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2021/5/2 私的言語は可能か?
17
:
久保共生
:2021/07/13(火) 22:14:56
>>15
>おとぎ話に出てくるような「かまど」みたいに基本的に手足も内蔵も目も耳も無いのになぜか見えて聞こえて感じられるという主体や、身体を失ったのに観念と感覚は残ってる霊魂としての主体とか、そういうのはあり得ないことになるのでしょうか。
そうですね、あり得ないと言って差し支えないかと思います。
>僕は現実に夕日を見たときに「夕日がある」という感覚を目に感じるのではなく西の空に感じるように思えます。雀の声を聞いたときに「雀の声が聞こえる」という感覚を耳に感じるのではなく「雀の口」に感じるように思われます。
少し踏み込んでお答えします。
まず、「夕日がある」や「雀の声が聞こえる」というのは「感覚」というより「知覚」でしょう。
夕日や雀の鳴き声といった周囲世界の出来事を知覚しているのであって、こういった場面では普通感覚的なものは存在しないと言うべきでしょう。
ところで、一応確認しておきますが、僕は感覚を知覚の構成要素と考える生理学的な観方を否定しています。
したがって、感覚を媒介にしなければ知覚が不可能などとは言えません。
感覚を媒介して夕日や雀の声を知覚するのではなく、端的にそれらを知覚すると考えます。
ただし、知覚するためには感覚器官を媒介する必要はあると思うので、「かまど」が物を知覚できるとは考えません。
一方で例えば、太陽の強烈な光に目が眩んだような場面では、「眩しさ」という一種の感覚的なものが登場します。
この「眩しさ」というものは、太陽の知覚というよりも、おのれの身体の態勢の把握と言うべきでしょう。
つまり、周囲世界の相貌よりも、おのれの身体の態勢が主題になるとき、感覚的なものが登場するわけです。
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