましたが、内容は忘れました。氏は歳のせいか、『憲法の無意識』(岩波新書)などというつまらぬ本を最近出しました。
レイモン・アロン(Raymond Aron)の ray は rai と同じで、フランス人である以上、レイモンではなくレモンです(16頁)。メースは Metz というドイツ語風の綴りですが、発音はメス(メッス)です(28頁)。冒頭に、フランス人だからトックヴィルよりトクヴィルの方がいいだろう(6頁)、とあるので、付け足しておきます。

トクヴィルのいう平等化社会における「多数の圧政」(85頁)という考えと、ハイエクのいうイソノミアから法の支配へという考え(『保守主義とは何か』93頁)とは、両者には時間の隔たりがあるとはいえ、ベクトルがまるで逆なので面白いと思いました。

キラーカーンさん
伊藤之雄氏の著作は、『山県有朋』『元老西園寺公望』(共に文春新書)を読んだことがありますが、緻密な文体の研究者ですね。

4677キラーカーン:2016/06/27(月) 22:59:58
立憲主義等々
>>「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」

近代立憲主義とキリスト教徒の関係については、小室直樹が
『日本人のための憲法原論』
『痛快!憲法学』
『日本国憲法の問題点』
で触れられています。

その中で、冒頭の伊藤の言葉にも触れられています。
ここから、小室流の「天皇学。天皇教」へと話が発展していきます。

ここで、少し脱線しますが、自民党の「憲法改正草案」が「立憲主義」を理解していない
と不評のようですが、「わが国の憲法」を打ちたてようとすれば、キリスト教を基盤に
した「立憲主義」とは別の「日本的立憲主義」を打ち立てなければならないはずなので、
「(欧米流)立憲主義」を踏まえていないとの批判は「当たり前」です。

この文脈で、片山さつきが言ったとされる「天賦人権思想をとらない」という言葉も
「キリスト教的考え方によらない」と言う意味では、当たり前だと思います
(片山女史の真意が奈辺にあるかはわかりませんが)

わが国で民法を施行の際に「民法守って忠孝滅ぶ」と言われたことも想起すべきです

したがって、「立憲主義」を語るためには、大日本帝国憲法制定時に「憲法伯」
伊藤博文が払った知的営為について、正当な尊敬を払わなければならないはずです。

「国家神道」とは、非西欧社会であるわが国が西欧列強濁していくために必要な
「ギミック」だったのでしょう。

「8月革命説」が戦後憲法学にとって必要だったように

>>『山県有朋』『元老西園寺公望』

今回の『元老』は伊藤氏がこれまで行ってきた個別の政治家研究を総合したような
もののようです

4678鈴木小太郎:2016/06/28(火) 10:55:43
イェリネックの墓(その2)
イェリネックの墓なんかどーでもいーだろ、人様の細かいミスを見つけて喜んでるんじゃねーよ、みたいな声が天上から聞こえてきた(ような気がする)ので、ちょっと弁解しておくと、イェリネックはもちろんユダヤ人ですが、亡くなる前年(1910年)にユダヤ教からプロテスタントに改宗しているんですね。
年齢は相当離れていますが、ハンス・ケルゼンも1905年にカトリックに改宗しており、ケルゼンの友人だったオット・ヴァイニンガーは1902年にプロテスタントに改宗し、その翌年自殺しています。
イェリネックの改宗も、あるいは「ユダヤの自己嫌悪」と関係しているのかな、と思っていたので、石川氏の「大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石」というユダヤ色もプロテスタント色も感じさせない表現が気になり、若干の検討を試みた訳です。

「ユダヤ教とケルゼン」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8008
「オット・ヴァイニンガー(1880-1903)」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8013
「オットー・ヴァイニンガー、再び」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8289

