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2021/5/2 私的言語は可能か?

1ウラサキ:2021/04/15(木) 17:48:55
浪速区民センター 第4会議室にて 13:00-17:00
前半をウラサキ、後半を久保共生さんが担当します。

《参考図書》
ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第256〜271章
野矢茂樹『語り得ぬものを語る』18「私にしか理解できない言葉」
永井均『哲学の密かな闘い』第7&8章「語り得ぬものを示す(1)(2)」

なお、ウィキペディア「私的言語論」の説明も参考になるかと思われます。

107久保共生:2021/07/21(水) 12:24:39
>感覚と知覚による世界把握において、感覚されたり知覚されたりする経験的な質料の内容というものはどういう位置づけになってくるのでしょうか

改めてお聞きしたいのですが、「経験的な質料」って何のことでしょう?
どういったものを想定されていますか?

もし、「知覚判断の素材になるもの」ということでしたら、上でもお答えした通り、僕の回答は「そんなものは存在しない」です。
ですが、「感覚されたり知覚されたりする経験的な質料」と仰っているので、そんな感じでもないように思われます。

108横山信幸:2021/07/21(水) 12:55:17
久保さん
>>107

僕の考えている「経験的な質料の内容」というものはおそらく「知覚判断の素材になるもの」に一致するのじゃないのかと思います。形式によって分節化される以前の、形式とは独立なものとしての「経験の内容」です。「赤」という感覚知覚があったときに、「それを他の赤やさまざまの色と比較して「赤」に分類され、それによって「赤」と呼ばれることになるという分節化」がなされる対象としての、その分節化とは独立な、何者でもないカオスとしての世界経験の内容です。
それは「そんなものない」ということになりますか

109久保共生:2021/07/21(水) 19:56:16
>>108

僕は、感覚素材に判断や解釈を加えることで知覚が成立するという考え方を誤りだと考えます。
なぜなら、感覚素材など我々の世界経験から見出されたものではなく、二次的・反省的に作り出された概念にすぎないと考えるからです。
世界の相貌は端的に立ち現われるのであって、その相貌が「感覚素材を加工したものだ」というのは、何の正当性もない臆見にすぎないと考えます。
したがって、「知覚は判断だ」という主張も、誤りと考えます。
なぜなら、判断されるべき感覚素材なるものがそもそも存在しないからです。

110久保共生:2021/07/21(水) 20:33:29
少し踏み込んだ議論をしますが、頑張って読んでいただけると嬉しいです。

例えば、チェッカーシャドウの錯視を見てください。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%89%E3%83%BC%E9%8C%AF%E8%A6%96
AとBのタイルの色が異なって見えますが、これは、まずAとBの色の感覚素材を受け取り、そこに判断や解釈を加えて異なった色に見えるということなのでしょうか?
けれども実際には、我々は何の判断や解釈を俟たず、端的にAとBが異なった色に見えるのであり、感覚素材なるものを媒介する必要はありません。

ところで、そもそもタイルAやBの色の感覚素材とは一体何なのでしょうか?
この錯視図は、「色の見え方(知覚的相貌)は状況のコンテクストに依存する」という事実を明確に示しています。(AとB以外の背景を消せば同色にしか見えなくなるので)
けれども、感覚素材は状況のコンテクストから切り離された独立自存するなにものかなのでしょうか?
しかし状況から切り離された感覚素材など、単なる哲学的思考における抽象化の産物にすぎないでしょう。
「ド」の音なども同様です。
状況から切り離された純粋な「ド」の音の感覚素材など存在しません。

知覚的相貌は、いつもその都度の何らかの状況のコンテクストのもとでの世界の相貌です。
チェッカーシャドウの錯視図であっても、その知覚的相貌に状況の意味がすでに読み込まれているからこそ、何の判断や解釈を俟たずとも錯視が起きうるわけです。
したがって、状況のコンテクストに依存しない純粋な感覚素材など、そもそも我々が知覚できないものであり、そんなものの存在を想定する意味はないでしょう。

では、感覚素材は、状況から切り離され独立自存しているものではなく、その都度の状況のコンテクストに基づけられたものだと理解すればどうでしょう。
けれどもこのように理解すると、感覚素材は知覚的相貌と同等の権利を持ちうるのであり、そこに新たに判断や解釈等を加える必要はなくなるわけです。
このように理解された感覚素材は、もはや知覚以前のなにものかではなく、知覚的相貌そのものになるでしょう。

かくして、「感覚素材」なる概念は、我々の知覚の在り方を理解する上で無用の長物であり、混乱をきたすだけのものだというわけです。
事実はシンプルであり、「知覚的相貌は端的に立ち現われる」というだけのことです。

111横山信幸:2021/07/21(水) 20:35:38
>>109
そうですか。それはちょっとびっくりでした。そういうことなら、これまで僕はまったく勘違いしてましたので、話が食い違うはずです。
しかし、そうすると私的言語批判はややこしいことになりそうな気がするのですが、そこもまたもう少し考えてから質問させてもらいたいことが出てくると思いますので、そのときはまたよろしくお願いします。

