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悟り全般に関すること

638慧空:2015/04/23(木) 19:58:27
孤独な羊さんへ、さらに続きです。

孤独な羊さんは、信仰心を持っておられるのでしょうか?
何か特定の神を信じておられるのでしょうか?
もし本当に信じておられるのでしたら、私の言葉は孤独な羊さんの心には届かないのかもしれません。

しかし、乗りかかった舟ですから、さらに続けますね。

神を含めて、何か絶対的な存在があるかのように思い込んでいる方がおられますが、
それは幻想なのです。
この現実世界(物質世界)が幻想であるのと同じように、神もまた幻想なのです。
すべては、「私」という自我の認識であり、考えなのです。
そして、その「私」もまた、考えであり、幻なのです。

どういう仕組みで、このような世界(幻想)が繰り広げられているかは分かりませんが、
考えが考えを呼ぶとでもいいましょうか、私を含むこの世界は、連鎖的に連なる考え(幻)の連鎖なのです。

すべてが幻であり、絶対的なものなどどこにも無いのです。
絶対的なものがないというのに、何を信じるというのでしょう。
そもそものところ、信じられるものなど何もないのです。
真実も無いのですが、敢えて真実というなら、信じられるもの、頼れるものはどこにもない、これが唯一の真実です。

それを知るようになると、空しくなる方がおられるのかもしれません。
空しくて生きていけないと言うのなら、死んだらいいです。

死ねる人は死んだらいい。

でも、多くの人は、そう簡単には死ねないのです。
どんなに空しくても、死ねないのです。
生きていくしかないのです。
生きていくことに向き合うしかないのです。

639慧空:2015/04/23(木) 20:04:34
孤独な羊さんへ、もう一言です。

苦しいでしょうが、
その苦しみから逃げないで頂きたいと思います。
逃げずに、苦しんでいる自分、もがいている自分としっかりと向き合ってください。
徹底的に向き合っているうちに、おそらく、何かそれなりの手応えが得られるはずだと思います。

そこで何が得られるかは、人それぞれだと思います。
ある人は残りの人生を生きていく上での生きるヒントかもしれません。
ある人は、悟りや悟りのヒントかもしれません。

逃げずに、徹底的に向き合って頂きたいと思います。

さらに、疑問な気になられることがおありでしたら、お書き下さい。
私の考えでよろしければ、乗りかかった舟ですから、また書かせていただきます。

640孤独な羊:2015/04/24(金) 15:22:22
慧空様

ご指摘されるような信心があります。完全な無という考え方は、僕には無理です。
ですので、今後の質問は控えさせていただくことに致しました。
ご親切にご意見を頂けたことの感謝は忘れません。
本当に、ありがとうございました。

孤独な羊

641孤独な羊:2015/04/24(金) 19:53:34
愛しき慧空様

前文を投稿させていただいた後、何か後ろ髪をひかれる感じが残りましたもので、もう少し参加させていただけますでしょうか。
ご多忙でなければ差支えなければ、お付き合いくださいますと嬉しいです。

例えば

Iamnot慧空
慧空は悟れていない

と書きますと、慧空様は、どのように動かれますか?
ここで感情的に否定されるようでしたら悟れていないだろうと憶測できてしまうのですが、覚者たる立場の人とは、どういう理由で、どのように振舞われるのかということは気になってきてしまいました。

642慧空:2015/04/24(金) 20:09:20
孤独な羊さん

>Iamnot慧空
>慧空は悟れていない

私はそういう言葉を投げかけられても、特になにも思わないのです。
最終的な悟りを得る前なら、何らかの反応があったのかもしれません。
でもいまは、自分でも不思議なほど何も起こらないのです。

それと、正直なところ、私は最終的な悟りに至ったと、これまでの流れからいまでも一応はそう言っていますが、
正直なところ、自分のいまの意識の状態がどういうものなのか、本当に最終的なものなのか、よく分からないのです。(^o^)
ですから、「慧空は悟れてない」と言われると、そうかもしれないなあ、という感じも無いこともないのです。
何しろ、よく分からないのですから。(^o^)

また、こんなことも言えます。
自分の悟りがどうなのかも含めて、すべてがどうでもよくなってしまっているところがあるんです。
これ以上、追求するつもりもないし、どうでもいいんです。
ただなんとなく、もうこれ以上追求しようにも、無理だろうなあ、誰がやっても無理だろうなあ、という漠然とした、確信のようなものはあるんです。
なぜなら、もう一切の取っかかりが有りませんから、取っかかりがないので、どうしようもないのです。

こんな感じです。

643慧空:2015/04/24(金) 20:12:50
あのう、「慧空様」ではなく、「慧空さん」でお願いします。
様は嫌なのです。

644孤独な羊:2015/04/25(土) 01:02:15

慧空さん
わかりました。自由な心を手に入れられた。ご苦労から解放されているのですね。
お幸せということで何よりです。
人生を苦と捉える今の僕とは立場も考えも違いますので、慧空さんに理屈並べるのは諦めることにしました。
なにかお礼の言葉も綴りたい気分ですが、余計な言葉になると思いますので慎みます。
ありがとうございました。

645慧空:2015/04/25(土) 06:33:48
孤独な羊さん

「人生を苦と捉える」と仰るその観点は、本質(と言ってもこれも考えですが)を捉えておられるかもしれません。

私にはもう囚われがありませんから、多くの方がその囚われにより経験される苦しみはもうありません。
しかし、私(慧空)は、存在そのものが苦であることを知っていますし、
現に、いまのその苦と共に存在を続けています。
「一切皆苦」、存在そのものが苦である、逃げ場は何処にも無い、それが私の最終的な悟りであったと言ってもいいくらいです。
それに気がついたとき、延々と衝動的に苦から逃れよう、苦を何とかしようと衝動的に逃げ回り、彷徨っていた自らの姿に気づくことができました。
そして、それに気づいたとき、苦から逃れようとする衝動が嘘だったかのようにピタリと止まりました。

孤独な羊さんに、何か伝わればと思います。
孤独な羊さんは、澄んだ瞳を持っておられるんだと思います。
その瞳でよく観て頂きたいと思います。

646孤独な羊:2015/04/25(土) 11:10:19
ありがとうございます。色々と伝わってます。
ですか歯痒いのは、そもそも10割体験+αで漸く至れるような悟りの境地を言葉で表現するのは無理があることです。
そもそも個人の人生経験なんて小数点以下の割合の境遇でしか体験してないものですから。
常に新たな体験が待ち伏せしてる意識で接していきませんと、どうしても不十分にはなりやすくて致し方ありません。
というわけで僕には断片的にしか捉えきれない慧空さんの境地を、どのように捉えるのかという問題もあり難しさを感じたりしています。
僕が悟りについて真摯に語り合おうとすれば、こういった前置きだけで話が終わってしまうかもしれません。
笑いたくなるほど無能不器用で申し訳ない限りですが、少し意見させてもらいたいことがあります。
よろしくお願い致します。

647孤独な羊:2015/04/25(土) 11:13:56
死を決意したとき、刹那的に感じ取れる安堵感というようなものがありますよね?
諦めの境地といいますか?慧空さんの話には苦との向き合い方について、それに似た印象と同時に、実際は違ったことを伝えてくれてるという印象も受けています。
未熟な僕では中々話が進められないのですけど、現実を幻想と表現する様は空の感覚を仰っているはずです。
「一切皆苦」は仏教用語ですから、慧空さんも信仰があるのではないでしょうか?
僕は、悟りと言う仏教思想に大まかに3通りの経典が残されてきたと見ています。
般若心経と阿弥陀経と法華経です。
これに楯と鉾と叡智が分散しているイメージを持っています。
文献を細かく調べ上げてもないので生意気ですが、集約した道を示すような経典が何かありましたでしょうか?
ご存知でしたら改めてご意見を伺いたいです。

648慧空:2015/04/25(土) 13:29:19
孤独な羊さん
輪廻があるのかどうかは私にはよく分からないのですが、
あると考えた方が筋が通りやすく、理解もしやすいことがらが多いです。
その観点からすると、現世の体験にどれ程の比重があるのかという点
につきましては、孤独な羊さんが仰るように、その比重は小数点以下なのかもしれません。

しかし、いまそんなことを言ったところでどうしようもないんです。
大切なのは、いま自分がどうしたいのか、なのです。
終わってしまった過去や過去世のことを考えても仕方がないんです。
この人生で、悔いが残らないよう、やれるだけのことはやるしかないんです。

続きます。

649慧空:2015/04/25(土) 13:47:08
>死を決意したとき、刹那的に感じ取れる安堵感というようなものがありますよね?