>筆綾丸さん
>柄谷行人氏の『マルクス その可能性の中心』
宇野氏は柄谷行人がけっこう好きなようで、『政治哲学的考察』にもチラッと登場しますね。

>キラーカーンさん
>自民党の「憲法改正草案」
私は単に古くさい感じがして、あまり真面目に検討する気にもなれません。

4679筆綾丸:2016/06/28(火) 14:56:45
ベルク墓地D区画
小太郎さん
https://de.wikipedia.org/wiki/Bergfriedhof_(Heidelberg)
https://de.wikipedia.org/wiki/Johann_Caspar_Bluntschli#/media/File:Joh_kasp_bluntschli.JPG
イェリネックの墓は墓地の北の一画(区画D)にあるのですね。同じ区画にあるJ・C・ブルンチェリの「ドイツ市民の墓にありがちなギリシャ神殿を意識した派手な墓」ですが、下部の星型は、ギリシャ神殿風のペディメント(破風)と矛盾するものの、ユダヤの六芒星(ヘキサグラム)でしょうか。丸窓が烏賊の目玉のようです。


http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2013/11/post_374.html
ベルリン在住の六草いちか氏の『鴎外の恋』『それからのエリス』(講談社)の後者に、エリーゼの夫の墓の写真が掲載されています(273頁)。蛇足ながら、ふたつとも名著です。
------------
ヴァイセンゼー区ユダヤ人墓地に眠るマックスの墓石は意外や立派なものだった。エリーゼの見立てだろうか、切株に石板を立てかけたようなデザインは繊細な美しさ。
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https://en.wikipedia.org/wiki/Wei%C3%9Fensee_Cemetery
墓石には、「一八六四年十月十一日生まれ 一九一八年十二月三十一日没」とあります(274頁)。イェリネックの墓と共通するのは、まるで樹木葬のように、墓地内にやたらと草木が生い茂っていることで、これがドイツ風なのかもしれません。
「べルリナー・ターゲプラット」紙(1919年1月1日付)にマックスの死亡広告が載り、鴎外は帰国後もこの新聞を読んでいた(339頁)というのは、『舞姫』の後日談としていいですね。眼前に若き日のエリーゼがいるかのように。

4680鈴木小太郎:2016/06/29(水) 10:49:34
帝国の市民権とEUの市民権
『政治哲学的考察』の「第4章 政治哲学問題としての欧州統合」は11年前の論文(初出は中村民雄編『EU研究の新地平─前例なき政体への接近』、ミネルヴァ書房、2005)ですが、今回のイギリス離脱騒動を眺めながら読むと面白いですね。
少し引用してみます。(p221以下)

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 このことと関連して、帝国的な市民権のあり方を考えてみたい。これまでの主権国家体制においては、バリバールの指摘するように、市民権は国民国家における国籍とほとんど同一視されてきた(Balibar 1998:46, 邦訳五九頁)。市民権を持つということは、いずれかの主権国家の国籍を有することと同義とされ、逆に国籍と切り離した形で市民権を論じる余地は少なかった。しかしながら、もし仮に帝国的な市民権というものがありうるとすれば、それは古代ローマの市民権のあり方が参考になるであろう。というのも、古代ローマは古代ギリシアのポリスと異なり、市民としての地位と権利を、被征服地域の市民にも開放していたからである。ローマの拡大の原動力は、次々に併合した地域の市民をローマの市民に加えるという、開放的な市民権のあり方に見出せる。巨大化するローマの市民権とは、ローマの公的な意思決定に参加することというよりは、むしろローマの支配下に、一定の民事的諸権利を享受することに主眼があった。それゆえに、ローマの市民権は無限に拡大していくことが可能だったのである。
 このような帝国の市民権をEU市民権と比較してみると興味深い。既に指摘したように、EUの拡大は、民主的な世論を形成し、それによって権力をコントロールする市民の力を低下させるかもしれないが、個人としての権利については、むしろその可能性を広げるものである。その意味でEU市民権は、公的意思決定への参加という側面より、一定の諸権利の享受という側面に主眼のある、古代ローマの市民権と似ているといえなくもない。しかしながら、EUの市民権が、あくまで加盟国の国籍に依拠したものであり続ける以上、近代国民国家の論理の延長線上にあり、無限に拡大していくものではないという点においては、はっきりと帝国の市民権とは異なっている。
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日本のマスコミ報道を見ると、経済的に不利になることは明らかなのにイギリス国民は愚かな決定をしたものだ、と嘆く論調が圧倒的ですが、「EU市民権」により一般論としては「一定の民事的諸権利」を享受できるとしても、それが自己の現実の経済的利益に結びつくかはかなり個人差があり、社会階層の違いがくっきりと出ますね。
これに対し、「公的意思決定への参加という側面」が劣化したことは明らかであって、いくら経済的利益が減少しようと、この点はやはり譲れないと考える人々を単純に愚かと嘲笑することはできないように思います。
今年に入ってから、私はEUに全く否定的なエマニュエル・トッドの著作をまとめて読んでいたこともあり、今回のイギリスの国民投票について特に反感は抱かず、まあ、そういう選択肢もあるよね、と思っているのですが、これは単に私が国際経済への洞察力がないだけなのかもしれません。

