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2020/3/15 カント「道徳形而上学原論」をよむ

1野口:2020/02/11(火) 22:25:19
前に立ち上げた、スレッドのタイトルに、日時を記入していませんでした。
前のスレッドに変わり、このスレッドを利用してください。
申し訳ありません。

2ムラタ:2020/03/03(火) 21:39:18
テキストを購入し少しだけ読んでみましたが、俄然興味を持ったので久しぶりに参加しようと思います。
カントの道徳哲学は大学受験の倫理や中島義道の著作で触れたことがありますが、定言命法など今ひとつ腑に落ちず引っかかるものがありました。
(定言命法など不可能では?という引っかかり)
しかしこれは自分の誤解に依るものかもしれません。

兎に角、楽しみにしています。

3野口:2020/03/10(火) 01:40:02
定言的命法は確かに理解困難な概念です。
でも重要なポイントであるのはたしかですので、当日色々な意見をお聞きしたいです。

4やまうち:2020/03/14(土) 11:53:49
道徳形而上学原論は意外にも(カントにしては)読みやすかったです。
外出しにくい時節柄ですが、明日は参加します。
時間があれば小ネタもやりたい。

5おぐす:2020/03/15(日) 20:55:41
野口さん、本日はありがとうございました。
テキストの主要部分を記したレジメは内容を反復するのにとても役立ちました。

もしカントの定言命令が僕のような俗物の現実間隔と乖離しているとすれば、それは哲人カントが道徳的な「善」と
人間的な「幸福」を截然と分けて、最高「善」が「幸福」実現の手段となることを断固拒否したいという意図に因る
のかもしれません。
カントにとって「幸福」などよりも「善」の方がはるかに価値の高いものですから。

野口さんのおっしゃっていた「本能」でみたされるものは「幸福」の領域になるのかなあ、と思います。

のちの「実践理性批判」ではカントは純粋理性に対する実践理性の優位を主張しているので、「純粋理性批判」で説いて
いた理性の及ばない限界を自覚することで、信念や信仰、神の領域、加えて人間の自由の領域を実践的に守ったとも
いえそうです。

6野口:2020/03/15(日) 21:58:32
おぐすさん、
善と幸福を截断した、と言うのは思い付きませんでした。
貴重なご意見ありがとうございます。
これからも、ご指導よろしくお願いします。


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