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京都2キャンパス(衣笠・朱雀)への要望 Part 1

136立命館衣笠キャンパスでモダニズム建築設計を担当した富家宏泰:2017/02/17(金) 08:02:51 ID:aDpTOxUU0
以下、引用記事:

また、京都工芸繊維大教授の中川理が、丹下健三の死をモダニズムの終焉と絡めた文章の中で、富家宏泰にも触れているという。

丹下に対する大方の評価を中川氏は、「圧倒的な構想力で、モダニズムの造形をコルビジェさえなしえなかった高みにまで到達させた」と総括しながら、「あの世界を驚愕させた東京オリンピックプールに匹敵するような美しさは、その後の彼の建築作品では実現されたとは言いがたい」と言う。その背景を、藤森照信氏の言葉を借りて、「彼のモダニストとしての造形力が「生産」を前提としたものであったことを挙げ」、「大阪万博以降の「消費」の世界に、彼の造形力は行き場を失ったのだ」としている。

ここで中川氏は、このような展開は丹下一人のものではないと思うとして、戦後京都を中心に活躍した富家宏泰という建築家を紹介している。

富家宏泰は、公共建築を中心に膨大な数の設計を手がけてきた建築家。作品の系譜は途中で大きく変化しているという。1950年代後半からの初期作品は、上質で生真面目なモダニズムの美しさが実現されているのに対し突然造がおおらかな表現に。1970年代からは、建築家の職能を正しく行政に認めさせる運動に没頭。建築「作家」から建築「活動家」への転進を遂げたかのようだったという。

中川氏は、1970年代以降、「「生産」を根拠にした造形が意味を見失うことで、丹下氏が新しいモダニズムの行き場を海外の都市デザインに求め、一方で富家氏は、それを政治的活動に見出そうとしたのではないか」と想像し、「建築家といっても、その活躍したフィールドはまったく異なる2人だが、ともに、生涯をかけてモダニズムを貫徹しようとしたことは同じだったのではないか」と指摘する。

最後を氏は、現在活躍する建築家は、「消費」の社会を前提としていると考えるとき、「丹下健三の死は、確かにモダニズムの終焉を意味すると改めて思うのだ」と括っている。

2005年6月22日(水)読売新聞 夕刊掲載内容より

OM計画の「これだけは知っておきたい、注目記事」
2005年7月6日の記事、「建築家・丹下健三の死は、モダニズムの終焉。」より引用


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