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ストスレ道場
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エクストリームオフトゥンイン。
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つべ聴きながら寝よう。
人の声って安心するね。
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なんとか起きた。
悪夢ロンダリング(ちがう)で、机の上に置くことを覚えたロラゼパム0.5mgを飲んだら動悸がおさまったので起き上がることができた。動悸は一昨年末から起きるようになったもので、ジアゼパム(セルシン)の離脱かと思われる。
(あるいは脱水症状)
レキソタンをセルシンに置き換えたものの、長期服薬になっているのでなあという感じではある。
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私が「あたし」って言うと江戸っ子にしかならない悲しみ。
扇子持つわよ。
(特に悲しくはないけれど、小さくて可愛い生き物に生まれてみたかった感じはほんの時々あるな。それはそれで苦労しそうだが。なおちいかわのことではない。あれはあれで楽しそうで苦労もしそうだが)
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子どもの頃はそれこそピコみたいに元気な子が「あたし」って言う時代だったけれど、20代近くなったらおしゃれで可愛い子が言うイメージになっていた。
岡崎京子以降とかのイメージなのかしら。
(この『かしら』も、昔の翻訳で探偵さんとかが言うイメージでしか私は使っていないですよ、だいたいは)
ああそうか。駆け足だったけど私の二十代はあっという間に青春もなく終わったもので、その時代には「あたし感覚」は少し持ってはいたなあ。
40代で持つほどイケイケドンドンじゃない。
ちょっと苦労しすぎまして。
人の苦労ともまたちがうので見えるとこ鍛えられてないけれど。
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今はまだまだ悲しいことばかり目についてしまうけれど、長生きしたいわあ。
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お薬を掘り返してなんとか、通院までの生を繋ぐ。
(離脱作用は突然止めればどんな長期服薬のお薬でも起こるものなので、私の場合は、不安や鬱度が高くなってグラグラしがち)
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今日の夢
祖母の家という設定になっている、電球色で照らされた、プラスチックでできているワンルーム。
私はあまりに動悸と意識の混迷がひどいので、入院しなければならないだろうかと、そこに来るまで通っていた入院施設に電話をしようとしている。
私は歯科矯正の際に最終的につけるワイヤーとヘッドギアみたいなのをつけていて、どうやらその家も他人の家らしい。私は無断侵入したことになっている。
追い出されてしまったら行く当てがないなあと、だいぶ恐怖を感じている。
目を開けたら今の部屋で、閉じると夢の部屋なので混乱する。
最終的に机の上のワイパックスを一粒飲んで、混迷と覚醒の溺れ状態から脱して起き上がった。
朝分の痛み止めを飲んでいないので、身体に力が入りにくい。
朝ごはんを昼分と一緒に食べて、服薬し、諸々、先延べの連絡をする。
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現代だとバイトって馬鹿にされるけれど、仕事仕事病院で気がついたら26歳になっていたし、当時の彼氏は若干トレンディドラマと尾崎豊の時代を背負っている5歳年上のひとだったし、子どものような愛情で誰かを愛したことはなかったな、と思う。
そのような愛は友人に捧げていたけれど、それでも私は人間としては淡白なほうだったし、ひとりの時間を過ごさないと死ぬ生き物のような感じで、企みに足りず、家も過干渉で人と出かけるのを嫌がったり。
男性不信の人にはあったほうがいいと思うけれど個人的には女子校は滅びろ、と思っているミソジニー頭。
共学に通っていたらもっと陰湿ないじめに遭ってたかもしれないし、いじめを無視するので放っておいてもらったかもしれないし、それにしてもグループ活動ではミソッカスであったであろうな。
ああいう感じは姉との時間に限られるな。
子どもの愛情と遊び心で過ごした相手というのは。
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なお、女子校時代に遭ったいじめは、短期的な無視とグループからのはぶりくらいで、本人いじめと思ってなく、おしゃべりネットワークに繋がっていないので私について言われる悪口は私に入ってこないという都合のいいところにいた。
私をいじめてもつまらないので長続きしないし、現代のようなツールに溢れた時代でもなかった分救われていたな。
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>>198
ここから書いていること読み飛ばしていいようなことです。
読む人がいるかわからないけれど。
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>>204
子ども時代の友人は、ひとりひとりが、私を愛してくれたけど、私のほうに、ほんとうに17から20歳にさしかかるところの機動力が足りなかったから。
その頃に鬱をやると、まあこりゃこりゃ置いていかれるよ。
この時差は埋められるものでもないし、今はもう埋めるものでもないと思っている。
中年期にもう一度ブランクをやるとは思っていなかった。
もとより自分の部屋と、均等に家のツールを使うことができる権利、あるいはそれを勝ち取るだけの残酷さがなかった私には、それらのものは埋めようがない。
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よほどに恵まれた発達障害でない限り、似たようなことは経験する現代だから(氷河期以降は特に)、てめえはどうせ東京で人にも恵まれてるんだろ、と言われようと、分けられる知恵は分けていきたい。
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母親がどうしたら幸福になれるのかを理解したいと思ったら、母親のような人に囲まれる前半生が待っていましたとさ、そしてそれは私の最初の願いであり謎でもあったので、仕方あるまいよ。
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願わくは私の半分くらいでいいので私のことを母に、理解してほしかったが、母親に対する圧力があまりに高い時代だったから、母さん背負ったものが多すぎたね。
ナムナム。
( -人-)
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なんだかぐるぐる書きすぎたと思って反省している。