ちなみに私は『EU研究の新地平─前例なき政体への接近』の編者、中村民雄氏(早稲田大学大学院法学研究科教授)と大学の語学クラスが一緒なのですが、検索して最初に出てきた早稲田大学「法学部教員紹介」の胡麻塩頭の写真を見て、あれ、あの人はこんな顔だったかな、同姓同名かな、と思いました。
ただ、「早稲田大学グローバルCOEプログラム<<企業法制と法創造>>総合研究所」サイトの写真は若かりし頃の面影を宿していますね。
ま、どうでもいいことですが。

http://www.waseda.jp/hougakubu/main/faculty/f_nakamura_tamio.html
http://www.waseda.jp/win-cls/laboratory/index3.html

>筆綾丸さん
>J・C・ブルンチェリの「ドイツ市民の墓にありがちなギリシャ神殿を意識した派手な墓」

私もどんな墓なのか興味津々でした。
ご紹介ありがとうございます。
ブルンチェリについて、私は国家有機体説の人、程度の知識しかないのですが、ウィキペディアを見る限り、ユダヤ系ではないようですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Kaspar_Bluntschli

4681筆綾丸:2016/06/30(木) 13:30:10
フリーメーソンとホモ・デモクラティクス
小太郎さん
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Kaspar_Bluntschli
http://www.r5r.de/
(英)He was a Freemason and was Master of Lodge Ruprecht zu den fünf Rosen.
(独)1864 wurde er Freimaurer und Mitglied der Loge Ruprecht zu den fünf Rosen in Heidelberg, wo er durch sein Wirken als Meister vom Stuhl die Loge prägte.
ブルンチュリはフリーメーソンの一員で、ハイデルベルクの Lodge Ruprecht zu den fünf Rosenに属していたとあるので、墓石に彫られたものは星ではなく fünf Rosen(五弁の薔薇?)を表しているのでしょうね。夫婦墓の二輪の薔薇からすると、夫人もまたフリーメーソンだったのですね。
(独)Von 1872 bis 1878 war er Grossmeister der Grossloge ≪Zur Sonne≫ in Bayreuth.
バイエルン支部「Zur Sonne」の支部長(1872-1878)も歴任したのだから、法学者である以上にバリバリのフリーメーソンであったのであり、ostentatoire(仏)なギリシャ神殿様式の破風よりもむしろ、石工がさりげなく彫った地味な fünf Rosen に言及すべきなんでしょうね。

ご同窓の中村民雄氏は、お名前がやけに democratic なんですね。
--------------
トクヴィルが「諸条件の平等」という概念を通じて論じようとした、このような新しい想像力を持った人間を、以下、<民主的人間(ホモ・デモクラティクス)>と呼ぶことにしよう。(『トクヴィル 平等と不平等の理論家』61頁)
--------------

幸田露伴には驚きました。今時の学生さんは、倖田來未とか幸田真音とかは知っていても、露伴は知らないのではないでしょうか。 

4682筆綾丸:2016/07/01(金) 16:00:13
横山大観
『立憲非立憲』の解説を読んでみました。
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・・・佐々木は朝永に、「どうも自分は、強いような又弱いような、俗なような又俗を離れたような、正しいような又正しくないような、きちんとしたような又だらしないような、いわば矛盾した人間でつまらぬ」、と打ち明けている。これに対して、朝永は、いつになく「真面目な顔つきで」間髪を入れずに、こう応えた。「ふん、それでいいのだ、矛盾でいいのだよ」。(233頁)
------------
この会話(1911〜12頃)の数年前に、漱石『三四郎』が朝日新聞に連載されましたが、佐々木惣一を小川三四郎、朝永三十郎を佐々木与次郎に置き換えれば、『三四郎』に出てきそうな問答ですね。

