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2021/5/2 私的言語は可能か?

61火雨:2021/07/18(日) 16:33:30
>横山さん
「コレスポンダンス」について補足です。ボードレールの「コレスポンダンス」の捉え方には一般的に少し幅があるのですが、僕の理解ではまずは知覚と感覚が交錯するものと考えています。特に横山さんの「夕日」や「雀」の例は、知覚からくる経験が感覚にうったえるような何か交錯を起こしてるように見えます。実は僕自身も過去に似たような経験があり、散歩中、遠くの山の頭頂に鳥が消えてった瞬間、自分の右手人差し指があたかも山の頭頂であるかのような感覚が現れました。この経験はそれっきりで、以降現れていませんが、僕にとってはこれが「コレスポンダンス」的な経験なのだと思いこんでいます。この経験ではもちろん「身体の態勢把握」が現れてはいますが、それプラス知覚との交錯が起きていることで、感覚の拡張が起きてるように思います(以前の会で山内さんが紹介してくださったハクスリー『知覚の扉』を思い出します)
さらに、一般的な「コレスポンダンス」解釈には知覚や感覚だけでなく、その当事者や自然が持つ「物語」や「歴史」も交錯する、と捉えられることが多いです。この場合では「記憶」の概念が重要となるのかな、と考えています。「夕日」や「雀」ではなく、「かまど」の例の場合はこちらの「コレスポンダンス」解釈が適用できるのではないかと思います。(「かまど」には感覚器官がないので、久保さんの定義上知覚も感覚も発生しないため)
ライプニッツとの親和性については、横山さんに言われて初めて、そうなのかもしれない、と思いました。たしかにボードレールの件の詩からは、世界や自己を既にある1つの規定されたもの、として捉えてるように感じます。横山さんの言うような「経験によって主体が構成される」ような余地はボードレールには足りないかもしれません。(しかし、「コレスポンダンス」に影響を受けた他の詩人たちはその限りではないのかなと感じます。)
話を広げるばかりで申し訳ありませんが、僕の中ではホットな話題でしたので横槍を入れてしまいました。本筋から外れるようでしたらすみません。

>おぐすさん
僕の横槍をフォローしてくださり、ありがとうごさいます。たしかに横槍を入れること自体が「コレスポンダンス」的な行為になってますね(笑)
おぐすさんの精神分析的な例も個人的には興味深いです。「かまど」のように身体感覚が未分化な状態が(良かれ悪しかれ)寓話という形で表現されるているのには何かしら必然性があるだろうと思います。ちなみにEテレの『グレーテルのかまど』はお菓子を作る番組で、「かまど」は魔力で材料を用意してくれます。「かまど」が持つ身体感覚の未分化性は「魔力」のメタファーになっているのでしょう(※僕の勝手な解釈です)。


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