反省しても、ここそんなに緊張して書くところではないがな。
だいたい誰かに文句を言っていると自分が思うと、跳ね返ってきて反省が始まる。
認知行動療法をしましょう。
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このごろ心配性で、電池63%残量のあるタブレットを充電しようとして我に返る。
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残酷なことが行われているシーンを、何度も読み返して書き直している。
終いに頭がボーッとしてくる。
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5分間休憩に本を持って行って体操をする。
視界が揺れているのでとても目に悪い。
体操も読書も気が向かない時だけのやり方。
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頭が痛くなってきた。
(鋭く痛むというよりぼんやりとした圧力感がある)
頓服飲んでおくのが吉。
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悲鳴が消えない。
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頓服が効いてきた。
なにをやっているんだろうなと思う。
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1時間が飛ぶようにというより蒸発でもするように過ぎた。
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一日の中で波がすごくあるし、定時に眠ることができなくなっている。
スマホを冷蔵庫に入れようかな……。
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地球をもし離れることがあったら、私はなにを持って行くだろう。
と、考える。
母に分けてもらった犬の遺骨。
家族写真は揃ったのがないな。
家族がこっちを見ていない時に写真を撮るのが好きだった。
母のロケットペンダント。
『八本脚の蝶』二階堂奥歯
『蜂蜜秘密』小路幸也
Kindle Paperwhite(スマホは置いていく)
などなど、まだ整理しているところです。
地球を離れる予定は今はないけれど。
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「今野書店」で見かけた時に買わなかった『天使日記』寺尾紗穂(スタンド・ブックス)を読んでいて、思い出したことがある。
私は子どもの頃公園で、ひとつ目小僧と遊んだことがある。他にも私の知っている子ではない者たちがいて、大勢で楽しく遊んだ。
それから、幼稚園か小学校に上がりたてくらいの頃、色褪せた赤いリノリウムの階段の踊り場で、親戚の男の子たちと、一抱えもある大きさの蜘蛛2匹を見たことがある。
むかし手紙のやり取りをしていた友人に書いて送ったら、自分たちも不思議な大きな生き物を見たと書いた手紙が返ってきたので、こんな話は意外とよく、記憶の隅に転がっているのかもしれないな、と思う。
雪雪さんが教えてくれなければ、きっと私はこの本と出会い直すこともなく、子ども心を蘇らせるのに苦戦していたかもしれない。
雪雪さんの「幼なごころ」と私の子ども心は違うものだけれど、なめくじがあっちの本とこっちの本に出てきたり、普段触れることのしにくいところにある記憶の端緒になる本に出会えて、そして今日はそれを静かに読めて幸せだ。
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注意 ここから下。たぶん愚痴
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今日は意識がずっと拡散していて、まとまらなくて、調子が悪いまま、ぼんやりしている。
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愚痴を書こうというか、テキストを書くことで落ち着こうと思ったのだけど、結局オフラインで書くことにした。
それでもほとんど書けなかった。
文字すら喋ってくれない。
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ラムネを食べたらちょっと回復した。
でももう夜中だぜ。
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なにかとても耐え難いことがあるのに、それがなんなのか言語化できなくて困っている。
特定のことについてとか、特定の人についてのことではなくて、自分でもよくわからないまま、ぼんやりしている。
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母が残したしけたミンティアを食べている。
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うん、私の好みと違うので一粒で完敗した。orz
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迂闊でいないと持ち切らないような、短期記憶の瞬間瞬間の消滅。
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不安で不安定。
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悲鳴を上げたいけれど、上げ方がわからない。
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残酷なシーンを書いたものを読んでいると心が落ち着くのはなんでだろう。
水分が足りないな、とか、何か買わなければならないものなどを思い出す。
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痛みは、時に痛み止めよりも、人に受け止めてもらえることを、必要としていたりする。
そんな些細なことが、とても難しかったりする。
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私は母の攣った脚をさすってあげられたけれど、私の痛みに触れることができる人は、私が許していないという点で、いない。
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鉄たまごの薄いのを買ったので、お湯に入れて飲もう。
(やかんで沸かすまで行かない。洗って干したペットボトルはゴミ袋に入れたのだけど)
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とても痛かったり血が出てくる映像が私はあんまり得意ではなくて、腕の内側がゾワゾワするようになってしまったんだけど(ハタチ以降)、そういうものをこわごわ観ていると、しゃきっとして生きなきゃな、という気持ちになる。
脳内物質?