私は、二十歳前のころ、試しに首に包丁を当ててみたことは2回ほどありますが、
試しにやってやろうとしてみたという程度、死の決意はありませんでした。
ですから、私は死を決意したことはありませんので、それについてはよく分かりません。

ですが、そこで孤独な羊さんが仰ろうとしていることは、何となく分かります。
確かに、死の決意には、諦めや降参、そして安堵感や恍惚感(至福感)の色合いがあるのだろうと思います。
そして、それは悟りで言うところの、明け渡しにも通じる部分があるのだろうと思います。
おそらく、そうやって死を決意した瞬間やその直ぐ後に、明け渡しの悟りが起こることもあるのだろうと思います。

しかし、厳しい言い方をしますと、そのような死を求めることは、一部の例外を除いて逃げなんです。
逃げからは、悟りの道には入れないのです。
仮に入っても、一歩踏み込んだところで止まってしまいます。
なぜなら、逃げているということは、恐れ(執着、これをカルマと言ってもいいです)が未だたくさん残っているということですから。

逃げや降参、諦めでは、ダメなんです。
受け入れていく、もっと言えば逃げずに取り苦で行くという前向きな姿勢じゃないとダメなんです。
そのような姿勢でないと、恐れ(執着、カルマ)が残ってしまうのです。
もちろん、恐れも執着もカルマも、伝えるためや、理解のための方便として言っているだけです。
そのよな実体的なものがある訳ではありません。

ですから私は、逃げるな、向き合え、取り組めと言っております。
受け入れろとも言いますが、あくまでもそういう前向きなスタンスから言っています。

続きます。

650慧空:2015/04/25(土) 13:56:13
すべて考えであり、幻であるというのは、仰る通り、「空」のことを言っています。
この空も、すべては苦であるという「一切皆苦」も、仰る通り、仏教用語です。
でも、私は仏教徒ではありませんし、経典類も殆ど読んだことがありません。
「空」や「一切皆苦」は、便利な言葉なので、使わせてもらっているだけです。

ですから、私は仏に対する信仰心は全くありません。
仏教のことをよく知らない私がこんなことを言うと反発する方がおられるでしょうが、
そもそものところ、仏教は無神論です。
少なくとも初期のころは、信仰なんてものは入ってなかったのです。
初期仏教の特性をある程度残している上座部の系列では、信仰の色合いはかなり薄いはずです。

続きます。

651慧空:2015/04/25(土) 14:08:10
という訳でして、私は経典類は殆ど知らないのです。
ですから、私に経典類のことを聞かれてもお答えできません。

経典類を読まれるより、自分の内面を見つめて頂きたいと思います。
外に求めず、自らを拠り所としなさい、というあの言葉は、あれはまさしく釈迦の言葉だろうと思います。

経典なんかに頼らないください。
経典を読めば悟れるのでしょうか?
それに、経典に書いてあることが正しいという保証がどこにあるのでしょうか。
(現在の経典には正確に伝わっている釈迦の言葉は殆ど残ってないそうですよ、ホントに、笑)

取りあえずは、これでお返事とさせていただきますが、
気になられることがありましたら、遠慮なくお書きください。

652孤独な羊:2015/04/25(土) 17:54:38
いつもながらご丁寧で、大変ありがとうございました。
論点は沢山ありますが、先ず合点いきませでしたことは、636で仰っていただいた内容です。
関して今回の649の内容でつながり安心させていただいております。
しかしながら636で言われていた>いま直ぐ、死ねと言いたいくらいです。(^o^)等については、あまりというか納得は出来ない言葉なのですが・・
少し飛躍します。現実の自殺率の高さは御承知の通りで、僕の関わった自死被害は率的に統計より高い発生率にありました。
周囲だけで6人の被害です。
共通して言えるのはいずれの6名ともに穏やかで人に好かれる傾向にある人情味溢れる人達だったことです。
勿論、あくまでも僕の周辺ではそのようにあったということです。
そしてそれを運命的な問題として片付けてしまうのではなく、何かできないかと考えることに宿命的な意味を持っているように感じさせられています。
決して囚われるという意味ではありません。
こうしたことに憤慨して努める姿勢等は見失ってはならないと痛感しています。またそれが苦に向き合う正しい姿勢ではないかと考えたりしています。
いまの時代は多くの人が感ずかれるような、新しい時代は到来していると感じています。
慧空さんにとっては、一見どうでもいいことと言われる話かもしれません。
ですが、自覚を浸透させるために活動されている慧空さんですなので、そこでまた質問なのです。
自覚とは、人に積極的に関わる必要もなくなる自覚にありますか?(つまり自分を変えるという価値観には、相手に対して働き掛ける必要があ
りません。相手に対して働き掛けるよりも自らが動くわけですが、なぜ人に説こうとするのか?確か善なんてないようなこと仰っていましたが、そこに善があるからとは回答されないでしょうか?)
僕には、この辺りが何となく辻褄が合わいにくくなるのです。
あと気になった言葉は「明け渡しの悟り」という言葉が気になっています。
それがあるとすれば、僕には、それが訪れてしまっている可能性も否めません。
それと仏教が無神論か否か正式なことは知りませんけど、阿弥陀経というのは無神論ではないと考えています。
経典につきましては、僕の方が慧空さんより詳しくないかと。
慧空さんが仰るように、無神論有神論輪廻転生に関して考えることは、生きることの最終的な意味をなさないと思っています。

653慧空:2015/04/25(土) 21:22:21
孤独な羊さん

孤独な羊さんは、真摯な方ですね。
またちゃんとしておられる。
私の方がよっぽどちゃらんぽらんで、いい加減です。申し訳ないくらいです。
私は結構いいかげんなところがあるのと、短気でめんどくさがりなんです。
いい加減でめんどくさがりが、どうしてこんなことをやているのかと思われるかもしれませんが、
自分でもよく分からないのです。

本当は、最初に自殺についてもう少し言わせていただきたいことがあったのですが、
展開的に、どうして私がこういうことをやっているのかを先に書きたいと思います。

私には、良い悪い等の通常の価値基準はありませんから、良いことをやりたいとか、
それをやることで周りから評価されたいとか、そういう考えはもうないんです。
自分でもどうしてやっているのかはよく分からないところもあるのです。
一つの答えとしては、単純にやりたいからやっているという感じが近いと思います。
あるいは、他の答えとしては、身体がそのように動くからやっているという感じも少し近いです。
私の場合、仮にやりたいと思っても、どういう訳か身体が動かないことが多いのです。
例えば、仕事をすることや、みなさんが普通にやっていることについて、
私はもう身体が動かずにやれなくなっていることが結構多いです。
でも、悟りを伝えることに関しては、まだ結構熱心にやれてしまうのです。
これは自分でもとても不思議なことだと思っています。

孤独な羊さんは、悟りや、悟りを伝えることは、良いこと、つまり善だとお考えなのかもしれません。
しかし、その考えには根拠がありません。
何度も申し上げているように、善悪等の基準は、普遍的なものではなく、
私たちエゴを持った存在たちが、勝手につくりあげ、思い込みにすぎません。

