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2021/5/2 私的言語は可能か?
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:
横山信幸
:2021/07/11(日) 18:06:19
ウラサキさん、久保さん、「私的言語はあるか」の論議面白かったです。発表ありがとうございました。
せっかくなので、最後の時間切れになってしまった「私秘的な感覚についても感覚を語る本人にまったく優位性が無いと言えるのか」の議論について、僕の意見を述べさせてもらいます。
僕は、本人がその感覚を感じる主体でありそれを語る主体であるというところでは圧倒的な優位を持つと言うのはその通りだと思います。現実の会話や言語ゲームのなかで、ある人が感じた感覚を話し相手に伝えようとするとき、その伝えるべき感覚の内容は現実的に語る本人だけがアクセス可能であり、その意味では圧倒的絶対的に語り手に優位があると言って良いように思います。
しかし、その本人が無限の説明や言語ゲームを重ねても決して伝えられないような私秘的感覚を持っていると言えるかと言うとそんなことは無いように思います。無限に語り尽くしても語れ得ないような私秘性は、本人であっても持つことはできないと思います。それは、今日の久保さんの身体的な感覚の話からもそのように思われますし、そもそも「無限な私秘」は本人であってもそれがどんな感覚なのかを言語化して「分かる」ことは不可能だと思われるからです。なので、前提として「公共的に伝達不可能な感覚」としてしまった「感覚E」は、その前提ゆえに、本人であっても優位をもたず、その意味での私的言語は不可能だと言ってしまってもよいように思われます。
そしてだから、永井は「なぜ意識」の著書で「私的言語がなければ言語は不可能」と言っていましたが、そこで言われている「私的言語」はウィトの言う「他人はこの言語を理解することができない」として設定されるときの私的言語とは別のものとして捉えなければならないように思われます。
しかし、さらにまた一方で、その考察は、僕はウィトが完全な相関主義的な世界観に基づく話をしているとして解釈してそのように感じてしまうのですが、永井や永井の意見に同意する人は、ウィトを相関主義から外部へ乗り越えていると解釈されているのかもしれない、という気もしています。
それにしても一つのテーマでじっくり四時間、闊達で濃密な話し合いでした。発表のお二方も参加の皆さんもどうもありがとうございました。
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