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自覚スレ

100:2018/10/22(月) 06:50:21
慧空さん。

かなり上から目線的な姿勢の受け答えの方ですね。

それでは、得るものも得られない事でしょう。

悟ると負のカルマの先取り現象のようなものが集中的に起きてくるようです。

私もこのような状況にあるので、
このような時の最善のスタンスは受け身的姿勢です。

よって私の現状では情報発信の姿勢を作る事がままなりません。

このような事情で、受け答えがうまく行かない点ご理解ください。

>本当に無になったら、認識も何も無いはずであり、その人の存在も世界も何もかも無くなってしまうはずです。
>これが本当の無です。

その通りです。

ただし、サマタ系の方的なベクトルで、
知覚できる対象をどこまでも追及していくベクトルだけではありません。

「ただ在るだけ」と言うベクトルが他に存在します。

釈迦が悟りと表現するのはこちらの方です。

心解脱(止)と慧解脱(観)のベクトルの違いです。

観のベクトルは知覚対象を追求するのではなく、
知覚対象を認識する「認識機能」の方を変容させます。

慧空さんからは、サマタ瞑想系の方特有の、
「認識」と言う表現が当たり前のものとして多発しています。

https://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/0de0cfda777eb487df6014efa7979fde

サマタ系的には正しいです。

しかし、慧解脱を果たした方は、
この「認識」と言う表現が使えなくなります。

その機能が、以前あったような機能とは異なってしまっているからです。

そして、釈迦が悟りや阿羅漢果と表現する段階は、
心解脱では無く慧解脱達成の事です。

時解脱の涅槃は、定から出ればまた、エゴ(煩悩)の過中です。

理由はサマタ瞑想で到達できる涅槃は、
エゴを推進力にして突入できるからです。

慧空さんはまだ釈迦の表現する阿羅漢果でもなければ、悟りでもありません。

これを告げようと、しどろもどろに書き込みをしています。

ベクトルが違うのです、釈迦のテーマは時解脱的に涅槃を達成する事では無く、
「煩悩」をどうするかの方に力点があります。

内容的には「努力、忍耐、根性、苦悩」の方に重点が置かれます。

これが慧解脱、釈迦の表現する悟りを達成する手段です。

マスターゲート氏の「自覚」は初心者向きの低い教えに見えます。

もちろん低い教えには低い教えとしての価値があり、
初心者にはこの方が多大な効果があると思われます。

しかし、この水準の教えでフィニッシュは出来ません。

聞く姿勢の無い方に語れるほどの姿勢は今の私にありません。

何かコメントを頂いても、受け答えは今の私からは出てこないと思います。

一方的な情報提供のようになってしまい恐れ入ります。

私が情報提供できるのは、
釈迦の表現による慧解脱(悟り)についてに限定しています。

ですので、聞く姿勢(関心)が無ければそれはそれです。

別にどうしても釈迦の表現する悟り(慧解脱、彼岸)に
辿り着かなければならないというものではありませんので、
お断りだけしておきます。


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