善悪の基準として何か普遍的なものがあるのか、
また、あれは善でこれは悪だと、だれが判断し、そう考えているのか、
しっかりと考えてみて頂きたいと思います。

続きます。

654慧空:2015/04/25(土) 21:34:30
次に、自殺に関連したことをもう少し書きます。

私は短気だし、口も悪いので、直ぐに「死ね!」と言ってしまいます。(^_^;)
普段の生活でも、しょっちゅう言っています。(^_^;)
これは死ぬまで直らないかもしれません。

本当は、死んでほしくなんかありません。
自殺なんかもっての他です。
生きてほしいんです。
生きること、存在することに、向き合ってほしいと思っています。
でも、余りにも逃げ腰の人が多いし、言っても分からないし、
もう勝手にしろ、と思ってしまい、死ね等と言ってしまいます。

輪廻があるのかどうかは分かりませんが、仮にあるとして、
自殺では、何も解決しないのです。
自殺は究極の逃げです。
何も解決しませんから、また同じことの繰り返しです。

解決していくためには、逃げるのではなく、腹を括って、受けて立っていくしかないんです。
何を受けて立つのかと言うと、それは、苦難やそれに伴う恐れや苦しみ、
そして存在の根本にうごめいている根本の苦です。
それらを解決していくためには、逃げていてはダメなんです。
覚悟を決めて、受けて立っていくしかないんです。

端的に言うと、あらゆる苦難や恐れ、苦しみに対して、それを本当に受けて立つ覚悟ができたなら、
おそらく、その人のカルマは急速に解消していき、自ずと最終的な悟りに至るのだろうと思います。
これは、私(慧空)の歩んだ道でもあります。

655慧空:2015/04/25(土) 21:48:30
孤独な羊さんが、明け渡しを経験しておられる可能性はあるのだろうと思います。
判別は簡単ではなく、また確かなものではないのですが、もし気になられるのでしたら、
いくつかの質問にお答え頂ければ、ある程度のことは判別可能ですよ。

但し、明け渡しは小悟ですから、まだまだ先がありますので、それを得たからどうこうなるというものではありません。
囚われないで、先を進んで頂きたいと思っています。

輪廻と無神論有神論の点についてですが。
輪廻については、それがあるのかないのかを考えても実りは薄い場合が多いだろうと思います。
しかし、神や仏等の絶対的な存在があるのかないのかについては、徹底的に考え、追求されるといいと思います。
これについては、突き詰めればそれなりの結論が出ますから。

神の存在性について追求する際、哲学や論理学等の合理的(客観的)な考え方は、実はとても有効です。
合理的な思考力、洞察力は、悟りを深めていくときの智慧に意外なほど繋がっています。
深い悟りで得られる智慧は、究極的な合理性を有する直感的な視線なのです。

取りあえず、これにてお答えとさせていただきます。
また何か気になられることがありましたら、遠慮なくお書きください。

656孤独な羊:2015/04/26(日) 15:09:33
慧空さんご自身の意思とは関係なく体が勝手に動くような感覚にあり、「やりたいからやっているという感じが近い」と思われてるそうですが、ここに「やりたい」という欲望が残っていると仰っていますよね。
この欲望が何ものであるかは解明不能または不明ということでよろしいでしょうか?
前文でお訊ねしたかったことですが、ここから覗かせるのが善ではないでしょうか?といった質問のつもりでした。申し訳ありません。
ですから関しては意見はないかと思いますけど、もし何かわかることがあれば教えていただきたく思っています。
それから自死の件ですが、究極の逃げとして片付けられる問題ではないと思うのです。
仮定の話はお好きではなさそうですけど、僕のコミュニケーション能力が乏しいためタラレバ論で書かせてください。
例えばですが独房のような場所で自由意思が奪われたうえ、飲み食い、トイレ、病原菌から、あらゆる手段で拷問にあわせられる環境を想定していただけますか。そこに「死にたくなったら自由に銃を取って構わない」と天使のような声で銃を申しつけられ渡されます。ここで死に至るまで一切の泣き言を言わず銃に手を掛けず、無間地獄のような拷問に耐え続ける自信があるでしょうか?覚者は相当のことが出来なければならないというような話に近いように感じ取れました。僕には無理なことです。
否定的な意見ばかりですが悪意はありません。うまく伝えることもできませんけど、お許しください。
それと、いつも労ってくださるのですが、余計な気遣いは僕もないほうがいいです。
自分でそう思われるような節も配慮もできてませんし、感じてないことですから。ただ今回も嫌われなくてよかったなという安心感はちゃっかり受け取ってましたけど。
僕は上手く表現できず労い文も書きませんが、慧空さんの寄り添ってくださる寛容さにはいつも感服しているんです。
多忙な時や気が向かないときは、返信なしでもスルーでも全然大丈夫ですから。
今後は気遣いなしで、お願い致します。
僕の質問も、これで最後になるかもしれません。
ありがとうございました。

657慧空:2015/04/26(日) 16:41:22
孤独な羊さん
私はもう、善人でも悪人でもないんです。
確かに見かけは、悪人よりも善人の方の分類に属するんだと思います。
しかし、私がやっている行為がたまたま善行と呼べる部類の行動に属しているだけなんです。
私は、勝手に身体が動いてしまうようなところがありますから、身体の動きに任せていれば、
悪行だってやります。
現に、私はカッとなったら、息子の頭を足で蹴飛ばしたりもしています。(^o^)
ひょっとすると、人を殺してしまうようなこともあるのかもしれません。
そのときは、そうなるだけです。

善悪は典型的な囚われの一つなのですが、この囚われが残っているうちは、
まだ強い二元の囚われの中にどっぷりと浸かっています。
小悟を過ぎ大悟まで至るようになると、人によっては、善悪を含む二元の迷いから、
それなりの割合で抜け出していきます。

善悪を語っているうちには、まだまだなのです。
何か善悪の絶対的な基準があるのかについて、よく考えてみて頂きたいと思います。

続きます。

658慧空:2015/04/26(日) 16:53:54
仮定の話は、私は嫌いです。
たらればの考えは、いくらやっても殆ど意味がありません。
ですから、牢獄中での極限状態についても、実際にそれをリアルタイムで体験しているのでなければ、考えても無意味です。

泣き言はいくら言ってもいいんですよ。
私自身も泣き言や、悪態はいろいろ言ったりやったりしてきました。(^o^)
苦しいときは、ジタバタともがき苦しむものです。
それはそれでいいんです。
ジタバタと悪あがきをしながらも、どこかでその困難な状況や苦しみに向き合っていればいいんです。
そして、何らかの納得が得られるまで、逃げ出さ出したり、放り出したりしなければいいんです。
逃げ出したり、放り出したりすると、多くの場合、また同じようなことの繰り返しになります。
しかし、多くの人はそれが出来ないんです。
みんな逃げ腰で、表面的な判断で、楽な方、楽な方への安易に行動します。
それではダメなんです。

取りあえず、これでお答えとさせていただきます。
気が向かれたら、いつでも書き込みしてください。
大歓迎です。

659st:2015/05/03(日) 18:22:45
ああ、慧空

私はあなたをとんでもないカルト野郎だと思う。
あなたは自身が陥った欠落を言葉巧みに教えているに過ぎない。
あなたは涅槃に入るが、代償が大きすぎる。
あなたはトラップにかかっていると思う。自覚ワーク?そんな
ブラックなものに囚われているあんたはやはり新興宗教者だ。

660st:2015/05/03(日) 18:26:38
それに、あなたが私と名指ししたコメは名無し以外
すべて私のコメントではない。
あなたは何も見えていないんですよ。節穴です。

あなた涅槃に入る。それだけが真実です。

661慧空:2015/05/03(日) 18:29:48
stさん、こんにちは。
こりゃまた言いたい放題ですねぇ。(^o^)
まあ、ブラックだろうが、新興宗教だろうが、
なんと言われようといいんですが。(^o^)

