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フェミニズム/ジェンダーにわか勉強スレ

1カマヤン:2003/02/04(火) 04:50
「近代家族」「《子供》の誕生」など
某教授からの講義メモとか

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:50
「近代家族」と「『子供』の誕生」

1 近代化に伴う社会変化

「近代化」により、「身分」で成立していた共同体(「ムラ」や「藩」)から、
バラバラな個人へと、社会関係が変化する。
それに伴い、前近代の「家族」とは違った「近代家族」が生まれる。
(ムラが壊れ、「家族」と「子供」という概念が、変化する)

2 近代以前の家族

前近代の「家族」は、「近代家族」より、ずっと多くの機能を持っていた。
前近代の「家族」は、労働と住居が一体の場所だった。

2−1
「家族」は「生産組織」だった。大工なら10歳程度で、親父の元で大工を始めた。
「家族」は「再生産組織」だった。「再生産」とは、食事や、子作りのことを指す。
「家族」は「教育組織」だった。親の背を見て育つ、が、実践されていた。
「家族」は「公共組織」だった。前近代には、全国レベルの政治はほとんど存在せず、
村レベルの政治がメインだった。村の寄合へ親父が行くことが、「政治参加」だった。

近代化により、これらの機能が、「家族」から離れていく。
現在は、「再生産」機能が「家族」へ残っているが、徐々にその機能も他のものへ
譲りつつある。

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:51
2−2
前近代の「家族」には、非親族が混じっている場合も多い。(女中や徒弟など)
情緒的繋がりが比較的弱い。
前近代の「家族」は、労働組織的だった。実利的組織だった。
非親族者が混じっている「家族」は、比較的豊かな家の場合だ。

貧しい家では、子供を女中や奉公人にどんどん出してしまう。
三世代同居はあまりない。平均寿命が短い。

2−3
前近代の「家族」は、地域での「社交」が多い。「家族」は地域の一単位だ。
前近代の「家族」は、地域の村落自治の一部だ。

農村では、田植え・稲刈りは、村総出で行なわないと、できないことだった。
家の建直しも、村総出で行なわないと、できないことだった。
これらの作業は、寄合で決定された。(「家族」は公共機能の一部だった)
村八分に遭うと、生きていけなかった。
家族が村から孤立して生活することは、できなかった。

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:51
2−4
前近代の「家族」では、男女の性役割分化が、近代と異なっていた。
前近代では、「仕事」と「家事」が分かれていない。
稲刈り、脱穀、炊飯は、一連の作業だ。どこまでが仕事で、どこまでが家事、という
区分はできない。
「男が狩猟、女が機織」と性役割がされていても、どちらを「仕事」どちらを「家事」と
呼ぶべきなのか? 双方家事とも、双方仕事とも呼べる。

2−5
前近代の「家族」では、近代的な「子供」という枠組がない。
乳幼児死亡率が高かった。
「七歳児までは神のうち」…七歳くらいまでは人間の範疇に入らなかった。
それ以降は「小さな大人」扱いをされた。(フィリップ・アリエスによる説)
仕事、「家事」、奉公、結婚、公務(軍隊加入など)に、十歳前後から就いていた。

近代的な「教育」という概念がなかった。「学校に行く子供」は存在しない。
「学校」にあたるものは中世日本では「寺」だ。中世欧州では教会だ。
修業する、教養を積む、ということはあった。
「家業を継ぐ」教育は「家族」の中で(徒弟のようなかたちで)なされた。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:51
3 「近代家族」の成立
「近代家族」は、社会学やフェミニズムで定着している概念だ。

3−1
近代化とともに、家族・地域の機能が、分化する。
「子供が小遣いをもらう」のは、貨幣経済が浸透しないと、あり得ない。
「貨幣経済の浸透」とは、「金銭を介した人間関係」へ変化することだ。

貨幣経済の浸透と国民国家の成立とともに、「家組織」とは別に、「職場」や「学校」
が発達する。
「貨幣経済が浸透」すると、「生産」の機能は、「職場」へ分化する。
「国家」の機能が肥大化すると、「学校」が必要になる。

