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悟り開こうよ 25次元目

538不思議な名無しさん:2018/11/07(水) 06:14:39 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第6段階]
死体置き場に捨てられ、骨があらゆる方向に散らばり、ばらばらの骨にすぎない死体を見るのです。ある所には手の骨が、ある所には足の骨が、ある所には足首の骨が、ある所には脛 (すね) の骨が、ある所に
は腿 (もも) の骨が、ある所には尻の骨が、ある所には肋骨が、ある所には背骨が、ある所には肩の骨が、ある所には頸 (くび) の骨が、ある所には顎の骨が、ある所には歯が、ある所には頭蓋骨が、散らばっ
ているのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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