特にお返しする言葉はありません。
どうぞお好きなように仰ってくださいな。

662慧空:2015/05/03(日) 18:32:10
>それに、あなたが私と名指ししたコメは名無し以外
>すべて私のコメントではない。

そうだったのですか。
それは大変失礼いたしました。
すみませんでした。

仰る通り、私の目は節穴です。

663慧空:2015/05/03(日) 18:35:44
>あなた涅槃に入る。それだけが真実です。

う〜〜ん、これについてはどうかと思いますよ。
涅槃がどういうものなのかよく分かりませんし、
これが真実だと言えるものもないですから。

664st:2015/05/03(日) 18:38:17
教祖になろうとするな。
あんたの教えは穴だらけだ。

言いたいことはそれだけ。
後は自覚して自身で考えろ。
あと、コメ読んでると子供への虐待癖があるな?
それだけは絶対やめろ。

665st:2015/05/03(日) 18:41:12
あなたが思っている涅槃に入るんですよ。
他のものが入る涅槃ではない。

666慧空:2015/05/03(日) 18:45:09
>教祖になろうとするな。

私が教祖になろうしているように見えますか?
そう見えると言われたら、返事のしようがないですが。(^o^)

>あんたの教えは穴だらけだ。

stさんにはそう見えるのですね。

>あと、コメ読んでると子供への虐待癖があるな?
それだけは絶対やめろ。

どういう行為を虐待というかは主観によるところでしょうね。
それに、仮にそれが虐待だとしても、どうしてやめろ必要があるのですか?
私の行為を虐待として捉え、そして絶対やめろと仰る、その考えは誰の考えですか?

667慧空:2015/05/03(日) 18:47:19
>>665

私にはもう、これが涅槃だというような考えがないんです。
涅槃がどういうものか、少し分かったような気になっていた時期も確かにありましたが、
いまはもう本当に分からなくなっているんです。

668st:2015/05/03(日) 18:50:46
そう、あなたが言う二元論だ。子供を虐待するのは間違っている。
ごく当たり前の捕われだ。
あなたは大悟に至ったいう感慨で、子供を行楽に連れて行くこともやめ、頭を
衝動に忠実に蹴り倒す。

これが虐待でなければなんなのだ?

669慧空:2015/05/03(日) 18:57:37
>あなたは大悟に至ったいう感慨で、子供を行楽に連れて行くこともやめ、頭を
衝動に忠実に蹴り倒す。

ちょっと偏った思い込みをされているようです。
頭を蹴っ飛ばしたりもしますが、子供の遊びにつきあったりもしていて、
ある程度はいろいろやってるんですよ。
いまさっきだって、子供を回転寿司に連れてってきましたし。

670st:2015/05/03(日) 19:02:18
あとは私とあなたのやりとりを他者がどう思うかに任せます。
埒が明かない。

671慧空:2015/05/03(日) 19:16:05
>埒が明かない。

はい、まさにそうですね。

ただちょっと、このやり取りを読まれる方に対して少し補足しますね。

そもそものところ、やっちゃいけないことや、こうあるべき等の否定的または制限的な縛りはないんです。
そういう否定的な考えや制限的な考えが、私たちを縛っている囚われなんです。

やりたいように、思うように行動すればいいんです。
しかし、多くの方はそれができない。
これがダメ、あれがダメ、こうあるべき、これが真実であれは誤りだ、などと自分や周りを縛り付け、
窮屈に生きています。

そういうことなんです。

672st:2015/05/03(日) 19:20:39
それが屁理屈とういう。

だからあなたはあなただけの涅槃に入る。
他のものと違う絶対的な消滅。

私があなたに見た「涅槃」そのものです。
他のものが入る涅槃と違う。

673慧空:2015/05/03(日) 19:32:43
>それが屁理屈とういう。

多くの方はそう思うでしょうね。(^o^)
屁理屈にしか聞こえないんです。
私としては、本当のことを言っているのに。(^o^)

でも、それでいいんです。
普通の人は、常識や分別を大切にして生きたらいいんです。

私はある意味、既に人間ではありません。
人間には常識的な分別があります(どうやら神と呼ばれる存在にもそれはあるようです)。
しかし、私にはもうそれが無い。

674ケロケロ菩薩:2015/05/14(木) 12:41:21
慧空殿、解っていながらすぐ議論に付き合うんだから〜(^.^)
Stさんも苦しいんでしょうね、何かに投影しないと身が持ちませんよね。私も投影しまくりの悪役作りまくりです。
偉そうなこと申しましたm(__)m
((笑))

675慧空:2015/05/14(木) 13:33:11
ケロケロ菩薩さん、こんにちは。
私の場合、ヒマなのもありまして、
どんな舟でも来た舟には取りあえず乗っかるようにしてます。(^o^)
私はどんな舟でも、振り落とされたり、悪酔いしたりしませんから。(^o^)

676名無しさん:2015/06/07(日) 05:54:04
>ただ、何かを極める道と悟りを極める道は、決定的に違う点が一つあるんです。
>何かを極める道には終わりが無いですが、悟りの道は終わりがあるんです。

これはよくわからない。この部分がかなり特殊ですね。たとえばエベレストの頂点
に立つことみたいな意味ですかね。それ以上高いところはないですから、そこで
終わりですね。でもそれは人が歩いて登れる一番高いところを目指しているから
それが終わりだということであって、目標を設定してそこに到達したというだけですね。
 別の目標はいくらでも立てられる。だから終わりなんてない。
つまり悟りという目標を立てたら最後、その目標に到達したら目標を立てること
すら終わりになってしまう。
「人(目標を立てる)として終わる」ということですよね。
 おいおい、ちょっと待て!! 苦しみは解決したいんだが、苦しむ人そのものは
残しておかないとヤバいよね。それは解決ではなくて切除だよ。それは困る。

677慧空:2015/06/07(日) 07:30:45
>>676

>おいおい、ちょっと待て!! 苦しみは解決したいんだが、苦しむ人そのものは
残しておかないとヤバいよね。それは解決ではなくて切除だよ。それは困る。

大丈夫ですよ。
苦しむ人は最後まで決してなくなりません。
最後の最後まで否でも堪能できますよ。(^o^)

678思路:2015/06/07(日) 09:06:56
それを聞いて安心しました。 で苦しみの何が解決したの? つまり
苦しみがよりリアルになるので、いままでぼやーっと苦しんでいたのが、チクチク
と激しく苦しむようになるとかですか?
 ある種の苦しみは消えてしまうけども、別の根源的苦しみはより強度を増して
くる。自分なんかは鈍感で能天気なので、もしかしてたぶんありえないとは思う
けれども、もしかして悟りを開いたら今より100倍苦しくなるかもしれないね。
 苦しくはなるけど面白くなるみたいな感じですかね。たとえばマラソンが楽しい
みたいな感覚と同じとか。

679慧空:2015/06/07(日) 09:59:56
思路さん

苦しみについては、私のブログの次の記事をお読みください。
それで、何か気になられることがあれば、またご質問ください。
http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/789f46846244da521004dea8949513b1

ちなみに、悟りを深めるにつれ、楽しさや楽しみを追求することは減っていきますよ。
楽しいというより、つまらないという感覚の方が勝っていきます。
なぜなら、どうしようもなく飽きてしまって、飽き飽きしているからこそ、最終的な悟りに到達するという側面がありますから。

680思路:2015/06/07(日) 10:38:58
そうなんですか? 自由になるので天真爛漫で愉快になるんじゃないのですか?
解放というのはそういう風になるのだと思っていました。だから芸術性とかが
豊かになる。和尚とか下手だけど面白い絵をかいてましたよね。

681慧空:2015/06/07(日) 11:47:24
自由、天真爛漫、愉快は小悟階層の典型的な特徴です。
浅い悟りです。
ラジニーシさんも小悟の方です。

682思路:2015/06/07(日) 19:10:25
ということは小悟の方が絶対に面白いですね。なるべく小悟レベルにとどまろうとは思わなかった
のですか? それとも必然的に大悟がやってくるのでしょうか?