生産・教育・公共などの機能が「家族」から切り離され、それに伴ない、
「家族」の機能・社会関係が、再編成される。

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:51
3−2
地域が解体し、政治的/公共的機能は、国家と市場が吸収する。

前近代の「家族」は、「村」の一部、ギルドの一部だ。
「村」が壊れ、自治機能が国家に吸収される。
地域社会が再編される。
地域がバラバラになる。それぞれの家がバラバラになる。
村に田植えを手伝ってもらわなくていいので、ムラが一体である必要がなくなる。
村が壊れて、(プライバシーのある)「家族」が生まれる。

「人間関係」機能は、「家族」が吸収する。
近代社会では、社交関係を村に対して行なう必要がない。
前近代社会では、村での社交が大切だった。
近代社会では、家族での団欒が大切となる。

「社交」は、「職場」での「社交」に変化した。

地域社会の公共機能が低下すると、国家の負担が増える。
(現在は、老人介護などで、地域の社交が再び必要とされるようになった)

7・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:52
3−3
近代化により、性役割が再編される。
「仕事」と「家事」が分離する。
「仕事」は賃金労働を指す。「職場」の領域だ。
「家事」は非賃金労働を指す。「家庭」の領域だ。
「男は外で仕事、女は内で家事」という性役割に再編成される。
それにともなう「イデオロギー」が生まれる。

8・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:52
3−4
前近代の「家族」から多くの機能が奪われ、
「近代家族」には、「再生産」機能(家事、出産、育児、介護など)と、
「愛情」だけが残り、それが肥大化する。

「家族」から親族以外の者を排除し、親族範囲が縮小される。
「系族」から「家族」へ。

┌───────────┐
│       家族(地主)     │
│         │           │
│ ┌───┼───┐   村   ←前近代
│ │      │      │   │
│ 家族   家族    家族  │ 
└───────────┘
         ↓
 :………………………………: 
 :    ┌──┐           :
 :    │家族│           : 
 :    └──┘          村  ← 近代 
 :┌──┐┌──┐┌──┐:
 :│家族││家族││家族│: 
 :└──┘└──┘└──┘: 
 ………………………………… 

地域関係が縮小し、親子関係の結合が増大する。

9・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:52
4 「《子供》の誕生」「母性という神話」

4−1
「子供」は、概念だ。何歳までが「子供」なのかは、ハッキリしない。
「アジア」はどこからどこまでなのかハッキリしないのと同じだ。「アジア」概念は、
欧州が自身を文明であり欧州だと自己規定した時、対概念として生まれた。
「アジア」という「実体」は存在しない。

4−2
「近代家族」における子供

近代化により、幼児死亡率が低下する。そのままだと人口爆発になる。
子供の出産数を控え、調整するようになる。子供の数が減少する。
数の少ない子供へ、愛を注ぎ、働かせず、確実に教育する、という、「近代家族」的な
「子供」概念が誕生する。
「小さな大人(労働力)」から、「子供」へ、概念が変化する。

10・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:52
4−3
近代社会での「子供」の特徴

「子供」は、「保護され、愛され、教育される」対象となる。
「子供」は、公的権利、とくに政治的権利を持たない。参政権、財産処分権などを持たない。
「大人の場=公共の場」から、特定の場所(家庭、学校など)へ、隔離される。
(アリエスの描く中世には、軍隊に十歳の人間がいた。そういう「公共の場所」から「子供」は
隔離される)
労働に就かず、公的行為を行なわず、教育と保護の対象になる「子供」という概念が生まれる。

「子供」は、「保護」される対価として「無権利」だ。「子供」には、責任も権利もない。
自己判断による決定権がない。
精神障害者と「子供」は、同じ範疇だ。

11・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:53
4−4
「母性」の成立

「母性」が現在のかたちで成立したのは、18世紀以降だ。
それ以前は、母親は必ずしも「育児」していない。「育児」が母親一人の仕事になったのは、
18世紀以降のことだ。

欧州では乳母に出すケースが多かった。
貴族階級の奥さんは、「社交(政治)」に忙しかった。
「社交界」は、政治の場であり、夫の出世に深く関係していた。

「両親がともに」育児する、「祖父母が」育児する、「村ぐるみで」育児する、というケースが
一般的だった。
子供はほったらかしで、「村ぐるみ」で世話をした。十歳の姉が三歳の子供を背負い、
世話するといったかたちが多かった。
村中が顔見知りで、母親が育児をする必要はなかった。

