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2022/7/10 『中動態の世界』を読んで
1
:
久保史章
:2022/05/28(土) 21:29:14
日付を書くのを忘れてしまったので、再度スレッドを立て直しました。
國分功一郎の『中動態の世界』について、中動態とはどのような概念なのかを、私なりに理解した範囲で具体例を挙げて解説したい。
またスピノザの『エチカ』の中の感情の能動と受動についても言及したい。
参考文献 國分功一郎『中動態の世界』
スピノザ『エチカ』(特に第4部)
2
:
久保史章
:2022/06/25(土) 23:03:45
発表では、國分功一郎の『中動態の世界』の1章、3章、6章、8章の内容を引用して検討をします。
3
:
ウラサキ
:2022/07/06(水) 08:05:50
少し遅れて参加します(^^;)
4
:
おぐす
:2022/07/10(日) 19:40:36
久保さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。
今日の話題にもなった「義の心」について國分氏の著作から補足しておきます。
國分氏は行為の選択は、意志と有無とは関係ないと考えているようです。ひとは日常的に不断に選択を
していますが、意志が後からそこに付与されることによって選択に責任が発生する(と見做される)。
しかしそういう責任は擬制的である。國分氏はドゥルーズの「われわれは何かについて責任を負うこと
はできないのであって、何かを前にして、われわれは責任を感じる存在になるのである」という文言を
牽いて、そういう本来的な責任が「義の心」ではないかと述べています。責任には意志が介在するので
はなく「義」が応答するのだと。(「〈責任〉の生成―中動態と当事者研究」P117〜120)。
「中動態の世界」ではやや説明不足のきらいもある内容が分かりやすく展開されているので興味があれば
読んでみて下さい。久保さんのお仕事にも資するところ多いのではないかと思います。
「中動態の世界」を読んで、スピノザの自由と中動態の関係については納得のできないものが残りましたが、
國分氏が中動態という概念を用いて、発達障害の当事者研究や精神障害者のケアの現場に貢献できるものを
捜したいというモチーフはよく伝わってきました。
5
:
おぐす
:2022/07/10(日) 19:45:23
ウラサキさん、ムーアの本を貸していただきありがとうございます。ウィトゲンシュタインについては
私の理解の届かないところが多くて「確実性の問題」も何処までせまれるかまったく見通しも立たない
のですが、いつものごとく身の丈のレベルで読んでみます。いずれ拙い理解を披露できればと思っています。
6
:
おぐす
:2022/07/10(日) 19:49:43
久保さん、すみません。
3行目、意志と有無とは関係ない→意志の有無とは関係ない、の誤りです。
7
:
ウラサキ
:2022/07/11(月) 08:28:48
『中動態の世界』は文章が思いの外読みやすく、著者の言いたいことはほぼ理解できたと思いましたが、
その主張はかなりこじつけっぽい感じがしました。
おぐすさん、『確実性の問題』楽しみにしています。
概要が決まりましたら、日程の設定、部屋の予約、スレッドの立ち上げ宜しくお願いしますm(_ _)m
8
:
久保史章
:2022/07/16(土) 22:38:05
「義の心からお金を渡すか、脅かされてお金を渡すか」というケースをもとに、自由の問題について息子と一緒に検討しました。
今では以下のように考えています。
当日発表した時に私は「義の心からお金を渡すのは自発的な行為なので自由であり、脅かされてお金を渡すのは強制された行為なので自由ではない」といった話をしていました。
しかし、これはやはり問題でした。
これでは、「脅してお金を奪う行為」は自発的な行為であり、自由な行為になります。
そこでスピノザの視点を導入して「義の心からお金を渡すのは自己の本性の必然性にもとづく行為であるから自由な行為であり、脅してお金を奪う行為は自己の本性の必然性に逆らう行為であるから自由ではない」となります。
この方が自由をより的確にとらえていると思います。
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