683慧空:2015/06/07(日) 19:59:42
どの悟り階層がいいかは、人それぞれだと思います。
私は中途半端は嫌いなので、徹底的にやりました。
そうしたら、いつの間にか悟りの道がそこで行き止まりになっていました。

悟りが必然かどうかは、人それぞれだと思います。
私の場合は、運命的なものも感じたりしてはいますが、本当のところはどうなのかはよく分かりません。

684思路:2015/06/08(月) 06:56:39
大悟というのは脳の破壊と関係あるのではないでしょうか? こういうたとえが正しいか
どうか解りませんが、苦しみというのはある臓器に関係しているのだと思います。その臓器を
苦しい臓とよぶとすると、苦しい臓はそれほど重要な役割をしているわけではないので
盲腸と同じように切除しても殆ど問題ない。その切除方法が瞑想なのではないでしょうか?
 メスを使わないので切除というのは想像しにくい人もいるかもしれませんが、使わない
臓器は簡単に消滅していきます。寝たままだと1週間もすれば筋肉が衰えて立ち上がること
すらできなくなります。苦しい臓に関わる思考を止めると、苦しい臓は萎えてしまう。
 あとはハレ晴れの世界になります。
ただそれをさらに徹底的にやってしまうと、ハレハレも通り越して、物静かになってしまう。
 
 義母が脳梗塞で倒れました。以前は普通の物静かな人でしたが、脳梗塞以後は凄く陽気に
なりました。半身不随ですし、痴呆も少し入っていますが、陽気なので皆から喜ばれています。
入院期間が終わって、施設に移らなければならないのですが、面接も一発で受かりました。
ボケていても陽気で面白いので、施設も大喜びです。梗塞ももう少し当たり所が悪いというか
場所が違うと、喧しく説教を始めるタイプもいるらしいです。院長が往診に来ても説教をする。
こういうのになると、施設も嫌がって引き取り手が少なくなります。

685思路:2015/06/08(月) 07:14:23
脳梗塞で悟る例としては、脳科学者のジルボルトテイラーが有名ですね。
彼女の場合は左脳をやられて天国を垣間見たようです。左脳がやられると
陽気になり、右脳をやられると論理的で口うるさくなるようです。右脳をやられた
大学教授の話も聞いていたので、義母が倒れた時は直ぐにそのことが頭に浮かびました。

 義母の場合は左脳ではなくて右脳でした。
「ヤバイ。左脳だったらなー」と思ったのですが、右脳がいかれても陽気になるケースは
あるようです。脳は不思議ですね。
クリシュナムルティなんかも壊れ方が独特で、彼の場合は脳腫瘍で脳梗塞とは違いましたが
非常に面白いですね。クリシュナムルティは大好きです。

686慧空:2015/06/08(月) 09:03:59
>大悟というのは脳の破壊と関係あるのではないでしょうか?

思路さんは、私という意識と身体の関係について、思い込みや誤解があるようです。
私という意識は、脳や身体の機能の上に成り立っているとお考えなのかもしれませんが、
そう結論されるのは早計かもしれません。
私にはもう、こうだとか、これに間違い無い等の確信や断言はないのでハッキリとしたことは申し上げられませんが、
おそらく、意識と肉体との関係は逆なのです。
肉体の上に意識が成り立っているのではなく、意識が、あたかも肉体が実体としてあるかのような認識を起こしているのです。

ですから、脳の働きと悟りとは、そりゃあ、何らの関係はあるでしょうが、
その関係は本質的なものではありません。
むしろ、どうでもいいことです。
本質的なことは、私という意識そのものや、その動きの中にすべて含まれています。

それと、大悟(見るものは見られるもの)と最終的な悟り(解脱)との関係について、少しコメントしますね。
大悟と最終的な悟りとの間には、まだ大きなギャップがあります。
クリシュナムルティは、見るものは見られるものを知っている大悟者のようですが(私は彼のことは殆ど知りません)、
最終的な悟りに至った方ではありません。

687思路:2015/06/08(月) 10:10:35
>思路さんは、私という意識と身体の関係について、思い込みや誤解があるようです。
>私という意識は、脳や身体の機能の上に成り立っているとお考えなのかもしれませんが、
>そう結論されるのは早計かもしれません。
>肉体の上に意識が成り立っているのではなく、意識が、あたかも肉体が実体としてあるか
>のような認識を起こしているのです。

そうですね。厳密なところはともかくとして、たとえば肉体的な修行を通じて意識が変わる
とか、意識の修行を通じて肉体が変わるとかというようなことは多く体験されているのでは
ないでしょうか?
 肉体と意識には密接な関係があって、一方から一方へ作用を及ぼすことができます。
だからどちらがより本質的かというと、その人の性質によるように思います。
自覚はマハルシの「私はだれか」と同じ手法ではないでしょうか? この系統が好きな
人とボディーワーク系がよく合う人と別れるような気がします。
 分け方としては、ハート派と頭脳派とボティ派のような分け方もあるかもしれないですね。
自分はホディ派ですかねー。痛い目にあって初めて解る。W

688慧空:2015/06/08(月) 10:21:30
> 分け方としては、ハート派と頭脳派とボティ派のような分け方もあるかもしれないですね。
自分はホディ派ですかねー。痛い目にあって初めて解る。W

確かに、浅い悟り階層ではそのように複数のルートがあり得るのかもしれません。
ですが、ボディーワークを使って至れるのは、小悟が限界です。
なぜなら、小悟階層に至ると、ある意味、肉体の死を超越してしまいますから、
肉体から意識への影響が基本的に切れてしまうのです。

また、ハートのワークを使って至れるのは、大悟が限界です。
なぜなら、大悟に至るとハートそのものが消失しますから、
そもそものところ、ハートは使いようが無いのです。

689慧空:2015/06/08(月) 10:33:07
肉体と小悟(明け渡し)との関係について少し補足しますね。

明け渡しとは受け入れですが、その受け入れによりどういう囚われを手放したか等により、
明け渡しの内容や深さにはいろいろ違いがあります。
しかし、典型的な明け渡しには、肉体の死の受け入れも含まれています。
ですから、典型的な明け渡しを経験して小悟に至ると、肉体や肉体の死に対する恐れや囚われが
かなりの割合で消失してしまうのです。
もちろんそれでも、肉体を維持するための最小限のものは残ることが多いですが。

そういう訳で、小悟階層に至ると、私という意識が、肉体やエネルギーのことに対して、
本質的な影響を受けるようなことは無くなってしまうのです。

690思路:2015/06/08(月) 10:53:10
>肉体から意識への影響が基本的に切れてしまうのです。
>また、ハートのワークを使って至れるのは、大悟が限界です。
>なぜなら、大悟に至るとハートそのものが消失しますから、
>そもそものところ、ハートは使いようが無いのです。

なるほど。解るような気がします。
しかしハートが無くなるのですか? でも慧空さんは随分優しい感じがしますが
それはハートとは違うのですか?

たしかに思い当たることはいろいろあります。宗教の入り口は愛だとか慈悲だとか
甘い蜜がたんと積まれていますが、いざ中に入るといろいろきわどいこと
を突き付けられます。
 「成長したくないのですか?あなたは本当にそれでいいのですか?」
みたいな感じで無理難題が山と積まれます。あの甘い香りはどこに行ったのだ?
これはキリスト教でも仏教でも新興宗教でもカルト宗教でも同じで、うだうだ
言いながら入信はしないで、周辺をうろついている時が一番楽しい。W
ちやほやされて、親切にされる。一旦入信しようものなら、ボロボロに使い倒される。
まあそれが修行だから仕方ない。W

691慧空:2015/06/08(月) 11:15:48
私にはもうハートはありません。
私のことを優しいと言ってくださる方がおられるのは確かですが、
私は優しくはありません。
優しそうに見えるこきもありますが、人でなしのように見えるときもあります。
私はそのときどきによって、くるくると変わります。

ところで、思路さんは、何を求めておられるのですか?
思路さんの一番大切なことや、一番大切にしたいと思うことは何ですか?
ご自分の内面をしっかりと見つめられて、ご自分の本心と向き合ってみてください。
自分が何を求めているのか。
一番大切と思うことは何なのか。
まずはそれをしっかりと捉えて頂きたいと思います。

そして、それが分かったら、そのことに全力を尽くして頂きたいと思います。
時間は貴重です。

692思路:2015/06/08(月) 12:42:15
残虐にもなるのでしょうか?
あなたがというよりも、イエスやブッダ、そしてその精神を引き継いだもの達も
同様でしょうか?