前近代には、現在考えるような「育児」は、基本的には存在しなかった。
近代的な「育児」を母親が担うようになるとともに、「母性愛」(というイデオロギー)が
賞賛されるようになった。

12・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:53
5 「公領域」「私領域」の分離と再編

5−1
「公」「私」の別は、近代以前にも存在はした。

前近代では、村の寄合が「公」だった。
近代には、賃労働が「公」、無賃労働が「私」に再編された。

前近代には、男女差より、身分差の方が大きかった。
近代には、身分差が小さくなり、男女差が大きくなった。

前近代には、「公」は貴族や有産家「市民」が中心だった。村内自治も家長の集まりだった。

前近代には、経済的仕事は、「公事」に入らなかった。「公事」は宗教や政治が中心だった。
経済的仕事は広義の「家事」だった。「経済=オイコノミア」の起源は、古代ギリシャで「私」の意味だ。

職住一体だったので、仕事も、広義の「家事」だった。
「仕事をしない男」が偉かった。

13・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:53
5−2
「公私の分離」の再編

資本主義経済の浸透と、職住分離(職場と家庭の分離)とともに、経済活動が
「公」的性格を帯びるようになる。
ものごとの評価基準が、経済と金銭、「労働市場でどのくらい高く売れるか」に傾斜した。
金銭を得られる仕事に就く者への評価が上昇した。

商品化されていない、金銭で評価されない家事労働は「シャドウワーク」になる。

5−3
「家族」は、「非近代人」の収容機関となった。

「近代人」の条件は、「自立した人間」「経済力がある人間(稼げる人間)」「情報収集能力・
自己決定能力のある人間」だ。

子供・老人・障害者など、「近代人」から外れる者が、収容機関へ収容される。

14・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:54
5−4
収容機関では、「近代的」な人権を制限することが認められる。
学校、家庭、監獄、病院などでは、一定の人権制限が認められる。

15・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 04:54
6 近代的「子供」の崩壊

6−1
近代的「公」「私」の区分が、成熟社会では曖昧化する。(「現代化」)
国家が肥大し、経済政策・福祉政策が、家庭領域にまで国家が侵入する。

地域「社交」の代用であるマスメディアが、隔離されているはずの学校や家庭に浸透する。

6−2
現代社会における「子供」の矛盾

人権保護・自己決定権尊重という近代社会の原則を、校則・義務教育で教えられることの矛盾。
政治・自己決定では無能力・無責任として扱われるが、市場経済とくに消費者としては有能力者
であることの矛盾。
社会の複雑化と高等教育化(学歴社会化、要求能力の高度化、選択幅の増大)により、
「子供」期間が延長する。
身体は成人並で、マスメディアや消費物資を通して部分的には知識が増大している「子供」期間。
成人並の身体で知識のある「子供」が、学校で人権制限されることの矛盾。
逆に学校卒業後も「未熟」な「成人」になってしまっている矛盾。
最低限の生活実用知識を越えた中高等教育を一律で施す、学ぶ目的がないのに人権制限を
加えられていることの矛盾。

これらは、近代的隔離原則の抱える矛盾だ。近代社会構造自体の矛盾かもしれない。
「現代化(成熟社会化)」によって、どう再編成されるかは、まだ判らない。

16・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 05:03
フィリップ・アリエス『《子供》の誕生』みすず書房
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622018322/qid=1044302087/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/250-0740769-7948219
落合 恵美子『21世紀家族へ』有斐閣選書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641182949/qid=1044302191/sr=1-6/ref=sr_1_2_6/250-0740769-7948219
エリザベート・バダンテール『母性という神話』ちくま学芸文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448008410X/qid=1044302332/sr=1-4/ref=sr_1_2_4/250-0740769-7948219
エドワード・ショーター『近代家族の形成』昭和堂
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812287537/qid=1044302426/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/250-0740769-7948219