----------
『大阪朝日新聞』は、一九一六年の元旦第一面を、ひとり佐々木のためだけに提供した。(224頁)
----------
次頁の第一面のコピーをみると、上半分に、大きな二匹の昇り竜(雌雄?)の絵の下に社説如きものと門松めいた植物の絵があり、下半分には、佐々木の論説を真ん中で断ち割った窓の中に、横山大観画伯の漫画のような富士山と朝日と雲の絵があり、さらに左端には横書きの英文らしきものもあるといった感じで、「ひとり佐々木のためだけに提供した」とはとても云えない構成になっています。

---------
・・・佐々木惣一もまた、元旦の紙面をハイジャックするに足る論説の構成に呻吟しながら・・・(228頁)
---------
石川氏は巫山戯ているわけではないのですが、漫才や落語ならともかく、hijack という言葉は terrorism や kamikaze と同じく、普通の人なら如上の文脈では使わないはずで、氏の言語感覚が理解できません。

1930年の名著『日本憲法要論』(初版、金刺芳流堂)ですが(242頁)、出版社は渓斎英泉の浮世絵の版元のような名称ですね。

4683鈴木小太郎:2016/07/02(土) 13:53:13
憲法学界のルー大柴
投稿に少し間が空いてしまいました。
今までの流れから行くと、そろそろこのあたりで「国家神道」についてそれなりに本格的に論じなければならないのですが、その方法についてちょっと迷っているところです。
従来の論争を紹介して若干の私見を加えるのが通常ルートでしょうが、この問題は純粋に学問的な地点から相当離れて、政治の泥沼に入り込んでしまっているので、正確さを維持しようとすればあまり愉快でない政治的議論を延々と紹介することになりかねません。
それは面白くないので、ちょっと工夫したいと思っています。

>筆綾丸さん
>お名前がやけに democratic
そうですね。
キラキラネームの対極にある平凡で庶民的な名前ですが、頭脳は庶民的ではなく、当時からかなり目立っていましたね。

>『三四郎』に出てきそうな問答
「解説」の留学中の写真を見るとずいぶん老成した雰囲気ですが、1878年生まれの佐々木がまだ三十代前半の頃の話ですね。
佐々木は五歳上の美濃部達吉と並び称されることの多い人ですが、この問答を見る限り、性格的には万事に剃刀の如く明晰な美濃部と正反対のようです。
仮に佐々木が朝永でなく美濃部にこうした相談をしたら、瞬時に罵倒されるか、あるいは氷のように冷ややかな軽蔑の視線に曝されたでしょうね。

>漫才や落語ならともかく
いつでもどこでも大げさな石川健治氏の言語感覚は、芸能界ではルー大柴に似ていますね。
『立憲非立憲』の宣伝文句に言うように、確かに異彩を放っています。

「ルー大柴オフィシャルブログ」
http://ameblo.jp/lou-oshiba/

4684筆綾丸:2016/07/02(土) 21:23:25
豊饒の墓
小太郎さん
石川氏の非実証的な思い入れは薹が立った文学青年のようですが、氏の斬新奇抜な仮説によれば、佐々木惣一『立憲非立憲』はイェリネックの墓から生まれたことになるようですね。Schein(幻相)としてではなく Wirklichkeit(実相)として。
---------
この間、佐々木の法理論は、大転回を経験している。そのきっかけの最大の一つが、イェリネックの埋葬式であったに相違ない。(236頁)
この『立憲非立憲』のなかで最も有名なパッセージは、ハイデルベルクに瞑目するイェリネックの墓前に立ったあの日から続く、佐々木惣一の思索の結晶にほかならない。(244頁)
---------