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映画でこれなので、グロ画像などはよほどの理由がない限り見られない。
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本当に痛みを感じてしまうので、刺すとか撃つという瞬間は目をつぶって観ている。
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人が急に死ぬ瞬間が苦手なのかな。
痛いのは痛いので苦手です。
でも、観たあとは、ちゃんと生きなきゃなって思う。
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彼氏になった人はこれまで二人だけいたけれど、(二人とも無理やり越境してきた)、結局のところ、私自身が、もう最初の頃から、それ以前から、私を労わる言葉に対しての実感が薄くて、うまく受け止められないんだな、たぶん。
その日のその時の私に毛布を掛けてあげたいと言ってくれた方がいたけれど、今に至っても、私自身がその改変を受け入れないでいる。
ジェダイマントとか手に入れて家でいつも被っていたらいいかな。
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ベッドの内側(壁側)に私がいたので(そのように加害者が私を引きずって置いた)、意識が戻った時、右手の小指の下の腹を、鏡でできている壁に、握り拳にして当てて、自分の体重をその摩擦力でなんとか引きずり上げた。
だけど目の前に加害者が横たわって寝ているので、起こしたら何が起きるのか怖くて、しばらく体育座りでじっとしていた。
その時の私に毛布をあげたいと言っていた人がいた。
その時着ていた服も履いていた靴もしていた時計も髪型も机の上のものもリモコンも洗面台の色も全部覚えている。忌まわしい装飾の部屋。
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もっと強い打撃を受けたら、忘れることができたんだろうか。
でもそんな想像に意味はない。
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gFuu-0PMrSY
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眠気が来てイライラしている。
隣人の足音でドビックリしたのでこのくらい音がしますよという意味で床ノシノシした。反省している。
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水分が足りなくなったり、腸が内容物でいっぱいだったりすると、腕のあたりがざわざわして全身も気持ちが悪くて、苛々してくるようでした。
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あと眠い時はラムネを食べると少し良い気がする。
ご飯の構成があまり良くないんだろうなあ。
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今はどの本を読むのが正解なのか悩んで気分が悪くなりそうになっている。
したい、が掴めない時が多い。
意外と幹線道路の車の音が地味に嫌なんだと思う。
生まれた地域が過疎で、その割にお金があるので道路は平らだったし、とまた同じ話をしている。
ウォークマンくらいのノイズキャンセリングができるイヤホンがほしいなあ。耳栓でもいいのか。
あと度入りサングラスをもう一度作らないと見つからない。
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最近は電波塔が近いせいではないかと電波なことを申しており(頭の中だけにとどめているし、それほどそうなのかはよくわからない)。
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何もしたくないのだけど、何もしないと死にゆくばかりなのでした。私の場合はね。
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>>243
三日月ロック、23歳の時に聴いていて、この歌好きだったな、と急に思い出したので聴いてみたけれど、Amazon musicでリストに入れて聴いたほうが歌詞が聴き取りやすかった。
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何にせよとても生き急いでいるのにどれも私はゆっくりしかできないからすごく焦っていて、一日で本を読んでしまわないとその感じとか内容を忘れてしまうのに、読めなくて苛々ばかりしている。
落ち着け私。
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昨日は『残月記』小田雅久仁(双葉文庫)をp.302まで読んだ。
それで精神が一度静かになった。
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『残月記』を昨日読了し、感嘆の溜息をついた。
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ひとつのことに打ち込むことができる人生でありたかったな。
時間がぶち壊れるまではそういう性質をしていたんだが、もう戻れないことに執着しても仕方がない、とりあえずは。
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マグナー別板に探しに行かないから、そっち普段通り書き込みしてていいぞ。
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『天使日記』寺尾紗穂(スタンド・ブックス)の続きを読んでいる。
静かな心になる。
(最近は気温が暖かいので、活字を読んでいる時に流れる時間が一番静かで、どんな活字を読んでいても大体そんな感じ。だけどこの方の文章の質もあると思う)
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文章と、書いてあることの質。
高校生の頃の私が、お守りのように信じていた、信じるというよりも前にただそこにあった世界の、懐かしさを感じながら。
