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スピノザ『エチカ』読書会

339nobunag:2022/10/26(水) 07:24:09
どうして定理35が「人々が心を和して生活するようにしむけるもの」が「理性の導きによって生活させるようにさせるものである」ことの根拠にならないかということを説明すると
定理35はその逆のことを述べている為です。
定理35は「人間が理性の導きに従って生活している⇒彼らは本性上一致する」ということを述べています。

>少し、論理形式的な話になりますが、
Aである限りにおいてBである。
という命題は、Bが肯定されたならば必ずAも肯定される事になります。
なぜならば、AはBが成立する為の条件である事を示している為です。
例文を述べると、
貴方が行く限りにおいて皆も行きます。この命題は
「皆が行く」という事が肯定されたならば→「貴方も行く」、という事も肯定されます。
皆が行く→貴方も行く
となりますが、皆が行くからと言って、貴方も行くとは限りません。
従って
皆が行く→貴方も行く
は間違いとなります。
この命題では、皆が行く事の条件が、貴方が行く事なのであって
貴方が行く事の条件は、この命題では述べられていませんから。
では、定理35に戻りますが、この命題では
理性の導きに従って生活する「ただその限りにおいて」本性上、常に一致する。
と述べられています。ポイントは「ただその限りにおいて」と強調している点です。
従って、この定理は
本性上、常に一致しているのであれば、理性の導きに従って生活しているという事が述べられている事になります。
つまり、先ほど示した例文の様に、
理性の導きによって生活する事は、本性上、常に一致する為の条件な訳ですから
本性上、常に一致している→理性の導きに従って生活している
という事になります。
しかし、理性の導きに従って生活していれば、必ず本性上、常に一致するとは限りません。
(例えば自分が理性的でも、相手が受動的、つまり非理性的に生活していれば、互いに常に一致する事はできません)
従って第四部定理35は
人間が理性の導きに従って生活している→彼らは本性上、常に一致する
ということを述べているのではなく、
彼らが本性上、常に一致している→理性の導きに従って生活している
という事が述べられている訳です。
従って第四部定理35は第四部定理40の証明の箇所である
人間を和合して生活させるもの→人間を理性の導きに従って生活させるものである。
の根拠となりうる訳です。


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