693思路:2015/06/08(月) 12:55:44
>ところで、思路さんは、何を求めておられるのですか?
>思路さんの一番大切なことや、一番大切にしたいと思うことは何ですか?

何が大切かは一概にいえないです。一番優先順位が高いことを今やっているのだと
思います。
 風呂に入る時は、とりあえずそれが今の最優先事項なのでしょう。
「そんなことをしている場合じゃないだろ」と言われれば仕方なしに1か月くらいは
風呂なしでも我慢しますが、でもどこかでやっぱり風呂に入ります。

694思路:2015/06/08(月) 13:23:38
>一番大切と思うことは何なのか。
>まずはそれをしっかりと捉えて頂きたいと思います。

何が一番大切なのでしょうか?
悟りですか?
 よくわからないのですが、悟りも面白そうです。ですがピアノレッスンや筋トレと
同じようなものだろうとおもっています。自分の場合悟りも筋トレもうまく行きません。
かなりお金をかけてトライしてますが、グワーーーンと成功した実感がありません。
ちょっと前進したかなくらいです。そんなに目標は高くなくて小悟ていどで十分です。
 坐禅の接心に参加して三昧がわかるようになったときは
 「ス、凄い。これで悟れる!!!」と思ったものですが、そこから先が全くダメです。
三昧ってわかりますか? すこし坐禅をしていると気持ちよくなります。
慣れてくると別に坐禅をしなくてもその状態に入れます。変性意識状態っていうんですかね。
 一年くらいやってもダメなので「これは違うな」と解りました。

695慧空:2015/06/08(月) 14:52:20
>残虐にもなるのでしょうか?

そうですね、残虐に見えるようなことも、私は平気でやることもあると思います。
いまのところは、息子の頭を足で蹴るくらいのところで収まっていて、かわいいものですが。(^o^)

>あなたがというよりも、イエスやブッダ、そしてその精神を引き継いだもの達も
同様でしょうか?

イエスやブッダなど他の人のことは知りません。
ですが、最終的な悟りを得た人なら、何の拘りもありませんから、
それこそ何をするか分からないところはあると思います。

>何が大切かは一概にいえないです。一番優先順位が高いことを今やっているのだと
思います。

はい、それは一つの正解です。

696慧空:2015/06/08(月) 14:57:07
>何が一番大切なのでしょうか?
>悟りですか?

それは、思路さんご自身のことですから、私に聞かれても分かるはずがありません。
ご自分の本心を見つめてください。

三昧は何となく分かります。
経験はしたことは無いと思いますが。
座禅をやられるのでしたら、ぜひ私のブログに書いてあります、自覚をやってみてください。
http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/b46f53e9aba8cee84f1abc9507a3ecbb

697思路:2015/06/08(月) 15:49:48
>それこそ何をするか分からないところはあると思います。

残虐なことも違法なこともするということでしょうか?
なぜそんなことをする必要があるのでしょうか?

オーム真理教の暴走はなぜ起こったのでしょう? 宗教の暴走自体はよくあることで
数々の教団がたくさん事件を起こしています。そんなに珍しいとではないとおもいま
すし、オームの場合もそれらの一つに過ぎませんが、やはり死人が多かったので結果的
には非常に大きな影響を与えた事件になりました。
悟りを開くということは危険なことなのでしょうね。
 その意味では堕落したと言われる葬式仏教の坊主の方が害がなくて安全ではありますね。

 たとえば共産主義などはある意味非常に理想的で人間的美しさに溢れていて、殆ど聖なる
システムと言っていいくらい完璧に見えますが、実態は全く逆で残酷で出鱈目ですね。
きれいごとを並べても全く機能していない。
聖なるシステムは大いに悪用される可能性が高い。坊主を見るとその実腐ったのが多い。
これは一般的感覚ではないでしょうか?

698思路:2015/06/08(月) 15:53:44
>座禅をやられるのでしたら、ぜひ私のブログに書いてあります、自覚をやってみてください。

ザッと読んだだけですが、よくまとまっていていい方法ですね。

699慧空:2015/06/08(月) 16:13:22
>残虐なことも違法なこともするということでしょうか?
>なぜそんなことをする必要があるのでしょうか?

ですから、最終的な悟りに至るということは、そういうことなのです。
残悪を含めた一切の囚われが無くなりますから。
良い悪いの判断は、その基準を誰がそう決めてやっていることなのでしょう?
「私」という自我が、自己の握り締めた固定観念や社会通念等の囚われに基づいて、
やっていることなのです。
善悪等の判断は、すべて妄想なのです。
善悪なんてものは本来無いんです。
ただこと(現象)が起こっているだけです。
それを、私という自我が各自好き勝手な判断基準で、善悪等に色分けしてるだけなんです。

オームは、単なる盲信による暴走です。
悟りとは何の関係もありません。
浅原を含め、あの組織の中で、何らかの悟りを得ている人はいなかったのだろうと思います。

社会現象は、物語のようにそれなりの仕組みや、起承転結等のストーリー性もあって面白いですね。

700思路:2015/06/08(月) 19:27:13
素粒子のレベルまで覚醒すれば、残虐もへったくれもないでしょう。そこには人間は
存在しない。しかし人間といういわば妄想レベルでの話です。覚者と言えども人間です。
それもまた妄想の塊です。

「それもまた過ぎ去る」という言葉をご存じでしょうか?
言い換えれば
「それもまた妄想」なのです。
そして過ぎ去るものや妄想の始まるところとして「今」があります。
自覚とは今を捉えることでしょう。それは根源的「今」だし、同時に根源的な
「私」のことです。
 しかし根源的私とは素粒子の集合体でしょうか? そうではなく人です。これは
前提です。
インドの聖者などは、言葉に窮して「私は既に死んでいる」などというものがいます。
しかしそれは違う。勝手に死んでもらっては困ります。W

701慧空:2015/06/08(月) 19:38:36
>自覚とは今を捉えることでしょう。それは根源的「今」だし、同時に根源的な
「私」のことです。

自覚とは、第一にまずは、「私」に意識を向けることです。
第二に、「私」を捉え、「私」に起きてくる考えを捉えることです。

>しかし根源的私とは素粒子の集合体でしょうか? そうではなく人です。これは
前提です。

「私」とは、考えです。
人と言うと、それにはさまざまな規定や固定概念等の囚われがまとまりついています。
「私」は、人などという狭い概念や存在ではありません。
「私」は、考えそのものであり、意識そのものです。
そして、幻です。

702名無しさん:2015/06/09(火) 06:15:58
「考え」は人ではない。それは当然「私」ではない。
狭くても窮屈でも人であることの制約を外してはいけないでしょう。それを外すなら
人以上ではなくて人以下です。

もしそれを完全聖者と呼ぶなら、完全聖者の内で考えだけが単独で暴走する。
それは完全聖者にとっては暴走ではなくて正常です。人には意味が
解らないので暴走に見えるだけです。人は人を前提にしています。
完全聖者も人の延長にあるもの、つまり並みの人以上の偉大な人だと思っています。
だから意味が分からない。
 オームは単なる盲信による暴走でしょうか? そうではなくて完全聖者の計画的
行動です。信者がそれに従っただけです。

宗教学者の島田裕巳にしろ中沢新一にしろ一級の知識人ですが麻原を高くかっていた
節があります。麻原は悟りを開いていたと思います。悟りは善悪とか知性とは関係
ありません。麻原は聖人特有のオーラを持っていたのでしょう。
そうでなければ島田や中沢が簡単に認めたりはしない筈です。