---------
・・・キャッチーなタイトルに加えて内容も非常に良く工夫された、論説「一票の投げ所」。(247頁)
---------
http://www.uta-net.com/movie/124230/
「キャッチーを科学する」という歌があるのですね。作詞家の意図に反して、意味は単純だと思いますが。

http://mainichi.jp/articles/20160702/k00/00m/030/111000c
http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-045030085.pdf
石川氏の解説にもある憲法裁判所ですが、オーストリアの憲法裁判所はイェリネックとケルゼンに負うところが大きいのですね。

4685鈴木小太郎:2016/07/04(月) 11:06:56
イェリネックの墓(その3)
>筆綾丸さん
>イェリネックの埋葬式
森英樹・篠原巌訳『イェリネク「少数者の権利』(日本評論社、1989)の「訳者解題」に、「イェリネックの葬儀(1911年1月15日)を知らせる大学の通知(1月13日付)」が載っていますね。(p265)
佐々木惣一もおそらくこの通知を見て参列したのでしょうが、式次第には特に墓石の存在を伺わせるものはありません。
また、この「訳者解題」には、「イェリネックの墓。妻カミラとともに眠る。反対側にはブルンチェリ、20mほど南にはヴェーバーの墓もある(Bergfriedhof)」とのキャプションが付いたイェリネクの墓の写真もありますが、1989年刊行の書籍に出ている写真ですから、当然のことながら、

------
Georg Jellinek
 1851-1911
Camilla Jellinek
 1860-1940
-------

との銘板だけが写っていて、

-----
Barbara Jellinek
 1917-1997
-----

の銘板は存在しません。
考えてみれば、Camilla が亡くなった1940年はナチス支配下の極めて過酷な時期であって、ユダヤ人がまともな葬儀を営めたとは思えません。
もしかすると、息子のハイデルベルク大学教授・Walter Jellinek(1885-1955)がイェリネック没後まもなく建てた最初の墓がナチス時代に荒らされてしまって、1955年のWalterの没後、敗戦後のドイツもようやく落ち着きを取り戻した時期にWalterの娘のBarbara が祖父母の墓石を立て直した、といった事情があるのかもしれないですね。
私の想像も、あるいは石川健治氏と同レベルの妄想に近づいているのかもしれませんが。


>オーストリアの憲法裁判所はイェリネックとケルゼンに負うところが大きいのですね。

その通りですね。
ご紹介のクリストフ・ベツェメク氏の講演記録「オーストリア憲法裁判所─その制度と手続」(戸波江二訳)を読んでみましたが、ちょっと変なミスがありますね。

------
 特別の憲法裁判所という考えは、イェリネクが国事裁判所を提唱した18世紀中葉にさかのぼる。イェリネクは、異なった立法者の権限争議のみでなく、法律の実体的合憲性に関する議会内での多数派と少数派の権限争議の問題についても決定を下す国事裁判所を構想した(5)。

http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-045030085.pdf

とのことですが、「18世紀中葉」はいくら何でも早すぎるので、この注(5)を見ると、

Georg Jellinek, Ein Verfassungsgerichtshof für Österreich(1885)

となっていますから、「19世紀末葉」とすべきでしょうね。

4686筆綾丸:2016/07/04(月) 15:51:23
市営墓地にて
小太郎さん
https://de.wikipedia.org/wiki/Bergfriedhof_(Heidelberg)
小太郎さんの推論のほうが合理的だと思います。
佐々木惣一の思想とイェリネックの埋葬の関係に拘るのなら、Bergfriedhofを管理するハイデルベルク市に行って関連資料を渉猟するとか、墓地管理事務所に照会するとか、現地であたってみれば、ある程度、墓の時代的変遷が判明したのではないか、と思われるのですが、石川氏はパセチックな詩的想像をしているだけで、そういう地味で下世話なことはしてないようなんですね。『自由と特権の距離―カール・シュミット「制度体保障」論・再考』を読めば、氏はドイツ語が相当できるのだから、勝手な想像を廻らす前に、「憲法考古学者」として、もっと基礎的な調査をすべきなんですね。