>>2-15 「近代家族」と「《子供》の誕生」

17カマヤン:2003/02/04(火) 06:07
フェミニズム/ジェンダー

feminism 男女同権主義、女性解放論、女権拡張運動
feminine (形容詞)女の、女らしい、めめしい (名詞;文法の)女性、女性型


「フェミニズム」は、運動が先にあり、学問は後から生まれた。
フェミニズムには、2つの波がある。

1−1
「第一派フェミニズム」19世紀末−1940年代

公領域での明確な差別を問題とした。
参政権問題、相続権・姦通罪などの法的差別、社会進出など。
日本では第2次大戦以降勢力が大きくなった。
日本の戦前も、地方参政権獲得運動をしていた。

18・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:08
1−2
「第二派フェミニズム」1960年代以降

「私的なことは政治的」というスローガン。
従来「私的」とされてきたことの、政治的意味を問う。
「私領域(家庭、恋愛、日常生活)での、「差別」「支配」に注目する。
「社会進出」は「公」と「私」の境界領域の問題、家庭内の家事の分担の問題だ。

日本では、学生運動後に浸透した。学生運動・社会運動の過程で、運動内での
女性への差別構造が問題となり、学生運動から分化した。

「女性の問題」を解決するには、社会を変化させなければならない、と、当時、
問題意識を抱えた人々は考えた。
変革のための運動である社会主義運動が盛んだった背景から、「女性の問題」解決には、
社会主義運動に参加しなければならない、だが、実際に運動に参加すると、
その内部には女性差別が存在した。
それを問題視し、分化した。

「性別意識」「美(従来、私的領域とされた)」「性役割」「性的志向(ゲイなど)」に注目する。

19・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:08
2 初期の論争

2−1
「男性なみ」を目指すのか、「女性の特性」を重視するのか、の論争が、まずあった。
「性差」の、極大化/極小化を巡る論争だ。60年代には、それが主な争点だった。

A;性差極小化・「男性なみ」を志向する主張があった。
だが、これは現状の競争社会を肯定してしまう、という批判が投げられた。

B;性差極大化・女性の特性を重視しようという主張があった。
だが、これは現状の性役割分担を肯定してしまう、という批判が投げられた。

20・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:09
2−2
「統合」か「分離」か、の論争があった。これはエスニック社会を巡る問題と重なる。

A;「統合」:
現在の社会へ女性は進出するべきだ、という考え。
女性も男性同様に「企業戦士」になるべきなのか?

B;「分離」:
現代社会から「撤退」するべきだ、という考え。エコロジー運動へ繋がる。
「生み育てる女性」に注目する。
女性は「専業主婦」になるべきなのか?

日本では、70年代に「主婦論争」があった。「主婦」は解消されるべきなのか? 

エスニック社会問題でも、(マジョリティへの)「同化」か「分離」か、という議論がある。
それと同型の議論だ。
この手の論争は80年代まで続いた。

21・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:09
2−3
現在では、設問が「虚偽命題」だったと批判されている。問題の立て方そのものが
批判されている。
「男らしさ」「女らしさ」(性役割)の「二項対立」を生む構造自体を問うべきだ、と、
考えられるようになっている。

22・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:09
3 「近代家族」と「主婦化」 >>2-15

「近代家族」という概念は、歴史学研究の中で定着している。
「主婦化」という概念は、フェミニズムと、社会学の一部で定着している。

3−1
近代化によって、「主婦」が誕生する。
近代化すると「主婦」がいなくなると考えるのは誤りだ。
近代化初期の段階では、村社会に貨幣経済が入ることで、村社会が「家」に分かれる。

貨幣経済によって、「主婦」は生まれる。
専業主婦は、金のある層から始まる。

3−2
「近代家族」が成立することで、
A;配偶者間の性役割が再編される。「男は仕事」「女が家事」に再編される。
B;「公領域(=賃労働)」と、「私領域(=金にならない領域)」に再編される。
C;「仕事」とは、「有償労働」のことだ。「家事」とは、「無償労働」のことだ。
「家事」が無償労働となり、地位が低下する。

「公的活動/企業戦士の男性」と、「私的活動/『優しい母』の女性」は、
セットで生まれた性役割だ。
企業戦士をフルに労働させるには、企業戦士の世話をする人間がセットでいるほうが、
企業には合理的だ、という理由による。