でも、その前にあともうひとつ。質問させてください
二次的反省的だとしても逆算的に知覚や感覚を、形相と質料に分けて分析することはできるのでしょうか。できるとすればその意味では「質料」はあると言ってもよいような気がするのですが、そのような逆算的な意味では〈「経験的な質料の内容」はある〉と言うことはできるでしょうか。

112横山信幸:2021/07/21(水) 20:52:22
>>110
>感覚素材は状況のコンテクストから切り離された独立自存するなにものかなのでしょうか?しかし状況から切り離された感覚素材など、単なる哲学的思考における抽象化の産物にすぎないでしょう

確かに独立自存できない哲学的思考による抽象化の産物かもしれませんが、それでも、〈何者でもないカオスとしての内容〉は「ある」と言っても良いように僕には思えるのですけど、久保さんの世界モデルではやはりそのような「経験的な質料の内容」は「ない」とされるべきなのですか

113横山信幸:2021/07/21(水) 21:11:43
久保さんの「知覚」や「感覚」からの世界の切り取り方と、僕の思っている「質料」と「形式」からの世界の切り取り方が、ずいぶんと違うことは何となくわかりましたが、違いすぎて整理して考えるのに時間がかかりそうです

114久保共生:2021/07/21(水) 22:43:38
>〈何者でもないカオスとしての内容〉は「ある」と言っても良いように僕には思える

「ある」と言っていいんじゃないでしょうか。
僕が否定しているのは、知覚を構成する感覚素材なるものの存在です。
世界がほとんど分節化されず、混沌とした相貌を呈することは、普通にありうるでしょう。
但し、それもれっきとした知覚的相貌であり、知覚以前の感覚素材など持ち出す必要はありません。

115久保共生:2021/07/21(水) 23:01:15
>>113

>久保さんの「知覚」や「感覚」からの世界の切り取り方と、僕の思っている「質料」と「形式」からの世界の切り取り方が、ずいぶんと違う

確かにそうですね。
「質料」と「形式」によって認識論を展開するのは、カントを代表として決して珍しい考え方ではないとは思いますが、一方でこうした構図への批判も結構あるように思います。
僕の議論もある意味で、「質料」と「形式」による認識論からの脱却を念頭に置いています。

ちなみに、「感覚素材」のような存在を明確に否定している哲学者で思い浮かぶ者としては、メルロポンティの他に、大森荘蔵などが挙げられます。
あるいは、心理学者ですが、J.J.ギブソンもその一人です。
ご参考までに。

116横山信幸:2021/07/21(水) 23:12:12
久保さん、ありがとうございました。
ずいぶん分かってきたので、逆にずいぶん混乱しています。これをスッキリさせるにはまだまだ質問させてもらう必要がありそうですが、混乱し過ぎて、何を質問したら良いのかもわからない感じになっています。しばらく時間をかけてていねいに整理する努力をしたいと思います。
その後でできれば質問させてもらえたら良いなあと思っています。そのときはまたよろしくお願いします

117久保共生:2021/07/21(水) 23:31:16
>>111
>二次的反省的だとしても逆算的に知覚や感覚を、形相と質料に分けて分析することはできるのでしょうか。

分析することは可能でしょうが、その分析は我々の知覚や感覚の在り方として、実情に見合わないものになってしまわざるを得ないのではないかと思います。
例えば上で挙げたJ.J.ギブソンも、従来の知覚についての説明が、あまりにも現実の我々の知覚経験とかけ離れたものであることを悟ったため、従来の知覚理論を放棄することになります。

尤も、現実との適合性にはある程度目をつぶって、一つの世界設定として捉え、そこからどんなものが導かれるのかを思考するのは、決して無駄なことではないとは思いますが。
まあそういうのも、哲学の醍醐味の一つではありますし。

118久保共生:2021/07/21(水) 23:36:24
>>116
はい、是非またよろしくお願いします。

119横山信幸:2021/07/21(水) 23:54:24
久保さん、これ、これだけで4時間の発表して欲しいです

120ウラサキ:2021/07/22(木) 07:26:03
>>119
 久保共生さんの哲学思想は「私的言語論」の枠内でお話しして頂くにはあまりに気宇壮大なもののようです。
 11月以降に又、部分的にでもまとめを発表して頂ければ、と思います。

121久保共生:2021/07/22(木) 09:10:10
分かりました、ちょっと考えておきます。

122横山信幸:2021/07/22(木) 09:14:49
個人的なメモとして)
ここまで僕が久保さんや他の方の話を聞いて今問いたいけど問題がぼんやりしているので時間をじっくり考えたいと思っている点は大きく2つあります。
一つめは、「感覚=身体態勢」でもって経験的な質料の問題に取って変えられるだけの思索の土俵になり得るのかという疑問。経験に対する問いを限定しすぎて問うことのできる領域が狭まっているのではないかという点です。
もう一つは、「質料ー形式」による世界の捉え方が、ホントに久保さんの言われるように現実に適合できないのか。そこのところをもう少し詰めないと、「感覚=身体態勢」説でもって私的言語の不可能性を論証するのは難しいように思えるからです。
すみません。自分で考察すべき論点の覚書として記させてもらいました。とくに返信を求めるものではないです

123名無しさん:2021/11/24(水) 01:01:56
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