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守屋図書館から歩いて沿線を駅まで帰る時、その頃心の中にいた天使に言葉でなく語りかけていた。
光線の色とか、名前も、象徴としてのお守りも、決まっていた。
そんな時代だった。
銀座のくまざわ書店で買った天使の本が、今でもベストだと思っているんだけれど、タイトルがシンプルすぎて、よく売れるような装丁でもなく、内容も地味ではあったので、同じものが探せなくてかゆい。
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学校→学芸大→祐天寺→電車(あるいはほんの時々中目黒)
古本屋や本屋を巡りつつ帰った、これでも寄り道しない10代。
天野可淡と出会った学芸大学駅近くの書店が、まだ今もやっているという。
祐天寺のガード下の本屋さんも、ずっと前になくなってしまった。
自由が丘の本屋さんも閉まるという。
平成も遠くになりにけり。
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猫の天使?
のような本も気に入っていたのだけど、今はなき(移転しただけだけど)地元の図書館にあったので、記録をつける癖がない私ではもはや探せない。
なにか生まれ月とかカバラ的なもので紐づけられた自分向きの猫を占える本。
(本物の猫の種別ではない)
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>>258
冒頭に、事故にあった車を天使が止めてくれた(全然違うかも)話と、イエスキリストについての言及があって、本は全体が白い装丁、マット加工、見返しは薄いピンク。挿画は金か黄土色。
バナナの人形の話が出てきたのと、天使と色の関係表があった気がする。
バナナボート?
じゃないし。
何か新しい諦めている人と(あるいは著者が諦めている)長電話をしていて、バナナの人形が象徴的に出てきた。
あんなマニアックな本を喜んで読む人はあまりいないだろう、と思うくらい人目を引くところのない本だけど(内容が悪いのではなくてなにしろ派手派手しいところがなく堅実)、一番私にとっては内容のある本だったなあ。
↑人に伝えるという目的を持たないで生きている人間なので全部なんだかわからない内容だと思います。
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1995年から97年くらいにくまざわ書店(銀座コア内)のスピリチュアルコーナーで買ったと記憶している本。
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>>261
非常にキリスト教の信仰に基づいた本だなあと思ったのだけれど、当時のニューエイジのスピリチュアルは信仰に基づいているのかと聞かれるとよくわからない。
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>>261
新しい恋を諦めている
だった。書き直した時消しちゃった模様。
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無事に書店まで行くことができたので、
書店員さん達のご厚情と、作家様、担当者様の優しさのおかげで、
見返しを眺めながら本を読んでいます。
212頁前あたりから涙が決壊して止まらなくてティッシュがからになった。
なんだろう、とても久しぶりに満ち足りた気持ちで本を読んでいます。
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心が若返るというか。
苦を知る人たちの生き様を見届けて、寂しい身の上の自分についても慰められるところがあったりもします。
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まだ泣いている。
次の章を読みかけているのに、あーティッシュ新しいの開けなきゃ。
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この本がこの世に存在することに感謝したいというような、手について離れないような本ですね。
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孤独とは「本当の」理解というものを欲するものだけど、そんなものは鏡の中にしかない。
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私はナルシストになれるだけの自己などないから、言葉でそれを汲み出すしかない。
常に間違いながら。
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酔うほどの自分があったらとっくに死んでいる、と思って、道理がおかしいな、と思った。
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私は他者にとっての「鏡」でしかない。
そういう諦めのようなものを打ち破れないままでいる。
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最近は静かな時間が少し増えて、精神的に焦燥感がなくなって落ち着いている。
今だけのことかもしれないのだけれど。
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『煌夜祭』多崎礼(中央公論新社)
豪華版のほうを今日一日読んでいた。
途中何回かぐずぐず泣きながら、読了。
17年と、17年、の後書きの文字を何回か手で撫でた。
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昨日までは『夢の上1 翠輝晶・蒼輝晶』多崎礼(中央公論新社)を読んでいました。
泣くために読んでいるのではもちろんないのだけれど、なんで泣いてしまうのかと言えば、多崎さんの筆の力としか言えない。
私が諦めかけたことを、諦めずに生き抜く人たちの物語は、私が死なせようとしているものに心を吹き込んでくれます。
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服薬かコーヒーなのかわからないのだけど、振戦がこの頃はよく出てしまって、夜は勝手に動く腕と一緒に寝ています。