オーラや超能力は聖人の証拠にはならないということです。悟りも同様です。
完全聖者は完全化することで人を逸脱したキチガイなのです。

703慧空:2015/06/09(火) 07:03:13
麻原やオームのことはどうでもいいです。
私には興味がありません。

>完全聖者は完全化することで人を逸脱したキチガイなのです。

これは当たっているところがあると思います。
私はもう人ではありませんから。(^o^)

704孤独な羊:2015/06/09(火) 18:23:55
ご無沙汰してます。以前書き込みした孤独な羊です。
その後の経過で善悪について及んだ考えがあります。まず善悪の有無で言えば、勿論あるわけです。
善悪基準がないなんて野性的本能で生きる動物と何ら変わらないじゃないですか。
悟ったような人なら必ず善を身につけます。
なぜなら善を行うことが最上の快楽であることを理解するからなのです。
実行を伴う環境にないから苦しいのではないでしょうか。

705慧空:2015/06/09(火) 18:45:05
孤独な羊さん、こんにちは。

ではそう仰るなら、ちょっと追求させていただきますよ。

「善悪の基準はある」と仰るその根拠をここに示して、あるいは述べて頂きたいです。
善悪の概念が、私という自我が考えている考え(幻)でないという根拠をここに示してください。
あなたが、これは確かな根拠だ、証拠だと思われることをここに示してください。

お話しはそれからお伺いいたしましょう。

706孤独な羊:2015/06/09(火) 19:24:01
根拠は良心です。

707慧空:2015/06/09(火) 19:36:04
良心は根拠になりませんよ。
言葉を言い換えているだけに近いです。
まあいいでしょう。
では、さらに追求させていただきます。

良心が絶対的なものとして「ある」という根拠を示してください。

708孤独な羊:2015/06/09(火) 19:40:47
良心があるかないかですか?それは自分でしかわからないのではないでしょうか?
人を殺して平気というのであれば邪心ですよ。人を殺して罪悪感があれば、それが良心の働きではないでしょうか。

709慧空:2015/06/09(火) 19:49:25
>良心があるかないかですか?それは自分でしかわからないのではないでしょうか?

それはその通りです。
良心という囚われの集合体がある人にとっては、確かになんらかのそのような葛藤なり、感触があるでしょう。
私も以前はありました。
いまは無いです。

私は、もし仮に人を殺してしまったとしても平気でしょうね。
間違い無いと思います。
それを邪心と呼ぶ人はいるでしょう。
それはその人に、これは邪心だという囚われがあるということです。
私にはそんな囚われも無いですから、例え人を殺しても何ともないです。
へっちゃらです。(^o^)

710慧空:2015/06/09(火) 19:50:22
そうだ、まだ私の追求は終わってませんよ。

善悪の基準や、良心が、絶対的なものとしてあるという根拠を示してくださいな。

711慧空:2015/06/09(火) 20:03:24
やり方を変えて、私の方から少し攻め込んでみましょうかね。

善悪の基準や、良心について、これらは何か普遍的な基準やものがあるというより、
人によってかなりまちまちで、もの凄い場合だと、人によっては真逆になっているようなことがありませんか?
例えば、Aさんの良いと思ってCさんにしたことも、Bさんから見たら本心からあれは悪いことだと思ってしまうケースがあると思うのです。

これは善悪に限らず、私たちの周りにあるあらゆる基準や社会通念について言えることです。
人によりバラバラで、もの凄いケースだと、真逆の判断を下すことがあります。

善悪や良心なんて、そんなあやふやなものだということです。
そうやって、善悪や良心について追求していくと、私という自我が好き勝手に考えている考えであり、囚われに過ぎないということが分かってきます。
これは、本当です。

712孤独な羊:2015/06/09(火) 20:28:23
そうですね。だから私達は翻弄されてしまうのでしょう。。邪心によって。
宗教で扱われる道理は、、良心から生じています。
現代人は型から習おうとして木を見て森を見れなくなっているのではないでしょうか。
苦しみ体験と自省を繰り返すことによって漸く目覚める理解のできることなのかもです。
そのために生きていると言って過言ではないかと思いますね。

713慧空:2015/06/09(火) 20:36:10
>そうですね。だから私達は翻弄されてしまうのでしょう。。邪心によって。

良心、邪心を羊さんがどのように考えておられるのか分かりかねますが、
正反対のものとして捉えておられるのなら、自分に都合のいい方、つまり良心の方だけ取り上げようとしてもダメですよ。
良心があれば、必ず対になって邪心もあります。
良心的に見える人の内面には、必ず邪心が秘められています。
必ずです。

邪心だけが、人を翻弄するのではないんです。
良心も、ベクトルの向きが違うだけ、同じように人を翻弄してるんです。

714孤独な羊:2015/06/09(火) 20:40:58
そうすると仏陀の悟りなどもないことになります。宗教もですよね?
戒律がありますから。戒律は何を意味するかに還りませんか?
私は今日はこれで、失礼いたします。

715慧空:2015/06/09(火) 21:59:20
>そうすると仏陀の悟りなどもないことになります。宗教もですよね?

そうです。
無いと言えば、すべては考えであり、妄想ですから、無いですね。

>戒律がありますから。戒律は何を意味するかに還りませんか?

戒律がなぜつくられたのかは、私には分かりません。
おそらく、何か縛りが無いと生きられない幼い人たちがいたのでしょう。

716慧空:2015/06/09(火) 22:31:16
上の>>713の中の文章について、少し補足というか、修正しますね。

>良心的に見える人の内面には、必ず邪心が秘められています。

これはちょっと的確性に欠けます。
より的確には、良心に対する執着があり、自分は良心に従って生きている、
あるいは、良心的な人間だと思っている人の内面には、必ずその同じ分量と強さの邪心が秘められている、ということです。

717孤独な羊:2015/06/09(火) 23:23:22
ちょっと寄らせてもらいました。対話を続ける前に質問です。
人を殺して平気なら生きてて楽しくもない。
自分が、それでいいというなら、それでいいじゃないですか。
何を求めてるのですか?
だから、あなたは自分に嘘をついているのです。
そして、そんなことばかり口にしていると善人でありたい人は誰も関わらなくなりますよ。
たとえば私は盲目なスティービーワンダーの描くような世界観が好きなんです。
人を殺して平気という言葉を改めない限り、もう関わらないでしょう。
わかりますか?
自覚もなく人に危害を加えても平気というのであれば専門家に掛かってください。

718思路:2015/06/10(水) 05:06:11
>それはその人に、これは邪心だという囚われがあるということです。
>私にはそんな囚われも無いですから、例え人を殺しても何ともないです。
>へっちゃらです。(^o^)

それは囚われがないということではなくて、人として破綻しているのです。
破綻の原因は悟りです。悟りが特別なものという思い込みがあるから破綻
に気が付かない。
 コカインを飲んで作った音楽には、彼らにしかわからない強い共感があります。
仏典も同じで、多くは普通の人には意味不明なゴミのような文章なのに悟りを
得た人にとっては彼等にしかわからない共感があります。いわばラリッた文章
なのです。殆どはゴミですが、中には普通の人にも響くものがあります。
 ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジはラリッていても宗教的天才
なので美しい言葉で世界を語ることができる。

 悟りは切除です。金玉を切るのと同じで不具者になることです。ブラブラして
いたものを切ったらスッキリする部分もあるけど、大抵は副作用が生じます。
電子レンジのだす電波に反応したり、自然におこる電界現象にも反応してエネルギー
を感じたりします。だから地震の予知ができたりする。そういう便利な部分もある。

719孤独な羊:2015/06/10(水) 05:13:24
慧空さん、おはようございます。
前文ではあなた様の掲示板を来訪しているにも関わらず、無礼な言い方の内容に仕上がってしまいました。
大変に申し訳ありませんでした。
ご縁が許されましたら、また楽しく語り合うことができればと思っています。