前回、「紙面をハイジャックする」という石川ワードに苦言を呈しましたが、現代の若者なら、「ハッキング」という用語を使うでしょうね。

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・・・山本権兵衛内閣も、疑獄事件(いわゆるシーメンス事件)に対する世論の批判を受けて、最終的には総辞職・・・(245頁)。
------------
日本近代史では学問的に「シーメンス事件」で定着しているのか、知りませんが、ドイツ語の Siemens はジーメンスとしか読めません。ヴァーグナーの Meistersinger はマイスタージンガーであって、マイスターシンガーと言ったら、シンガーソングライターの元締めのようです。


将棋のこと
http://www.asahi.com/articles/ASHBL5G7NHBLPTFC00G.html
http://www.shogi.or.jp/kisen/shourei/sandan/59/index.html
4冠全部の喪失もありうるほど羽生さんは不調です。藤井聡太(13歳)くんはプロ最年少の記録を塗り替えるのではないか、と注目を集めています。

4687キラーカーン:2016/07/05(火) 00:14:01
駄レス
>>シーメンス事件

私も「ジーメンス」派なのですが、学術論文では
「シーメンス」の表記がほとんどと言う印象です。

山本も、この事件がなければ元帥は確実だったのですが・・・
ただ、斎藤実も道連れで予備役になったこの事件のおかげで
「海軍長老内閣」という面白い類型ができるのも歴史のいたずらです

>>プロ最年少の記録を塗り替える
とうとう加藤一二三の記録が破られるのか
(それでも、史上最年少5段(C1)から8段(A級)の記録が
更新できるとも思えませんが)

個人的には、加藤の最年少記録の中で
「最年少A級陥落」こそが「更新不可能」と思っています。

>>4冠全部の喪失
「羽生九段」の表記がついに見られるのか、
それとも大山十五世名人のように
特例で「現役での永世称号」が認められるのか

4688鈴木小太郎:2016/07/05(火) 11:27:33
ナチス時代のイェリネック一族
Walter Jellinek についてはウィキペディアもドイツ語版だけで、しかもずいぶんあっさりしていますね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Walter_Jellinek

私の当面の関心とはズレますが、ものはついでと思って少し調べてみたら『近代法治国家の行政法学─ヴァルター・イェリネック行政法学の研究』(人見剛著、成文堂、1993)という本の冒頭に「ヴァルター・イェリネックの生涯と業績」のまとめがありました。
少し引用してみると、

------
一 周知のように、ヴァルター・イェリネック(Walter Jellinek 1885-1955)は、オットー・マイヤー(Otto Mayer 1846-1924)とならんでドイツ行政法学の父と呼ばれ、ドイツ行政法学の形成期を担った最も有力な学者の一人であると共に、「国法(学)から独立した独自の行政法学の形成に寄与した最後の学者」、いわば「行政法学の最後のクラシカー(der letzte Klassiker)」であった。即ち、イェリネックは、O・マイヤーがドイツにおける行政法学を構築し始めた帝政期から、ヴァイマル期、ナチス期そして第二次大戦後の共和政期に至るまで四つの時代を生き、各時代に数多くの優れた業績を残した傑出した公法学者であった。本節では、イェリネックの行政法学を考察する前提として、まず彼の生涯と業績を素描することにしよう。
二 ヴァルター・イェリネックは、一八八五年七月一二日、当時ウィーン大学で教鞭をとっていた著名な国法学者ゲオルク・イェリネック(Georg Jellinek 1851-1911)とウィーン大学医学部教授グスタフ・ヴェルトハイム(Gustav Wertheim 1822-1888)の娘カミーラ(Camilla 1860-1940)の息子として、ウィーンのフュッテルドルフ(Hütteldorf)に生まれた。イェリネック一家はその後、父親ゲオルクがバーゼル大学(一八九〇年)、ハイデルベルク大学(一八九一年)へと移動するに伴って転居し、一九〇三年、彼はハイデルベルクでその大学生活を始めた。【中略】なお、大戦開始前の一九一四年四月三日には、バーデンの上級事務次官(Ministerialrat)の娘で、彼の幼なじみのアレクサンダー・ヴィーアー(Alexander Wieher)の妹イルムガルト・マリー(Irmgart Marie 1891-1976)と結婚し、以後一九一五年から二五年までの間に二男三女をもうけている。【中略】
三 前述したように、ヴァルター・イェリネックは一九二九年、ボンに移ったR・トーマの後任としてハイデルベルク大学に招聘され、父ゲオルクがかつて担当した講座を受け継ぐこととなった。少年・学生時代の大部分を過ごした第二の故郷ともいえる西南ドイツのハイデルベルクの地に戻り、そして彼は、その死までこの地に居を定めることになるのである。ここでも、イェリネックは法学部長(Dekan der Jur. Fak.)、評議員(Mitgl. des Engeren Senats)等の要職を務めつつ、一九三五年、ユダヤ系の故に公職追放されるまで、旺盛な研究活動を続けた。一九二八年には公法国際協会(Institut International de Droit Public)の非常任メンバーに選ばれ、三〇年には常任メンバーとなっている。
-------