23・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:10
3−3
近代化による、「性役割」の変化。近代化による、「母性」の創出。

A;「女性は料理が巧い」というイデオロギーは近代的産物だ。
料理の材料ができるための市場経済の発展の後、生まれたイデオロギーだ。

B;「女性はキレイ好き」というイデオロギーは近代的産物だ。
日本でも1960年頃まで下着を毎日とりかえることはできなかった。
毎日下着をとりかえるためには洗濯機が必要だ。
第三世界では水を汲みにいくのが重労働だ。
中世フランスでは、洗濯は半年に一度、大洗濯祭でしかしなかった。
中世フランスでは服は同じものをずっと着ていた。洗濯している間は裸だった。

C;「女性は貞淑」というイデオロギーは近代的産物だ。
中世の村社会では、婚前交渉は禁止事項ではなかった。村での婚前交渉のしきたりがあった。
身分違いの性交渉が発生することがタブーだった。
上流階級では相続の問題が緊密に絡んでいる。

これらのイデオロギーを支えるには市場経済が必要だ。

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/04(火) 06:11
近代化とともに、金のある層から「専業主婦」化する。
身分の平準化とマスメディアの発達とともに、「国民文化」形成と一体で、下層階級へ
「主婦」概念が浸透する。

近代化が更に進むと、「家事を買ってくる」段階へ移行する。(総菜屋で惣菜を買う、
コンビニで弁当を買う、掃除屋へ掃除を依頼する)

近代化初期に、「主婦」は発生する。

フェミニズム初期の問題設定>>19-21は、歴史学的研究の「近代家族」論の中から
批判されるに至る。

26カマヤン:2003/02/04(火) 06:32
>>2-15 某教授による講義メモ「近代家族」と「《子供》の誕生」

>>17-24 某教授による講義メモ「フェミニズム/ジェンダー」 
まだ続きますが、とりあえずここまで… (;´Д`)ノ

27■とはずがたり:2003/02/08(土) 01:24
続き楽しみにしてます。主婦って奴は日本では武家の奥方あたりが発祥なんでしょうねえ。

>>23
しかし近代以前に食事を主に作っていたのはやはり女性なのでは?

ライオンと同じく人間の男ってやつぁ狩りの時とセクースの時以外はだらだらごろごろとして何もしない一方で,女性が細々した仕事をこなしていたイメージです。どうなんでしょう?
近代とは男が一日10時間も狩りをするようになった時代のこと。ご苦労なこった。←男どもの体力が持ちません

28鳥山仁:2003/02/08(土) 13:26
とはずがたりさん>
ヨーロッパでは食事の支度は女性がするものと決まっていたようですが、
日本では男性が料理に参加する機会が多かったようです。

http://homepage3.nifty.com/miyachu/MagMag2002-03.htm

http://homepage3.nifty.com/miyachu/MagMag2002-03.htm

どうやら、文化的な差異があるようですね。
個人的には、男性も料理ができた方が良いと思います。
女性だからといって、料理が上手いわけじゃないし(爆)。

29鳥山仁:2003/02/08(土) 13:37
http://www.mainichi.co.jp/life/women/watch/Father/200101/30.html

資料貼り付けミスでつ。
申し訳なし。

30■とはずがたり:2003/02/08(土) 18:20
興味深い資料感謝です>鳥山さん

どのくらいやったんでしょうね>男の料理
かまどの番くらいしか役立たなかった…とか?

昔はあるものをあり合わせて料理したのでしょうから今みたいに献立に悩むと云うことは無かったでしょうから料理がうまいもへたも無かったんでしょうねえ。

女がきれい好きという事はないでしょうが,片づけなど男などより上手ということはないでしょうかね?冷蔵庫の中のものを見つけられない男など。これも結局個人差なのか?

>9
アジアに関して云えば,日本がトルコとともにアジアと人くくりにされているのは日本にとってもトルコにとっても失礼な話である。なでもっと怒らないのか?

