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スピノザ『エチカ』読書会

76おぐす:2019/06/27(木) 13:59:26
ムラタさん

マルガレーテはファウストに貴方は神を信じているのか信じていないのかと問い質し、それ対するファウストの応答の部分ですね。
ファウストは自分は神を信じるとも信じないとも言及せずに、ただ「私の言うことを誤解してはいけないよ」と前置きしてから述べるセリフです。

>すべてを包むもの、すべてを保つもの、その神は君をも私をも自分自身をも包み支えているのではあるまいか。

この辺りがスピノザの説く汎神論的な神の概念と重なっているような文言なのですが、神が「自分(神)自身」をも包み支えている、という部分は、
「エチカ」の冒頭「神について」の定義にある「自己原因」が念頭にあったのかもしれません。

補足ですが、この場面は「罪と罰」のラスコーリニコフとソーニャの鬼気迫る応答の場面を彷彿させますね。役者と雰囲気はずいぶん違いますが。
自らの犯罪を告白する男に対して女は、今すぐ街中の四つ辻に立って大地に接吻し、それから「私は人を殺しました」と大きな声で告げなさいと
迫ります。「そうすれば神様があなたに命を授けてくれます。行きますか?行きますか」

面白いのは、ソーニャはラスコーリニコフにキリスト教会での告白(懺悔)を促してはいないということです。女は教会に行きなさいとは言わない。
大地に接吻せよ、その後で世界にに自分の罪を打ち明けよと告げていることです。

ドストエフスキーの中の汎神論的なロシアのナロード(民衆)が持つ宗教性は、ロシア正教的な観念とない交ぜになったままソーニャの抱く宗教観念
として現れています。

スピノザとゲーテ、スピノザとドストエフスキーの思想的、哲学的な連関はあまり論じられてきませんでしたが、読み深めれば中欧、東欧の神観念も
含めて、興味深い場所であると思います。


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