720思路:2015/06/10(水) 05:31:32
悟りは「ラリッている」状態ということは理解しておかなくてはなりません。
仏教では修行で悟りを得た後10年間は表に出さない。ラリッた状態を調整するためです。
この間仏典の勉強を詰め込んで、自在に説教をできる話術の達人になります。同時に
精神的には普通に戻るのです。嘗てはこういうことが行われていた。
 
 悟りを開いただけで自在に説教できる話術の達人になろうとしても無理です。これは
また別の技術です。
悟りを開くと、非常に敏感になります。ですから、僅かな表情などから人が思っている
ことや生い立ちなどが理解できるようになる。なので話術を身につければよいアドバイザー
になる可能性もあります。また逆にその能力を利用して高額なセミナーをしたりと
お金儲けに走る人もいます。
 いづれにせよ、次は利用技術を身に着ける修行が必要になります。

721慧空:2015/06/10(水) 06:49:11
孤独な羊さん、思路さん

善悪は妄想だというこの私の言葉は、普通の人には届きません。
それでいいんです。
普通の人は、それぞれが考える善悪の範疇で、まだまだ精一杯生きる必要があります。

私は、普通の人に向けて語っている訳ではありません。
善悪の妄想から覚め始めた人に向けてだけ、語っています。
もっと言えば、解脱に向けて歩み始めた人に向けてだけ語っています。

ですから、私の言葉に違和感や嫌悪感を感じる人がいて当然だし、
批判や攻撃を受けることがあっても、当然だと思っています。
私や私の言動に対し、何を言って頂いても結構です。
私は何とも思わないです。

722思路:2015/06/10(水) 07:46:09
病院に行くと「胃を半分きった」とか「俺は腎臓と肺の半分を取った」とか病気自慢
に花が咲きます。大手術はカッコイイのです。小悟とか大悟はそれと同じです。
大悟はカッコイイ。しかし損傷が大きくイカレかたも半端でないの苦しいはずです。
 
 折角大手術をしたのだからそれを有効に使った方がいい。
有効にということは不用意な発言は控えた方がいいということです。聖者には
それなりの需要がある。
ラマナなどもしつこい質問にまれにはブチ切れていました。ですが聖者としての役割を
チャンとこなしました。和尚やクリシュナムルティは脇が甘くてスキャンダルが
表に出てしまいました。そうなると格がワンランク下がります。

723慧空:2015/06/10(水) 08:06:50
>不用意な発言は控えた方がいいということです

何のために?
何を狙ってわざわざそういうことをする必要がると言うのですか?

私はこうやって、ここで好き勝手に語っているだけで十分です。
自分でも意外なほど、伝わるべき人にはちゃんと伝わっています。

また、私は口も悪いですが、素行もそれほど良くはありません。
息子の頭を平気で蹴り飛ばすくらいですから。(^o^)

私は、わざわざ私のところにやってくる人に対しても、「あっちへ行け、もう来るな」とか、
「お前はどうしようもないから、そのまま死ね」なども平気で言います。

私は、それでいいのだと思っています。
むしろ、それくらいでちょうどいいのです。
依存は排し、また準備の不十分な人を遠ざけるには、それくらいでちょうどいいんです。(^o^)

724思路:2015/06/10(水) 09:43:28
>何のために?
>何を狙ってわざわざそういうことをする必要がると言うのですか?

いまのあなたには解らないでしょうが、病的な状態だからだということです。

>自分でも意外なほど、伝わるべき人にはちゃんと伝わっています。

そうやって集まってくるのは雑魚だけです。あなたの師をどうおもいますか?
集まっているのは雑魚でしょ。

言葉や姿勢をただせば、それなりのレベルの取り巻きが集まります。聖者は不具者です。
サポーターつまり檀家や取り巻きが必要なのです。その時初めて悟りが生きてきます。

725たこりん:2015/06/10(水) 09:54:01
慧空さんはある意味正常だと思います。
世の中綺麗事に酔いしれている人多いです。
自分の気持ちにフタしてる人多い。
悟り関係のことはよく分かりませんが、善悪なんて人が勝手に作ったものである事は、なんとなくみんな気付いていると思われます。

726思路:2015/06/10(水) 10:19:36
>あるいは、良心的な人間だと思っている人の内面には、必ずその同じ分量と強さの邪心が秘められている、ということです。

底抜けに明るい天真爛漫さというのに出会ったことはないですか?
邪心など無縁の天使のように無垢の人もいます。

727慧空:2015/06/10(水) 11:22:04
思路さん

病的で大いに結構です。
不具者、いいですねぇ〜。
病的、上等、キチガイ、大いに結構です。(^o^)

雑魚ねぇ・・・、あなたの目にはそう見えるのですね。
そう見えるのならしょうがないですねぇ。
私としても言うことないです。
雑魚で結構です。(^o^)

私は誰の世話にもなりたくありません。
社会の中で生きていけないのなら、社会を捨てるだけですし、
自分の力で生きていけなくなったら、死んでいくだけです。

728慧空:2015/06/10(水) 11:24:53
>底抜けに明るい天真爛漫さというのに出会ったことはないですか?
>邪心など無縁の天使のように無垢の人もいます。

あなたは余り賢くないですね。
どこに目を付けているのですか。
本当に無垢で天真爛漫なら、そりゃあ、善悪も無いですし、良心なんて欠片もないですよ。
その人の振る舞いは、相当めちゃくちゃなものになるでしょうね。(^o^)

あなたは、自分の都合のいいところしか目に入っていないのです。

729慧空:2015/06/10(水) 11:28:56
たこりんさん

たこりんさんは、私の言っていることがそれなりにお分かになるようですね。

>悟り関係のことはよく分かりませんが、善悪なんて人が勝手に作ったものである事は、なんとなくみんな気付いていると思われます。

善悪の囚われは、そんなに甘いものではないですよ。
良心の呵責は、本人の気が付かない心の奥深くで起こっていることもあります。

730名無しさん:2015/06/10(水) 12:51:15
悟りは善意識の結集なのです
必ず殺してはならない殺させてはならないものです
そこを勘違いされては邪心にやられてしまう
また歩みを始めることになるのです

731孤独な羊:2015/06/10(水) 12:53:09
最初から悟りを開きたくて開く人は殆どいない
だからお釈迦様は最初から志があり最初から輝く良心のある特別な人物だった

732孤独な羊:2015/06/10(水) 12:56:28
どんな痛みにも耐え切れる人などいないのです
だから悟れるのでしょう

733孤独な羊:2015/06/10(水) 13:03:21
早い段階で信仰と戒律に落ち着く人ほど優位であることは確かと思います。
良心(真実)の理解に対する差異によって行動が生じるため善悪基準がないと仰る方がでてくるのではないでしょうか。

734慧空:2015/06/10(水) 13:11:26
ダメだこりゃ〜(^o^)

>悟りは善意識の結集

ため息が出ます。
あなたは悟りや、悟った人に対して、とてつもない妄想をつくっておられるようです。

過去から現在まで、修行者や出家者に、深い悟りに至った人が殆どいないのはなぜなのか、ということも、
あなたに語っても意味はないようですね。

この掲示板はお好きなように何を書いて頂いても結構ですから、
どうぞお好きなことを思う存分書かれたらいいです。

735孤独な羊:2015/06/10(水) 14:56:19
わかりました。出直し致します。
ありがとうございました。

736慧空:2015/06/10(水) 15:38:32
孤独な羊さん、自覚をやってみてください。
あなたにとって大切なことは、あなたのまわりにすべて揃っているはずです。
自覚を共として、日常を生きて頂きたいと思います。

737孤独な羊:2015/06/10(水) 17:19:34
慧空さん、そうですか。では是非お尋ねしたい。
>修行者や出家者に、深い悟りに至った人が殆どいないのはなぜなのか
如何なお考えで、根拠はどこにあるでしょうか?


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