中国が世界を席巻したらインドから欧州までを天竺かなんかとして一括りにしてたであろうがそれと同じ乱暴さがある。

31鳥山仁:2003/02/09(日) 03:09
とはずがたりさん>
私は料理の歴史に詳しくないので、はっきりした事は分からないのですが、

http://www.nsknet.or.jp/~my-sachi/haru-resipi.html

を見る限りでは、かなりパターン化した貧しいものだったと思います。
特に戦国時代では保存食が重要視されていたようで、
ある意味インスタントな食事が多かったのかもしれません。

まあ、「男子厨房に云々」という制約があったら
茶の湯が盛んになる事もなかったでしょうから、
かなり上の階級でも簡単な食事の準備ぐらいはしていただろうし、
少なくとも禅宗の影響下にあった武士階級では、
食事の準備をタブーとする風習は無かったはずです。

ただし、これはあくまでも典座という役職を重要視する禅宗の価値観が、
男子を厨房に向かわせたのであって、
メンズリブの人が訴えていたように男女同権という意識があったかどうかは、
はなはだ疑わしいと言わざるを得ないでしょう。

http://homepage3.nifty.com/junsoyo/taberu/

宗教と人権は全く異なった概念ですから。

話は変わって、女性がきれい好きとか、片づけ上手というのは全くの嘘です。
ウチの妹が片づけが全くできなかったので、実感があります。
私の知り合いにも、だめな女性が多いですね。
もっともこの点に関しては私も同じなので、他人を批判できませーん。

32鳥山仁:2003/02/09(日) 03:26
あ、典座の資料の貼り付けを忘れた。

http://www.zenbunka.or.jp/03_magazine/katatumuri/databox/kata020.htm

http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/tenzodanwa.htm

このあたりを読むと、なんで武士階級という、当時の公家よりも
位階の低かった社会層に禅宗が浸透したのかが分かりますね。
一種の労働価値説が唱えられていたことが、
彼らの価値観にぴったり来たんでしょう。

どうも、URLの貼り付けミスが多いなあ。
申し訳ないです。

33・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2003/02/09(日) 08:36
>>32
労働価値説の解釈間違えてないですか?

34鳥山仁:2003/02/09(日) 14:12
33>
すいません。
頭が悪いんで、その説明だけじゃ分からないです。
労働価値説を根拠においた価格決定システムを念頭においていらっしゃるなら、
確かに禅宗にはそうした価値体系は存在しないので、解釈違いという事になります。
私はアダム・スミスの倫理学と道元の修行法に類似点を見いだしたので、
あえて「一種の労働価値説」と書きました。
誤解を招いたようなら申し訳ないです。

35■とはずがたり:2003/02/09(日) 15:37
そもそも家族というのが使用人等まで含めたより広い範囲を含む物だったときの話しですから前提そのものが違う訳ですよね。

ただ,男女の脳を比較するに女性の方が脳幹あか脳梁だかが男性よりも太くて左右の脳味噌の間を情報が多量に行き来するというのがあって,女性の方が情報がワッと集まって感情的であったり男が気づかない事に気づいたりすると云う話を聞いたことがあります。よく言われる女の勘と云う奴や,散らかった部屋の隅っこに落ちている靴下に部屋へ入った瞬間に気づくといった具合に。もともと男が気づかないようなところ迄行き届いた片付けができるような気がしますが。

個人差もあるでしょうが,男女差もあるのでは?と思います。
私個人,女性に勝手な神秘性を求めているようです...(;´Д`)
女性達は男どもにはない能力を備えているらしい,と。男の身勝手?

36カマヤン:2003/02/10(月) 02:00
>女性達は男どもにはない能力を備えているらしい,と。

「黒人は白人にはない性的能力を持っている」と、白人が思いこむ。
「《日本人》には、西洋人にはない大和魂がある」と、大衆に思いこませる。
「『少年』は、成人とは違う道徳感情を持っており狂暴である」と、マスコミが吹聴する。
「オタクは一般人とは違う善悪感情を持っている」と、マスコミが吹聴する。

政治的文脈では、この手の、集団に特別な意味を与える行為&境界線操作は、
レイシズム(人種差別思想)や「分断統治」に利用されがちですから、「境界線操作や
レイシズムに回収されないかどうか」あるいは、偏見(イデオロギー、「宣伝」)を
素朴に(反省なく)受容していないか、気をつけましょう。
(参照)
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=1274&KEY=1038415480&START=8&END=11&NOFIRST=TRUE

