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スピノザ『エチカ』読書会

49横山:2019/05/23(木) 22:15:42
昨日の時点では、スピノザの実体が少しわかった気になってたのですが、今日になるとやっぱり分からないです。

定理17の備考の後ろの方で、
「物質はいたるところで同一であってその部分は物質がいろんなふうに変状すると考えられる限りにおいてのみ区別されるのであり、したがってその部分は様態的にのみ区別されて実在的には区別されない・・例えば水は水である限りにおいて分割されまたその部分は分離されると我々は考える。しかしそれが物体的実体たる限りにおいてそうではない。その限りにおいては水は分離されも分割されもしない・・水は水として生じかつ滅する。しかし実体としては生じることも滅することもない」(岩波p58)

この辺りを読むと、様態としてとらえられたときの世界の対象と、実体としてとらえられたときの世界の対象とは、同じものでありながら、まったく別の世界記述だとするべきように思われます。

例えて言えば、「非常口表示マークの緑の人は扉の外に出られる」という言い方も、「出られない」という言い方も、「出られるも出られないもない」という言い方も、それぞれあるのだけれど、そこで示される「出られる世界」と「出られない世界」と「どちらもない世界」は別の世界になってしまいます。

なんか、スピノザの実体と様態の関係がそれに似てる気がするのです。

つまり、「実体は分割され得ない」と言われるときに語られる世界と「様態としての物質は分割され得る」と言われるときに語られる世界とでは、別の世界が示されていることにならないでしょうか。

もし、そうであるなら、
実体としての世界を語るとき我々は、世界を現実にここに実存する個物として捉えられるかもしれませんが、分析不可能なものでしかないことにならないでしょうか?
また、様態として世界を語るときは分析して捉えられた世界を手にできるかもしれませんが、現実に実存する個物とは無縁の世界でしかないものにならないでしょうか?

なんか、量子力学の不確定原理みたいな、こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず的なつかみどころのなさを感じてしまい、どうも分からなくなってしまいました。

スピノザの世界観って、そんな感じのものなのでしょうか。それとも、僕の勘違いでしょうか。


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