といった具合で、「一九一五年から二五年までの間に」生まれた「二男三女」の一人が Barbara(1917-1997)のようですね。
この後も特に亡命等の記述がないので、ナチスによる公職追放後もヴァルターはハイデルベルクにとどまったようです。
ただ、人見氏は特に言及していませんが、父ゲオルクと母カミーラのウィキペディアの記述によれば、二人の間には六人の子が生まれ、成人した四人の中でDoraはテレージエンシュタット収容所で「安楽死」させられ、Ottoもゲシュタポによる虐待の結果、死に至ったそうなので、ヴァルターの生活もおよそ安穏なものではありえなかったでしょうね。

https://de.wikipedia.org/wiki/Georg_Jellinek

>筆綾丸さん
>「シーメンス事件」
私もついつい習慣で「シーメンス」と書いてしまいますね。
また、筆綾丸さんはいつも「マックス・ヴェーバー」と書かれますが、私は「ウェーバー」じゃないと何だか別人のような感じがして、これもなかなか直りません。

4689筆綾丸:2016/07/05(火) 16:11:07
ゴンベエさん
小太郎さん
イェリネックは親子ともども飛び抜けた学者なんですね。
VWもフォルクスワーゲンで定着していますが、ゲシュタポ(Gestapo)は、不思議なことに、ゲスタポとは言わないですね。

キラーカーンさん
伊藤之雄氏『山県有朋』(文春新書)も、「シーメンス事件」になっています(387頁)。あの時代の日独関係を考えると、ゴンベエさんをはじめとする海軍の上層部(及びメディア)は、「ジーメンス」と発音していたろう、という気がします。戦後、アメリカの影響を受けて、「シーメンス」になったのでしょうか。「シーメンス」というと、なぜか、シーラカンスを連想します。

たしかに、「最年少A級陥落」は神武以来の天才の不滅の記録でしょうね。また、ピンさんの段位は誰も超せないですね。なんたって、1239段ですから。

今期名人戦の3局、4局、5局は羽生さんの完敗で、ポナンザとプロ棋士の勝負を見ているようでした。また、今期の棋聖戦挑戦者ですが、王者羽生があれほど負け越している棋士はほかに記憶にありません。

阪大哲学科休学中の前竜王糸谷哲郎さんは、7月4日付日経将棋欄で、将棋は民衆の娯楽として楽しめる方向性でいくのがいちばんよく、伝統的な権威づけには警戒すべきだ、と言っていますが、羽生さんはいつか文化勲章という伝統的な権威づけがなされるかもしれません。もっとも、文化勲章などより将棋のほうがずっと伝統がありますが。(将棋は徳川将軍家による権威づけ、文化勲章は天皇による権威づけ、という日本固有の悩ましい問題は考えないことにします)

日曜日のNHK「将棋フォーカス」で、最近数年間におけるプロ公式戦の勝率は先手53%と言っていました(以前は51%ほどでした)。序盤の研究が進み、先手の勝率が60%を超えるような事態になれば、ルール改正が問題になってくるでしょうが、囲碁のコミのように、4目半⇒5目半⇒6目半・・・と安直にいかないところがネックですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E9%9B%B6%E5%92%8C%E6%9C%89%E9%99%90%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
将棋も、詰まる所、先手必勝の「二人零和有限確定完全情報ゲーム」だ、ということになってしまうのか。まあ、そうなったとしても、世界は何も変わりませんが。 




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