「女性」問題と「エスニック」問題の類似性に敏感になろう、というのが、この教授の
主張ですです。
とはずさんには教授が誰なのか、あとでメールしとくですね。

>34
「労働価値説」という言葉の使い方が不用意なのだと思うです…

37鳥山仁:2003/02/10(月) 03:01
とはずがたりさん>
カマヤンさんが書いちゃったので、私からは特に付け加えることがないのですが、
遺伝的な差異に価値を見いだすと、実体が伴っている分だけ(良くも悪くも)
差別感情が強固なものになるので、気をつけた方がいいかもしれません。

カマヤンさん>
むーん。
以降は気をつけます。

38■とはずがたり:2003/02/10(月) 04:00
>カマヤンさん
メールありがとうございました。勉強不足でかの先生のことは知りませんでした。なんせ素人でして痛い意見も発すると思いますが今後ともよろしくお願いします。

思うに
抑圧された女性という存在への反発から差異に価値を見いだす事への反発

男女の平等が性差そのものを不合理に押しつぶす事への反発から差異性の無視への反発
とはコインの裏表になっているのでは無いでしょうか?

白人が黒人は未開であって文明の名の下に奴隷として使ってもいいという考えの反発のもとに白人と黒人の間に差異はないという考えが,黒人・白人それぞれの特徴・特質を殺してしまっているのではないか?男女が平等であるという思想が男と女のそれぞれの良さ・強みを殺しているのではないかと思うわけです。

「大和魂」とか「道徳感情」など明らかに後天的で非科学的な感情論的なものは兎も角,黒人の身体能力や男女差(躾け云々ではなくやはり男の子の方が女の子よりも攻撃的である)を一般的傾向として云っても良いと思うのですが。その際にその一般的傾向から外れるから駄目だと劣っているとかいうレッテル貼りを厳に慎まねばならないのは当然だとしてもです。
つまり,我々が気をつけねばならないのは,耳たぶの長さで区別されることではなく,その耳たぶの長さが分割統治などに利用されないことなのではないでしょうか?と云うことです。

>鳥山さん
スミスの労働価値説というよりはウェーバーのプロテスタンティズムの倫理に近いような気がしました。

39うなぎ:2003/02/10(月) 05:20
>>38
 ある特定の層に対して統計的な考察をする際に、人種や性差における統計的傾向を考えるのはアリですが、
それ以外は、基本的に個々のケースとして思考しないと、新たな差別を生み出してしまうと思われます。

 仮に「耳たぶの長い人」に「幸運な人」が多かったとしても、「耳たぶの長い人=幸福な人」ではありません。
「黒人」に「身体的能力が優れている人」が、「他の民族に比べ数%多い」事があったとしても、「黒人の身体的能力が優れている」訳ではないのです。
 「特定の層」の「統計的特質」は、あくまでも「統計的特質」であって「特定の層の全体におよぶ特性」ではありません。

 「性差」や「人種差」や「世代差」よりも、遥かに「個人差」のほうが大きいと私は思いますです。

40■とはずがたり:2003/02/10(月) 17:21
>>39
私が言いたかったのは無作為に抽出した日本人とアフリカ人の集団の体力を測った場合に統計的に優位な差が出てアフリカ人の能力が高かった場合,アフリカ人は日本人より当該種目に関してこの時点に於いて優れた能力を有していると結論づけるに何らためらうべきではないというものであります。数%を調べてもその母集団が偏っていれば意味はないわけですし,無作為に選ばれたものならその信頼性は高いといえるのが大数の法則の帰結です。
当然,耳たぶの長い人と幸せな人との間には統計的に有意な差は出ないでしょうから科学的にそれを否定することが出来ます。

差別が発生するから区別を止めろと言う主張は,区別をする事から得られる便益が,差別を発生することから被る費用に較べて著しく低い場合に限られるでしょう。よしんばそうであったとしても本来的には差別の抑制は,合理的・理性的に解消されるべきものではないでしょうか?


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