我慢せずに頓服を飲むこと。
23時就寝の目標がなかなか守れない!(笑)
笑っている場合ではない。
(。-ω-)zzz
(書き止まない気持ちがあるけれど、一回寝ましょうね)
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エクストリームオフトゥンイン。
゙/)/)
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映画を見て、統合失調症の幻覚体験について考えていたら、急に無感動になってしまった。
なんぞこれ。
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たぶん入院時のベンゾジアゼピンの減量と、線維筋痛症の全身痛が3日放置された時のせん妄と、世の中の統合失調症の状態とする幻覚症状の表現がわりと似ているから(たぶん原理的に同じなんだと思う。一時的なものか、そうでないかの違い)、また色々思い出しそうで蓋をしたのかもしれない。
(当時は線維筋痛症の診断下りてなくて、担当医にはそう思うと相談したんだけど痛み止めの薬は出ないまま放置されたので)
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jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1388922605/100
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ワロスw
571 "私"[sage] 2015/10/16(金) 03:15:23 ID:
脳内ゲンドウが、
死ぬなら早くしろ、でなければ、死ね、
と言ってくるので寝ます。
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過去ログ当該月のを読んでた。
入院期間をもう思い出せないな。
こんなことで夜更かししすぎていかんな。
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>>281
TV版のこのセリフの頃の立木さんまだ声が高いんだよな。
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めっちゃ目がパサパサで眠い。
せん妄のフラッシュバックというのが近いと思うが、統合失調症の人の幻覚と幻覚のフラッシュバックの区別はつくのだろうか。
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人間が野生状態に置かれると視野狭窄というより部分のクローズアップが起こるし、パターン認識もなぜか強くなるんだろうな。
周辺視野の過敏みたいなのも出てくるのでは?
眠い。
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電車の優先席に座ってると、変な行動をする人(病気の人にあるような奇行だが、関心がしっかり人に向いているという点で私は詐病に見える)がしばしばやってくるんだが、社会不安からなのかそういう人が増えたなーと思う。
母の真似して杖でつっつくわよポーズをしようかと思うことがある。
無視するのが一番いいし、移動するのが吉だが、本当にたまに喧嘩を売りたくなる。
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ミニハンが言ってたけど、本当にああいう人たちは弱いものを見つけるのが上手いんだな。
まあ弱そうに見える人間なんだと思うが。
実際私は反応しないので諦めて去っていく(というより降りる駅が来たんだろうが)。
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眠い。
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私はせん妄期間以外に特に幻覚を見ていないと思うが(つまり出来事の異常性を疑っている)、その(それが幻覚であったり錯覚である)可能性は常に置いている。
あるいは突然幽霊でも見えるようになったのかもしれない。
あるいはこの人は本当になんらかの病気で奇行をしているのかもしれない。
奇行に見えるが訳があってたまたまそのように見える状況なのかもしれない。
問題は私自身の、病院後の深い恐怖にあるのであって。
(おそらくは)
私自身はもう感覚を覚えていないが、事件の時よりも正確に壊されたと書いているのだから、本当に解離が効かなくて恐ろしい体験だったのだろう。それからのしばらくの間は。
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ランダム通信で崖から手を伸ばしてくれた人がいなかったら、私は狂っていたか死んでいただろうと思うよ。
そういう私がミニハンを死なせたのかもしれないと時折思うが(引きずって)。
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だめな状態だとわかっているのに判断力が落ちていて、こいつ(スマホ)を置いて寝るという決定をしないのだからもう呆れるしかない。
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小説を読んでも何も思わないのだから眠って回復するしかない。
せっかくまあまあの時間で眠れるようになっていたのに。
まあこんな日もあるさ。
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(。-ω-)zzz
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>>289
徴候に過敏になるのはPTSDゆえとも言えるが、私自身に統合失調症の潜在的因子がないとは言えない。
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見える限り聞く限りの親族にはいないけどな。
ただ、私自身がわりと特殊な重ね合わせの末子だからなあ。
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